神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 6月号 神人あいよかけよの生活運動


「ひとつ心配、ひとつ安心」 星野 孟(北海道・北海深川)

「夜の電話から始まった」
 「一難去ってまた一難」という諺があります。「一難」というのは「困ったこと、災難」のことで、一つの困ったことが解決したかと思うと、また一つ困ったことが起きてくるという意味です。そのとおりと思えるような事がありました。しかし、お道の信心をさせていただいている者として、「一難去ってまた一難」ということではない受け止め方を、ご信者さんが経験されました。
 2年前の3月のある日、夜8時頃にAさんから教会に電話がかかってきました。高校の教員であるAさんは、いつもは仕事があって、なかなか参拝に来られませんが、大祭の時には前日から、家族で準備の御用に来られています。
 電話の声が、「先生、このたび、おかげを頂きました」でした。「それはよかったなあ」と思いながら、「どうしたの?」と聞きました。Aさんは「今、長崎にいるんですが、交通事故を起こしまして…」。事故に「遭った」のではなくて、「起こした」と言ったのです。私はその言葉を聞いて、「ああそうか、事故を起こしたけれど、きっと誰もけがもなく、大きなことにならなくて済んだんだな」と思いました。
 ところが、Aさんが電話で説明する内容を聞いているうちに、「これは大事故じゃないか」と思いました。しかし、Aさんは確かに「おかげを頂きました」と言ったのです。
 数日後、Aさんが深川へ帰って来ました。教会に参拝し、お届けをされた時に詳しく話を聞くことができました。
 学校の学期末で、Aさん夫婦と同僚夫婦、さらに独身の同僚男性2人の6人で、九州の長崎へ旅行に出かけたそうです。長崎空港に着いて、レンタカーで島原に向かいました。高速道路を降りて、山あいの下り道を走っている時に、運転していたAさんがボーッとなり、左カーブを曲がりきれずに対向車に衝突したのです。
 運転していたAさんは手の小指を骨折、助手席の男性は肋骨骨折、2列目にいた同僚夫婦の夫は腰を折り、病院で精密検査をしたところ脊椎の圧迫骨折。その隣に座っていた男性は額を切る。3列目にいた同僚の奥さんは骨盤骨折。隣にいたAさんの奥さんは右腕の骨折、両足の膝から下を骨折、さらに検査の結果、くも膜下出血、肝臓と肺に出血という大変な状態でした。救急車が数台、ドクターヘリまで出動したそうです。
 「どうして6人も乗っていながら、誰も気付かなかったんだ」とAさんに聞きました。朝早くに新千歳空港を出発し、長崎空港に着陸し、昼食を済ませた午後2時頃は、眠気に襲われる頃で、衝突するまで誰も気付かなかったそうです。Aさんの奥さんが重傷になったのは、高速道路から一般道に入った時にシートベルトを外していたからだそうです。そして、対向車には5人も乗っていましたが、大きなけがにはならなかったそうです。

「先生、おかげを頂きました」
 Aさんの電話での始めの言葉が「先生、おかげを頂きました」と言うのには実は理由がありました。それは、現場検証に立ち会った警察官から「あなた、運が良かったね」と言われたのです。「この大変な状況で何を言うのか」とAさんは思ったでしょうが、警察官は続けて、「対向車がなかったら、崖下に落ちていたよ」と言ったのです。
 対向車に5人も乗っていて、しかも助手席には90歳のおばあちゃんが乗っていましたが、ほとんどけががありませんでした。用心のために、おばあちゃんは病院で診察を受け、3日ほどで退院されました。Aさんは、もし死者が出ていたら、もっと大変なことになっていただろうと思うと、「本当におかげを頂いた」という気持ちになったそうです。
 そして、事故を起こしてから数日後の夜に電話をかけてきたのは、負傷した人たちが入院している救急病院に様子を見に行くこと、警察の事情聴取などもあり、やっと教会に電話をかけてくることができました。
 Aさんの話を聞いて、事故の状況と同乗者の様子などが分かりました。私はAさんと一緒に、ここまでのお礼と今後のお願いのご祈念をさせていただきました。

