神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 10月号 神人あいよかけよの生活運動


「神様のおかげの中で」 千種 敏行(福岡・二日市)

父の声が聞こえたお取次
 私自身の「神人あいよかけよの生活運動」は、平成11年3月1日、前教会長であった父のお国替えから始まったように思います。それは、私がお道の教師を拝命して27年目のことで、教会長として任命を受けたのですが、形だけで中身のないのが実態でした。教会は、布教85年の御年であり、翌年には開教85年の記念大祭をお仕えすることになっていました。
 翌年2月末日に、前教会長の1年祭をお仕えし、11月には記念大祭をお迎えするという、私にとっては非常に慌ただしいスケジュールで、期日が迫って来るほどに、言いようのない不安に襲われ、心配は募るばかりでした。
 そのような中で、あっという間に記念祭当日の朝を迎えました。ご祈念を終えてお結界に座らせていただいた時、ハワイから帰ってきていた姉が、お結界でお届けを済ませた後、「あなたがご霊前でご祈念している時、その背後にお父ちゃんとお母ちゃんがおったよ」と教えてくれました。それを聞いた途端、心の不安がどこかへ消えていきました。今までは、「あれもしなければ」「これもしなければ」「自分が、自分が」という気持ちだけで、実際には何もうまくいかずに気持ちだけが焦っていました。そんな時に、姉から聞いた言葉は、まさに御霊様である父の声に思えたのです。「そうだ、皆さんが御用してくださっている。何よりも御霊様が、そばに付いておられて見守ってくださっている」と強く感じ、元気を頂いて、何とか記念祭をお仕えさせていただくことができました。
 当時の私は、教会長の役割に責任を感じながら、お取次の何たるかも分からず、形だけの信心のありようであったと、今思わせられます。私はこの体験をとおして、本気でお取次を願い、頂くことによって、神様のおかげにめざめるということ、私の実感から言いますと、わが心の神様にめざめるということになりますが、その一端に触れて、心から「ありがたいなあ」と感じさせていただきました。
 当時は、「どうしたら信者さんを助けられるのか。おかげが頂けるのか」ということばかりが問題になり、その答えを探し求めていたように思います。そこには、自分自身のお礼と喜びの信心生活はありませんでした。そんな私の大きな信心生活の転機になったのが、開教85年の記念祭であったように思います。
 次第に、「信心しておかげを受けよ」「信心とは、わが心が神に向かうのを信心という」とのみ教えが自覚的に芽生えてきました。それまでは、なかなか一心になれない自分でしたが、不思議とご霊前でのご祈念は、御霊様を身近に感じ、素直にお縋りすることができました。また、「せめて形だけでも」と実意丁寧を心掛け、心中祈念の時には内容を声に出し、間違いのないように、漏れることのないように心掛けました。以来、朝の心中祈念では、教会家族、信徒の方々のお名前を奉唱し、今日一日の立ち行きをお願いさせていただいています。

