神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 4月号 神人あいよかけよの生活運動


お礼をいう心とは

 岩井良一師(ブラジル・サンパウロ)が本誌に執筆した内容を紹介いたします。


二つのお書き下げ
 立教150年生神金光大神大祭において、「『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」と、教主金光様よりお言葉を頂きました。
 翌年の元日、畏れ多くも教主金光様に「『神人の道』とは、どのように解釈すればよろしいでしょうか。金光様の思いをお聞かせください」と、年頭のごあいさつに併せてお伺いしました。すると、ご丁寧に書面にて、次のようにお答えくださいました。
 「神人の道」とは、「・世話になるすべてに礼をいう心・神も助かり氏子の難なし」
 私は、このお言葉を頂いて、「神人の道」を日常の生活に現していくためには、「すべてに礼をいう心」の実践に取り組まなければならないと思いました。しかし、本気ですべてにお礼を言おうと思えば、自分がお世話になっている物、服、家、部屋、車、親、兄弟、友達、毎日起こってくる事柄など、際限がありません。
 私がご用を頂いているサンパウロ教会のお広前には、教会長が金光様から頂いた「世話になるすべてに礼をいう心」というお書き下げと、合楽教会初代・大坪総一郎先生の「心ひとつですべてをつくる」というお書き下げが掲げられています。両方に「すべて」と書かれているので、お参りになるほとんどの人から「本当にすべてにお礼を言うのですか」「心ひとつで本当にすべてがつくれるのですか」と、疑ったような顔で質問されます。
 その都度私は、「信心の稽古をさせていただくと、まずお礼を言えていなかった自分に気付かされ、いろんな人や物に世話になっていることを意識するようになります。そうして気付かされた一つ一つの物事にお礼を言うことで、すべてに礼をということにはほど遠いのですが、一歩一歩神様に近付いていくことができるようになります」と説明します。「心ひとつですべてをつくる」も同じで、お礼の範囲が広がるのと同時に、その心ですべてをつくる内容もまた広がっていくのだと思います。

なぜお礼を言うのか
 お礼の実践で難しいのは、起こってくる様々な出来事「すべて」に対してお礼を言うことだと思います。自分にとって都合のよいことならお礼も言えますが、都合の悪いことに対してお礼を言うのは簡単ではありません。しかし、願われているように、「すべてに礼を」と意識することで、自然と視野が広がり、これまで目を背けていたことにも取り組めるようになってくると思います。
 なぜ、お礼を言わなければならないのか。私の場合は、幼いころからそのように習っていたので何の疑問もありませんでした。当たり前のように質問されるようになって初めて、いろいろと考えを巡らせるようになりました。そうして自分の心を見つめてみると、お礼を言うことが大事だと分かっていながらも、取り組めていなかったことに気付き始めました。そこであらためて、なぜお礼を言わなければならないのかを考えてみました。
 おかげを授けようとされる神様、おかげを頂きたいと願う氏子、本来ならば両者の関係がスムーズに成り立つべきですが、そうなっていない事実が多々あると思います。神様と人との間に何が障害になっているのか。何がすれ違う元になっているのか。私はそこに、お礼を言うことができない人間側と神様とのすれ違いがあると思います。
 「難はみかげ」というみ教えがあります。これは、教祖様がご生涯をとおして悟られたみ教えであり、神様のみ心を現されたお言葉だと思います。私たちが日常生活のなかで難儀と感じることはおかげだとおっしゃるのですから、人間側から見れば難儀でも、神様から見ればおかげなのだと思います。ここに、すれ違う関係から通い合う関係へと変わっていけるヒントが隠されているように感じます。

