神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 4月号 神人あいよかけよの生活運動


私の性格改造計画―神様のお働きをいただいて―  中西 美由祈(新潟・直江津)

人の痛みが自分の痛みに
 私の実家は、熊本県にある教会で、父が教会長をしています。私は、父がご本部で御用をしていた時に金光で生まれ、6歳で熊本に帰ってからは、小学校入学から高校卒業までを熊本で過ごしました。
私は、小学校・中学校と学校を休みがちで、いわゆる不登校の時期を過ごしました。当時、仲の良い友達がいたのですが、その子の家庭環境の悩みを聞いているうちに、私自身が苦しくなっていき、朝学校の支度をしていると、頭痛や腹痛を起こすようになり、学校に行けなくなりました。人の心の痛みが自分のことのように思え、どんどんつらくなっていったのです。
 中学生になると、その友人がリストカットを繰り返したり、夜も家に帰っていなかったりと、私には考えられないような生活を送るようになりました。そういう話を聞くと、なおのこと友人を助けたいという思いに駆られるのですが、その子の家庭の問題を、子どもの私にはどうすることもできませんでした。その友人も次第に不登校になり、心配で何とかしたいと思うけれど、私も学校に通えないという悪循環が続きました。
 ある日、その友人は、家庭の事情で転校してしまいました。最後に会ったのがいつなのかも分からないくらい突然のことで、私は、「あの子を助けてあげられなくて、学校から逃げてしまった」と自分を責めていました。家族からは、「あなたのせいではない」となだめられましたが、素直にそう思えず「私があの子を追い込んだんだ」という罪悪感で心がとても苦しくなりました。
 「こんな私はこの世から消えてしまった方がいい」とまで思い詰め、毎晩、神様に「明日の朝、目が覚めませんように」と、本気でお願いして眠りに就くのですが、翌朝には必ず目が覚めます。今思えば、なんてご無礼なお願いをしていたのだろうかと思うのですが、当時の私は、本気でそのようにお願いをし、朝目が覚めると絶望する、ということを繰り返していました。
 それでも、頑張って学校に行くことができた日は、教室に一歩入ると、クラスの友人たちが笑顔で迎えてくれ、一日が楽しく過ごせました。しかし、楽しく過ごせたら過ごせたで、今度は、「私だけ楽しんでいいのかな」という罪悪感が私を責めるのです。その日その日で、心と体の調子が違うという中学時代を過ごしました。

「あ、私これで変われる」
 中学3年生になると、いよいよ進路を決めなくてはならない時期になりました。学校に通えていないこともあり、私の学力は低く、公立高校は頑張っても合格率50パーセントということで、私立高校も受験するように勧められました。
 担任の先生は、家庭科の被服コースがある女子校を紹介してくれました。学校には通えていませんでしたが、家庭科と美術は大好きで、小学生の頃から、手先を使って何かを作るということも得意でした。先生は、「あなたにはこの学校が合っているから」と強く勧めてくれました。
 私には、どうしても自分が高校に通っている姿が想像できず、公立高校の方が学費も安いのに、と思っていましたが、「でも、先生がそこまで言うなら」ということで受験が決まりました。
 受験する高校が決まってからも、なかなか学校に通うことはできませんでしたが、自分で問題集を買うなど、遅れていた勉強に自分なりに取り組むようになり、試験の日を迎えました。私立高校の試験が先にあり、試験当日の朝、教会のお結界で父にお届けをしました。父は、「テストを始める前に、心の中で『金光様、どうか今まで勉強してきたことをすべて出させてください』とお願いしてから始めなさい」と言ってくれました。
会場まで送ってもらい、試験を受けました。心の中でお願いをすると、とても落ち着いて試験に臨むことができ、終わってから、正門まで迎えに来てくれていた父に、「かなりできた!」と言ったことを今でも覚えています。そして後日、合格通知が届きました。「こんな私でも合格できた」ことがすごくうれしく、担任の先生もとても喜んでくださいました。
 続いて、公立高校の試験があり、クラスメートと一緒に受験しました。しかし、何となく学校の雰囲気に居心地の悪さを感じ、受験をしながら、「もしここに受かっても、ちゃんと通うことができるのか。また不登校になってしまうのではないだろうか」と不安になりました。合格発表は卒業式の翌日で、友人たちと一緒に見に行きました。結果は不合格で、友人たちは全員合格していました。それまでの私であれば、みんなと同じでないと不安になったり、恥ずかしい思いでその場を去りたくなっていたと思いますが、その時は、不思議とそのような感情は一切なく、むしろすっきりとした気持ちだったのです。「あ、私これで変われる」という思いが自然と湧き起こり、光が見えたように感じました。

