神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 2月号 神人あいよかけよの生活運動


神の氏子として─神の氏子とともに─

 平成24年4月15日の小松教会天地金乃神大祭で、三浦德代師(富山教会)が話した内容を紹介いたします。


親子が共に育つ
 平成23年8月、9月と続いて、長女、次女が結婚のおかげを頂きました。娘たちに、「式場のロビーに飾る写真を探してほしい」と頼まれ、選んでいた時のことです。一枚一枚見ていくと、「よくここまで成長させていただいた」という思いが込み上げてきて涙が止まらず、どれだけ神様にお礼申しても足りない気持ちになりました。
 「ちちははも子供とともに生まれたり育たねばならぬ子もちちははも」という、四代金光様のお歌があります。子どもが結婚するまでに成長させていただいた今、親として私自身はどのように成長したのか、いろいろと考えさせられます。
 第一子である長女を妊娠した時、医師に、「妊娠していますが、卵巣のう腫という病気を持っています」と言われました。当時私は22歳で、卵巣はダチョウの卵ほどに腫れ、おなかが痛く、とても心配でした。卵巣のう腫がそのまま大きくなると、おなかの赤ちゃんにも影響があります。「安定期になっても卵巣が腫れていたら、手術で取り除かないといけない」と医師から言われ、麻酔が母体に影響があると聞いたことがあった私は、とても怖くなり、それから夫婦そろって毎日本部広前に参拝し、金光様にお届けをして、子どもが無事生まれることを第一にお願いさせていただきました。
 かかりつけの総合病院には、たくさんの患者がいました。産婦人科には、妊娠で喜んでいる人だけでなく、病気で受診されている人もたくさんいました。妊娠してありがたい気持ちと、病気が見つかって不安な気持ちが入り交じるなか、だんだんと、「同じ病院にかかっている人たちの病気も、一日も早く治してください」というお願いができるようになっていきました。それまでは病院に行くたびに、「手術しないといけないのではないか」という不安がありました。しかし、そのような祈りに変わった時から、心が和らいで、「自分のことは神様が何とかしてくださる」という気持ちになりました。そうして迎えた五か月目の検診で、医師に「だんだん小さくなってきていますから、もう手術しなくてよろしいです」と言われた時は、本当にうれしかったです。
 後に夫は、「あなたがそういう心持ちにならせていただいたから、神様が喜んでくださり、手術をしないで済むようなおかげをくださったんじゃないか」と言ってくれました。それを聞いて、教祖様の「信心する人は、わがことより他人のことを先に願え。そうすれば他人も助かり、わが身にもおかげがたくさんある」という教えを身をもって体験させていただいたのだと思いました。
 さらに第二子、第三子を授かった時にも、病院に行くたびに、周りの人のことをお願いさせていただきました。それが、夫婦で子どもと共に育つ、神様に喜ばれる心を強くさせていただいた第一歩だったと思います。

神様が育ててくださる
 もう一つ、親としての大きな出来事は、夫がご霊地でのご用を退き、家族で教会に帰らせていただいた時のことです。転居に伴い、子どもたちは転校することになりました。長女が中学3年生、次女が中学1年生、長男が小学5年生に上がる年でした。
 思春期だった娘たちは不安でいっぱいで、泣きながら「お父さんだけ帰ったらいいやん」と言ったこともありました。私も、子どもたちが転校先でいじめに遭うのではないかという不安があり、体が3つあれば一人ひとりに付いて行ってやりたいくらい、胸が締め付けられるような日々が続きました。それでも、どうすることもできません。「心配を土台にするのではなく、毎朝目を覚まして、元気で学校へ行ってくれることにお礼申しながら生活させていただこう。それしかない、神様にお任せするしかない」と心が定まりました。
 子どもたちが学校に行く時には、その背中に向かって手を合わせ、「どうぞ一日おかげいただきますように。どうぞまた無事に帰ってきますように」とお願いしながら見送り、帰ってきたら「今日一日ありがとうございました」と、神様にお礼をさせていただきました。
 それでも母親ですから、帰ってくるまではとても心配です。授業中に、本来なら楽しいはずの休み時間に、子どもたちがどんな思いで過ごしているのか、考えるだけで涙があふれてきそうになりました。けれども、子どもたちはすぐに、「友達ができたよ」とその日あった事などを伝えてくれるようになり、私はとても安心しました。
 やはり、願っていくしかないと思わされました。神様に心を向けて、「どうぞお願いします」という気持ちを強く持たせていただくのです。両親はよく私に、「あなたが神様のご用をさせていただくという心一つ持っていれば、子どもは神様が育ててくださるから、安心しなさい」と言ってくれていました。それでも、私は毎日心配でした。
 そのような心が子どもたちにも伝わっていたのでしょう。中学3年生だった長女は、いつも帰ってくると「楽しかったよ」と言ってくれていたので、私はその言葉どおりに受け取っていました。しかし、長女が高校に入ってから、中学校の時の友人のお母さんに、「義子ちゃん、大変だったけど偉かったね」と言われたのです。私が「えっ、何かあったんですか」と尋ねると、「義子ちゃん、いじめられていたんだってね」と言われ、本当に驚きました。
 長女は、中学校の部活でソフトテニスをしていました。ソフトテニスはペアでする競技で、顧問の先生が、今までのペアを解消して、ある子と長女をペアにしてくださいました。きっと、早くみんなになじむようにと配慮してくださったのでしょう。しかし、それがきっかけで、ペアを解消された子が長女をいじめるようになったらしいのです。長女は、私にこれ以上心配をかけないようにと、ずっと黙っていたのでしょう。そのことに初めて気付かされ、「よう辛抱してくれたね」と泣きながら長女を抱き締めました。
 その時の写真を見て、「この頃、親のことを思って、辛抱して学校に通っていてくれたんやな」と思うと、涙が止まりません。長女は結婚式の時、「お母さんは願っていてくれました」と言ってくれましたが、私が願う以上に、長女は辛抱してくれていました。神様、みたま様のおかげで、長女は強く生きさせてもらえたのだと感じています。

