神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 6月号 神人あいよかけよの生活運動


私にとって「運動」とは何か

 楠木信浩師(奈良・王寺)が金光教報「天地」6月号に執筆した内容を紹介いたします。


神様は「運動」にも宿る
 私は「神人あいよかけよの生活運動」の「運動」という言葉に引っ掛かりを覚えていました。思えば「運動」には、政治や社会的な活動として行うキャンペーンというニュアンスが感じられるので、そちらのイメージに引っ張られていたのかもしれません。
 私には「願い」の5行が、ある種のスローガンのようにも見えていました。言葉の暴力とまでは言えないものの、何かモヤモヤしたものを「運動」に感じ取っていたのです。だから、ただ唱和するだけの「運動」に、どれだけの意味があるのかと疑念を抱いていました。
 そんな私が最近になって、ようやく、この「運動」の本来の目的というか、「願い」に気付かされたのです。きっかけは、昨年の秋にご本部で開催された「運動」に関する会議に出席させてもらえたことでした。
 私は会議を前にして、ご本部のお広前にて、前方に掲げられている「運動」の額を眺めていました。案の定、初めは何か違うという感情が、ふつふつと湧き上がってくるばかりです。しばらく目を閉じて、その違和感に耳をすますことにしました。すると、ふっと「運動」が誰のためでもなく、私のための「運動」であるという思いが生まれてきたのです。そこには、紛れもなく神様の存在がありました。その瞬間に、私は「運動」の土俵に立つことを許されたのです。
 私は、私が私の「運動」になっていくために、「私の神人あいよかけよの生活運動」「私の願い」「御取次を願い頂ける、私にならせてください」「神のおかげにめざめさせていただける、私にならせてください」「お礼と喜びの生活をすすめさせていただける、私にならせてください」「神心となって人を祈り助け導ける、私にならせてください」「神人の道を現せる、私にならせてください」と「運動」の文言に少し工夫を加えてみました。そうすると、「運動」と「願い」が一つになって、すっと私になじんだような気がしたのです。
 言い換えると、その時、私は「運動」の中に生きがいを見いだしたのでした。
 「運動」を「私の願い」とする私の取り組みは、自然と神様への祈りと化しました。それによって、「運動」の「願い」は、「私の願い」であるよりも前に、「神様の願い」であると感得され始めました。
 そして、神様から「あなたも神人あいよかけよの生活運動に取り組んでくれ」「御取次を願い頂いてくれ」「神のおかげにめざめてくれ」「お礼と喜びの生活をすすめてくれ」「神心となって人を祈り助け導いてくれ」「神人の道を現してくれ」と頼まれているのかもしれないと、そんな気さえしてきたのです。
 「運動」を媒体にして、神様と対話できるとは、うれしくも驚きであり、一つの発見でもありました。「運動」をとおして、「御取次」を頂けたことが、私にとっては思いも寄らぬ出来事だったのです。
 私の身勝手な「運動」に対するレッテル貼りが、私から、「運動」に宿る神様の「願い」を、遠ざけてしまっていたことを思い知らされました。それは同様に、私の身の周りにあるさまざまな事物に関しても言えることで、私の思いも寄らぬところにこそ、神様が潜んでいることを、暗に示しているようにも思われます。
 数年前に登山した時、私が山に足を踏み入れると、アブがまとわりついてきました。うっとうしいので、私はアブを手で追い払おうとしたその時に、「アブ(私)のすみかに無断で踏み込んだのは、お前じゃないのか」と何者かに問いただされたのです。
 まさに、私の思いも寄らぬところに神様が潜んでいた、そんな感じです。

