神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 9月号 神人あいよかけよの生活運動


お礼と喜びの心を形に

西中国教区輔教集会の体験発表で、久保田貴美子氏(山口・東小郡)が話された内容を抜粋して紹介いたします。


お役に立つ人に
 私には息子が3人います。先日長男に娘が生まれ、おばあちゃんにならせていただきました。私は3年前から全校児童100名の小学校の校長をしており、その前は中学校の国語の教員をしていました。教会では、輔教、信徒総代、教会だよりの編集委員などのご用を頂いています。
 私の母は、私がおなかにいることが分かると、わが子の誕生と成長を祈って、朝参りを始めたそうです。そうして生まれた私は、物心つく頃から日参し、そのたびに教会の先生からご教導を頂いていました。
 その先生というのが、昨年お国替えされた先代教会長先生です。先生のご葬儀にあたり、葬儀委員長から「弔辞をお願いしたい」という依頼がありました。先生が前もって書いておられた式次第に、女性信徒代表として私の名前があるとのことでした。当日外せない出張があるため、いったんはお断りしたのですが、どうにも心残りでならず、学校の配慮を頂いてお受けすることができました。葬儀の前夜に次男に電話をし、弔辞を読むことを話すと、「それは光栄なことだね」と言ってくれました。先生へのお別れの言葉ということは、私の50年の人生を語ることになります。そのようなことで、最初のところだけ読ませていただきます。
 「私の貴美子という名前は、先生につけていただきました。幼い頃、この名前が気に入らずに、母に『どうして貴美子という名前になったか先生に聞いてみて』と頼んだことがあります。母が先生に尋ねると、『そんなことは自分で聞きに来させえ』と言われたそうです。私はなかなか先生に聞くことができず、結局聞けずじまいになってしまいました。
 先生には、小さい頃からご教導を頂いていました。節目節目にお取次を頂きます。通知表を持ってお結界にお供えすることもありました。大事な試験や大会の前にお取次を頂くと、いつも最後には、『お役に立つ人にならせていただきましょう』とおっしゃってくださいました。私は、この言葉が自分にとって一番大切なことだと思いながら育ちました。
 大学時代に車の免許を取ってすぐ、先生が『親教会まで連れて行ってくれんかな』と頼んでくださった時も、『教会だよりの編集委員のメンバーに入ってくれんかな』と言われた時も、一人前として認めてもらえたのかなと思い、ご用に使ってくださることをとてもうれしく思いました」
 この弔辞がきっかけとなり、このたびの発表のご用を頂くことになりました。先生が、霊(みたま)となられても私を使ってくださっていることを実感させていただきます。

祈りながらの教員生活
 新任教員の頃、私は自分に自信が持てませんでした。若くて実力がないのだから当然ですが、それでも、担任として一人前の仕事をしなくてはなりません。私がほかの先生方に負けずにできることは何だろうかと考えた時に、気付いたのは、「子どもたちのことを祈る」ということでした。私に誇れるものがあるとするならば、信心をさせていただいていることだと思ったのです。これなら信念として貫けると思いました。
 そうして、教会にお参りし、お届けし、その場その場でご祈念をさせていただきながらの教員生活が始まりました。関わりある子どもたちみんなをわが子と思い、その成長を神様にお願いしながら、日々を暮らすようになりました。「仕事の上で信心を現していきたい」という思いから、子どもたちに大切な話をする時は、信心や金光教という言葉は使わずに、み教えに沿った話をさせていただくよう努めています。
 最近は、コミュニティ・スクールという学校のあり方が脚光を浴びており、地域のなかで子どもたちを育てる学校づくりが盛んに進められています。地域の方々が学校運営を支援し、学校や子どもたちも地域に貢献していくという双方向で役に立ち合うという働きです。お役に立つことを喜びとするその考え方は、金光教の信心と相通ずるものがあると思います。子どもたちには、学校でも地域でも「誰かの役に立つことはうれしいことだね」と話しています。
 ある時、特別支援学校の校長先生とお話しする機会がありました。先生は、「どんな障害を持っている子どもでも何かできることがある。それを活かして社会に貢献できるようにすること、そのことに子ども自身が喜びを感じることができるように指導すること、それが特別支援学校の使命です」とおっしゃっていました。これは、障害があろうとなかろうと、才能があろうとなかろうと、人として誰もが生きがいにできることだと思います。「お役に立つ人になりましょう」と、私が子どもの時からずっと先生にご教導頂いたことは、学校でも実践できるのだと思いました。そして、そのような願いを持っていると、神様はちゃんと私の願いを受け止めてくださるのだと思うことがありました。

