神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 12月号 神人あいよかけよの生活運動


願うことを諦めない。願いきる

 安達 吉浩 先生(愛知・豊橋)


ブラック安達くんが
 「水清ければ、魚住まず」という言葉があります。私は神様にきれいごとを申しても、人は助からないと思っています。私たちは生活の中で、「人・物・金・病・事柄」と関わって生きており、良いこともあれば、どん底にたたき落とされることもあります。しかし、私たちはその生々しい実生活の中で生き、おかげを頂いていかなければなりません。そうであるならば、たとえ、みにくく汚いと思えることも、神様に吐露していくことで、本当のおかげにつながっていくのだと思います。
 私は「神人あいよかけよの生活運動」が発足した当初、「願い」を奉唱させていただく時に、4行目の「神心となって 人を祈り 助け 導き」という文言になると、「なかなか神心になるのは容易なことではないなあ。よほど心の稽古がいるなあ」と、心に引っかかりを持って唱えていました。なぜなら、私は日常生活の中で起こってくる事柄や問題に、すぐに心をとらわれ、人間心や我(が)の心が現れてきます。つまり、心の中の“ブラック安達くん”が、私の心に現れ、自分勝手な甘い言葉をささやき、心を奪われる時があるのです。
 けれども、そんな時ほど、妻の口をとおし、親の口をとおし、時には人に起こった事柄など、あらゆる事をとおして、神様が教えてくださり、気付かせてくださいます。そこで気付かせられるのは、決して自分にとって都合の良い事だけではありません。もしかすると、つらくて嫌なことの方が多いかもしれませんが、そこにも「お前が幸せになるために、ここを通らねばならんのじゃ。辛抱せい」という神様の深いみ思いがあります。ですから、自分にとって良い事でも悪い事でも、神様は「末安心になるように」との願いを持って教えられる、ということを次第に気付かせられていくのだと思います。
 いったん神様のみ心に気付かせられ、お礼とお詫びの心が生まれると、自然と物事が進んだり、私には考えもつかない神様のお働きを感じることが多いように思います。そうすると、私の心に「ほんとにありがたい。ほんとに神様はすごい」という心を植え付けてくださるのです。その心持ちが「神様を感じる心」で、私にとっては、それが「神心」と捉えていたために、どうしても「神心となって」という文言への展開が早く感じられ、心のわだかまりとなっていたのでしょう。

諦めきれない覚悟
 そのような中で、ご信者さんのお取次をとおして、私自身が神様から稽古をさせていただだいた体験があります。
 ある朝、ご祈念を終えると、月に一度ほど、お参りになるご信者さんが、いつになく神妙な面持ちでお結界に来られました。その方は60代の女性の方で、結婚された娘さんが数カ月前に元気な男の子を出産し、ここ最近は孫の成長を喜んでお礼のお届けをされていたのですが、この日に限っては様子が違っていました。
 私はいつものように、「お孫さんは、いかがですか」と尋ねました。すると、「はい…、実は娘から…」と力の無い声で話を始められました。内容は、お孫さんが検診を受けた時、医師から「お子さんは少し音への反応が気になるので、専門医に診てもらってください」と言われ、耳鼻科の専門医に診察してもらったところ、「どうも左耳の反応が悪いように思います。けれども、まだ幼いので、もう1カ月様子を見てみましょう」と言われたとのことでした。
 家族みんなが不安な気持ちのまま1カ月が過ぎ、再び診察を受けると、「原因ははっきり分かりませんが、さまざまな反応を見る限り、左耳が聞こえていないようです。一度精密検査を受けてもらいますが、まだ幼いので今すぐという訳にはいかず、生後1年過ぎてから精密検査をしたいと思います。ただ、このまま左耳の聴力が回復しない場合も覚悟しておいてください」と医師から伝えられたそうです。
 その言葉を聞いた娘さんは、えらく落ち込んでしまい、子どもを見るたびに涙ぐんで意気消沈していたので、「あなたはお母さんでしょう。この子のために悲しい顔は見せちゃだめよ。頑張りなさい」と娘さんを励ましつつも、その方自身もかわいい孫の無邪気な笑顔を見ていると、知らない間に涙が溢れてくるような日々でした。
 その方はご主人と話し合われ、「両方が聞こえなくなるわけじゃないんだ。もし片方聞こえなくなっても、もう片方の耳がある。不自由もあるかもしれないけど、聞こえなくなるわけじゃない。あの子なら大丈夫だ」と言ってくれたご主人の言葉に少し心が楽になり、娘さんにもその言葉を伝えると「ありがとう。頑張るね」と言ってくれたそうです。「だから先生、私も覚悟を決めました。主人と娘の思いをしっかり受けて、孫が片耳だけになっても、ちゃんと生活していけますように、どうかご祈念よろしくお願いします」と力強くお届けされました。