支え導いてくださる神様
 子どもたちをとおして、神様にお任せする、おすがりするということを学ばせていただきました。そうは言っても、心配でならないのが親です。そのことも分らせていただきました。天地の親神様は、どんなに私たちの行く末を案じ、心を懸けてくださっているのでしょう。
 私たちが少しでも成長していく姿を見せることができた時に、親神様は心から喜んでくださると感じます。何にも代えることのできない宝である子どもが成長していくことは、親にとって、何よりもありがたくうれしいことです。3人の子どもを授かり、その成長をとおして、神様が喜んでくださる生き方を分からせていただいたように思います。
 このように、神様は「かわいい氏子が立ち行くためにはどんなことでもしてやりたい」と願ってくださっています。身をもって感じていますが、私の本来の姿は心配性で、いろいろなことに対して不安になるうえに、怒りっぽいのです。
 教会で生まれ育った私は、「腹立てば心の鏡のくもること」というみ教えが、子どもの頃からずっと心にあり、いつも「腹を立てないように」と意識をしてきましたが、ある時、自分が腹が立ち始めるとどうにも止まらなくなる人間だったことに気付かされました。そんな本来の自分の姿が分かってくると、神様はこんな私を助けるために、人をとおし、ニュース番組をとおし、またドラマのセリフをとおして、私の心が落ち着くように導こうとしてくださっていることを実感できるようになってきました。
 悲しくてどうしようもない時、涙が止まらない時、ちょっとした言葉で「ああ、私は神様に守っていただいている」という気持ちになります。すると、とても穏やかな気持ちになれます。それまでの凝り固まっていた心が、少しずつ解けていくのです。そうして周りが見え始めると、心が良い方に向いて、また笑顔になることができます。そのように、神様が道付けをしてくださるのです。
 神様は、私が道を間違えそうになった時に、いつも底のところで力強く支えてくださいます。車のナビゲーションシステムの「何メートル先、右方向です」といった指示を聞くたびに、私はいつも、神様はこのナビのように導いてくださっているのだと思わされます。このように支えてくださる神様がおられることは、どれほど心強いことでしょう。

伝わっていく信心を
 信心のおかげで、子どもたち3人が神様にお育ていただき、私はその手助けをかつがつさせていただき、親子共にここまで成長させていただけたのだと思います。神様が安心の道へ導いてくださっていることを、強く感じています。
 神様は、「難儀な人を助けよ」と、私たちに願ってくださっています。その身いっぱいにおかげを受けて、人を助ける身にならせていただくことが、神様に対する最高のお礼ではないでしょうか。その第一歩が、わが子や身近な人に、信心を伝えさせていただくことだと思います。
 信心を伝えるのはなかなか難しいことですが、私自身が「あれもこれも神様のお働きなんだ」と実感させていただいて、「そのお働きを受けての私なんだ。ありがたいな。このお道のなかで生かされていることがうれしい」という思いがあふれ出てきた時に、おのずと伝わっていくのではないでしょうか。ただ「ありがたい」という思いでとどまっているようでは、なかなかほかの人へは伝わりません。特に、わが子に信心を伝えるというのは難しいことです。子どもは賢いですから、私も「お母さん、違うんじゃない」と、いろんなことを言われてきました。親である私自身が、神様のありがたさがあふれ出てくるようになっていかなくては、子どもたちには信心が伝わらないように思います。子どもたちに幸せになってもらうためにも、このありがたい神様、安心な神様をいつも感じてもらえるように、親としてそういう働きができるようにならせていただきたいと願っています。
 神様から素晴らしいおかげを頂いているお互いです。その一つひとつを実感し、子どもや孫、またご近所の人に、「私はご信心させていただいているおかげで、いつもこんなに幸せなんです」と伝わるような生き方にならせていただくことが、神様への一番のお礼になると思います。

(2017/2)

   



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