初めて知った神様の温かさ
 高校が始まるまでの春休みの間に、「私は変わるんだ!」と強く思い、自分で「性格改造計画」と名付け、「今までの弱い自分を変えたい」ということを願いとして、それまでの自分ではしなかったことを積極的にしていこうと意識しました。
 まずは形からということで、髪を切りに行き、一度も手を入れたことのなかった眉毛を整えてもらいました。それだけでも、すごくさっぱりし、生まれ変わりのスタートを切れたようでした。
 その頃、父から、「天は父、地は母。天と地の間に住む人間は、神様の懐に包まれているんだよ。だから、どこにいても神様が守ってくださるからね」という話をよく聞いていました。それまでも、折に触れて神様の話をしてくれていましたが、この頃、初めて神様の温かさを感じることができたと思います。
 それまでの私は、人の目が気になって、買い物にも一人では行けませんでしたが、勇気を出して一歩踏み出してみると、思いの外、落ち着いていられました。道の上を歩いていると、自然と神様の上を歩かせてもらっているという気持ちになり、空を見上げると、神様に包まれているように感じました。それまでの町の景色とは全く違った、キラキラした景色が広がっていました。
他にも、食事の後片付けなど、自分がやりたくないことや面倒だと思うことに、率先して取り組むよう心掛けて生活していると、だんだんと毎日が楽しくなっていき、目の前の世界が開かれていくようでした。
 そして、春休みの間に性格を180度変えることができ、私立の女子校に入学しました。その学校には同じ中学校から入学した人が少なく、私のこともほとんど知らない人ばかりだったので、「性格改造計画」を進めるには好都合でした

神様と共にあること
 高校の3年間は本当に幸せでした。高校で出会った友人とは、いまだに連絡を取り合うほどの仲になり、一生の友にも出会うことができました。また、私の好きな裁縫を教わることができ、小・中学生の頃には想像もできないくらい、授業では一番前の席に座り、積極的に手を挙げ、分からないことはその都度先生に尋ねたりと、学ぶことの楽しさを初めて知りました。
 検定試験も積極的に受験させてくれる学校だったので、家庭科目の調理検定や被服検定はもちろんのこと、ホームヘルパーといった福祉関係の資格も取得することができ、試験に合格するたびに自信もついていきました。
 その他にも、生徒会の仕事をお願いされたり、高校総体や国体が熊本で開催される年に在学していたので、そのスタッフをさせてもらったりと、面白いほどいろいろなことを経験させてもらいました。その都度、「私にできるのだろうか」と不安になったりもしましたが、神様にお願いしながら一つひとつ丁寧にさせてもらい、道が開かれていきました。
 この学校を勧めてくださった中学校の先生には今でも感謝しています。そして、この道をつけてくださったのも、神様のお働きあってこそだと思います。中学時代に毎晩、「目が覚めないように」と願っていたことを思うと、神様に命を頂いているということを実感するのです。
 そして、高校時代も悩みを抱えている友人の話を聞く時には、何とか解決の道を探り、いつも神様にお願いをしながら聞かせてもらうようになりました。そうすると、友人の悩みに押しつぶされるということも減り、物事がうまく進んでいくということが多くありました。それまでは、自分の力で解決しようとしたり、「私が何とかしなくては」と思っていたから苦しくなっていたのだと気が付きました。私が、教務センター職員のお話を頂いたのは、学院卒業後、教学研究所の研究生を経て教会に帰り、教会の御用を中心にさせていただいていた時期でした。また、結婚をし、第一子がもうすぐ生まれるという時期でもあったので、内心お断りするつもりでいました。家族も同じ考えだろうと思い相談したところ、思いがけず、「受けさせてもらったら」という意見でした。それで、やっと腹が決まり、教務センターの御用を受けさせていただきました。

一冊の本に出会って
 「神様は無駄事はなされない」とよく言われますが、まさにそうだなと思います。不登校を経験したからこそ、今の私があります。私は3人の息子を頂いていますが、子育てをする中で、日々子どもたちを怒ったりすることもあります。それでも「楽しいなあ」と感じます。その喜怒哀楽を感じることができるのも、命あってこそのことだと、心の底から思えるのです。
 もちろん時々は、「何でこんなことになるんだろう」と思うようなこともあります。苦しくつらいこともあります。それでも、神様のお働きの中でのことと捉え直し、お願いをしながら事柄と向き合うようにしています。
 そのたびに、高校3年生の冬を思い出します。「朝読」といって、授業が始まる前に、各自が自由」に本を読む時間がありました。私は、高校を卒業したら金光教学院に入学しようと決めていたので、お道の本を読んでいました。その時に読んでいたのが、『四代金光様』というご本で、その中に、四代金光様が昭和33年にラジオ放送でお話しされた「明るい方へ」というお話がありました。