思わず口をついた言葉
 私は、その方の話にじっと耳を傾け、心に決めたお届けを聞いたのち、「そうですか。本当におつらいですね。分かりました。お孫さんがたとえ片耳しか聞こえないということになっても、おかげを頂いていけるように一緒にご祈念させていただきましょう」という思いでしたが、次に私の口から出た言葉は、それとは真逆の言葉でした。
 「あなたは、お孫さんがこのまま片方の耳しか聞こえなくなっても、それでいいんですか」
 自分自身が驚くような厳しい言葉が口をついて出ると、それを聞いたご夫人は表情が一変し、「なんてひどいことを」と発せずとも伝わるような険しい顔で、目を見開いたまま私をにらみつけるように、「そんなことありません! そりゃあ、両方聞こえた方がいいに決まっているじゃないですか!」と、強い口調で返されました。
 私はその言葉を聞いて、「そうでしょう。両方聞こえた方がいいに決まってるんです。お医者さんは原因が分からない。もしかしたらそうなるかもしれない。でも、まだ分からんとおっしゃっているのでしょう。なぜあなたが諦めるのですか。そのような心持ちになるまでに相当な覚悟があられたと思います。でも、そこに至るまでの気持ちに神様はおられましたか。まだそうとは決まっていないのに、自分たちから決めてしまってはいけない。まだ可能性は十分にある」と、心の奥底から沸き立つ思いを伝えました。その言葉にご夫人の引きつった表情が少し和らいで行くのがうかがえました。
 続けて私は、「親が諦めてどうするんですか。おじいちゃんおばあちゃんが諦めてどうするんですか。特にあなたが神様に願うことを諦めてはいけない。それは願い方が違う。あなたの願いは、もう片耳だけ聞こえたら結構です。その残った片耳でなんとか生活させてくださいという祈りになってしまう。それではアカン! お孫さんのためにも、どうか両耳がちゃんと聞こえるようになりますように、無事成長のお願いをし続けなければなりません。いよいよの時には、いよいよのご祈念になる。でもまだその時ではない。それに神様は、そうはさせなさらん。私も必死にご祈念させていただくから、必ずおかげを頂けるように一緒にご祈念させていただこう」と心のままの言葉をお伝えしました。
 黙ってじっと聞かれていたその方は、「分かりました。先生がそこまでおっしゃるなら、まだ諦めません。どうか両耳ちゃんと聞こえるようになりますように」と言われました。しかし、普段あまりお結界でお取次を頂くことのなかったその方が、このような問題を持ち込まれたのは初めてです。やはり、まだ不安な思いをもっておられるようでしたが、どこか納得したような、しっかりとした表情も見受けることができました。
 その方が帰られて、しばらく私は心静かにお取次の内容を確認していました。「私の発した言葉は神様がおっしゃられた言葉としか思えない。これは何としても、おかげを頂いてもらわねばならない」と、再度自分自身に腹入れをし、「このことは私にとっての信心の稽古でもあるのだ」と心を定め、その日から一生懸命取り組ませていただきました。

