神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 11月号 神人あいよかけよの生活運動


「できることを続けていく」 岡成 信正(山口・鹿野上)

親の思い、神様の思い
 今年4月、妹が里帰り出産のため、しばらく教会に帰ってきました。妹は3722グラムの元気な女の子を出産し、母子共に健康のおかげを頂きました。新しい命が誕生するということは、本当にたくさんの方に祈られてのことなのだと感じます。
 出産後、赤ちゃんに会いに病院へ行きました。部屋に入ると、妹がすぐに「あっ、ちょっと抱っこしといて」と、私に断る隙を与えず、赤ちゃんを預けてきました。初めての経験です。というのも、新生児を抱っこする機会は姉の出産の時もありましたが、これまで、どこか「こわい」という感覚があり、私なりに距離を置いて赤ちゃんを見ていました。だからこそ、妹の勢いに圧倒され戸惑いましたが、目の前にいる赤ちゃんを見ながら、いつしか時間が経つのを忘れていました。それからは、教会でも赤ちゃんが泣いていれば抱っこをしたくなり、それが楽しみになっていました。
 ある日、妹に「1時間ほど、赤ちゃんを見てほしい」と頼まれました。教会には、たまたま私一人しかおらず、「1時間ぐらいなら問題ないよ」と快く引き受けました。ぐっすり眠っているから大丈夫だろうと、教会の御用をしていると、30分ほど経ってから泣き始めました。
 いつもなら、「泣いているよ」と、妹のところに連れていけばいいだけなのですが誰もいません。抱っこして、しばらくしても泣き止まず、赤ちゃんが好きそうな音楽を流してみたりしましたが、何をしても駄目でした。
 「もしかしたら、うんちかも…」と、ふと脳裏によぎった時、考えてみると、今まで一度もおむつを替えたことがない自分に気が付きました。「こんなことになるなら習っておけばよかった。本当に替えないといけないのかな…」。そんなことを考えながらも、目の前で泣きさけぶ姪っ子がかわいそうで、「金光様…」とお唱えしながら、おむつを替えました。
 「あっ、できた」。自分でもできるとは思っていなかったので、何事もなくスムーズにできて驚きました。すると、赤ちゃんの顔が朗らかになり、静かに笑ってくれました。心がポッと明るくなった気がしました。
 教祖様のみ教えに「幼少の時を忘れて親に不幸のこと」とあります。私自身、これまで両親がどんなことを思い、どんなふうに育ててくれたのか、深く考えたことはありませんでした。姉や妹の母親としての姿、愛らしい甥や姪の姿を見ながら、あらためて親の思いというものに触れさせていただいたような気がします。
 最近になって、幼い頃、私がよく高熱を出していたことや、学校から泣いて帰ってきたことなど、家族で話をするようになりました。私も忘れていた一つ一つの出来事を懐かしく聞かせてもらっています。両親も孫ができて、その行動を見ながら思い出しては、私に教えてくれているのだと思います。
 そうした命の継承の繰り返しの中で、忘れてしまいがちなことを、教祖様はさまざまなみ教えをとおして教えてくださっています。「神のおかげにめざめ」るには、親の姿や言葉をとおして、神様がどのような思いでここまで自分を育ててくれたのかを気付いていくことも大切なのだと感じています。

