神人あいよかけよの生活運動

HOME › 教会信奉者の方へ › 神人あいよかけよの生活運動 › 「教報天地」運動のページ

金光教報『天地』 12月号 神人あいよかけよの生活運動


「教祖様に始まる祈りを今に」  巻 範子(島根・雲城)

吉備舞をお供えしたい
 私の在籍教会は、初代である祖父が雲城の地に布教し、今年で71年になります。昨秋には、生神金光大神大祭に併せて布教70年祭をお仕えし、教会として「ご先祖と共にお礼と喜びのみ祭りを頂く」ことに取り組みました。
 私個人としては、「神様、霊様、皆様に喜んでいただけるみ祭りを」ということを心に、数年前から、「吉備舞の二人舞を奉納させていただきたい」と願いを立てていました。
 教会では、代々かつがつではありますが、今日まで途切れることなく、ご大祭で吉備舞を奉納させていただいています。
 私も児童期より奉納させていただいており、また、金光教学院卒業後は、ご霊地で御用させていただく中で、吉備舞の先生から教えを受けながら、指導員としてお取り立ていただきました。このように長い間、吉備舞をとおしてお育ていただいてきた私ですから、神様へのお礼は自ずと吉備舞に至りました。
 教会では、ここ数年、なかなか新しい舞人さんが育たず、最近は毎年、23歳になったEちゃんがご大祭、霊祭に奉納してくれます。それもありがたいのですが、私は「記念祭には特別のお供えをさせていただきたい」、また「吉備舞をとおして、若い人にご信心のお育てを頂けますように」という願いをお取次頂いてきました。
 そして、「Kさんの娘さんが、記念祭の年には4歳と8歳になるから、Eちゃんと3人で舞うのもいいな」など、思いを巡らせたりしていましたが、記念の年を迎えても、それは実現しそうにありませんでした。

お世話になったお礼に
 そんなある日、地元の大学に通うSちゃんがお母さんと就職のお願い参りに来ました。お茶を飲みながら話をしていると、教会の窓から見えるNさんのお宅の方を見て、Sちゃんのお母さんがふと、「Nさん、『Sちゃんの舞が好きだ』って言って、舞い終えたらよくお菓子くださったよね」と言われました。私はNさんがそのようにSちゃんに声を掛けてくださっていたことを初めて知り、うれしい気持ちになりました。Sちゃんも小中学生と舞の御用をしていたのですが、高校に入ってからは部活動などで忙しくなりました。「実はNさん、今年の1月に95歳で亡くなられたのよ」と伝えると、Sちゃんはとても残念そうでした。
 そのような話の流れの中で、私は思い切って、「記念祭に吉備舞のおかげ頂かない?」とSちゃんに言いました。Sちゃんは「私、8年くらいしてないから無理だと思います」と言うので、「記念祭だから、二人舞のお供えをしたいと思ってるの。まだ時間もあるし、Eちゃんと一緒だから大丈夫。神様やおじいちゃん、亡くなったおばあちゃん、Nさんも喜んでくださると思うよ」と私の気持ちを伝えると、Sちゃんはしばらく考えて、「じゃあ、お世話になったお礼にさせていただきます」と言ってくれました。
 Sちゃんは、幼い頃から少年少女会に参加したり、吉備舞もしており、繊細で優しい性格から、思春期にはいろいろ悩み、教会でお取次を頂きながら乗り越えてきました。そんなSちゃんから「お世話になったお礼」という言葉が出たことを、私はありがたく思いました。
 Sちゃんの就職活動は、なかなか自分の思うようにいかないようでした。お取次を頂き、親先生から「皆に喜んでもらえるように。お願いしとるからなあ」と言われて力を得たそうです。そして、当初は県外を希望していたのですが、ご両親の願いでもある地元の会社を受けると、すぐに内諾を頂き、就職先が決まりました。
 Sちゃんは「残り1単位が取れていないので、それが取れたらお稽古を始めたい」と言っていましたが、このことも予定より早くおかげを頂き、大学やアルバイトの合間をぬってお稽古をさせていただきました。相方のEちゃんは、「小さい頃、お姉ちゃんと二人でしたことがあるけど、本格的な二人舞は初めて」と言いながら、二人とも真剣にお稽古に取り組みました。
 Sちゃんは、お稽古をとおして、一人で教会に足を運ぶようになり、お母さんと参拝する時と同じように、必ず境内にある教会の奥城にお参りしていました。ちゃんと信心が伝わっていることをありがたく思います。
 ある日、お稽古をしていると、私の携帯電話が鳴りました。相手はSちゃんのお兄さんでした。「お稽古中すみません。実は、母が倒れて、今病院にいるので、Sに伝えてください」とのことでした。電話を代わると、聞き終えたSちゃんは血相を変え、お結界で「お母さんを助けてください」とお願いし、病院に向かいました。過労による高血圧との診断で、一時入院治療を受けましたが、すぐにはよくならず、血圧が正常になるまで3週間ほどかかりました。
 これまで、家族親族の事や、仕事にと、パワフルにこなしてこられたので、そのお母さんが倒れるなんて思いもしなかったのでしょう。Sちゃんは、大変ショックを受けていました。お稽古の時、「これからは、教会の御用も代わりに私がさせていただきます」と言うので、「お母さんと一緒に御用させていただけたらありがたいね」と言わせていただきました。
 そのような中でも、おかげを頂いて、記念祭当日、「お道よ永久に」の二人舞を奉納させていただくことができました。
 一方のEちゃんは、この記念祭を区切りに吉備舞の御用は卒業させていただこうと思っていたようでした。しかし、今年になって、「私から言った事ですが、やっぱり吉備舞の御用をさせていただきたいです」と言うのです。Eちゃんは、自宅が教会に近いこともあり、自分の事、家族の事、友達の事、職場の人の事など何事もお届けをされます。お取次を頂けること、御用を頂くありがたさを感じていることをありがたいと思わせていただいています。