父は何をしていたのか
 このたびの「神人あいよかけよの生活運動」は、私自身の信心の歩みと重なっているような気がします。教会の長男として3人姉弟の末っ子に生まれ、5歳の時の花火による顔のやけど、小学校6年の時の自転車の盗難、高校3年の時の母のお国替え、父の再婚、妻との結婚と5人の子を授かったこと、子どもたちの結婚、孫の誕生、さらには教務の御用など、時々に思い返しの時や場を頂く中で、あらゆる人に、あらゆる物にお世話になってきたこと、何よりも天地の親神様のお世話になりどおしの中で、生かされて生きていることが、「本当にありがたい」と感じています。
 一つの例として、5歳の時の「花火のやけど」についてお話しします。当時、私は保育園に通っていました。夏休みに入り、教会には親戚が集まって、夜に花火をすることになりました。その中に、打ち上げ花火の不発物があり、その火薬を新聞紙に広げて火を点けたのです。のぞき込んで見ていた私は、一瞬のことに逃げ遅れ、顔中に破裂した火薬を浴びてしまいました。台所にいた母がすぐに駆けつけ、祖母と共に、井戸水を顔にかけて冷やしてくれたそうです。しばらく冷やしてから、お神酒と御神米(の包み紙/剣先)を顔中に頂いて、一晩中、世話をしてくれたそうです。このことに対する私の記憶は断片的で曖昧なのですが、鮮明に覚えているのは、痛みやつらさではなく、顔中に重ねた御神米が仮面のようになり、その姿で、母の買い物に付いて町を歩いたことです。やがて、薄紙をはぐようによくなり、顔には跡が残ることのないおかげを頂きました。
 この話は事あるごとに、母や祖母、姉たちに聞かされていました。「病院にも行かずに、お神酒と御神米でおかげを頂いたのよ」と。父の3年祭を迎えた頃、私の胸の内に、ふと浮かんだことがありました。「果たして父は、私がやけどをした時に何をしていたのか」という疑問でした。考えてみますと、やけどについての私の記憶の中に父は出てこないのです。また、父からやけどの話を聞いたこともないように思えました。気になり、姉や叔父たちに話を聞く中で分かったことは、「ずっとご神前でご祈念をしていた」ということでした。それを聞いて、最初は「やけどが治りますように」とお願いしていたのだろうと思いました。しかし、もう父に尋ねることはできません。ある時は、「父は自分の信心の足りなさをお詫びしていたのかな」とも考えました。結局、その時の父の思いを理解することはできませんでした。

知らず知らず育てられ
 その後、長男に縁談の話があり、結婚のおかげを頂きました。ある朝、ご祈念が終わった時に、長男のお嫁さんがお結界に進み、お届けをしました。結婚してから毎朝お届けはしていたのですが、その時に、あの記念祭の朝の姉のお届けがよみがえり、何とも言えない、温かい、ありがたい気持ちになりました。
 教会に生まれ育った私は、神様にも、信心にも、本気で向き合うということがないままに、学生生活を終え、金光教学院に入らせてもらい、お道の教師を拝命し、教会では若先生として、信者さんたちはお付き合いしてくださり、そのようなことが当たり前のように思って生きてきた気がします。そんな私が、教会長を拝命して記念祭を迎えた朝に、神様に向かうこともできず、問題にばかり向き合い、いよいよ行き詰った時に、神様、御霊様の温かい懐に包まれたような心持ちにならせていただき、今までの不安や心配が、嘘のように消えてしまったことで、心の底から「ありがたいなあ」と頂くことができました。
 今考えますと、私の「わが心の神様」がお働きくださって、そのような心持ちにならせていただいたのだと思えるのです。そして、あのやけどの時、父は、お広前で、神様、御霊様に、親神様から頂いた身体に傷を付けたことをお詫びし、そのような中にもご都合、お繰り合わせを頂いたことをお礼申していたんだと、確信することができました。
 そこからさらに、父の信心の姿が思い起こされました。ご祈念、教話はもとより、お神酒、御神米を頂く姿、食事前のご祈念の姿、物の取り扱い、内外の掃除の立ち居ふるまい、そんな日々の生活の中に、神様のおかげを頂き、お礼と喜びの信心生活が進められていたのだと思わされました。知らず知らずのうちに、神様のお徳の中で、お育てを頂いた私であることを自覚させていただいたのです。