「知っている」落とし穴
 あらためて、この「運動」に関わる過去の文章を読み返してみると、「一人ひとりの生活に…」という言葉に目がいきます。どうして、「一人ひとり」の一人に、私は私を重ね合わせることができなかったのでしょうか。
 先述したように、私は「運動」のポスターを、お達しのような権威と感じていたので、どうしてもそこから、神様を実感できる心持ちになれませんでした。また文言についても、当たり前というのか、平凡でつかみどころがない言葉の羅列に見えていたし、やはり標語の域を出ないという印象を抱いていました。
 よくよく思い出してみると、その時の私の根っこには、「運動」を前に、そんなことは言われなくても知っているという、実に傲慢(ごうまん)無礼なわだかまりがありました。
 私の「知っている」という態度が、私と「運動」の間に、目には見えない壁を築いてしまっていたのです。すべてを「知っている」という者に、誰も何も教えようとしないように、時に知識は信仰の妨げになることが、往々にしてあるのだろうと思います。
 私は、神様から遠ざかる道を、無意識のうちに選び取っていました。
 「願い」の一行目に「御取次を願い」とあるにもかかわらず、過去の私は「運動」そのものへの疑いを「御取次」に掛けようとしませんでした。それは、私が私を過信していた結果であり、神様が私に掛けてくださっていた「願い」を、無視していたということにもなります。神様に問わず、私自身に問うてしまった。私は何よりも、私を頼りにしていたのでしょう。神様の杖を手にしながら、杖を手にしていることさえ忘れていては、どうしたって、その杖を使えるはずがありません。
 ここで気付かされるのは、「運動」が、私のような「御取次」を願えない者にも、「御取次」を「頂く」機会を与えてくれているという事実です。むしろ、願えない者のために用意された「運動」なのではないかと思えてしまいます。
 そうだとしたら、私は大きな勘違いをしていたことになります。
 私が「運動」に感じた「権威」とは、私を上から押さえつける重しのような存在ではなく、引っ張り上げようとする神様そのものだったのではないかということです。要するに、私が感じ取ったモヤモヤとは、まったく別次元のベクトルが、私と「運動」の間に働いていたということになるのです。
 くしくも、私の中で、そうしたことが明らかになってくる発端が、ご本部広前での「御取次」だったということ自体に、このお道に、この「運動」がある必然性を感じてしまいます。

「運動」とともに歩む
 この「運動」の「願い」は、「このお道の信心の道筋を要点的・端的に表現したもの」と、過去の『教報』に記されていました。実を言うと、私の「運動」に対する違和感は、そうして生まれた「願い」の文言からも与えられていました。
 このお道を生きようとする人の数だけ、信心の物語があるというのが、私の考えです。個別性を持つ一人ひとりの人間を、一緒くたにしない工夫が、「御取次」であり、そこから派生する信心の道筋も、三者三様だろうと思います。だから、単純に「要点的・端的に表現」するのは、ナンセンスだと感じていました。
 省みて気付かされるのは、個別性に目を向けるべきだと、一人で拳を突き上げていた私自身が、私という個別性をすっ飛ばしていたということです。現に神様は、「あんたのところで、どうなってるんや」と、他の誰でもなく、私自身のあり方を問いただしてくださいました。つまり、私を越えて存在し得ない「運動」だということなのでしょう。
 同時に、これまでお道を生きた人々の個別性こそが、この「願い」の文言を成立させたということを分からされました。そこでも、やはり、神様は一人ひとりの個別性に問いかけておられたのではないかと思うのです。
 「運動」の文言ばかりに目がいっていた私は、その背景、つまり余白を見ようとしていませんでした。「運動」のポスターの背後には、これまでお道を生きた人々の多様な物語が、びっしりと積み重なっているのです。「運動」の「願い」の文言は、そうした物語群の重なるところを、言語化しようという試みだったのだと気付かされます。
 確かに、このお道の先人たちは、この「願い」の道筋を歩まれたのかもしれません。しかし、それは、はじめから歩まれたということではなく、ご信心を進めた跡形のようなものではないでしょうか。つまり、道筋があったというよりも、道筋になったという表現が近いように思われます。
 私を含めて、「運動」に取り組んだ人、一人ひとりの「運動」が、これまでに生まれてき、そして、これからも生まれていくでしょう。そうした生きざまの一つ一つが、それぞれの道筋を刻んでいく、そういう「運動」なのではないかということです。それはもしかしたら、「運動」に取り組んでいなくても、信心している人であれば、同様に、取り組んだように見えてしまう「運動」なのかもしれません。
 私は、この「運動」を、唯一無二の目当てではなく、私と一緒にこのお道を歩む同伴者と捉えることにしました。なぜなら、この「運動」は、一方的に「ここまで来い」と押しつけてくるタイプではなく、私たち一人ひとりの信奉者と、対等な関係を結んでくれている、そんな気がするからです。だから、「運動」そのものをあがめ立てるのではなく、「運動」とのコミュニケーションを楽しむぐらいの気持ちで、付き合うのがちょうどいいと考えています。
 また、「運動」を規範としてしまうと、「そうしなければならない」という穴に、「運動」を落とし入れかねません。私は、そうした抑圧を生み出す「運動」にしたくはありません。それは、自分で自分の首を絞めるようなもので、ただ息苦しくなるだけです。
 私がお広前で「運動」を眺めていた時も、ある時を境に、おそらく「運動」への固定観念が外れた時、私の身体から力みがすっと消えていき、そこから「運動」との対話が始まったことを思い出します。

