神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 3月号 神人あいよかけよの生活運動


神様は無駄事をなされない 中村 清一(宮崎・小林)

「命をお授けください」
 私は大学生の時に、悩みを抱えていた時期がありました。誰にも相談せず、悶々としている最中、教会から一冊の本が送られてきました。それは、四代金光様のお取次の内容などが書かれた『生きる力の贈りもの』という本でした。
 時々、両親から御神米や手紙と一緒に、教内の冊子が送られてきましたが、いつもは本棚に並べているだけでした。しかし、その時はそのような状態もあって、手に取って読んでみました。
 すると、物事のとりこになっている自分の姿や、できていないことばかりを見ていた姿など、自分に当てはまるようなことばかりで、この本のような生き方ができれば楽になるのではないかと思い、もっと金光教を知りたくなり、学院への入学を志しました。
 今では、その経緯の一つひとつが、神様や金光様、両親をはじめ、ご縁のある方々の祈りの中での出来事だったと思いますが、当時はそのような思いはなく、自分のことばかりに心が向いていたように思います。学院に入学した年が、ちょうどサッカーの日韓ワールドカップがあった年で、私が観たいのを知っていた父が、全試合を録画してくれていたのには驚きでした。
 あれから16年が経った今、一番、自分自身に迫ってきていることは、「神様から生かされて生きている」ということです。そのことをさまざまな出来事をとおして気付かされ、考えさせられ、実感し、喜びが増えてきました。
 まず、私にとっての大きな出来事は、私の出生に関わってのことです。母の胎内で命を授かって5カ月目のこと、それまで順調に育っていましたが、突然破水し、私の命がどうなるか分からないような状態になりました。流産すると私は当然、この世に生まれるはずもありません。両親は不安もある中、また祖母をはじめ、縁ある方々が、「どうぞ、この子が(神様の)お役に立つ子であるなら、命をお授けください」と懸命に神様に願ってくださいました。その祈りの中で、破水した母体の状態も回復し、その後は順調に母の胎内で育てられ、少し小さかったそうですが、私はこの世に生を受けました。
 この話は、小さい頃から、母親にたびたび聞かされてきました。小学校の作文に、医師や看護師さんに助けてもらったということを書いたのを覚えていますが、当然実感もありませんし、ましてや、その時の両親の気持ちがどうだったか、両親の信心がどういうものだったのかなど考えることはありませんでした。
 そして、その後も深く考えずにきましたが、学院で信心を学んでいくうちに、このお道の神様はどういう神様で、どういう願いを私にかけてくださっているのかなどを知るようになり、両親がお取次を願いながら、神様から命を頂いたありがたさ、心強さを思うと同時に、「神様のお役に立つ子であるなら…」との祈りに、もし金光教を離れたら、私の命はどうなるんだろうと考えることもありました。
 信心させていただくうちに、私は神様からたくさんのお繰り合わせのおかげを頂いていることに気付かされました。年を重ねるとともに、私自身が出生に関わっての頂き方が変化していきますが、振り返ってみると、私がまだ信心を求めていない時にも、親先祖の祈りの中で、神様からお繰り合わせを頂いていたと思わせてもらう出来事があります。その一つが祖父の死です。

祖父の死に際の言葉
 小林教会初代教会長の祖父は、19歳の時に布教に出ました。平成6年に心筋梗塞で亡くなるまでの65年間、神様の御用にお使いいただきました。その命が尽きる直前、病院のベッドの上で横になった状態で、大きな声で「ありがとうございます」と3回続けて声に出して亡くなりました。当時、中学2年生だった私は、「死」というのは怖いものだと思っていたので、その間際にお礼を言う祖父の姿に、驚きと疑問を覚えました。その時は、誰に、何に対しての「ありがとうございます」だったかは、寂しい思いもあって深く考えることはありませんでしたが、ずっと私の心に引っ掛かっていました。
 その後、信心を求めていくうちに、祖父がどういう信心をしていたのかを知りたくなりました。残されている祖父の教話を聴いたり、両親や信者さんから祖父のことを聴かせてもらう中で、祖父が多くの難儀に直面し、神様にお縋りしながら生きてきた人生が見えてきました。
 13歳の時に家庭の事情で一人親元を離れ、親戚の家に預けられて育ったこと。母親の願いで親孝行と思い、教師を志し、布教に出たこと。布教後の厳しい環境に逃げ出したい思いが生まれる中、三代金光様を頂きながら辛抱し、おかげを頂いてきたこと。長男を3歳で亡くしたこと。34歳の時に心臓弁膜症と診断され、余命3年を宣告されたことなど、祖父のことを知るにつれ、神様を離さずに信心辛抱してきたことがうかがえます。晩年の教話などでは、数々の難儀に出遭い、お取次を願って取り組みながら、神様からおかげを頂き、難儀なことさえもありがたいこととして話していました。
 私が教師にならせていただいた後、経済的なことで悩んでいる時期がありました。その事をある先生に話すと、「初代のご苦労に比べれば、全然いいじゃないですか」と言われました。確かにそのとおりで、初代が苦労しながらも、三代金光様や親教会にお取次を願い、信心辛抱しながら布教に立ってくださったから今の教会はあります。祖父が余命の宣告どおりに亡くなっていたならば、父もこの世に生まれていないのです。その時に言われた言葉は、私が何を芯にしているかを投げ掛けられた言葉になりました。
 祖父が死ぬ間際に言った、「ありがとうございます」という言葉は驚きでしたが、そのことが祖父の信心を求めるきっかけにもなり、ずっと神様からおかげを頂き続けている家柄、私自身であることに気付かされました。祖父の死に際を見せていただいたことは、今現在、私が信心を求めるに当たって、大きな財産となっています。そのようなことを気付かせていただき、神様にお礼を申すことが増えていく中で、私の身にも大きな出来事が起こりました。

