信心運動

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教報天地 2月号 神人あいよかけよの生活運動

新たな信心運動

 本年1月1日、新たな信心運動である「神人(かみひと)あいよかけよの生活運動」が発足した。ここから全教が心を一つにして取り組んでいくうえで、とりわけ「願い」の共有が大切であり、本部としてその周知に努めていきたい。昨年12月の第47回通常教団会で行われた育成部長説明から抜粋して、このたびの「運動」に願われているところを紹介する。

 平成13年6月に発足した「あいよかけよの生活運動」は、ご神願と生神金光大神取次の内容をいよいよ明らかにし、信心実践をとおしてさらに豊かにしていく必要があるという確認のもと、信奉者一人ひとりが「わが心の神にめざめ」て、「共に助かる世界を生みだ」す信心実践に取り組み、全教でご神願成就に向けた信心がいっそうに展開していくことを願って進められてきた。

 そのなかで、この運動が本年末をもって目途とされた10年を達成するところから、昨年の7月以降、「運動」に関する懇談会、教務センター所長会議、「運動」に関する会議などをとおして、これまでの運動の総括と、新たな運動の方向性や内容について協議してきた。そして、本年7月の臨時教団会で中間報告を行い、本誌11月号にそのとりまとめを掲載した。

 これら総括協議で示された諸々の問題指摘は、新たな運動を企画し、推進するうえで踏まえられるべき大切な課題であり、その確認に立って、新運動に関わる作業を進めてきたが、こうした作業を経て思わせられたのは、近代化、世俗化が進んで個人主義や自己中心的な生き方に覆われている現代社会にあって、布教的な活動を進めること自体、大変な苦労や困難をともなうということであった。それにもかかわらず、信奉者一人ひとりが、運動の願いに添った信心実践を求め、四代金様がお示しくださった「お礼を土台にした信心」の大切さと、人を祈ることの尊さが全教的に自覚されつつあることは、この運動の大きな成果である。

 そのことに言及して、これまでの協議で求めてきた新しい運動の方向性や内容について申し上げる。

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 継承と新展開

 このたびの新運動は、「あいよかけよの生活運動」の継承と新展開として、立教150年を経て、今後いっそうに立教の意義と精神を確かにしながら、教主金光様がお示しくださった「神人の道」のおぼしめしを頂き、まずは教祖130年のお年柄を目指して、一人ひとりの生活のなかに神様の喜ばれる信心実践が現されていくことを願って、発足するものである。

 教主金光様は、立教150年生神金光大神大祭のなかで、「あらためて、ご立教にかけられた親神様のおぼしめしと、これを謹んで受けられた教祖様のご信心に思いをいたし、いよいよ神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」とお示しくだされた。

 この「神人の道」は、ここで「神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』」と仰せられているように、「神人あいよかけよの道」や「氏子あっての神、神あっての氏子、あいよかけよで立ち行く道」、ことに立教神伝で「神も助かり、氏子も立ち行き」と神様が仰せられた信仰世界を表現されたものであり、本教信心の中心的・中核的な内容そのものと頂くことができる。さらに、この「神人の道」は、立教150年を経て、将来へ向けての本教信心の指標となるお言葉として頂き、現内局では平成22年から、教団の基本方針の副題に「この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進め、『神人の道』を開く」と掲げて、教団諸活動を進めてきた。

 そのことを踏まえながら、本年7月の臨時教団会での育成部長説明で、新運動に関わるキーワードとして、「神が助かる」と「神人の道」があり、その意味合いについて説明したが、そこには2つの主要な論点があった。

 1つは、「人が助かる」ことがそのまま「神が助かる」ことだとする従来の教義解釈では、自己中心的な人間のあり方を問題化できるとしても、なお人間中心の域を出るものではない。それのみならず、人間の理解や思いをはるかに超えた天地、または神様の領域を、自分たち人間に理解可能な「人が助かりさえすれば」ということに限定するものであり、さらには、圧倒的で威厳に満ちた天地のお働きやお力をもって人間に迫られる天地金乃神様の存在感を、雲散霧消することにもなりかねず、それでは神様を小さくしてしまって、神様は助かられないことになるということである。

