神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 4月号 神人あいよかけよの生活運動


「お礼の心は神様につながる」  上手 正弘(京都・東九条)

助かりに導かれる生き方
 「先生、ちょっと見てください。今、私が着ている服は、全部人から頂いた物なんです」。親教会の直会(なおらい)の席で、Aさんという年配の男性からおもむろに話し掛けられました。
 私は突然のことで、「どういうことですか?」と聞き返すと、Aさんは「私が住んでいる家と、お店が火事に遭いまして、家財道具一式が焼けてしまいました。ですから、今着ている服は、そのような中を助けていただいたものなんです」と答えられました。
 以前、Aさんの隣家が火事に遭い、その火がAさんの家にも燃え移って、数軒にわたって被害が及ぶ大惨事となりました。Aさんは、火事に早く気付かれたことで、家族は無事であったと聞いていました。
 しかし、それは数年前のことでしたので、次第に私の記憶から遠のいてしまい、すぐに服のことと火事とが結び付きませんでした。
 「そうでしたね。あの時は大変でしたね」と言うと、「大変でした。でもね、そんな中でも神様からおかげを頂いてきました」と、笑って話を始められました。
 Aさんは自宅で飲食店を営んでいました。火事の後は商売もできない状態になり、Aさんは教会の先生に、「当分、仕事もできませんし、住む所も探さなくてはなりませんので、お参りすることができません」と電話で話されました。すると先生は、「そんなことを言うてたらあかん。常日頃の信心も大切だけれども、難儀な時にこそ、すぐに参拝に来なさい」と言われました。
 Aさんは「そうだな。こういう時だからこそ、お参りしよう」と思い直され、教会に参拝されました。当初は「なんでこんなことになったのだろうか?」と思っていましたが、教会のお広前でご祈念をしていると、次第に次のようなことが心に浮かんできました。
 「思い返せば、学校を卒業してから、ずっと働きどおしで足腰は痛み、体の節々にも不安を抱えている。火事はつらいことではあるが、『仕事はそのぐらいにして、健康のおかげを頂きなさい』と神様から言われているのかもしれないな」と思えてきました。
 また、近年はお店の辞め時を模索されていたこともあり、「いろんなことを考えたら、これは神様のおかげではないか。もし仕事を続けていたら、体調を崩して、家族に心配を掛けることになっていたかもしれない。家も店も焼けてしまったけれど、何よりも命が無事だったことはありがたいことであった」と思われたのでした。
 その後、新たに住む家もすぐに見つかり、また、仕事も息子さんが経営する飲食店で働かせてもらうことになりました。自分の体調と相談しながら仕事ができる環境が整い、おかげを頂かれたのでした。
 Aさんは、「このように、火事に遭った前と変わらず服も着させてくださり、食べ物も与えてくださる。日々の生活に何の不自由もないように、神様は準備してくださっていたんですね」と話されるのでした。そして、「これまでは、神様にただ漠然と祈っていましたが、まずは日々、安全無事に生活させていただいているお礼を申し上げ、自分の健康のこと、さらに家族のことを願わせてもらおうと、神様へのお礼とお願いが今まで以上に気持ちのこもったものになりました。ありがたいことに、悪かった足腰が痛むこともなく、健康のおかげを頂いています」と、Aさんは火事をとおして、自分の信心の在り方を見つめ直すきっかけとされたのです。
 さらに、火事から1年が経った頃、Aさんはあることに気付かれました。それは、火事の前日が母方のご先祖の命日で、当日は父方のご先祖の命日だったのです。そのことから、「両家のご先祖様も私たち家族を守ってくださっていたのだ」と思わせられたそうです。
 突然の不幸に遭えば、誰しも、恨みがましい気持ちが湧き上がっても不思議ではありませんが、そんな境遇の中、Aさん自身もそのような思いを少なからず持ちつつ、先行きの不安を抱きながら教会に参拝しておられたように思うのです。しかし、神様に心を向けることで、自分を守り生かそうとする働きに次々と気付かれ、それに響き合うように、周りの環境もさらにAさんを生かそうとしている、というその話を、私は感動をもって聞いていました。

