神人あいよかけよの生活運動

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金光教報「天地」 11月号 神人あいよかけよの生活運動


「運動」パンフレットが願うところ

7月に開かれた教務センター所長会議で、「神人あいよかけよの生活運動」の所管である教会部から、「運動」パンフレット作成に関する発題が行われました。その内容を紹介いたします。


「運動」パンフレットが願うところ
 「神人あいよかけよの生活運動」発足3年目に入り、本年から「願い」の3行目「お礼と喜びの生活をすすめ」に焦点を当てて、全教で取り組みを進めている。これは、教主金光様がお示しになられた「神人の道」というお言葉から、その意味をあらためて「世話になるすべてにお礼を言うことです」と示されたご内容を頂いてのことである。
 これまで「運動」パンフレットを3回発行してきたが、その願うところや確認できたところを述べてみたい。その内容をもとに、あらためて教会での共励会などでパンフレットの活用をお願いするところである。

第一集について
 第一集は、「運動」が発足した1年目の平成24年に、教祖様のお取次の実際を紹介しながら、「願い」の内容を理解していただくものとして作成した。
 その「まとめ」では、四代金光様のお歌やお言葉を紹介させていただきながら、現教主金光様が親様である四代金光様を頂かれるなかで、「神人の道」というお言葉を示され、その意味について「世話になるすべてにお礼を言うことです」とお示しくださったことを紹介し、お礼を土台にした信心生活が、そのまま「神人の道」というお言葉のおぼしめしを頂く大切な内容であることを示した。
 これは、「運動」の実践が「お礼と喜びの生活をすすめ」ることにあるとともに、「縦軸は神様と人、横軸は人と人とがつながっています」というお言葉から、神様との間柄に基づいた、この道のおかげの自覚をもとにした「お礼と喜びの生活」が、信奉者一人ひとりの身の上に現れてくることを願ってのことである。つまり、現在の自分の日常生活にさらなるお礼と喜びが生まれるために、一人ひとりが教会のお取次をとおして頂いたご理解や教祖様のみ教えを、いかに生活のなかで実践していくかということである。
 そして、「運動」の「願い」に基づいた教祖様のお取次の実際として、2行目は利守志野師の事例に焦点を当て、3行目は荻原須喜師の事例を、4行目は福嶋儀兵衛師の事例を紹介した。そして、どの事例もそれぞれ「願い」の五行の流れになっているため、何行目で取り上げても通じる内容となっている。言い換えれば、「願い」が示す全体が、それぞれお道の信心としてつながりを持った連続性のある内容であることも表している。その意味では、本年から三行目に焦点を当てるとは言いながらも、いずれの行にもつながりを持っており、信奉者が生活のなかで、どこに向かって信心の歩みを進めていくかという意味での焦点化である。

第二集、第三集について
 第二集では、第一集の「まとめ」に記した四代金光様のご信心と、「『神人の道』とは、世話になるすべてにお礼を言うことです」との教主金光様のお言葉を頂いて、「願い」の3行目に焦点を当てながら、金光四神様、三代金光様、四代金光様のお取次の実際を紹介した。
 今日まで、歴代金光様のお姿やご信心は、金光四神様も三代金光様も、それぞれお一人お一人としては語られもし、書物などでも触れさせていただくことができる。そこで、第二集としては、「お礼と喜びの生活をすすめ」をキーワードに、歴代金光様のお取次のご内容を収集した。しかしながら、その過程のなかで、歴代金光様の代を超えて貫かれ、積み重ねられてきたご内容が見えてきた。それは、歴代金光様がそれぞれの時代にあって、「教祖様のみ教えを守り続けられ」「親様を頂くあり方を求められ」「ご生涯をかけて『神人あいよかけよ』の信心生活を続けてこられた」お姿であり、それは全教の先頭に立つ信心実践者としてのご内容でもあった。
 第三集では、直信・先覚諸師の信心をテーマに、教祖様に始まる信心の流れを意識しながら、桂松平師、佐藤照師、近藤藤守師を紹介した。直信・先覚諸師のお取次の根底に流れるものも、教祖様や歴代金光様とご同様に、お取次を願う人を「お礼と喜び」へと導く内容が示されていた。
 その「おわりに」では、「この『神人あいよかけよの生活運動』では、信奉者一人ひとりが、御取次を願い、頂くことから、今日まで当たり前に思ってきたこと、気づかずに通り過ぎてきたことのなかにある、神様のお心とお働きに気づいていくことが願われています」と表現したが、これは教祖様や歴代金光様、直信・先覚諸師のお取次は、参ってきた人に合わせて自在にご理解はなされても、その根底には、おかげのなかにあることを知らない人々に、そのことを気づかせる内容が多くあることを確認したところからである。そして、それは教祖様42歳の大患時の、神様と教祖様の出会いから流れているものでもある。

パンフレットを作成して
 これまで三編のパンフレットを作成してきたが、そこで取り上げた事例に共通するのは、お取次によって、難儀という心のとらわれから解放され、今日まで生きてきて気づくことのなかった天地のお働きや神様のお心を実感させられたことで、心が改まり、お礼と喜びの生活が始まり、その結果として助かりの事実が生まれてくるという、おかげ物語になっていることである。パンフレットをとおして、「運動」の「願い」で示される五行が、お道の信心の筋道を端的に表現した内容であることが、あらためて確認できる。
 このたびの「神人あいよかけよの生活運動」は、これまでにない新しい動きをしていくという「運動」ではないが、ここまでの成果として、教祖様に始まる歴代金光様のお取次やご信心に貫かれているご内容から、教主金光様が「神人の道」とのお言葉で示されたお道の信心の大切な中身を頂くことができる。また、このお道の信心の筋道が端的に示されたことも、ありがたいことである。それは、今を生きる私どもが頂くお道の信心が、これまで何をしてきたのか、また、これから何をどうすることなのかが、はっきりと言葉で示されたということでもある。さらには、神様のおかげは、これから歩もうとする未来にあるのではなく、今日までの人生のなかに、すでに神様のお働きがあったということに気づくところから始まるのであり、それは「過去の事柄は変えることができなくても、過去の意味は変えることができる。過去の意味が変わると、ここからの未来が変わってくる」とも表現できる。
「運動」で願われる「お礼と喜びの生活」は、神様のおかげを頂き、そのありがたさに目覚めれば、先々までもお礼と喜びの心であり続けることができるということではない。その日、その時、頂いてきたおかげのありがたさに、心を立ち返らせる稽古を繰り返していくことによって、その都度、新たな神様のお働きと出合わせられ、さらなるおかげの事実が生まれてくることを、それぞれの事例が物語っている。
 それは、神様のお働き、神様のおかげというものが、その時、その場限りの助かりにとどまらず、お道のご縁につながった一人ひとりを幸せへと導かんとする連続性を持ったものであること。そして、信心の稽古や教えの実践によって、そのことを受け止める心が育まれれば、どこまでも広がっていく世界であることを、教祖様が多くのご理解で示されている。そのためにも、お道のおかげの自覚をもとにしたお礼と喜びの生活、教えの実践を、信奉者一人ひとりが手元のところで稽古していくことが、教主金光様の「神人の道」というお言葉を頂いての、今としての大切な「運動」実践につながっていくのである。
(2014/11)




   



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