 2つに、そのこととも関わって、明治6年のご神伝には、「天地の間に氏子おっておかげを知らず」という神様のお言葉がある。この「おかげを知らず」と言われたおかげとは、広大無辺な天地のお働きとともに、「天地の間に住む人間は神の氏子」と仰せられる天地金乃神様の深いおぼしめしを包み込んだものであり、しかも、この神様のお言葉には、そのような天地のおかげ、神様のおかげということを知らない人間氏子に対する、神様の深い断絶感とお嘆きが込められている。そのことからすれば、立教神伝における「天地金乃神を助けてくれ」とは、天地のおかげ、神様のおかげを知らないところから難儀を重ねる一人ひとりの氏子に対して、世間一般のおかげとは大きく異なる、広くて深く、豊かなおかげの世界を知らせることで、「難儀な氏子を取次ぎ助けてやってくれ」という脈絡をもっての「天地金乃神を助けてくれ」という神様のお頼みとして頂けるということである。

 これら2つのことは、今後、立教の意義と精神を確かにしていくうえで大切であると思われるが、このような天地金乃神様のおかげ、言い換えると、生神金光大神取次の道の働きによって伝えられてきたおかげの世界を、われわれはどれほどに理解しえているだろうか。そのことを思う時、私たち信奉者は、今一度、「神も助かり、氏子も立ち行き」という信仰世界に立ち返って、なおいっそうに「神が助かる」とはどういうことなのか、と求めていく必要があるのではないかと思わせられる。

 そこで、このような信仰確認に立って、あらためて現代社会に目を向けてみると、現代人は、天地のこと、神様のことを知らない、もしくは忘れて、人間中心、経済・貨幣中心のあり方に陥っている。しかも、現代人が生活のなかで意識するは、専ら人(人間関係)や物(お金)のことばかりであり、その行動規範となるのは、「人と人との道」や「人と物との道」ではあっても、「神人の道」ではない。それは、教主金光様が「縦軸は神様と人、横軸は人と人とがつながっています」と仰せられた、その縦軸を見失ってしまった人間の生き方であり、そのような現代人のありようは、「天地の間に氏子おっておかげを知らず」と神様が仰せられる人間氏子の姿そのものである。

 一方、この「天地の間に氏子おっておかげを知らず」と示された明治六年のご神伝では、それを受けて、「今般、天地乃神より生神金光大神差し向け」と、生神金光大神差し向けの意義が確認され、「願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ」と、そうした人間氏子が生神金光大神取次によって「助かり」の世界へと導かれることが願われ、さらには、その生神金光大神取次をもって「末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子」と、神と人とあいよかけよで立ち行く「神人の道」が一人ひとりの生活のなかに現されていくことがご神願として確認されている。

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 教祖様の取次の実際

 教祖様のお取次の実際について、利守志野師の初参拝(慶応2年)をめぐる次のような伝承がある。

 長男の病気回復を願って初参拝した志野師に対して、教祖様は、病気のことに一切触れられず、「お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている」と、天地のおかげ、神様のおかげのなかに生かされて生きている人間についてのお話ばかりであった。最初、志野師は、教祖様が何を話しておられるのか分からなかったが、教祖様のお話を聞いているうちに、「これは大変なことをおっしゃっているんだ」と思い、そこに「人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」との教祖様のご理解があり、がく然とさせられたとある。

 というのも、教祖様のお取次を頂くまでの志野師は、おかげと言えば、息子の病気が治ること、生活上のいろいろな問題が解決することだけをおかげと思い込んでいて、自分たち親子の命と生活を支え続けてくださっている天地のお働き、神様のおかげのなかに生かされていることなど、考えたこともなかった。それどころか、自分たちはただただ一生懸命に、真っ正直に生きてきたとばかり思い、世間を恨み、神様をも恨んでいたというのである。

 しかし、そのことに気づかせられ、申し訳ないことであったと思わせられた志野師は、教祖様、神様に対して、「これからは、あらためて神様にお礼を申し上げる生活に切り替えます。せがれにもよく聞かせまして、これから信心させていただきますから、よろしくお願いいたします」と申し上げた、と伝えられている。

 この伝承からは、「願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ」といわれる生神金光大神取次の内容が具体的にうかがえる。志野師は、教祖様のお取次をとおして、自分の思いを超えた神様の豊かなおかげの世界へと導かれ、神様のおかげということに目覚めさせられ、そこから天地のお徳、神様のおかげのなかに生かされてきたことへのお礼と喜びの生活を始められ、それによって息子の病気全快という「おかげの事実」も生まれたのである。