心を育てる神様のお働き
 毎週火曜日は、今年12月に結婚を控えた日系4世の斉藤ブルーノ(30歳)、マリアーナ・ヒエミシュ(26歳)という2人のブラジル人が勉強会にやってきます。ブルーノは、立体的なアニメーションを使って、会社のホームページやテレビCMを製作する会社を経営していました。しかし、不況のあおりを受けて倒産してしまったのです。そこから金光教にご縁を頂かれ、今年で4年になります。
 ブルーノとは10年前から面識があったのですが、これまで真剣に話をすることはありませんでした。彼は倒産後、規模を縮小して再度会社を立ち上げていました。ところが、ある年の霊祭の直会の時に、彼が、「会社のなかでいろんな問題が起こって、どのように対処したらいいのか分からない」と相談してきました。私が「それじゃあ、その答えを一緒に探してみようか」と答えたことから、毎週火曜日の勉強会となり、彼らの参拝が始まりました。
 ブルーノは、教会に参拝してくると、お広前にある大きなテーブルに座って、その日会社であったことを赤裸々に話してくれます。契約している会社の責任者が来て、一方的に駄目出しされたこと。こっちにも言い分はあるのだから、言い返してやりたかったことなど、夢中で話してくる彼に、私は、「とにかくあなたたちが思うようにやってみたらいいんじゃない」と伝えました。
 彼らは、これまで培ってきた経験、常識、またいろんな本を読んで学んだ知識を日々の仕事のなかで試していたのだと思います。自分で考えて納得して行動していくので、こちらが見ていて楽しそうに信心を進めていくようになり、勉強会では次から次へと話題が展開していきました。
 次の週、一週間取り組んだことを尋ねると、相手に腹を立てると話にならないから駄目だったことや、思い方を変えたら少しの間はうまくいくがなかなか続かないことなどを話してくれ、その内容を3人で話し合っていきました。
 毎週、そのような会話を繰り返していくうちに、次第に取り組む手立てが無くなっていきました。とうとう万策尽きたブルーノは、「先生だったらこんな時はどのように受けていくのか」と、私の意見を求めてくるようになりました。
 そこで初めて、「教会では、起こってくるすべてを神様のお働きと頂くから、そういう目線で今の出来事を見てみたらどうですか。また、このことをとおして、神様があなたの心を育てようとされているのだと思って、受けてみたらどうですか」と伝えました。すると、ここに至るまでに自分の考えやできることはすべて出し切っているので、み教えに驚くほど素直に取り組むようになりました。
 「日々の出来事は、神様が私の心を育てるために下さる事なんだ」と感じただけで、神様が彼らの前に現れ、特別なご教導が始まったのです。そこから次第に彼の視野が開けていき、質問内容も少しずつ変わっていきました。調子がいい時には神様のお働きと受けることができても、それを毎日続けるのは難しいと思ったこと。神様のお働きと分かるためには、やはり神様に心を向けないといけないと感じたこと。見ていて、彼がみるみる変わっていくのが分かりました。
 彼らが教会に参拝してご祈念をするようになったのも、この頃からです。それまではお広前に入ると、すぐ本題に入って話し始めていました。それが、お結界に来られてお届けもされるようになり、自然に相談という形からお取次に変わっていき、お結界でその日の教祖御理解まで頂くようになっていきました。
 倒産から2年、月例祭の感話発表で、ブルーノはこのようなことを話してくれました。
 「会社が順調だった時には、自分では気付かないうちに慢心が出ていました。どうやったらうまくいくか、どうすればもうかるか、ということしか考えていませんでした。でも、倒産という思いもしない成り行きのおかげで、借金を抱え、会社を縮小し、これまでの自分の生き方から大きく変わっていかなければならなくなりました。これまで断ってきた、割に合わない仕事や、これまで避けてきた嫌な人を、『神様のお働き』と本気で大切にするようになりました。すると、自分でもどうしてこのようにおかげを頂いたか分かりませんが、この2年間で倒産時に抱えていた一千万円の借金を、いつの間にか返済することができていました。正直信じられません」
 その話を聞きながら、「神様のお働きとはすごいなあ」と思ったのは、借金返済の次は新車購入、その次はマンション購入と、まるで心の助かりに比例するように、必要なおかげを与えられ続けていることでした。
 もし、助かりの階段があるとしたら、まさに神様のお働きに導かれながら、一段一段登って、おかげを頂いたのだと感じずにはいられませんでした。

心ひとつですべてをつくる
 ブルーノが、「これも神様のすごいお働きがあった」と話してくれたことがあります。彼が仕事の面でおかげを頂き、分割払いで購入したマンションの残りの費用を一括で払おうと、銀行で列に並んでいた時のことです。
 その列の前方に、なんと、4年前の倒産時に自分を裏切って借金を踏み倒して逃げていった人がいたのです。ブルーノは目を合わせないように下を向いたのですが、相手が彼に気付いて、申し訳なさそうに近寄ってきました。そして、4年前のことをおわびして、「せめてあの時裏切ったおわびの印に、今あなたが持っている支払いを自分に払わせてほしい」と言ったそうです。
 その時ブルーノが手に持っていたのは、マンションの一括払いの大金の支払い用紙です。彼はそれを後ろに隠して、「ありがとう。でも今は自分もおかげを頂いているから、大丈夫だよ」と、丁重に断ったと話してくれました。
 自分がマンションの支払いに行くと、倒産時に裏切った人が同じ列に並んでいる。この絶妙なタイミングは何なのか。まるで神様が自分に何かを分からせようとされている働きに違いないと、ブルーノはこの4年間のことを振り返りながら思ったそうです。
 「起こってくることを神様のお働きと頂き、自分のやせ細った心を育てることだけに集中してきたら、いつの間にか借金返済ができ、それだけではなく、自分の願い以上のことになってきました」と。
 そして数日後、少し興奮気味に参拝してきたブルーノは、お結界で「先生、心ひとつですべてをつくるって、本当だったんですね。すごいですねこの生き方」と喜びました。彼は、倒産という難儀を頂いたことで、「難はみかげ」という世界に近付けたのだと思います。
 参拝を始めて4年、ブルーノたちの信心に感化されたのか、現在では両親、家族も熱心に参拝するようになりました。
 先日、ブルーノの父親がすい臓がんの告知を受けました。しかし、心の上に大変おかげを頂かれ、「この病気で私にかけられた神様の願いに目覚めることができました」とありがたく受けていく稽古をし、家族が一丸となって熱心に信心をするようになりました。まだまだここから、助かりの輪が広がっていくことでしょう。
 あらためて、「神人の道」が私たちの生活の上に現れていくということは、冒頭で述べたように、すべてに礼をいう心の実践だと教えていただきました。お礼の対象は考えれば限りなくありますが、神様が私たちに「一日中すべてのことにお礼を申しておれよ」と願われているのだと感じてなりません。お礼を言うことは神願成就であり、神様のお心と共にあることになるのだと思います。そこから神様と氏子が通い合う、神人あいよかけよの世界が開けてくるのだと、実感させていただいています。

(2017/4)

   



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