信心運動

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教報天地 10月号 「信心すればおかげになります」

 金光教本部で8月28、29日、「『運動』に関する会議」が開催されました。「『運動』とは、何をどうすることなのか」「何のための『運動』なのか」ということについて、会議のなかで教務総長が語った内容を紹介します。
「信心すればおかげになります」

 このたびの「神人あいよかけよの生活運動」は、立教150年(平成21年)のお年柄に、教主金光様がお示しくださった「神人の道」というお言葉のおぼしめしを頂いて、佐藤光俊前教務総長が示された「神が助かる」と神様が仰せられる信心の教義解釈を含み込みながら発足した信心運動であると、これまでにも申してきました。

 そして、全教で、神様にお喜びいただける信心実践を求め現していくという内容をもって、来年の教祖130年祭をお迎えさせていただきたいという前教務総長の願いのもとに、今日まで進められてきた信心運動であり、現内局として、その願いを継承・展開していきたいと思っています。

 そうとして、発足から8か月を経て、「運動」への理解が深まり、取り組みが進められていくためには、いくつかの課題があります。その一つは、「本来、『運動』は、さまざまな活動の一つであったのに、『願い』があまりに全体を覆いすぎて、もはや『運動』でなくなっているのではないか」という指摘です。また、そのこととも相まって、「『運動』は教務がすることで、教会での信心とは別物である」という考え方があり、この「運動」についても、「教務が行う集会や研修会に出席すれば、それが『運動』への取り組みとなる」という受け止め方もあるようです。

 こうした受け止め方の背景には、「運動」についての個々のイメージがバラバラで、「何のための『運動』なのか」についての共通理解が容易に進まないという実情があり、結局のところ、「運動」が教会の実態や現代の難儀に合っていないものとして受け止められているようです。さらに申せば、「『運動』に取り組むとして、それは何をどうすることなのか」ということがはっきりしていない、ということでもあろうかと思われます。

 しかし、このような問いに対する応答は、教務として折々に示してきたつもりです。すなわち、何のための「運動」かというと、「神が助かる」と神様が仰せられる信心を、一人ひとりの生活に求め現していく「運動」である。あるいは、現代に生きる一人ひとりの生活に、神と人との関係を再構築していく「運動」である。さらには、現代社会に「神人の道」を開く「運動」である、という形で示してきました。とはいえ、そのような説明では、なお腑に落ちないというところがあろうと受け止めています。

 そこで、そうした問題指摘に思いを寄せながら、あらためて『金光教教典』を拝読するなかで、教祖様のあるお言葉に出合いました。それは、難儀を抱えて教祖広前にお参りし、お取次を願った方に、しばしばおっしゃっていることです。一言で言えば、「信心すればおかげになります」というお言葉です。そんなことは当たり前だと思われるかもしれませんが、教祖様が「おかげになる」とおっしゃる信心とは、具体的にどうすることなのかが明確でない、と思わされています。そして、そのような問題意識をもって、教典を拝読すると、教祖様がさまざまな形でみ教えくださっていることが分かるのです。



 その1つ、荻原須喜師の伝えに即して頂き直してみると、明治六年、西阿知村在住の須喜師が、婦人病で二年間、病床に呻吟(しんぎん)していました。それまでいろいろな神仏にも参り、医師の手当ても受けてきたけれども、病気は重くなるばかりで、ある時、綿買い商人の彦さんから、教祖様のところでおかげを受けるようにと勧められ、父親の利喜三さんがはじめて教祖様のお広前に参拝します。

 その時、利喜三さんが教祖様に、「私の娘が、はや二年間、血の道で寝ておりますが、もはや本人はもとより、そばの者も当惑いたしております。なにとぞ、金神様のお助けにあずかりとうございます。ご祈祷(きとう)をしてくださりませ」とお願いされたところ、教祖様は娘さんの年齢を聞かれ、「21といえば、丑(うし)の年じゃのう。信心しなさい。おかげが受けられる。私が拝んでやっても、そっちに信心がのうてはおかげが受けられぬ。信心しなさい。信心さえすりゃ、必ずおかげはあるからのう」とお諭しになりました。

 ここで教祖様がおっしゃっているのは、「信心すればおかげになります」ということ。そして、たとえ自分が祈祷したとしても、「そっちに信心がのうてはおかげが受けられぬ」ということです。  当時、一般的には神仏宮寺に参拝してご祈祷してもらえば、それで信心になるとされていましたが、教祖様はそうした実情を踏まえたうえで、そういう信心では足りないのだとおっしゃっているのです。おそらく教祖様はこの時、おかげになる信心、この道の信心ということで、いろいろ例えにとりながら、懇々とお話をされたと思います。

