神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 1月号 神人あいよかけよの生活運動


何事もまず「おかげ」

 名古屋センター主催の「信心の喜びを語る集会」名古屋会場での教師発表で、大場美子師(静岡・袋井)が話された内容を紹介いたします。


おかげを頂いての入院
 昭和46年の夏、父(奈良教会先代教会長・小野敏夫)が、本部での会議の帰りに金光駅で意識不明になり、金光病院に入院しました。糖尿病で、医師から「普通は血糖値が200で危険、500で危篤状態になる」と言われましたが、その時の父は870もあったのです。
 私はその時、修徳殿での青年信徒入殿に、教会の青年会のメンバーと入殿していました。入殿一日目の金光様お退けお見送りの折、教学研究所でご用をしていた兄から、「父が金光駅で意識不明になり入院したが、最後まで入殿のおかげを頂くように」との伝言を受けました。当時、修徳殿は金光教学院広前の下の部屋を利用していたので、消灯前の自由時間に学院広前に参拝して、父のことをご祈念させていただきました。
 入殿終了後、私は青年会のメンバーと別れて、本部広前に参拝しました。四代金光様に、「父が意識不明で入院したそうで、ただいまから金光病院に行かせていただきます。私がご霊地にいる時でまことにありがたいことです」とお礼申し上げ、お願いのお届けをさせていただくと、金光様は「お礼を先に立ててなあ。何事もここからじゃ」とみ教えくださいました。お結界から下がる時に、「生神金光大神様、生神金光大神様」というお声が聞こえ、ハッとして振り返ると、金光様は頭を下げてご祈念してくださっていました。
 父は本部での会議が終わり、宿泊先の吉備乃家を出る時に足元がふらつき、ご主人が必死で止めてくださったものの、教会でのご用のために帰ろうとしたようです。ご主人は、父の両脇を抱きかかえて車で金光駅まで送ってくださり、列車到着まで付き添ってくださいました。ご主人から様子を知らされた兄が駅に急ぎ、発車時刻の数分前に到着したところ、父はその場で意識がなくなり、すぐに金光病院に運ばれたということでした。「宿泊先のご主人のご好意と機転がなければ」「父が列車に乗り込んでいたら」などと考えると、どれだけお礼を申し上げても足りないほどのおかげを頂いての入院でした。
 病院に着くと、父の両腕には点滴のチューブや脈拍、血圧を測る装置が繋がれ、顔色も悪く、ただごとではない様子でした。だんだんと意識がはっきりしてきた父に、「団体行動を外すことはならん」と、きつく叱られましたが、「これだけはお父さんの言うことでも聞けません」と言うと、笑顔で許してくれました。
 その夜、父はベッドの上で天地書附を奉唱していましたが、吸い込まれるように意識が無くなり、昏こんすい睡状態に陥りました。それから一か月ほど意識が有ったり無かったりの状態が続きましたが、父は絶えず「生神金光大神様、生神金光大神様」と唱え、時には天地書附も唱えているようで、看病している私の方が励まされました。
 危険な状態のなか、兄が教会に帰り、母が金光に来て私と合流しました。父は意識がはっきりしている時に、私たちに「これから本当の信心を、真まことの信心をさせていただかねばならん」と言い、私には「これ以上の結構はない。親の喜びを喜んでくれる。うれしいことじゃ」と言ってくれました。
 病状は深刻で、医師からは命があることさえ不思議だと言われました。父は、尿毒症をはじめ九つの病気を併発し、再び約一か月間昏睡状態が続いていたのです。その間、私たちは金光病院に泊り込みで看病をしました。度重なる危篤状態に、その都度病院の許可を頂き、母と交代で、急いで本部広前に参拝しました。金光様にその時々の病状をお取次頂き、危ないところを超えさせていただくことができました。

四代金光様のみ教え
 3度目の危篤状態の時に、金光様が、「危篤でも命があるんじゃから、危篤と言えるんじゃろう。命がなくなったら、危篤とは言えんのじゃからなぁ。命があることをお礼申してなぁ」とみ教えくださいました。そのことを頭では分かっていても、父が生死紙一重という状況に、私はお願いが先に立ち、心の底からのお礼が言えませんでした。そんな私に、金光様は時に厳しく、時に優しくみ教えくださいました。
 私が、父の命があることに心の底からお礼を言えるようになるまで、危篤と安定期が繰り返されました。そんななか、看病しているはずの私たちが、父に力付けられ、励まされることもたびたびありました。「生神金光大神様、生神金光大神様」と、声にならぬ声でご祈念する父の姿を見るたび、私は共にご祈念させてもらい、神様にお礼申し上げました。
 ある時、「インスリンは効能の高い薬ですが、下手すると頭の組織を壊して障害が残る恐れがあります。どうされますか」と、医師から尋ねられました。現在では糖尿病の治療にはインスリンの投与が一般的ですが、当時は治験段階だったようです。「神様のお手当を頂く」と心に決めていた私たちでしたが、医師の言葉を受けて、兄が金光様にお伺いにまいりました。
 金光様は、「たとえば、向こう岸へ渡ろうと思えば、やはり船に乗らなければならない。どんなに高い波があっても、きつい風があっても、向こう岸に渡ろうと思えば船に乗らなければならないだろうが。心配だというような取り越し苦労をしても、向こう岸に渡ることはできない。やはり向こう岸に渡ろうとすれば、船に乗らなければならない。だから船に乗った上で、波の障りがないように、風の障りがないようにということを願わせていただくことが大事じゃ」とおっしゃいました。そのように「後をお願いしていく」ことを教えていただいたことで、安心して父にインスリンの投与をさせていただくことができ、おかげを頂いて次第に回復に向かいました。