心が痛んだ妻の涙
 私たち夫婦は結婚後、子どもを授かりたいと強く願い、教会でお取次を頂いてきました。私は神様にお願いしつつも、どこかで子どもはすぐに授かることができると、安易に思っていました。しかし、月日だけが流れていき、自分の思いを改めさせられていきました。
 その都度、夫婦でお互いの思いを聴き合いました。思いを吐露しながら、今、おかげを頂いていることを二人で考え、確認していくことを繰り返しました。人間の無力さ、命を授かることがどれだけ尊いことかも話し合いました。不妊治療の話も出ましたが、治療している方々の話を聞かせてもらい、経済的なことや治療ができる病院が近くにないこともあり、治療はしないことに決めました。 そういう状況でしたので、一昨年の5月に妻の妊娠が分かった時には、家族一同喜びも大きいものでした。しかし、週数が進んでも心音が確認されません。いよいよ次の診察までに心音が聞こえなかったら、手術の判断をすることになりました。結局、最後まで心音は聞こえず、エコー検査のモニターには、前の診察まで羊水がたまるために丸い空間があったのですが、いびつな形が映し出されていました。それを見た時に駄目だったんだと悟ることができ、後日、手術をしていただきました。
 夫婦ともに落ち込みましたが、妻のショックは計り知れません。手術後、教会でお届けしている時やテレビを観ている時、会話している時などに、妻は自然と涙がこぼれます。私に気付かれないように涙を拭く姿を見ると、心が張り裂けそうでした。そういう状況の中で、妻から「このことがおかげかどうか分かるのは、次に子どもを授かった時だと思う」と言われた時には、ただ聴くことしかできませんでした。

命と向き合ったからこそ
 それから1年が経った昨年6月、再び妻が妊娠していることが分かりました。最初の妊娠からここまで、多くのことに気付かせられました。神様に「願う」ということが自分中心になっていたこともその一つです。
 小林教会は一昨年11月4日に、布教90年の記念祭をお迎えしましたが、最初はそれまでに子どもを授かりたいとお願いしていました。流産した後、子どもを授かれないままにその時期が過ぎると、今度は記念祭の御用に差し支えがないようにとお願いをしていました。振り返ると、自分に都合のいいように神様に合わせていただくような願いになっていました。その願いどおりにいかなかったことで、もう神様にお任せするしかない心境にならされていました。
 そして、神様は私たちに子どもを授けてくださいました。その時期も一番都合のいいようにお繰り合わせをくださいました。
 妻は以前から昨年5月の郷里の教会の大祭での御用を切に願っていました。その御用もでき、妻の両親にも喜んでもらえることができました。11月の当教会での記念祭も御用させていただくことができました。私たちの都合だけでなく、万事にお繰り合わせを頂いたのです。その事を思うと、子どもを授かるという願いだけでなく、その時期までも自分の都合でお願いしていたことを反省させられると同時に、神様から生かされ、願われ、育てられている喜びを感じます。
 また、一連の出来事をとおして、私の出生に関わる出来事も、両親がどれほどの願いを私にかけてくれていただろうか、どれほどの喜びであっただろうかと思うようになりました。子どもを授かれない時に、金光様や親教会、さらにはお互いの両親に話を聴いていただきました。私が流産しかけた時、母のおなかにいる間、出産に至るまで、私自身がどれだけ神様や金光様、親先祖など、たくさんの祈りがあって授かった命であったかということを思わせられました。そう思うと今度は、祖父が幼くして長男を亡くした時の気持ちや、祖父が余命を宣告され、死を見つめる中での思いがどうだったかまで思いを巡らされました。
 神様は無駄事はなされないと教えていただいていますが、今まさにそう感じています。これからも神様の願いに気付かせていただき、自ら無駄事にしない生き方を求めてまいりたいと思います。
(2019/3)

   



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