「神様ほんまありがたい」
 その後、赤ちゃんは6カ月の診察でも症状はまったく変わりませんでした。家族の不安な心が増していく中、1歳を迎えるまでの半年間、意識して左側から呼びかけてみたり、物音を鳴らしてみたり、そのたびに反応を見て一喜一憂を繰り返していたそうです。
 教会のお取次では、「聞こえているような反応を示すこともあるんです。でも、やっぱり反応がないと落ち込むことも多く、心が揺れ動く毎日ですが、先生の言われた『親が諦めてどうするんですか』という言葉を思い出して、自分を奮い立たせて祈っています」と素直な気持ちをお届けされました。そのたびに私は、「それでいいんです。心が揺れ動いても、最後は神様に心を委ねていくことが何より大切なんです。神様は決して無駄事をなさいません。私も諦めません。だからあなたも諦めずに頑張りましょう」とお取次をさせていただきました。
 そして、いよいよ大きな総合病院で精密検査を受ける時期が近づき、「この精密検査の結果で孫のこれからのことも決まると思います。どうか両耳全快のおかげを頂きたいと思います」と落ち着いた言葉でお届けをされました。
 その方も検査日には同行され、いざ検査を受ける孫を見ていると、「『あんなに小さな子がたくさんの機器やコードを付けられて…』と、その姿がふびんに思え、また涙が込み上げてきましたが、『今、一番頑張っているのは、あの子なのだから、私がこんな思いではいけない』と思い直し、娘と共に、しっかりと見守ることができました」と、後日お話しされていました。
 それから1カ月が経ち、いよいよ検査の結果が出る日を迎えました。私も朝から何となく落ち着かない思いもありましたが、「神様がお決めになること。必ず赤ちゃんにとって末の安心になるようにしてくださるはずだから、うろたえることなく、お取次させていただこう」と、ご祈念をさせていただいていました。
 すると午後になって、その方が参拝して来られました。神様に長い間心中祈念をされ、ご霊前にも丁寧に拝礼されたのち、お結界に進んでこられました。
 そこで私の顔を見るなり、「先生、おかげいただきました! 両耳聞こえています。異常ありません。ありがとうございました!」と涙ぐんだ声でお礼を申されました。私も思わず、「金光様、ありがとうございます。天地金乃神様、ありがとうございます」と心の中で叫び、「神様、ありがたいなあ。ほんまにありがたいなあ。ちゃんと聞き届けてくださっていたんやなあ」と、その方と共に喜び合うことができ、この経験がどれだけこれからのご家族にとって大切で、どれだけ幸せなことかを丁寧にお話しさせていただきました。
 その方は「まだ娘には、この経験がきちんと伝わっていないかもしれません。でも、いつか分かってくれると思います。まずは、私がもっと分からせてもらい、孫にも成長した時にちゃんと伝えられるようにおかげを頂いていきたいと思います」と、初めて本気で信心を子どもに伝えたいと思えたことを喜んでおられました。
 後から聞いた話ですが、検査結果を見た医師はとても驚いていたそうです。「間違いなく左耳は聞こえていませんでした。先天的と思われるものが、なぜ治ったのか理由は分かりませんが、まれに母親のお腹の中から耳に腹水が溜まっている時もありますから、そんなことだったのかもしれません」と言われた時、そのご夫人は心の中で「私は分かっています。神様のおかげ以外にありません」と思ったそうです。その検査からすでに4年以上が経過していますが、今もなお、元気に成長のおかげを頂いておられます。

きれいずくのない神様
 私はこの経験をとおして、神様が氏子に願われていること、すなわち神様のみ思いを伝えさせていただくことの難しさと厳しさを知り、どこまでも氏子の助かりを願われている天地金乃神様が、なぜ、あえて氏子に問題や試練、課題をお与えなさるのか、という観点の大切さをあらためて教えていただいたように思います。その観点を忘れずに、真剣に求めていくことで、神様のお心に気付き、そのみ思いに少しでも添えていけるような祈りと生活になっていくのでしょう。これこそが「運動」の「願い」の4行目にある「神心になって」という文言に現れているのではないかと頂いています。
 「これまでは、きれいずくをする神ばかり。きれいずくをしては、人は助からず。天地日月生神金光のは、きれいずくのない神ぞ。ここをよく、氏子、悟(さと)るが肝要(かんよう)なり」とのみ教えのとおり、日々の生活の中でわが身に起こってくる生々しい事柄一つ一つに、私たちはおかげを頂いていかなければなりません。私自身、ありのままの心で、きれいずくのない生きた神様に向かうことを忘れず、人が助かる御用に少しでもお使いいただけるよう、日々努力してまいりたいと存じます。

(2017/12)

   



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