目の前に赤いガラスをやりますと、向こうが赤く見えます。ところが、目の前に赤いガラスをやっているということを忘れて、みな赤いんだというようなことは、これは通らぬ話です。全部の物が赤いのではなく、赤いガラスをかけたから赤く見える。青いガラスを通してみれば、向こうが青く見える。青く見えるから全部青いんだ、というようなことはありません。
こんなことは、分かりきった当たり前のことなんですが、それがさて、心の問題になってまいりますと、今申しましたように、赤いガラスをかけていることを忘れているようなことが、私自身よくある。何かつらいことや苦しいことに出会いますと、何もかもつらく思えて、つらがらなくてもよいことまで、つらいことの種にして、余計つらがっているのです。
赤いガラスではありませんが、いわば、つらいガラスを目の前にかけて、みんなつらいように思ってしまう。そんなところがある。こんなことではいけないと思うのですが、さて、つらいことに出会いますと、もうつらいことに負けまいとするような気も、どこへやらいったようなことになる。あとで考えてみて、どうしてあんなに大げさに考えたのであろうか、というようなことがよくあります。実際、苦しさに負けている自分は目がくらんで、うろたえているのです。暗い面ばかり考えずに、明るい面を考えていかねばならないと思います。誰でもよくなりたい、もっとよくなりたい、こう思います。また、みな暗いことよりも、明るいことが好きです...。

 この文章を読んだ時、目の前の霧が晴れるような感覚を覚えました。「そうだ、私はつらいことが起こると、すべてがつらく苦しくなっていた。つらいことと楽しいことは別なんだ」と気付かされたのです。そして、「つらいことはつらいこととして、つらがればいい。また、それとは別に、楽しいことは思いっきり楽しんでやろう」、そうすれば、生きていくのがすごく楽になると感じました。このお話との出会いで、私の心の整え方、心のよりどころができたのです。
 昨年末、教話の御用を頂いて、この『四代金光様』のご本についてお話をさせていただきました。その時に、18年ぶりにこのお話を読み直したのですが、高校生の頃に感じたことと比べて、もう少し深く心の中に入ってきました。つらいことや苦しいことの中にでも、おかげを頂いているということに、気付かせてもらえたのです。年月が経ち、いろいろと経験を積む中で、同じお話でも気付くことが増えてきました。これからも、折々に読み直させてもらい、信心の土台にさせていただきたいと思っています。

いつでも人は変われる
 この年末年始は、これまでなかなかできなかった押し入れの片付けをしたのですが、押し入れの中には、結婚とともに教会から持ってきた、ほぼ開けていない箱がいくつもあり、この機会に中身を整理しようと思いました。久しぶりに開けてみると、小学校から高校までに頂いた賞状を、父が大事にファイルに保存してくれたものや、通知表まで入っていました。
 結婚した時に父が持たせてくれたことを思い出し、「懐かしいな。でも、暗い時代の通知表だしな」と思いながら、それでも少し読んでみようと見返していると、学校の先生からのメッセージに、「誰にでも分け隔てなく接することができて素晴らしい」とか、「正義感が強いですね」という言葉が書かれていました。それを読んで、「私って、そんな性格だったんだな」と、客観的に当時の自分を見ることができました。
 また、家庭からのメッセージ欄には、「人のお役に立つ子になってほしい」とか、「毎日学校に行ける強い心を持ってほしい」という願いが学期ごとに書かれていました。私も親になり、その言葉を見ながら、あらためて両親の願いの深さを知ることができました。
 高校入学前に始めた「性格改造計画」で、過去の私とは別の性格に生まれ変わったと思っていましたが、以前から正義感の強さなど、「根本的なところは変わっていなかったんだ」と思います。では、何が変わったのかというと、両親からかけられていた願いを知ることができたことと、神様との出会いによって私自身が助かったことで、いろいろなことに積極的になることができ、真正面から問題を受けるのではなく、神様と共に受けていく心に変わることができたのだと思います。
 「性格改造計画」は、高校時代に完了したと思っていましたが、先日、金光図書館長の金光英子先生から、「人は刻々と生まれ変わっていくのよ」というお話を聞かせてもらいました。「性格改造計画は、「心の改まり」だと思います。「信心は心の改まりが第一」と言われますが、信心に終わりがないように、「心の改まり」にも終わりはなく、昨日より今日、今日より明日と、神様に心を向けながら、より良く生まれ変わっていきたいと、私の「性格改造計画」は終わっていないのだと願いを新たにしました。
(2020/4)

     



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