神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 9月号 神人あいよかけよの生活運動


「神様あっての私、神様にとっての私」 谷口 信一(兵庫・尻池)

「親の温もりをとおして」
 小学3年生の夏のことです。学校を終え、そろばん塾に向かっている途中に少し時間があったので、一人で裏山に遊びに行きました。
 すると、土手から草のつるが垂れているのが見え、それを伝って下に降りてみようと思い立ちました。崖の淵にしゃがみ、つるをつかんで降り始めたその時、ブチッという音を立ててつるが切れ、2メートルほどの高さから真っ逆さまに落ちてしまいました。
 それから左腕がジンジンと痛くなり、痛みはどんどんひどくなっていきます。後で分かったのですが骨折していました。左腕を抱えながら、ボトボト歩いて家に向かうと、同じそろばん塾に通う子たちとすれ違いました。私は必死で痛みをこらえ、左腕を抱えながら無様な格好で歩いていたと思います。恥ずかしさと痛みでいっぱいの苦しい気持ちをこらえながら、恐る恐る家に向かいました。
 家が見える所まで来ると、家の前で母親が近所の人と立ち話をしているのが見えました。私は「あともう少し」と懸命に母親に向かっていきました。すると私に気付いた母親が、「どうしたの?」と声を掛けてくれました。私はこらえられなくなって、泣きながら母親の胸に飛び込んで行きました。
 あれから40年が経ちますが、今でもありありとその時の情景を思い出すことができます。それは腕を骨折した痛みだけではなく、私を抱きかかえてくれた親の温もりが今でも残っているからでしょう。もしもあの時、母が子どもの骨折におどおどして心配したり、「なんでそんなことしたんや」と叱られていたら違っていたかもしれませんが、「大丈夫やで」と安心を与えてくれ、しっかり受け止めてくれたからこそ、この出来事が事あるごとに思い出され、温かい気持ちになれるのだと思います。
 私は、優しく包んでくれる親の愛情をとおして、命の根源である親神様、天地金乃神様に巡り会う受け皿を作ってもらったと思っています。


どんな時も変わらぬ母
 私は中学、高校、専門学校の8年間、母にお弁当を作ってもらいました。部活動は軟式テニスをしていたのですが、朝早く学校へ行き、夜遅くに帰るのが当たり前で、夏休みも冬休みも春休みも部活動に励みました。
 試合に出られなくても、風邪を引いてしんどい時も、けがをした時も、母はお弁当を作ってくれました。学校で散々な成績を取った時も、いじめに遭って学校へ行くのが怖い時も、失恋して落ち込んだ時も、受験で悩んだ時も、母はお弁当を作ってくれました。
 母が風邪を引いた時も、腱鞘炎で手が痛む時も、父が入院した時も、母に叱られてけんかをした時も、お弁当を作ってくれない日はありませんでした。
 そのことに気付いた時、私は「ありがとう」と母に言えるようになりました。そして、何が母をそこまでさせるのかと考えさせられました。ただ親だから、義務だからという思いだけではないと思います。いったん母のすごさに気付くと、子どもの私に対して、「どうぞ私にお弁当を作らせてください」という強い思いを感じるのです。それは、母の私に対する祈りが表れているのでしょう。
 そこには、勉強ができるできない、運動ができるできない、信心ができるできないは関係なく、さらには、お礼が言える言えないも関係なく、ただただ私への祈りがお弁当という形に表れてずっと続けられていたのでしょう。その祈りは、「あなたが助からないと私が助からない」という親心だと思います。だから私は自分自身を大切にしようと思えるようになったんだと思います。

親の心と神様の心
 祈られている自分を実感できる時ほど、幸せな時はないと思います。それから何年か経った頃、弟が次のような話をしてくれました。
 学校から帰ってきて、弁当箱を母親に返すと、母が「あんた間違えてお弁当を持って行ったやろ」と叱られたそうです。弟にしたら間違えたと言っても、入れ物も中身も同じような物ですから、「そんなに怒らなくても…」と思ったようですが、母は「一つ一つに、その子への祈りを込めて作っとんやからな。だから弁当は一つ一つ違うんやからな」と言われたそうです。
 ある時、母が参拝している教会の機関誌に、母の話が載っていました。人前ではなかなか話をしない母ですが、今までの信心を振り返っての心情が語られていました。その一部を紹介します。
 「教会の親先生ご夫妻に仲人をしていただき、結婚をさせていただいて、40年になります。その間にはいろいろなことがありました。子どもも4人授けていただきましたが、長男は早産で失くしてしまいました。
 3人の男の子を育てさせていただく時、私は頭がよくないので、とにかく元気で頭のよい、真面目で、素直で、神様の御用のお役に立たせていただき、皆様にかわいがっていただき、感謝を忘れない、心の優しい子どもにお育てくださいと、欲張っていっぱい、毎日神様にお願いさせていただきました。
 そして我が家では、朝起きた時に神様にお礼をさせていただき、学校や仕事に行く時も必ずお礼、そして御神米を頂きました。また、朝起きた時、外出する時、帰宅した時、そして夜休ませていただく時、必ず家族みんなと握手をしていました」
 母はこの道の信心をとおして親心を育て、そして私は、そんな親の信心の中で育てられ、そのもととなる天地の親神様の親心を感じさせていただいたのだと思います。
 母の姿をとおして、私が神様に心を向けて祈り始めるずっと前から、親である天地金乃神様は私のことを祈り、待っていてくださっていることを知りました。そんな神様の親心を日々実感しながら、お礼を申し、喜んで、神様と一緒に生きていく。このお道の信心はとてもありがたいと思わせていただいています。

