神人あいよかけよの生活運動

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教報天地 1月号 神人あいよかけよの生活運動


神様の手を放さないように

 昨年九月に本部教庁で開催された「運動」研修会で、辻井学師(石川・小松)が行った発題の内容を抜粋して紹介いたします。


20年ぶりの参拝者
 私は20年前、金光教学院を卒業してすぐ、現在の在籍教会に夫婦で後継に入りました。その直後、ある方の葬儀があり、教会長と共に仕えさせていただきました。 
 亡くなられた婦人には、2人の子どもさんがいましたが、遠方に所帯を構えていて、その方は教会から20キロほど離れた山間の町で一人暮らしをされていました。五十日祭には教会長が単身で赴き、家の近くにある墓所で墓前祭を仕え、納骨をさせていただきました。
 それから20年たった今年、その方の長男が教会に参ってこられました。そして、「私も年を取って、遠方のお墓の管理が大変になりました。そこで、大阪の私の家の近くにある霊園に移したいと思います。そのお祭りをしていただけませんか」ということでした。私は、「少しでも身近なところに安置することで、霊様のことを忘れずにいてもらえたら」と思い、お引き受けしました。
 その後、お祭りの日時を決める段階になって墓所を聞くと、歩いて山を分け入るような場所で、「お墓からご遺骨を取り出すということになると、どうでも天候のお繰り合わせを頂きたい」と思い、神様にお願いしながら準備を進めました。
 ところが、日が近づくにつれて予報の雨マークが増え、とうとう前日には90パーセントの降水確率となりました。その方も心配になって電話を掛けてこられ、「休みが取れないので、何とかその日にお願いしたい。どうしても無理なら、一泊して翌朝にお願いしたい」と言われるので、「神様と霊様にお願いしてさせていただけば、心配はいりません。おかげを頂きましょう」と申しました。
 当日は曇り空ではありましたが、差し障りなくご祭事をお仕えすることができました。その方の思いとしては、霊様を大切にするというより、長男の責任としてとりあえず自分の代までは墓を守らなければならない、できれば楽に管理もしていきたいという思いだったようです。
 そのようななかでお祭りが滞りなく仕えられたことで、私は、「お母さんの霊が、目には見えないけれども、いつでもどこでも側におられて、一生懸命働いてくださっています。今回の出来事をとおして、霊様がそのことを忘れないでほしいと伝えておられるように感じます」とお話ししました。その方の心にどれほど届いたかは分かりませんが、私自身は、神様や霊様が常に側におられ、働いてくださっていることを、あらためて実感しました。同時に、この方の生き方が決して人ごとではなく、自分自身もともすれば、日頃の生活にただ流されて生きていると、神様や霊様から心が離れてしまう危うさを秘めているのだと考えさせられました。

子に見るわが心の姿
 私は、3人の子どもに恵まれました。とくに次男は、長男の誕生から十四年ぶりに授かった子です。上の二人は比較的おとなしい性格で、それほど手が掛からなかったのですが、現在四歳になる次男はやんちゃで、毎日手を焼かされています。祭典中でもお広前で大声をあげて走り回り、ひとたび外に出れば、自分の目標物に脇目も振らず駆け出していきます。
 私たち夫婦は、時にはっとして次男の手を引き止めることもしばしばです。すると次男は、自分が行きたいところに行かせてもらえず、強く手を引かれたことで、泣き出すこともあります。その姿に、「自分も道を間違えそうになったり、難儀なことに出遭いそうになった時、こうして神様が引き止めてくださっているのだ。そんな時、自分はそれをどう受け止めているだろうか。つらいとか痛いと感じたり、思いどおりにならないと、そこだけに心をとらわれ、神様が助けようとしてくださっているお心にまで考えが及ばす、不平や不足に思ってはいなかったか」と考えさせられました。
 そのことに関わって、ある信者さんが借金で首が回らなくなり、原因ともなったご本人の生き方を省みることなく、「神様がおかげをくださらない」と言って、教会から離れてしまいました。それだけでなく、ほかの信者さんにも、「あそこの神様ではご利益を頂けない」と話されていることも聞きました。そのことで相談に来られた信者さんに、「人は神様の思いや働きを知らないと、起きてきた事柄にとらわれて、神様から離れていきやすいですね」とお話ししましたが、それは自分自身も油断していると、いつそうならないとも限らないのだと思わされるのです。

親の介護をとおして
 教会長夫人である義母が、夏場を過ぎて認知症が進み、介護の負担も少しずつ増えてきました。妻が中心となってお世話をしていましたが、あることがきっかけで、妻の介護を受け付けなくなり、一方で私の話は聞いてくださるので、私が外出すると家族が困るようになりました。
 先日も「体が痛い」と言うので、病院に連れていこうとすると、「どこも痛くないのに、どうして行かなければいけないのか」と拒否されます。しばらくすると、また「痛い」と言われ、「病院に行きましょう」と言っても、「どこも痛くない」というやりとりが繰り返されました。
 その後、「あんたが連れて行ってくれるのなら」と、ようやく昨日、病院に連れて行くことができたのです。しかし、症状は大したことなかったのですが、非常に痛みをともなう治療だったようで、「こんなひどいところに連れてきた」という記憶だけが残りました。それからは私の話も聞いてくれなくなり、結果として「みんな同じになったね」という状況になり、このたびの会議には家族も快く送り出してくれました。
 そういう状況のなかで、このたびご本部に来させていただく途中、親教会である滋賀県の大津教会にお参りしました。親先生に、「留守が案じられますが、よくよく神様にお願いさせていただき、おかげを受けたいと存じます」とお届けすると、「みんながしっかりと信心で受け止めさせていただかなければならんなあ」というお言葉を頂きました。そのお言葉で、あらためて「信心で受け止める」ということについて考えさせられました。
 私たちは、起きてきた事柄を「痛い」「苦しい」といった表面的なところで受け止め、つい人心で心配をし、生き方が不安定になりやすいものです。神様が私たちの助かりに向けて引いてくださる手を、こちらが常に放さないようにしなければならない。そういう信心課題が浮き彫りになりました。それはまた、「神人あいよかけよの生活運動」に願われているところに直結していると思うのです。
 「運動」の「願い」に取り組むことで、問題に直面した時、せっかく神様が差し出してくださった手を振り払うことがないよう、自分勝手な方向に進んでいこうとする心の癖を修正させていただきたい。そして、神様に喜んでいただき、自らが真実助かる生き方とならせていただきたい。あらためて、そのように思わされているところです。

(2014/1)

   



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