神人あいよかけよの生活運動

HOME › 教会信奉者の方へ › 神人あいよかけよの生活運動 › 「教報天地」運動のページ

金光教報『天地』 2月号 神人あいよかけよの生活運動


神量らいは奇しくて

 兵庫県南部教会連合会主催の「兵南信奉者集会」で、奥村良次氏(兵庫・六甲・信徒)が話された内容を抜粋して紹介いたします。


入信のエピソード
 私は昭和12年生まれの78歳です。最近は人に歳を聞かれたら、「まだ78歳なんです」と返事をするようにしています。それは、いつまでも若く元気に生活をさせていただきたいという願いからのことです。
 私が金光教に出会ったのは昭和28年のことです。勤めていた会社の社長が六甲教会の信徒総代をされており、毎月宅祭に二代教会長の澤田右三良先生が来られ、金光教を知らずに一緒に参拝することが一年ほど続きました。
 その後、先生の送迎をするようになり、翌年の正月に教会にお引き寄せを頂きました。そのうちに先生から「奥村君、青年会に入りなさい」とお話があり、集会などに参加する機会ができ、自然と教会に足を運ぶことが増えてきました。
 私が金光教に魅力を感じたのは、昭和30年に神戸市教会連合会が開いた記念講演でした。講師はサンフランシスコ教会初代教会長・福田美亮先生でした。「絶対の信」という講題で話された講話にも感銘を受けたのですが、さらに感動したのは講話が終わった後のことでした。福田先生が演壇で「生神金光大神様を連唱させていただきます」と言って、会場が割れんばかりの大きい声で唱え始めたのです。参加者全員が自然と立ち上がりました。その時に感動で涙があふれ、金光教の素晴らしさをますます深めていきたいと思うようになりました。
 私は昭和39年にインキを製造販売する会社に営業マンとして就職しました。澤田先生にお届けすると、「奥村君、営業というのは人間関係が重要な仕事やな。人間関係の上におかげを頂かないと駄目やな」とご教導くださいました。私は学歴がなかったので夜間高校に通いましたが、中退して仕事に没頭していました。競合する会社の営業マンたちは、それぞれ大学や専門学校出身というキャリアを持っているなかで、澤田先生は私に、「人とのつながりの人徳のおかげを頂かないと立ち行かない」と何度も教えてくださいました。このことから、私は終生、「神徳を受けよ、人徳を得よ」というみ教えを座右の銘としていただいています。
 もう一つ、私が肝に命じていることがあります。徳島県の池田高校という野球で有名な学校に蔦監督という方がおられました。当時の池田高校の強さは甲子園を春夏連覇するほどで、ある時にアナウンサーが監督に、「選手の技量をアップさせるために、どのような指導をされているんでしょうか」と尋ねたところ、「私は選手には技量的な指導は一切していません。ただ、選手たちに『石の心を持たずにスポンジの心を持て』と毎日指導しています」と答えたのです。石は水を吸収しませんが、スポンジは多くの水を吸収します。その話を聞いて、私自身もいろんな場面でいろんなことを見聞きさせていただきますが、常にスポンジの心を持っていたいと思わされたのです。

