神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 12月号 神人あいよかけよの生活運動


「神人あいよかけよの生活運動」5年を迎えて  教会部長 田淵 美賀雄

 「神人あいよかけよの生活運動」は平成24年1月1日に発足し、本年末で丸5年が経過します。10年を一つの区切りと定めた「運動」も半ばを迎えようとしている今日、あらためて発足の願いを振り返りながら、ここまでの歩みとここからの展望について報告します。


一、「運動」発足の経緯とその願い
 「神人あいよかけよの生活運動」(以下「運動」)発足について、当時の佐藤光俊教務総長が全教に発した通牒の一部を紹介します。
 教主金光様は、立教150年生神金光大神大祭において、「あらためて、ご立教にかけられた親神様のおぼしめしと、これを謹んで受けられた教祖様のご信心に思いをいたし、いよいよ神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」とのお言葉をお示しくださいました。…このたびの「神人あいよかけよの生活運動」は、「あいよかけよの生活運動」の継承と新展開として、立教150年を経て、今後いっそうに立教の意義と精神を確かにしながら、教主金光様がお示しくださった「神人の道」のおぼしめしを頂き、一人ひとりの生活のなかに神様の喜ばれる信心実践が現され、展開していくことを願って発足するものであります。
 さらに通牒では、取次者は自らの信心を問いただしながら、神様のおかげの自覚を深め、天地金乃神様の御心を参拝者に取次ぐ営みを進めること、信奉者にあっては、広前を中心とした信心の稽古に励み、生活のなかに神様の願われる生き方を求めて、ご用にお使いいただくということが願われています。
 こうして、先の「あいよかけよの生活運動」で進められてきた「共に助かる世界を生み出す」という願いを継承しながらも、そのことが生まれるための筋道として、御取次を願い、頂いて、神様と自分自身との間柄を深め、神様と共にある信心の喜びが周囲の人たちに広がっていくことで、一人ひとりの生活に「神人の道」が現されていく展開を求めて、このたびの「運動」は発足されました。

二、「運動」発足から今日までの歩み
 「運動」を進めていく主な取り組みとして、平成24年から3年にわたり、周知と理解のためのパンフレットを発行して、全教に配布させていただきました。
 第一集では、教祖様の御取次を紹介させていただきながら、「願い」の5行を理解していただくものとして、教祖様が3人の直信(利守志野師、荻原須喜師、福嶋儀兵衛師)にご理解なさるお話を掲載しました。資料を収集する作成過程では、「多くの直信たちの信心の歩みが『運動』の『願い』の流れに添っていること」が見えてきました。さらには、「願い」の5行が、信心生活を進めるうえで、それぞれに密接につながり、関係性、連続性をもっていることを再確認しました。
 次に第二集では、金光四神様(金光宅吉様)、三代金光様(金光攝胤様)、四代金光様(金光鑑太郎様)の御取次を紹介させていただきました。歴代金光様のご信心を冊子にしていく過程で、そこに貫かれたご内容として、「教祖様のみ教えを行じておられること」「親様を頂いておられること」「ご生涯かけて『神人あいよかけよ』の信心生活を続けておられるお姿」が見えてきました。そして、その御取次のご内容からは、信奉者の心に「お礼と喜び」が生まれるように、祈りをもって導かれていることを再確認させていただきました。
 第三集は、3人の直信(桂松平師、佐藤照師、近藤藤守師)の御取次、ご信心を紹介させていただきました。各師は歴代金光様ご同様に、信奉者の心に「お礼と喜び」が生まれるように導いておられ、さらには、ご理解はその時々で違っていても、その根本には、すでに神様のおかげのなかにあることを気づかしめていく内容が多くあることも確認させていただきました。
 それらのことから、このたびの「運動」の「願い」が、とくに目新しい内容ではなく、さらに言えば、これまでにない新しいことに取り組んでいく「運動」でもないことが分かります。けれども、「願い」の5行のように、「信心とは何をどうすることなのか」についての基本的な筋道が、言葉として目に見える形で表現されたことは、これまでになかったことです。また、パンフレットの作成をとおして、教祖様にはじまる歴代金光様の御取次、ご信心に貫かれたご内容に触れさせていただいたことも、先につながる大切なことだと頂いています。
 「運動」発足3年目の平成26年から今日までは、この「運動」で願われている実践が端的に表現されているところから、3行目の「お礼と喜びの生活をすすめ」に焦点化してきました。その流れのなかで、春秋の大祭時に直会本『神人』を発行し、各教区がそれぞれに進める研修会などで、「運動」実践の中身などにも触れてきましたが、あらためて「お礼と喜びの生活をすすめ」ることが、このたびの「運動」に限らず、教祖様の時代から今日まで続いている大切な信心実践であることを感じています。