ベッドの上も神の広前
 意識が少し戻ってきた頃、医師がよく父に簡単な足し算を聞いていました。脳に障害がないかを確かめていたのでしょう。
 意識が無くなったり戻ったりするなか、口内炎で水も喉を通らない状態で天地書附を唱えていた父が、ある時ふと、「本部広前までは参拝できんじゃろうか」と言いました。起き上がることすらできないなかでも、父が本部広前、金光様を分かっていることが嬉しくて、金光様にそのことをお届けしました。金光様は、「そうか、意識が戻ってきたんじゃなぁ。お広前まで参って来んでも、点滴を打っているベッドの上も、世界中が広前じゃろうが」といつもの温かい笑顔でおっしゃり、和紙に「世界中とのらせる神の広前の一隅にいて点滴をうく」とのお歌を書いてくださいました。そして、「一歩、一歩なぁ」とおっしゃり、「ありがとうございます」と神様にお礼を申し上げてくださいました。
 病院に戻り、父に、金光様のお歌を見せて、「一歩、一歩なぁ」とおっしゃったことを伝えました。父はしばらくそのお歌を見ていましたが、それからスーッと意識が無くなりました。しかし、数日後に意識がはっきりとしはじめ、それを境にゆっくりと回復に向かいました。

お取次の働きと広がり
 「あれだけの危篤状態、糖尿病との合併症だと、脳に障害が残ることもある」と医師は言っていましたが、父はおかげを頂き正常であることが分かりました。金光様に、そのお礼のお届けをさせていただきました。金光様が「ありがたいことじゃなぁ」とおっしゃってご祈念くださった時、私は初めて恥ずかしいほど涙があふれ、何も言えなくなり、ただただ頭を下げてお礼申し上げ、お結界から下がらせていただきました。
 母に後を任せて、私は教会に帰ることになりました。その時には、金光様から、「何事もまず『おかげ』ということを思いなさい。親が子をかわいいと思う心、子が親を思う心に勝るものはない。日に日に生きるが信心なりと思うて、一日一日大切におかげを頂くんじゃ」とのお言葉を頂きました。父の大病を願うばかりになっていた私自身が、実は神様の大みかげのなかでここにいること、足りない私に代わって金光様がお礼申し上げてくださっていたことを気付かせていただきました。
 教会に帰ると、多くの信奉者や手続きの先生方が、毎日ご祈念を続けてくださっていました。これが、「親にかかり子にかかり、親のことは子が願い、子のことは親が願い、あいよかけよで立ち行く」ことかと感動しました。
 父は四か月間の入院を経て、退院することができました。金光様にお届けをし、家族や手続きの先生方、総代たちと共に、大きな喜びのなか教会に帰って来ました。教会では、ひたすら教会長の平癒をご祈念くださっていた信奉者の皆さんが待ちわびて、教会の門の内外にたたずみ迎えてくださいました。その時の感動は、今でも忘れられません。
 教会広前で皆そろってのご祈念の後に、父は、「ありがたや天地のなかに生かされてまた新しき生命賜る」、「我ならぬ我生きてあり大いなる神の力に生き返されて」という歌を詠み、「この新しい命は一人でも多くの人と共にお取次を頂き、お取次を実現するご用に使っていただきたい。そのことだけ念願している」との願いを明らかにしました。
 父はこの大病の後、5年の命を賜りました。神様が延ばせる限り延ばしてくださった命を、父は「新しきいのちをさらに大切に新たにご用に使わせ給え」と願いながらご用にお使いいただき、真の信心の具現に向けて道を求め抜かせていただいたように思います。
 父の大病をとおして、家族一人ひとりが金光様のお取次を頂き、そのお働きを頂くなかで、兄弟全員がお道のご用にお使いいただくおかげを頂きました。また、信奉者の方々のうえにも、教会のうえにも、大きなおかげを頂きました。
 金光様は、「お礼を先に立てた信心」「どんなことも喜びとする信心」「すべておかげのなかの出来事じゃからなぁ」と、その時その時にみ教えくださり、共に生神金光大神様、天地金乃神様にお願いし、お礼を申し上げてくださいました。私の手を取り、迷わないようにお道を教えてくださったのです。この生涯忘れることのできないお導きを頂き、私のなかにその喜びは染み込んでいきました。これからも、一人でも多くの人たちと手をつなぎ、願い合い、喜び合えるご用にお使いいただきたいと願っています。

(2017/1)

   



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