神人あいよかけよの生活運動

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教報天地 5月号 神人あいよかけよの生活運動

                        
目先のおかげ、神様のおかげ

 1月の「信行期間」に当たって、本部では「教祖様ご生誕200年─お礼と喜びの生活を─」というテーマで、「朝の教話」が行われました。その中から、近藤金雄師(兵庫・篠山)が話された内容を抜粋して紹介いたします。

道を求める父の姿
 父が本部教庁でご用していた時、常在してご用する教師がいなかった篠山教会の後継者に、という話がありました。丹波篠山は金光町より小さな、イノシシやサルも出没するという田舎町で、反対される方もあったそうですが、三代金光様の御取次を頂いて受けさせていただくことになりました。その時、母は妊娠八か月でしたので、昭和30年10月、父は単身で赴任することになりました。27歳の時でした。
 父は、新規布教の覚悟であり、それまで経験したことのない底冷えの寒さと、食べることにも窮するような状態でしたが、それ以上に、結界取次のご用の重圧や、教話の未熟さなどに落ち込み、話し相手もいない寂しさは言いようのないものだったようです。
 「いつになったら欲がなくなり、ありがたくてお礼の足りないおわびができるようになるのだろうか。祈っても祈っても、神様に届いているのか分からない。信者さんにも、どうすれば御取次成就信心生活運動(当時)や本部広前斎場ご造営のことを理解してもらえるのだろうか」と悩み、いかに何も分からない、できない、至らない、つまらない自分であるかを思い知らされるなかに、いよいよのところ、おすがりするのは神様だけだと思い定めました。そして、古いかやぶきの、定額制電灯しかない薄暗いご神前で、ただ一人、ひたすらご祈念に打ち込みました。それは神の氏子としての、道を求めての修行だったと思います。
 そのようなところを通ってきた父が亡くなり、今年で9年になりますが、その生前中、信者さんたちと話し合って、次のような信心目標を定めました。「どんなことのなかにも、私の信心を育てようとされる神様のお働きを見ようと努めて分からせていただき、神様を実感する。起きてくることを信心で取り組むようにと、神様が仕向けてくださったと受けて、本気になって実践していく」というものです。それは今もそのまま、教会のお広前に掲げています。

被害者が意識不明に
 現在、教会に参拝している青年がいます。両親に連れられて幼い時から参拝していましたが、今は結婚して親元を離れ、京都に住んでいます。
 その青年が、バイクで出勤の途中、前方をゆっくり走っていた自動車が停車したので、追い越そうとした瞬間、自転車と衝突しました。乗っていた若い女性は、倒れてそのまま動かなくなりました。青年は、停車した自動車の運転手と共に、女性を歩道まで運び、救急車を呼びました。
 病院でも女性は意識が戻らず、集中治療室に入りました。その日の昼、教会から私に連絡が入り、ご祈念してもらいたいとのことでした。女性は数日後に意識が戻りましたが、耳の後ろから髄液が染み出て止まらず、もし細菌やウイルスがついた髄液が脳に逆流したら、脳膜炎になる危険性があるとのことでした。
 青年は毎日、被害者の病室を見舞いました。そのたびに相手の両親から、「娘をどうしてくれるのか」「あんたには誠意がない」と責められました。彼は精神的に追い込まれていきました。
 青年の奥さんは、結婚するまで金光教とご縁がなく、彼の両親には「嫁に信心を伝えたい」という願いがありました。このたびの事故をどのように受け止め、どのような祈りをもって被害者やその家族と関わるか。このような大変な事態にあっても、金光教の信心をしていることで、立ち行かせていただけることを分かってもらいたいと願っていました。
 そのような日々が続いたある日のこと、被害者の両親から「そんなに毎日見舞いに来なくても、1週間に1度でいいから」と言われたそうです。その日、彼はひどい喘息(ぜんそく)が起こり、その夜だけ入院することになりました。