娘の命と向き合う
 私は3人の子どもを授かりました。長女が10歳の誕生日を迎えた時のことです。下の弟二人はもう寝静まっていて、妻は台所で洗い物をしていました。私は長女と何気なく、学校の友達の話などをしていました。
 長女が「私、小さい頃、昔の世界はみんな白黒の世界だと思ってた。何でかと言うと、昔のテレビの映像とか写真がみんな白黒やったから、いつからカラーの世界になったんやろうと思ってて…」と話してくれました。
 それを聞いて、私も5歳の頃に考えていたことを話しました。
 「お父さんも小さい頃、この世界はお父さんが物心ついた時にできたと思ってたんやで。おじいちゃんもおばあちゃんも、歴史が積み重なったこの世界も、パッと生まれて、そこにお父さんがいると思ってた。だから、お父さんが物心つく前には、この世界はないと思ってたんやで、おかしいやろ」と笑いながら話しました。
 その時にふと思ったのは、「長女がここまでお育ていただいてありがたい」という思いと、「10年前には長女はこの世に存在してなかったんだな」と感慨深くなりました。そして、長女が生まれてきた時のことが思い出され、無事に生まれてきた喜びの一方で、新しい命が生まれる不思議さを妻と話していたのです。
 そして今、10年前には存在しなかった娘と話をしていることに思わず、「10年前には、あなたは影も形もなかったんや。それが今、こうしてこの世界におるんやもんな。不思議やな。分かるやろうけど、お父さんお母さんが、あなたの手や足やいうて作ったんやないからな。あなたは生まれた時から比べたら体重が10倍も大きくなって、そしてこんなお話ができるんやもんな。すごいな。お父さんお母さんの子どもとして生まれてきてくれてありがとう」と口に出していました。
 何とも言えない感情がそう言わせたんだと思います。すると娘が、「お父さんお母さんの子でよかった。生んでくれてありがとう」と言ってくれました。うれしさが込み上げてきて、それからしばらく娘を抱っこしていました。
 その時の私の思いは、親は少し先にこの世に生まれてきただけであって、命が生まれるという不思議さ、この世界にいるという不思議さ、人が生きているという不思議さの前では、親も子もないんだと思いました。お互いに一人の人間として、一つの命として娘と向き合い、できる限り大切に尽くしていく私にならせていただきたいと思わせられました。


神様に喜ばれる私に
 天地の親神様は「氏子あっての神」とおっしゃり、いつも私たちのことを拝んでくださっています。そして「氏子が助からなければ神も助からない」とまでおっしゃり、祈ってくださり、助けてくださいます。そんな天地の親神様のみ心に触れると、「親様の中の親様だなあ」という思い、そういう天地の親神様あっての私なのだと思わせられます。
 そんな親神様のことをもっと知り、もっと近付かせていただいて、もっと好きになりたいという思いが生まれてきます。そして、もっとお慕い申して、神様に喜んでいただける私にならせていただきたいと思わせられます。
 さらには、そこまで祈り尽くしてくださる天地の親神様の親心を思わせていただくと、どうして私をこの世に生んでくださったのだろうか。そこにどんな願いがかけられているのだろうか。何を待っていてくださるのだろうか。そんな天地の親神様の期待を感じずにはいられません。
 そういったことをお尋ねしながら、神様の親心を私も心に頂けるようお育ていただき、私にかけられたご神願が成就するようにおかげを蒙ってまいりたいと思います。
 そして亡くなる時には、「この世に生んでくださりありがとうございました」とお礼を申し、天地の親神様からも、「生まれてきてくれてありがとう」と言ってもらえて、そんな親子の情が通い合う間柄になれるように、信心を進めていきたいと思っています。
(2018/9)

   



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