 教祖様は、「人間その他万物は、天地間の空気を吸うて、みな生きておる。百姓の人は、お土地へ万物を植えつけ耕作する。そのうえは、天地任せである。『天地金乃神と氏子の間柄のことを、金光大神、参って来る氏子に話して聞かせよ』お伝えくだされたので、このように話をしておるのである」と教えられている。志野師に対する教祖様のお取次の実際に、このみ教えを重ねて頂く時、生神金光大神取次とは、どこまでも「天地金乃神と氏子の間柄のこと」を伝えることであり、その取次を頂いた氏子が、「わが身は神徳の中に生かされてあり」ということに目覚めさせられ、得心してお礼と喜びの信心生活を進め、神様と自分との間柄を深めていくところに、「神人の道」が開かれてくる。そのようなこの道の信心の道筋が確認されるのである。

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 新運動の名称と「願い」

 以上のことを押さえたうえで、このたびの新運動の「名称」と「願い」について申し上げる。

 「名称」は、「神人あいよかけよの生活運動」とした。従来、「あいよかけよ」という言葉は、岡山地方の古い方言に由来するという以上に、その語源も、方言としての用例も明らかではない。そのため、この言葉はしばしば市民社会的な価値である「フィフティー・フィフティー」という人間同士の関わり合いを示す言葉としてイメージされ、それがそのまま、神と人との関わり合いを示す「神人あいよかけよ」と混同されるところがある。

 しかし、この「神人あいよかけよ」は、先に述べたように本教信心の中心的・中核的な信仰世界を表現したものであり、縦軸である神様と私の間柄を深め、その内容をもって横軸である人間関係や生活上の諸問題に取り組んでいくところに、「助かり」の世界が開かれてくるという、この道の「助かり」の筋道を含み込んだ言葉であり、そのことを前面に押し出すため、名称を「神人あいよかけよの生活運動」とした。

 新運動の「願い」について、これまで運動の願いは、金光大神の信心を求め現すことを、その時々において要点的かつ端的に表現したものであった。このたびの新運動の「願い」も、同様の趣旨のもとに検討を重ね、次のような「願い」を作成した。

     御取次を願い 頂き
     神のおかげにめざめ
     お礼と喜びの生活をすすめ
     神心となって 人を祈り 助け 導き
     神人の道を現そう

 この「願い」は、これまで述べてきたご神願と生神金光大神取次の内容を踏まえてのことであるが、以下、この文言について若干の解説をさせていただく。

 まず、最初の「御取次を願い 頂き」は、教祖様が頂かれた3つのお知らせに基づいている。

 1つは、慶応3年のお知らせであり、そこで神様は、「日天四の下に住み、人間は神の氏子」と仰せられ、「氏子身上のこと、なんなりとも実意をもって願い」と、人間氏子が生活上の諸問題を願うことを許されている。ただし、それは、「取次金光大権現のひれいをもって、神の助かり」というように、御取次をもって願うことが根本とされている。

 2つに、明治4年のお知らせで「神の理解承り、承服いたせば安心になり」とのお言葉が示されている。御取次を願って、そのうえで大切なのは、取次の言葉を「神の理解」として承る姿勢であり、さらには、その「神の理解」を「承服」するということである。どこまでも「承服いたせば安心になり」ということであり、その世界を先輩の先生方は、「御取次を頂く」ということで大切にされてきたのである。

 3つに、そのこととも関わって、神様は、明治五年に「わが心におかげはあり」と確認され、明治六年のご神伝で「生神金光大神差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ」と示されている。「理解申して聞かせ」の「理解」は、「神の理解」ということであり、これまでに述べてきたところからすれば、天地金乃神様のおかげの世界を申し聞かせる、もしくは「天地金乃神と氏子の間柄のこと」を申し聞かせるということになる。 このような三つのお知らせに基づきながら、お広前を中心にした信心の稽古という意味合いも加えて、1行目を「御取次を願い 頂き」とした。

 次いで、2行目の「神のおかげにめざめ」であるが、これは端的には、天地金乃神様のおかげの世界に目覚めるということであり、その目覚めには、単に情報として知るということに止まらず、わが身わが心に染み込んで納得し、承服せしめられるという意味合いが込められている。

 その際、天地金乃神様のおかげの世界には、先の「人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」と教えられたおかげの側面と、「願う氏子におかげを授け」とされたおかげの2つの側面がある。前者は、「信心はせんでもおかげはやってある」と教えられたおかげにも照応するものであり、天地の間に住む人間氏子の命と生活を根底から支え続けてくださっている「神のおかげ」といえる。それに対して、後者は、例えば「神様へ一心にご信心なされませ。おかげはあります」とのみ教えに照応するもので、信心して頂くおかげといえる。 他方、明治6年のご神伝では、さらに「氏子、信心いたしておかげ受け」と示されている。一見すると、後者と同義のおかげのようにも受け取れるが、このご神伝の文脈からは、しっかり信心しておかげを受けてくれよ、とでも言うべき人間氏子に対する神様の切なるみ心や願いが響いてくる。そのことからすれば、このおかげは、前述した2つの側面を包み込んで、「神も助かり、氏子も立ち行き」という、この道の真の助かりそのものを指し示すおかげではないかとも思われる。