教区が一つとなって
 平成27年、当教会にとって開教100年のお年柄をお迎えさせていただきました。記念祭に向けて取り組ませていただいたことの一つに、「教会家庭集会」があります。記念の年を迎えるに当たり、信奉者一人ひとりが、自分の、家の信心を見つめ直し、信心の改まりに取り組むことを大きな目標の一つに掲げました。そこで、まず教会家族である私たちが率先して取り組むこととし、記念祭までの1年間、毎月初めに集会を開いて、「教会家庭として一番大切なことは何か」「それを実現するためにどんなことに取り組むか」を、家族でアイデアを出し合い、取り組むことにしました。「何をするにも、その場で神様に心を向けてさせていただく」「食事の時、一人ひとりが御神米を頂いてから食事を始める」「ご信者さんと向き合う時は、実意丁寧を心掛ける」など、毎月報告し合い、家族中の信心の改まりに取り組みました。この家庭集会は、記念祭が終わった後も続き、今では家庭の中で、生活の中で、自然に信心の話が出てきます。
 その同じ年に、私は北九州教務センター所長として御用を頂くことになりました。何から手を付けるのか、何をするのか、そのために何が必要なのか、教務としての役割を求めて、悪戦苦闘していました。教区活動の方針、方途を定める時に、どうしたら教区一体となっての活動になるのか、ということが何よりも大切な視点ではないかと考えました。そのためには、どんな活動をするにしても、多くの人に参画していただくことがいる。そこで、教区内の教会、教会連合会、各種団体から「今、教会にとって、自分にとって、何が問題で何が課題なのか」ということについて、情報収集を行い、集まった情報を整理、分析してまとめました。
 その結果、一番目に上がった問題は、「信心の後継者がいない」ということでした。これは、教会、信徒のところで信心が伝わらず、何とかしたいけれども、その手立てに苦慮しているということでした。この問題は、今に始まった課題ではありませんが、あらためて教区内の情報を集め、実際の御用の中で出てきた課題であるということに、大きな意義があるのです。教区内の教師、信徒から直接出されたものですから、それぞれが自分の課題として受け止め、さらに、教区の共通の課題として、教区一体となって取り組むことができると思います。
 翌、平成28年には、教区活動の基本方針、活動方針、活動方途を、教区委員、教会連合会長、各種団体の長、所長指名者に集まっていただいて決定する「教区布教会議」を行いました。教区内の問題、課題を共有、確認し、今までの教区活動を反省、評価し、教区活動の方針、方途を決め、その後、教区委員会で決定しました。
 平成29年の教区布教会議において、教区の課題である「信心の継承」に、教師、信徒一体となって取り組むことが確認されました。そのために、信心に取り組む場を、教会家庭、信徒家庭に置き、「神人あいよかけよの生活運動」の取り組みの願いをもとに、家庭での生活をとおして、具体的に取り組むための教区独自の実践項目を「一、神様に喜んで頂く家庭生活 二、神様を感じる家庭生活 三、信心が伝わる家庭生活」と定め、それぞれに実践項目のヒントになる内容を加えました。
 さらに、信心の継承を願っての「運動」実践を進めるために、明年の立教160年のお年柄に、「金光教北九州教区 立教160年記念大会」を開催することとしました。この大会を「運動」実践の集大成の場として、大会前の前段を、教会連合会を中心にして、研修会や共励会などを開いて各教会、各家庭に「運動」の実践を促し、そのための支援をしていく「運動推進本部」を立ち上げました。そして記念大会の後段では、教会、信徒の家庭での取り組みを中心にしていきたいと考えています。
 以前、全教に配布された「神人あいよかけよの生活運動パンフレットⅡ」の最後のページに、「私たちの『ありがたい』という心に神様がお生まれになります。おかげの中に包まれている実感を深めて、『神人の道』が一人ひとりの生活に現れてくるおかげを蒙らせていただきたいと存じます」とあります。私の「運動」実践は、父の御霊様の見守りを感じた時に、「ありがたい」という心が芽生え、神様のおかげに包まれたような実感を覚えました。まさに、私にとって「神人の道」が現れた時ではなかったかと思えます。このおかげを土台にして、「世話になるすべてに礼をいう心」を持って、さらに、「運動」実践の場を家庭に置いて、ここまでのおかげの歴史の上に、さらなる家庭信心の伝統を築いていきたいと願っています。
(2018/10)

   



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