三、運動の推進について
 これまで「運動」の成果を見ていく際に、「各教会が発行している教会誌のうち、半数以上が『運動』の『願い』を掲載したり、何かしら『運動』に関わる内容を取り上げたりしている」「『運動』のポスターを掲げる教会数、本部で作成したパンフレットなどの配布数が増えた」など、そういった尺度を用いてきたところがありました。
 確かに、それらは「運動」が全教に涵かん養ようしていくうえでの尊い実践であり、各教会が願いを持って「運動」に取り組んでいることの指標でもあります。しかし従来、「運動」で願われてきたのは、信奉者一人ひとりの信心生活の充実であり、自らの信心の歩みを振り返った時に、実感として生まれてくる内容こそが成果なのだと思います。さらに言えば、それは、難儀を抱えた一人の信奉者の助かりを願い、教導し、共に生きていこうとする取次者の姿勢のうえに、より現れてくるのではないかと思います。
 これまでの「運動」は、「全教信奉者の信心動向をリードしていく」と表現されてきました。しかし、このたびの「運動」は、信奉者一人ひとりの内面の変化、心のなかに新たな信心が芽吹くことを支えていくものでもあります。その意味では、信心の筋道と言われる「願い」の5行は、信奉者の進むべき方向性を示すとともに、一人ひとりの信心生活の土台でもあると言えます。

四、ここからの展望について
 先に申したように、この「運動」では、「神人の道」が一人ひとりの生活に現れてくることを願いとしており、「願い」の5行は、そのための筋道であり、今日まで3行目に焦点を当てて進めてきました。それは、「御取次を願い、頂くことによって、神様のおかげに目覚めさせていただき、お礼と喜びの生活を進めることができるようになる」という、この道の信心の歩みを大切にさせていただく取り組みでもありました。
 お礼と喜びの生活を進めるなかに、この喜びを伝えずにはおられないという思いになることもあるでしょうし、その生き方が周囲の人におのずと伝わっていくこともあるでしょう。いずれにしても、「神人の道」は、神様のお役に立つ生き方を求めて、はじめて現されていくのではないでしょうか。
 「願い」の4行目に「神心となって 人を祈り 助け 導き」と示されていますが、神心は誰もが神様から頂いています。お広前を中心とした信心の稽古をとおして、自らの神心を育みながら、祈りをもって周囲の人とかかわっていくことが、この4行目では願われています。また、「人を祈り」とは、自分や家族も含め、まずは身近な人のことを祈るところから実践し、そこから他人のこと、世界のことまで祈りが広がった時には、神心も大きく育てられているはずです。
 全教各教会の広前は、生神金光大神様のお広前であり、氏子の願いと神様の願いが成就するための御取次は、すべての信奉者をはじめ、世界の人に開かれています。教師も信徒も、御取次を頂きながら、神様の願いに気づく心を育み、我情我欲を放して、祈りを深くし、そこから生まれる、信心の道が伝わるご用にお使いいただきたいものです。
 そのように「運動」に取り組むことによって、信奉者一人ひとりの信心が成長し、神様の願いに添った信心へと展開し、「世界の平和と人類の助かり」のお役に立つことにつながっていく、それがここからの願いです。

(2016/12)

   




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