人に心を揺さぶられ
 そんなある日、父が整理している教会誌のファイルを眺めていました。パラパラとめくっていると、1枚の領収書が出てきました。「なんだろう」と思って見ると、「金額32万円、車修理代金」と書かれていて、挟まれたページには、当時の私の文章がありました。
 私は、20歳の時に車の運転免許を取りました。周りの友達は18歳で取る人が多かったのですが、保険の関係で20歳を迎えるまで我慢をするように親から止められていたこともあり、やっとの思いで手に入れた免許でした。
 当時のことを振り返ると、未熟な運転にもかかわらず傲慢になり、母から「運転する時には神様にお願いをしてから運転させてもらいなさいよ」と言われたことも忘れ、助手席から運転についていろいろ言われると、ちょっとしたことで腹を立てていたように思います。
 その日は、いつものようにわがままを言って、親の車を借りて学校へ行きました。課題も終わり、時間に余裕ができたので、友達と出掛けることにしました。近道をするため、狭い住宅街へ入った時に道が分からなくなり、とりあえず交差点をゆっくり直進しようとした時、「ドーン」という大きな音とともに、黒のワンボックス車が私の車の後ろのドアに突っ込んできました。とっさの事でよく分からないまま、ハンドルが利かず、私の運転している車は、民家のブロック塀にぶつかって止まりました。すぐに外へ出て周りを見ると、車はボコボコになり、目の前のブロック塀は崩れ、私は起きた出来事にあっけにとられていました。
 相手の女性は、子どもをスイミングスクールに連れて行くために急いでいたようで、「また、すぐ来るから」と、いったんその場から立ち去りました。「もっと注意していたら…」。そんなことを考えながら警察を呼びました。
 到着した警察官は私に、「一時停止は完全にしていましたか?」と聞いてきました。よく考えてみると、完全に止まったという自信はありません。私は「完全な一時停止ではなかったかもしれません」と正直に話しました。事情聴取が終わり、次は向こうの車を運転していた女性に話を聞いている声がかすかに聞こえました。「ここは前から危ない場所だと思っていたので、すごくゆっくり進んでいたんですよ…」と。私は、「はぁ? すごい急いでいたじゃないか」と、心の中で腹を立てていました。
 事故が起こってから数日が経ちました。保険会社から、「一時不停止という過失により、私の方が全面的に悪くなりそうだ」という話がありました。その後も何人かの方に、「今回のケースは車の後ろ側にぶつかっているから、一時停止してなくても『した』って言っておけば、保険の関係で有利になるのに」と言われ、なるほどと思いました。
 どこか納得できないところがあり、私は母に、「正直者は、ばかをみるんだね。やっぱり嘘をついてでも一時停止したと言うべきだったね」と言いました。すると母は、「そういう生き方をしていたら、いつかは自分に返って来るからね。正直に生きたらいいのよ」と言ってくれました。モヤモヤした気持ちが少し晴れた気がしました。 
 数日後、事故と違反が重なったため、警察から、もう一度、状況説明をするように言われ、簡易裁判所へ行きました。その時、私は担当の人に「実は一時停止していました」と話しました。「ははっ」と軽く笑われたので、今度はムキになって「やっぱり止まっています」と強く言いました。すると、担当の人は真面目な顔をして「そうは言っても、完全に止まって左右を確認してはいないでしょう。何を言っても、あの状況では向こうが優先道路だからね」と、一時不停止が取り消しになることはありませんでした。
 はじめは正直にすべてを話し、悩みながら反省したのに、時間が経ってから、次第に相手が悪いと思う気持ちに変わっていることに気付き、ハッとしました。誰もけががなかったことへの神様に対するお礼の気持ちではなく、相手に対しての怒りの方が強くなっていたのです。おかげを頂いたことがたくさんあったとしても、なかなか神様へ心が向かず、目先の損得や人の言動に心が揺れることは、今でもよくあると感じています。

神様に守られて
 実はその後も、私は車で接触事故を2度起こしました。しかし、繰り返す失敗の中に、少しずつ神様に心を向ける稽古をさせていただき、3回目の事故の後に初めて、当時、母が言っていた「運転する時には神様にお願いをしてから運転させてもらいなさいよ」という言葉が私の心に響きました。
 振り返ってみると、3回目の事故は自転車との接触事故でしたが、その前の2回の事故の経験がなければ、人命に関わるような大変なことになっていたと思います。今では、神様は最大限、私のことを守ってくださっていたのだと感じています。
 また、その事故をとおして、神様に手を合わせてから運転するようになりました。最近では免許を取った若い方に、「神様に手を合わせてから運転させてもらった方がいいよ。自分は3回の事故を起こして、初めてそのことの大切さに気付いた」と話しています。
 父は、当時の事故を振り返りながら、「払えるお金があったことも大変なおかげだったんだよ」とも話していました。社会人になってからも、あの時の事故を忘れたことはありませんが、領収書の金額に対しては、運が悪かったぐらいの思いしかありませんでした。けれども、お道の教師とならせていただき、両親と教会で御用をさせていただくようになってから、あらためて、両親に対して頭の下がる思いがしました。

できるできないではなく
 ある先輩の先生の感話集の中に次のような話があります。
 師匠「神様と自由に話をさせていただける方法を教えようか」
 弟子「はい、ぜひおかげをこうむらせてください」
 師匠「それは腹を立てないこと。もう一つは、なんでもありがたいと思うこと。これを3年修行したら、神様と自由に話のできるおかげがこうむれる」
 この文章に出合った時、衝撃を受けました。神様と自由に話ができる方法があるのかと。それなら、ぜひ取り組ませていただこうと思い、家族やご信者さんにもこの話を聞いてもらい、しばらく続けていました。取り組んでみると、とても自分にはできないと思うようになり、途中で断念をしていました。
 しかし、忘れかけた頃に「あの時、話していた、腹を立てないことは続いていますか?」と声を掛けてくださるご信者さん、また腹が立った時も、必ずこの内容が頭の中に浮かんできます。事あるごとに必ず誰かや何かをとおして、この話が思い出され、「そうだった、そうだった」と自分に言い聞かせるようになりました。
 あらためて感話集を読み返してみて気付いたのですが、私はずっと「3年、腹を立てないこと」が大切だと思っていました。ところが、文章には「3年修行したら」と書いてありました。できるできないではなく、神様に心を向けた「修行」が大切だったのだと気付かせていただきました。それなら、できるところからさせていただこうと思い、日頃、起こってくることに向き合いながら、腹が立っては心を整え、嫌なことがあればありがたいことを探す、という取り組みを始めました。
 まだまだ相手を責める心が生まれたり、さらには神様のせいにしてしまう自分もいます。しかし、今日まで両親が、神様が、どのような思いで私を育ててくれたのかということを、これからも求めながら、生活の中でできたりできなかったりする修行をさせていただき、腹を立てずにありがたいことを見つけられる自分になれるよう精進していきたいと思います。
(2018/11)

   



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