 いずれにせよ、天地金乃神様のおかげの世界は、広くて深く、かつ豊かな内容をたたえており、そのような「神のおかげ」に導かれ、「めざめ」ていくことを願って、2行目を「神のおかげにめざめ」とした。

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 「神人の道」を現す

 続いて、3行目の「お礼と喜びの生活をすすめ」であるが、「神のおかげ」に目覚めると、そこに自ずと「お礼と喜びの生活」が生まれてくる。しかし、その「お礼と喜びの生活」は、ともすれば時間の経過とともに薄れてしまうことがある。その点、教祖様は、「おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない」と教えられている。おかげを受けた後も、天地のこと、神様のことを忘れないということであるが、そのためには、やはり信心の稽古が大切である。天地書附の「おかげは和賀心にあり」「今月今日でたのめい」は、神様のことを忘れないための信心の稽古を促すみ教えとして頂いているが、そのことも含めての「願い」の三行目である。

 そして、4行目の「神心となって 人を祈り 助け 導き」は、この3行目とセットになった信心実践であり、教祖様のみ教えで言うと、「神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である」や、「これからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ」などのみ教えに基づいてのことである。

 さらに言うと、この「神心となって」は、「不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ」や、「神の守りをするには神心でしなければならない。みなは人心を出して利口でするから、人心は人心だけのことになる。神心は神心だけのことがある」などのみ教えに基づくものであり、同時に、「分霊」「わが心に神がござる」と教えられた「わが心の神」に目覚めるという意味合いも込めている。 したがって、この四行目は、「あいよかけよの生活運動」発足当初に願われた「おみちびき」「おてびき」という信心実践や、ボランティアなどの社会活動に参画するという信心実践を含めて、今日まで運動への取り組みとして進められてきた結界取次はじめ各種の活動が展開することで、さらに教団の成長となっていくことを願っての文言でもある。ただし、そうした信心実践は、最初の2行のお広前を中心とした信心の稽古と、それに基づく信心生活の展開として確認している。

 こうして、最後の「神人の道を現そう」は、この運動の目指すべき方向性を示している。いわば、御取次を願い、頂き、神様の喜ばれる信心生活を進めて、「神人の道」を現すということ。これこそが、このたびの運動の基本的な願いであり、その意味で、この運動は、神人あいよかけよで立ち行く「神人の道」の実現を願っての信心生活の推進・展開運動といえる。

 別の言い方をすれば、取次者にあっては、自らの信心生活を問いただしながら、「神の理解承り、承服いたせば安心になり」との神様のお言葉に立ち返って、「神のおかげ」の自覚を新たに、「天地金乃神と氏子の間柄のこと」を取り次ぐ営みを進め、信奉者にあっては、御取次を願い、頂いて、お広前を中心とした信心の稽古に励み、神様の願われる生き方を求め、神様のありがたいことを語り伝えていくご用にお使いいただく。そのような願いに立って作成したのが、このたびの新運動の「願い」である。

 以上が、「神人あいよかけよの生活運動」の方向性と内容である。この新運動を1月1日に発足させ、周知期間を経て、6月の全教集会をもって全教での取り組みを開始したい。また、このたびの運動も、一応10年を目途に発足するものであるが、五年を経過した頃に中間的な総括を行い、新たな取り組みを加えていくことも考えられる。さらに、発足当初から、実践項目や実践目標を掲げると、そちらに意識が向かい、「願い」が定着しにくいところから、発足して1年ないし2年は、この「願い」をもって全教で取り組み、それ以降は、各教区で独自な実践項目を掲げるなり、各教会で独自な実践目標を定めて取り組むなり、「願い」の文言のどこかに焦点を絞って取り組むという運動の進め方があってもよいと考えている。

 平成24年は、「運動に関する会議」を2回開催して、新運動の具体的な周知や推進の方法、および6月の全教集会の企画に関わって、さらに協議を進めてまいりたい。また、新運動に関する情報については、本誌や『金光新聞』、金光教ホームページをとおして継続して発信してまいりたい。

(2012/02)




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