営業時代に頂いたおかげ
 私は青年会時代、車を使って営業をしていました。昔、神戸の街中には車道の真ん中に市電が通り、私は毎日その道を通って教会参拝をしていました。その頃は胃腸が弱く、途中に市民病院があるので、「この病院の方が便利がいい。内科部長の診察が何曜日にあるか確かめよう」と思い、病院前の坂を上がって玄関に車を止めて中に入りました。外に出てくるまでわずか一分程度のことでしたが、戻ってくると車がありませんでした。
 「うわっ」と思って、急いで坂を下って車道へ出ると、電車道の真ん中に私の車が止まっていました。歩行者も車も多く行き交うなかを横切りながら、慌てて車を脇へ寄せました。後で気がつきましたが、サイドブレーキをかけ忘れていたのです。それでも車を見ても傷もなく、周囲を見渡してもけが人もありません。まるで誰かが運転してその場所に止めたような状況でした。私は思わず車に乗り込んでから、「金光様ありがとうございました」と心中祈念をして教会へ向かいました。
 教会のお結界で「先生、実は今、こんなことがありました」と申し上げると、先生は、「そうか、あんたの心が神様に向いてたな。神様が運転してくださったんや。ありがとう思わなあかんで」と言われました。その時の先生のご祈念は、一生懸命さが私にも伝わってくるほどでした。 私はこの体験をとおして、神様が私のことを守ってくださり、起こってくることはすべて「神量らい」だと思うようになりました。それ以来、私はますます「自分は本当にいい宗教、いい神様に恵まれたな」と思うようになりました。
 営業時代には、いろんな方と出会いましたが、問題が起こることもありました。ある時には自社の商品不良からクレームがあり、当時私は営業部長という立場で、その報告を部下から受けて、一人で取引先におわびに向かいました。おそらく損害額は2、3千万円でした。
 取引先に向かう途中、車のなかで「生神金光大神様」と唱え続け、到着した駐車場でも「ただ今から、会社の社長に面談させていただきます。このたびのことでご損害をかけたおわびに今から参らせていただきます。どうぞ神様、話し合いが円満に進ませていただきますように。相手の会社の損害にも救いの手が出ますように。何とぞご配慮頂けますように」とお届けさせていただきました。それは教会の先生から、「いざという時には、どこからでもご祈念しなさい」と教えられてきたからです。
 取引先の会社で社長に面談をと思って受付へ行くと、「社長はただ今会議中で、代わりに常務が応対します」と言われ、応接間で待っていました。心のなかでは「おそらく取引停止になるだろう」と覚悟をしていました。来られた常務に丁重におわびを申し上げ、「ご損害をおかけした分は全部弊社で補償させていただきます。何とか取引を続けてほしいのですが」とお願いしました。
 ところが、常務は取引停止の方向に話をもっていこうとします。冗談のように、「おう奥村、短い縁やったのう。お前も元気で暮らせよ」と言われ、「これは駄目だ」と思っていたところに専務が入ってきました。専務も同じような雰囲気で、「あるメーカーでこういうええもんがあるらしいわ。俺んとこも早速それを使おうと思っとる」と輪を掛けて言われました。「これは、いよいよ駄目だ」と諦めて帰りかけた時に、懇意にさせていただいていた社長が入って来られて、「おう、奥村どうした」と言われて、2人が事の次第を社長に説明すると、社長が「奥村、ちょっとコーヒー飲みに行こう」とおっしゃいました。そして、「ああ、心配せんでええ。おい、お前らのとこでちゃんとしといたれ。もうそないグチャグチャ言わんでええ。終わった話や。奥村、お茶飲みに行こう」と言ってくださったのです。社長の鶴の一声でクレーム処理が解決し、取引継続の約束を頂いたのです。

周囲の人にも神様の働き
 それ以来、私はこの体験も含めて、神様へのお礼の気持ちで、信心のありがたさを周囲の人にもお伝えしたいと思うようになりました。営業時代にはいろんな方とのお付き合いがあり、ある会社の社長さんが、「10月に娘が結婚することになりまして」とおっしゃいました。その話から、ふた月ほど経った時に、再びお目にかかると、「妻が耳から菌が入って、顔がゆがむ病気になり、半身がまひして入院した」ということでした。
 そして、「顔がまひしとるから、薬を飲ますのに往生してんねん。けど、医者に聞いたら、『この病気は半年や1年で治るもんじゃない。1年入院してても治らん人は治らん』と言われて、妻がもう毎晩泣いて泣いてしょうがおまへん。娘の結婚式に出られないから落胆しとるんです」と言われました。
 私はそれを聞いた時に、「4月だから半年後か」と思い、その足で教会へお参りし、お結界で先生に「社長の奥さんがこういう病気になられて、10月に結婚式を控えているにも関わらず、今それで苦しんでおられます。何とぞ、奥さんが全快されて娘さんの結婚式にご両親そろってお出になることができますように、何とぞお願いします」とお届けをしました。
 すると先生がご神米とお神酒をお下げくださいました。それで、私は奥さんに「このご神米は、神様のお守りを頂いているものですので、入院されている枕の下にお引き下さい。このビンに入っているのはお神酒といいます。これを患部に朝晩、『金光様』と唱えながらつけてください。それだけでいいです」という手紙を添えて送りました。
 数日後、社長から電話があり、「奥村、もらったやつ、妻が毎日つけているらしい」と言われました。「それはよかったです。何とかお嬢さんの結婚式にご両親そろってお出になれればよろしいですな。私も神様にお祈りしています」と答えましたが、やがて社長から電話があって、「奥村、妻が退院することができたんや。まひが治った」と言います。担当の医師は、「この薬がこんなに効くとは思ってなかった」と言っていたそうですが、私は違うことをよく知っています。
 その後、社長と奥さんが喜んで、六甲教会へお礼に来られて、「奥村さん、ありがとうございました。おかげで娘の結婚式にそろって出ることができます」と言われました。私は「教会にお参りしなさい」とは、一言も言っていません。「よかったですね」と申し上げただけです。「お腹が痛くなったらご神米を頂いたらいい」「けがをしたらお神酒さんを塗ったらいい」と聞きますが、それは祈りがご神米やお神酒をとおして現れるからでしょう。