 実際、この後の利喜三さんの再度の参拝の時には、「よう参られたが、お前に話しても分からぬからのう」とおっしゃっています。これは、以前に懇々と諭されたにもかかわらず、利喜三さんは、ご祈祷をしてもらって病気が治ることこそが信心だと思い込み、教祖様の信心の話が理解できず、素通りしてしまったのでしょう。それどころか、一向にご祈祷してくださらない教祖様に物足りなさを感じ、不足にも思ったと伝えられています。

 そのなかで利喜三さんは、「ともかくも、『信心せよ。おかげはあるから』とおっしゃったのであるから信心しよう」と思い、これまでと同様、神棚に向かって、娘の病気を治してくださいと願うだけの信心を続けたのだろうと思います。ところが、それから100日たっても、娘の病気は悪くもならないが、よくもならない。利喜三さんは、「これは、やっぱりいけん。彦さんが親切に教えてくれたけれど、うちのは神様のお力にもかなわぬのかもしれぬ」と、また信心も打ち捨てようと思ったが、「まあ、いま一度参ってみよう」という気になって、再び教祖様の広前に参拝されたのです。

 その利喜三さんに、教祖様は、「よう参られたが、お前に話しても分からぬからのう。また、連れそう亭主(豊松)も、こげも(すこしも)信心気がないから、二へんとは言わん、一ぺんだけ連れそう亭主を参らせんさい」と仰せになりました。



 ここのところから、もう一度、押さえ直してみますと、「お前に話しても分からぬからのう」というのは、利喜三さんの「ご祈祷してもらって病気が治る」という信心への思い込みが強く、何を話しても聞く耳を持たず、広大無辺な天地のお働きとか、神様のお徳のなかに生かされて生きてきての今の自分たち親子の命と生活である、ということが理解できない。だから、信心が展開しないし、おかげの事実も生まれてこない。つまり、御取次を願い、頂いても、自分が思い込んでいる信心を前面に打ち立てて、天地金乃神様のおかげの世界を聞こうとしない。聞く耳がないから、教祖様は「お前に話しても分からぬからのう」とおっしゃり、また、連れ添う亭主も本当の信心が分かっていない、とおっしゃったのだと頂きます。

 この後、豊松さんが参拝すると、「信心すればおかげになります」という信心について、とくに「一心の信心」ということ、また、「不平不満の生活におかげはない」ということについて、懇々とご理解をなされます。そのご理解は4時間にも及んだと伝えられています。そのお話を豊松さんはじっと聞くうちに、「今までの自分たちの信心は、信心にも何にもなっていなかった」と悟らされるのです。つまり、教祖様のお取次を頂いて、天地金乃神様のおかげの世界に目覚めさせられ、その驚きと感激をもって家に帰り、須喜さんの枕元で、教祖様から聞かされたお話の一部始終を物語ったのです。

 だからこそ、その話を聞いた須喜さんは、「なるほど、もっともです。私はまことに悪い者でありました。ねじけ根性でありました。ほんにご無礼な心を持っておりました。ようまあ、これぐらいな難儀でおられたことじゃ。諸事万事について、不足とわがままよりほかの心はなかった。一寸きざみにせられてもしかたのない人間でありました」と、自らを深く省み、お礼と喜びの生活への改まりを決意したのです。そして、教祖様が「3週間を楽しんでおかげを頂きなさい」と諭されたとおり、3週間目にはおかげの事実が生まれたということです。



 そこから、荻原須喜師による「神心となって 人を祈り 助け 導く」という信心が生まれ、お取次に専従するという物語がこの後に続くのです。こうした頂き方をもとに、教典の内容を全体的に頂き直してみると、教祖様が「信心すればおかげになります」と仰せられた、その信心の筋道がさまざまな形で示され、豊かな内容を含んでいることに気づかせられます。それのみならず、「運動」に掲げた「願い」は、まさに教祖様が「信心すればおかげになります」とお示しくださった、この道の信心の筋道を端的・要点的に表現したものであると思わせられます。

 その意味では、何のための「運動」かと言えば、教祖様が「信心すればおかげになります」と仰せになる、この道の信心を一人ひとりの生活に求め現すことであり、「運動」に取り組むということは、掲げられた「願い」をもとに、それぞれにこの道の信心を求めて、おかげを頂いていくことと、言い直すことができます。そのように言い直してみて、先に述べた「神が助かる」「神と人との関係を再構築する」「『神人の道』を開く」という信心を、ここからいっそうに求めさせていただきたいと願わせられています。

(2012/10)

   



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