小さなきっかけから
 東日本大震災から5年、山口にいる私はなかなか現地に赴くことはできませんが、「何かお役に立たせていただきたい」という願いをずっと持っていました。
 昨年の10月、私の勤める小学校で講演会がありました。そこに、地元の兄弟デュオが講師として来てくれました。講演会といっても、歌が専門の二人なので、歌とおしゃべりの楽しい会でした。そのなかでお二人が、「年が明けたら福島県に支援活動に行ってくる」というお話をされ、「何か支援していただけるなら持って行きますよ」と言ってくださいました。6年生の子どもたちに「何かできることはないかな」と声を掛けると、募金を呼びかけるチラシができ、それを全家庭に配ったところ、2万円という額が集まりました。
 彼らや福島の方と相談した結果、1万円でこちらの特産品を買って持って行ってもらい、残りの1万円で福島の詩人の詩集や震災の記録集など、現地の本を買ってきてもらうことになりました。その様子が山口のケーブルテレビや福島の地元新聞に取り上げられたり、届けた先の小学校からお礼の手紙を頂いたり、意気に感じてくださった福島在住のミュージシャンがお礼にと自分のCDを百枚プレゼントしてくれたりと、大きな反響を呼びました。
 「お役に立ちたい」と願っていた私の願いが、こんな形で実現することになったのです。しかも、一回きりのことではないのです。まるで一粒の種が根を張り、枝を伸ばし、花を咲かせ、また次の種をつけるかのように続いているのです。
 そのことがきっかけとなり、二人が、私が勤めている小学校の歌を作ってくれることにもなりました。子どもたちだけでなく、保護者や地域の方たちを巻き込んで、一緒に歌詞を考えました。その結果、元気な明るい歌ができて、みんなが振付つきで歌うようになりました。私が、二人に「歌ができて子どもたちが喜んでいるので、卒業式に歌おうと思います」と伝えると、「じゃあ、僕たちも来ます。一緒に歌いましょう」と、なんと卒業式に出席してくださることになりました。その時に、彼らが感慨深げに「小さなきっかけがこんなにタイミングよく、次から次へといい展開になるなんて最高です」とおっしゃいました。人間がどうにかしようと思ってできることではないこの一連の出来事に、私は心のなかで神様にお礼を申し上げました。あらためて、神様は氏子のことをずっと見てくださっていて、一番いい時期に一番いい形でおかげをくださるのだと思いました。

神様は無駄事はなされない
 現在、私は教会だよりの編集委員として、カメラマンが撮った写真と、教会の信心テーマとをつなげて短い文章を考えるご用をさせていただいています。読んでくださった方から「上手に作られますね」と言われますが、これは私の力ではありません。信心テーマを心に唱えながらご祈念をして写真を見つめていると、ふっと思い浮かびます。それを読みやすいように、伝わりやすいように、推敲(すいこう)を重ねながら書いています。
 また、教会の月ごとの信心目標について、1200字程度の随筆文も書きます。これは毎回ではありませんが、なかなか力のいるご用です。しかし、決められた信心目標について考えながら生活をしていると、その信心目標につながる出来事が起き、そこに思わぬ心情が生まれ、それを文章にしていきます。神様、先生が使ってくださっていることを実感します。
 次号の教会だよりの信心目標は、「青少年の成長を祈る」でした。私はずっと、「わが子に信心を伝えたい」と願い続けていますが、なかなか順調にはいきません。子どもたちが教会にすすんでお参りしているようにも、信心をさせていただいているようにも、なかなか思えないでいます。それでも神様がその都度、本人たちが神様に心を向けないとどうにもならないような出来事を差し向けてくださいます。それは難儀であることが多いですが、その難儀をとおして、子どもだけではなく、親である私も修行をさせていただきます。そして、わずかずつではありますが、親も子も神様に心を向けることができるようになります。本当に、神様のなさることに無駄事はないと実感している今日この頃です。

(2016/9)

   




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