金光様から頂いたお言葉
 私は全国信徒会の委員をさせていただくことになってから、たびたびご本部にお参りして、金光様にお届けをする機会が増えました。それまでは春秋の大祭に参拝して、教会長がお届けをされるのを後ろで一緒にご祈念しているだけでした。しかし、月に1度はご本部へ参りますので、その都度、金光様にお届けをさせていただけるようになりました。
 ある時、教会へ参拝し、お結界で先生に「本日はお引き寄せを頂きましてありがとうございます」と申し上げました。それから自分の健康上のこと、仕事のことなど、いろんなことをお届けしましたが、3、4か月続けるうちに、お礼を申し上げた後に涙が止まらず物が言えなくなり、収まりがついてからお届けをすることが続きました。
 そんなある日、ご本部のお広前でお礼のご祈念をしていると、ふと六甲教会のお広前で涙が流れてお届けができないことを金光様にお伺いしてみようと思いました。「教会でお届けをさせていただく時に涙が止まりません。どういうことで涙が出てお届けができない状態になるんでしょうか」とお尋ねしました。すると金光様は、「それでは、願い事は紙に書かれたらよかろう。紙に書いてそれを読まれたらよかろう。そうすればちゃんとお届けができます」とお言葉をくださり、涙でお結界を下がりました。
 また、入信60年を迎える年には、そのお礼を申し上げるつもりで本部広前のお結界に進みました。ところが、金光様にお礼を申し上げた途端に、ふと「金光様、恐れ入りますが、お下げいただきますご神米に60年の記念になるお書き下げを頂きとうございます」と口をついて出ました。私は、おそらく無言でご神米をお下げくださるだろうと思っていました。すると金光様が、「何と書けばよろしいか」とお尋ねになり、「金光様これを書いてください」と言えるわけもなく、「どうしよう。何を言おう」と考えて思わず、「金光様、み教えでも結構でございます」と、下を向いたまま申し上げました。
 しばらくして顔を上げると、ご神米をお下げくださっていました。見ると「親にかかり子にかかり あいよかけよで立ち行き」と書かれていました。それは平成24年5月25日のことでした。
 そのことをある懇親会の席で、岡成敏正教務総長にお話ししました。すると岡成先生は、「奥村さん、このお言葉には深い意味が込められていると思いますよ。普通、親が子を思う心は誰しもが持つ心ですよ。ところが、子が親を思ってくれる心を持つというのは、普通はなかなか分からない。このみ教えは本教の大切なもとをご理解くださっているんですよ。それだけ深いみ教えを頂かれたというのは本当にありがたいことですよ」と言ってくださいました。
 私も日頃は心配事がたくさんあります。けれども、もし私が80歳で亡くなったとしても、それは神様が「お前のこの世での修行は終わった」と言ってくださり、神様のもとへ行くことですから不安もなくなりました。ここからも、「子が親を思う」という心を大切にして、一生青春の気持ちでお道の信心を求めながら、一人でも多くの方に信心の素晴らしさを分かっていただきたいと思っています。

(2016/2)

   



このページの先頭へ