教会長としての母の祈り
 ここからは私自身の話になります。教会長である母が、平成22年12月17日早朝に脳出血で入院しました。東九条教会の開教80年祭を仕え、兼務教会の先代教会長の5年祭を控えていた中で、ご信者さんの葬儀を仕え終えた夜中に倒れました。倒れた2日後に5年祭をお仕えすることになっていたので、急きょ祭主の経験がない私が御用をさせていただくことになりました。
 年末年始の3週間の間に、5年祭、報徳祭、越年祭、元旦祭、年始の月例祭、さらにはご信者さんの30日祭と、6つの祭典をお仕えさせていただいたのです。お仕えしたと言っても、それまで祭典のお役では賛者しかしたことがなかったため、教えてもらわなければ分からないことも多く、入院中は母の病室に日参していました。
 同部屋の患者さんからは、「よくお見舞いに来て、親孝行な息子さんね」と言われましたが、「いえいえ、私が助けてもらいに来ているのです」と、内心思いながらあいさつしていました。
 そのような中にあって、母と私がそれぞれにありがたいと感じさせていただいたことがありました。その一つは、母が倒れていることに早く気付かせていただいたことです。
 夜中の12時過ぎに、まだ母の部屋の明かりが点いていたので部屋をのぞくと、書きかけた祭詞を広げたまま、顔を机に伏せて寝ていました。「このままでは風邪をひいてしまう」と思い、寝床に就くように声を掛けました。すると、様子がおかしいことに気付きました。右足が動かないようで、私との会話の中で、自分自身が何かおかしいということを私に伝えようとしますが、同じ話を何度も繰り返し、ろれつも回っていません。さっき尋ねたことをまた尋ねてきます。「これは救急車を呼ばないと」と思いましたが、母は「呼んでほしくない」と訴えます。「どうしようか」とためらう私を横に、母はその場でご祈念を始めました。
 はじめは「金光様、金光様」とご神号をひたすら唱えていましたが、しばらくすると、出社(でやしろ)教会である屋久島教会のこと、妹が嫁いでいる峰山教会のこと、ご信者さん一人ひとりのことを願い始めたのです。私はこのような状態で自分の体調だけでなく、人のことを祈る、お願いするとは、どういう思いなのかと考えさせられました。
 のちに母の体調が戻り、普段どおりに話せるようになって、この時のことを尋ねると、「覚えていない」という返事でした。意識がもうろうとしている中で、自分のことだけではなく、周囲の人のことを祈るという、母に染み込んでいる信心を見せていただいたことは、私にとって、あらためて母を教会長として頂き直すありがたいものでした。
 その時の母のご祈念は、気が付けば2時間ほど続いていました。私はいよいよ救急車を呼ぼうと電話をかけ、救急車が到着し、母が車に乗せられてから、救急隊員の方が受け入れの病院を探している様子が聞き取れました。少し安心した私は、その様子を聞きながら、これからのことを考え、「看病するなら近くの病院がいいな」などと思っていたのですが、その思惑は外れ、少し離れた病院に搬送されることになりました。
 しかし、私の思惑とは反対に、そのことにもおかげを頂きました。搬送された病院は脳外科において有名な病院で、そのことを親教会の先生からお聞きした時、自分の思いの至らなさに気付かせてもらうと同時に、神様がちゃんとおかげを下さっていたんだと感じました。
 さらには、年末年始という慌ただしい時期に、祭典をはじめとする教会御用を経験させていただく中で、代替わりのお育てをいただいているということを、母も私も感じていました。
 そして何よりも、どのような障害が残るか分からない中で、右半身に少しまひが残りましたが、しっかりと話ができ、教会御用の心構えと、その中身を教えてもらうことができますし、母が再び御用をさせてもらえる身体に回復させていただいたことに、お礼を申さずにはいられませんでした。

「知らねばなりませんなあ」
 火事に遭ったAさんも、私も、思わぬ出来事の中にも、それぞれに助けようとなさる神様のお働きに気付かせていただきました。
 山本定次郎師の伝えに「はじめてお参りした時、私がまだ何も申しあげないのに、金光様の方から、『人間は、どうして生まれ、どうして生きているかということを知らねばなりませんなあ』と話しかけられたので、私は、金光様は何を言おうとされるのだろうかと思った。その時の天地のお恵みについてのみ教えは、一言一言が胸に突きささるようにこたえて、たいへんに感激した」とあります。
 私たちは両親から生まれ、成長するまでに、さまざまな人や物のお世話になっています。それは誰もが知っていることかもしれませんが、教祖様はこのご理解の中で、あえて、かんで含めるように、「知らねばなりませんなあ」と教えてくださっていると感じます。
 このご理解に関わって、私なりに思わせていただくのは、「神人あいよかけよの生活運動」の「願い」の5行目にある「神人の道」について、ある方が教主金光様に「『神人の道』とはどういうことでありましょうか」と御取次を願われ、金光様は「世話になるすべてにお礼を言うことです」とご理解された話があります。私は、この金光様のお言葉が、教祖様が話された「知らねばなりませんなあ」というご理解とつながっていると感じます。それは、「世話になるすべてにお礼を言う」心が、天地のお恵みに生かされる生き方、つまり、神様につながる心持ちだからだと思います。
 私は日々の生活の中で、お世話になっている事柄に気付き、感謝の心が生まれた時、神様の働きが現れてくることを教えられました。そのおかげを頂いた喜びがまた、私たちをよい方にお導きくださると感じています。これからもお礼を土台にして、いっそうおかげを受けさせていただく稽古に励みたいと思います。
(2018/4)

   



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