み祭りは神様がなさる
 24年前にお国替えした祖父と、今も御神米調整や庭掃除を自分の御用としている祖母の子どもは、私の父を筆頭に、5人が皆それぞれにお道の御用にお使いいただいています。祖父は「神はわが本体の親ぞ。信心は親に孝行するも同じこと」という教祖様のみ教えを特に大切に頂いていました。常に「お道の御用をさせていただくことが何よりもありがたく尊い」と話し、子どもたちが御用をさせていただくことが何よりの願いでした。布教30年祭に、「此の道をとわにゆきませまよわずに神を求めて人を助けて」と歌を詠み残してくれたことは、初代の生前、教えを十分に頂けていない私にとっては、大切な教えとなっています。
 記念祭は、「お礼の心を表したい」という気持ちで準備、お迎えさせていただきましたが、予定どおりにいかないことも多々あり、ただただ一生懸命に「お礼」の祈りを込め、「お礼」の気持ちを表しながらの一時一時でした。させていただけることを最大限にと思いながらも、できることは限られ、行き届かないことが多かったと思います。
 けれども、記念祭を終えてお見送りした皆さんの笑顔の中に、「神様が喜んでくださっている。初代が喜んでくださっている」ことを感じさせていただき、ありがたい気持ちに包まれました。
 振り返れば、はじめに願いを立てた以上のおかげを頂いたと畏れ入り、お礼のみ祭りのお礼を神様に申し上げました。
 父が、いつもご大祭に当たり、「み祭りは神がなさる。私たちはその御用、お手伝いをさせていただく」と話していたことを、このたびのご大祭で見せていただいたことが何よりのおかげだったと思っています。

まず身近なところから
 話は変わりますが、私の友人に、結婚と同時に難儀が降りかかったOさんという方がいます。ご主人が大学を卒業して市役所に就職したのと同時に、ご主人のお父さんが事業に失敗し、倒産したそうです。ですから、ご主人は就職したものの、親の借金返済を全面的に背負うことになりました。Oさんは、そういう借金を背負った方とご縁あって結婚したのです。
 知り合ってから6年余りですが、時々会っていろいろな話をします。ほとんどが聞き役ですが、よくもまあ、こんなにさまざまなことが起こってくるものだというほどです。ご主人の精神的な病、娘さんの病気、姑さんのけがや病気など。でも、本人はいたって元気で朗らかな人です。彼女がいつも言うのが、「それが不思議と仕事に差し支えがないんだわ。休みのタイミングだったり、夜すっ飛んで駆け付けて、朝には帰れるとかね」。根底には、親戚付き合いや金銭面で自分に任せきりの姑さんと、自分への理解がないご主人への不足があり、愚痴を聞いてもらいたいようですが、言いながらも、家族のためにどうにかしようとしている。その時は、まさに神心なのです。そういう人だからこそ、そこに神様の働きが生まれているのだと思います。 私は、彼女の話を聞いた後は、聞かせてもらった内容を祈らせてもらっています。私と出会って心が軽くなったと言ってくれますが、私も、ある面、彼女の物事の受け止め方に教えてもらうことが多いのです。
 ご主人は、病を発症しながらも仕事が続けられており、昨年、借金も完済できたとのことです。3人のお子さんも、思いやりのある優しい子に育ち、当初、病気を抱えて生まれてきた娘さんは、今は結婚してお子さんが生まれました。私は、「Oさんが嫁いで、幸せな家庭になってるね」といつも口をついて出ます。
 先日話した時、孫のことは顧みなかった姑さんが、ひ孫は時々見に寄ってかわいがっていると話し、「お義母さんも、性格もあるけど、借金を返すことで余裕が無かったんだと思う。感謝が足りなかったかな」と、つぶやいていました。彼女自身やご家族が、より幸せの道をたどられますように祈らせていただきたいと思います。
 人を「助け」ることは容易ないし、「導く」ことはもっと容易ならない私です。しかし、「祈る」こと、また、祈りを持っての行動はさせていただけます。教祖様をはじめ、歴代金光様、そして初代の祈りを手本に、身近なところから祈りを広げていき、神様のお役に立つ生き方をさせていただきつつ、教祖様の開いてくださった「神人の道」を歩ませていただきたいと願っています。
(2018/12)

   



このページの先頭へ