落ち着く暇もなく
 その後も、入院している奥さんに変化が起きてきました。Aさんが「ああ、よかった」と思っていると、また次の問題が起きてくる。「ああ、何とかなった」と思っていると、また次のことが起きてくる。それが「ひとつ心配、ひとつ安心」ということです。
 Aさんは再び長崎へ行きました。電話で奥さんの様子を知らせてきました。その電話の最中に、「他から電話が入ってきたので、またかけます」ということで、いったん電話を切りました。その後の電話で、「いや先生、実は今、病院から電話がかかってきて、妻が脳梗塞を起こしてるそうです」ということでした。「治療できても、最悪の場合、右半身不随、失語症ということになるかもしれませんが、命に関わることはないということです」と話しました。翌日に、「先生、おかげ頂きました」と電話がかかってきました。
 奥さんは集中治療室から一般病棟に移る予定でした。ところが、医師の判断で、「もう少し様子を見よう」ということになり、引き続き集中治療室にいました。そのおかげで脳梗塞が分かり、すぐに処置ができたということでした。検査の結果、「脳梗塞は起こしているけれども状態は悪くなってないし、今のところ話もできるし、ある程度、指も動いているということもあるから、これ以上悪くなることはないだろう」という医師の判断があって、今度は両足の手術に入りました。事故が起きてから半月以上も過ぎての手術でした。その病院でも、大手術だったそうです。同乗者の同僚たちは、半月ほどで回復し、北海道に戻って行きました。
 ところが、また心配なことが起きてきました。奥さんは脳に損傷を受けていますので、何度も検査をしていくなかで、写真を見ながら医師の説明があります。医師が説明の途中で「動脈瘤がある」と気が付きました。「この動脈瘤は、右半身をつかさどる神経のそばの血管にある。これが破裂すると大変なことになるから、すぐ手術する。それと、この動脈瘤は形がいびつだから、前に一回破裂して、またできたものだ」ということでした。
 Aさんが言うには「実は妻が、『頭が痛い、頭が痛い』と言って、旅行に行く前に頭痛薬を飲んでいました。旅行から帰ってきたら検査をしてもらおうと話していたんです。飛行機の気圧の変化も危なかったようで、これも事故があったから分かったことです。おかげを頂きました」とのことでした。
 動脈瘤の手術は、夕方の5時半に始まり、終わったのが夜中の2時頃でした。くも膜下出血を起こしていた血が固まっていることが分かり、それを取り除いてから手術に入ったそうです。「先生、安心しました」とAさんが知らせてきました。
 これでやっと落ち着いたと思ったら、また電話がかかってきました。「先生、検査で妻が水頭症の症状があるようです」。水頭症というのは、脳の髄液が増えて脳を圧迫するそうです。けれども、「これは薬の治療で大丈夫です」との医師の診断で安心しました。少しずつ先が見えてきました。
 骨折した足の手術の経過も順調で、寝たきりだったため、まず膝を曲げるリハビリ、次は足首のリハビリと、両足が動かせるようになり、ようやく北海道に帰ってくることができるきざしが見えてきました。
 「先生、安心したらまた次、安心したらまた次と起きてきます。でも、それを一つ一つ、おかげを頂いているのは、本当にありがたいと思います」と、Aさんはおかげの実感を語りました。奥さんも、治療とリハビリで先が見え、半年はかかると言われていたところを、事故に遭ってから約2カ月半、短期間で帰って来ることができたのです。

おかげがおかげを生む
 Aさんから事故の内容、その後の治療のことなどのお礼とお願いを聞いて、一緒に神様にお願いさせていただきました。「安心しては心配が生まれ、心配しては安心する」という繰り返しの中にあっても、Aさんは「どうして、こんなことに」ということを言いませんでした。必ず「おかげになりますように」「おかげを頂きますように」とお願いしながら事を進めていく毎日だったと思います。
 一つ安心すればお礼を申し上げ、次に進んでいく。これは大事なことだと思います。事が起こっても「おかげを頂きました」という心持ちでいると、おかげが生まれてきます。「どうして、こんなことになった」と思っていると、おかげは生まれてこないのです。「おかげを頂いた」というお礼の気持ちでいるからこそ、次のおかげが生まれてくることを、Aさん自身が実感しています。
 また、お広前という場は、Aさんにとって大切な場だと思います。大事故を起こしてしまった責任と重圧があるけれども、それをお取次を頂く中で、「もう一つ山があるかもしれないけれども、何とか越えよう」と、参拝されて「また、何とか越えさせて頂こう」と、自分の気持ちを確かなものにしてきたのです。神様にお届けをする、神様にお話をさせて頂く場がある。こういう場を神様が私たちの前に用意してくださっていることを、あらためて感じさせていただくことができました。
 そして、Aさんは信仰的に成長していきました。後日、Aさんが話してくれました。「もう覚悟をしていました。妻が下半身不随になったらどうしようかということを思ってました。でも、自分が起こした事故ですから、妻がどんな体になろうが最後まで私が責任を取らなければならない、そういう覚悟をしていました。けれど、神様はそうはなされませんでした」。
 Aさんの奥さんが自宅に帰って来られ、ご大祭に家族で参拝されました。以前と変わらぬAさんの御用の姿に、より強く神様へのお礼の気持ちを込めておられるのが感じられました。
(2018/6)

  



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