「運動」の行方
 先日、ご本部の信行期間「朝の教話」を、金光教のホームページを通じて拝見しました。そこで、白石浩美先生(大阪・天下茶屋)がお話しされる中に、「私の場合だと、参拝するからすごいのではなく、すごくないから参拝する」という言葉がありました。それを耳にした時、私の探していたものが見つかったという感じがしました。
 私にとって、とても大事な言葉に思えたので、すぐにメモを取りました。そのメモを片手に、私が感じた大事さの意図するところを考えてみました。
 すると、これまで参拝する人をすごい人と見なし、参拝はすごい人になるためという、私の前提がくっきりと浮き彫りになってくるではありませんか。併せて、私の中に、「私はすごくない」という自覚がないという実際が、明らかになったのです。
 ありがたい発見のはずなのに、正直、言葉に窮してしまいました。なぜなら、この発見が参拝に限った話ではなく、私の信心全般の根底にまでおよぶ、根深い難儀だと思えたからです。言うなれば、逆に私の難儀性が見つけられてしまった気分です。
 つまりは、私の手に神様の杖が握られていると知りながら、それをまったく使いこなせないようなものです。それでも、私には困っているとか、難儀しているとか、自覚がないので、一見するとおかげを受けているかのようですが、単に自分の存在そのものの危うさと向き合えていないに過ぎません。
 私は、私の一寸先は闇だということを、まったくもって信じていませんでした。今だって、私が真っ暗闇の中にあるという現実を、どうしたら身をもって理解できるのか、さっぱり分かりません。しかし、そのまま闇の存在さえ気付けなければ、私は一生かかっても、「神」という光を信じ、頼ることがかなわなかったでしょう。
 「運動」に関しても、「『運動』の土俵に立つことを許された」と先述しましたが、まさに立っているだけで、何にも取り組んでいない私なのです。事実、私の中から「運動」に関するおかげ話が、何一つ出てきていません。
 ここに来て、この私の無自覚のうちに根付いている難儀が、「運動」の「願い」の「神のおかげにめざめ」という一行に、すくい取られていく感じを覚えています。いまだめざめぬ私に、「神のおかげにめざめてくれ」と、そのための「御取次を願い頂いてくれ」と、包み込むように促してくれているようです。
 不思議な感覚ですが、神様が「運動」に姿を変えて、「動きなさい」と私の背中を押してくれています。これから徐々にだとは思いますが、できない私が、そうせざるを得ない私へと深化させられていく、そんな予感がしています。
 私が「運動」を生きる日が、いつになるか分かりませんが、私と「運動」の付き合いは、まだまだこれから長くなりそうです。
 「運動」とは、「なんだ、動くほうの運動だったのか」と、今さらながらに、はっとさせられている次第です。

(2017/6)

   



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