参拝したのに喘息が
 翌朝、奥さんから彼の両親に、「夫が精神的にも肉体的にも参っているので、家に来てほしい」と連絡がありました。両親が教会長(私の父)にお届けすると、「一度、教会に連れてきなさい」とのことでした。
 両親が、京都にある彼の家に行くと、彼は伏せっていました。「教会に参ってくるようにと先生がおっしゃられたが、どうする?」と尋ねると、「お参りしたい」と言うので、篠に連れて帰ることになりました。
 ところが、教会に参拝し、両親の家に着いた頃から、喘息がひどくなり、緊急入院することになりました。病院では、「喘息を軽くみていませんか。命を落とすこともあるんですよ」と言われたそうです。
 教会に参拝して喘息がよくなったというのなら、信心したらおかげになるということになるでしょう。しかし、教会の先生に言われて参拝したら、緊急入院することになったのです。両親は、「嫁に信心を伝えるのが難しくなった」と思ったそうです。
 病院では退院は無理だと言われましたが、「実は、交通事故でこういう事情だから」と説明し、京都に戻ったらすぐに入院することを条件に、退院させてもらいました。
 京都に戻って入院し、ちょうど被害者を見舞いに行く前日に退院することができました。そして、相手の両親から言われた一週間後に、見舞いに行けました。すると、相手の両親から、「やっぱり、あんたには誠意がない。1週間に1度でいいとは言ったが、誠意があれば何回かは見舞いに来たはずだ」となじられました。その時、彼はいっさい言い訳せず、黙って聞いていたそうです。
 しかし、その後、相手の家族にも彼が入院していたことが分かり、厳しかった態度も落ち着かれたということでした。被害者の女性も、危険な状態だったそうですが、それから一か月たたないうちに退院されたということでした。

先々までのおかげ
 彼は、もし自分が元気であっても、相手の言われるまま、1週間後に見舞いに行くつもりでした。教会に参拝して、喘息で入院していなければ、相手にどのように言われても仕方のないところで、その後の道がついていたかどうかも分かりません。人間考えでは、教会に参拝して神様にお願いしたら、すぐにでも喘息がよくなることがおかげと思いがちですが、神様はさらに先のことまで都合をつけてくださっていたのです。
 彼の奥さんも、神様の大きなお働きを感じたようで、彼の両親が願い続けてきた信心継承ということにも道をつけてくださいました。
 信心して、どうして困ったことが起こってくるのか。それならば、信心しなくても同じではないか。そのような思いになる時は、目先のことしか見えていないからです。実は、先々の立ち行きまで神様は用意してくださっているのです。今の境遇を嘆き、神様のお働きが信じられず、信心から遠ざかってしまえば、せっかく神様が用意してくださっているおかげが無駄になってしまいます。私たちが信心させていただいている天地金乃神様は、人間の助かりをひたすら願ってくださっている親神様です。そのことを頂いての信心辛抱こそ大切であり、先々のご時節を頂くことが大切なのです。

おかげのなかでの難儀
 父は常々、「起きてくるどんなことのなかにも、神様のおぼしめしがこもっているのであり、私たちが助かるようにと神様がお働きくださってのことである。その神様のおぼしめしをありがたく受けさせていただいて、本気になって信心で取り組むように」と教導していました。
 昭和57年の教会長信行会時に、四代金光様が次のようにお話しくださっています。
 「難儀が助かりたいとお願い申すのでございますが、難儀を土台にして、困ったことを土台にして、お願いするのではなくして、教祖様がお道をお開きになり、そのご縁につながらせていただいて、今日までお世話になっておかげを頂いているから、難儀なことをお願いすることができる、そこを土台にしてのお願いなのであります。
 喜怒哀楽の与えられている我々でありますが、度が過ぎますと、喜怒哀楽が先に立って、目が覚めて後のことであるという順序が、つい狂うてくるということを、私自身、反省させられることが多いのでございます。
 おかげのなかで難儀をしておるから助かるのであります。難儀のなかにおるのであったら、どこへ行っても難儀であって、どうすることもできんのでありましょうが、天地の限りなき恵み、教祖様のおかげ、そういうなかでいろいろなことが起こっているのであります」
 教祖様ご生誕200年の今年、「神の氏子」として実意に生きられた教祖様のご生涯に思いをいたし、親様のみ教えを実意に守っていかれた歴代金光様のご信心のあられ方を習わせていただき、何事も教祖様のご縁につながるおかげのなかでのことであり、「痛うてもつろうても生きているのがあなたの御恩、いつまでも忘れはいたしませぬ」というように、神様の広大なおかげの世界をしっかりと自覚し、「お礼と喜びの生活をすすめ」ることに取り組ませていただきたいと願っています。

(2014/5)


   



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