神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 8月号 神人あいよかけよの生活運動


実感と感動が原動力に  玉置 衛(北海道・十勝)

信徒によって開かれた教会
 私が在籍する十勝教会は、間もなく設立100年を迎えます。布教100年ではなく、あえて「設立」としているのは、十勝教会が教師の布教によって開かれた教会ではないからです。
 大正時代の初め、当時はまだ十勝地方に金光教の教会はなく、信奉者は札幌、釧路など、遠く離れた街の教会へ参拝せねばなりませんでした。そこで、今の十勝教会がある池田町とその近隣の信奉者たちが願いを立て、自分たちで教会を設立することにしたのです。
 十勝教会の初代教会長・玉置藤太先生もその中の一人であり、当時は総代として皆をとりまとめる立場にありましたが、教会設立の機運が高まる中、皆の願いを受け、金光教教師になられたのです。一信奉者であった初代が講義講究所(現在の金光教学院)へ入ることができたのは、三代金光様と函館教会初代教会長・矢代幸次郎先生のご高配があってのことでした。
 初代の信心のルーツは、ある女性信奉者のお手引きに始まります。初代は奈良県十津川村の出身で、青年の頃、明治の大水害により、一族で北海道の新十津川へ移住します。その後、自らは一念発起して、家族や有志を率いて十勝へ開拓入植しましたが、元々教員や役場職員などの事務職しかしてこなかった初代に開墾事業は厳しく、冷害にも見舞われ、結局、断念せざるを得なくなりました。そして、池田町に教員の職を得、この町に落ち着くことになったのです。
 給料取りにはなりましたが、開拓の失敗で抱えた莫大な借金があり、一家の暮らしは楽ではなかったようです。しかも時を同じくして、家族が、そして自らも次々と病難に見舞われ、周囲の人から「あの家は病気の問屋だ」と言われるような状況でした。医療費もばかにならず、そのため、より給料の高い職場へ転職までしましたが、暮らしは一向に楽にはなりませんでした。


「神人の道」を歩んだ初代
 そんな初代一家の窮状を見かね、「神様に信心して助けていただく」ようお手引きしてくれた女性がいました。その女性は池田に住んでいたのですが、たまたま初代と同じ十津川村出身でもあり、同郷である初代一家の窮状を知り、たびたび見舞ってくれていたのです。
 実はその女性も、北海道移住後に重病を患い、難儀をしていた時にお手引きを受け、当時、気仙沼教会長を辞し、札幌で布教をされていた渡辺丑五郎(うしごろう)先生のお広前に参拝し、日参する中で全快のおかげを頂かれたのでした。
 以来、信心のありがたさを悟ったその女性は、病人や難儀をしている方のもとへ出向いては、助かってもらいたいとの一心で自ら受けたおかげを伝えてこられたのです。当然その女性としては、初代にも信心して神様に助けていただきたかったようですが、当の初代は普段から祈祷まじないの類いに一切心を向けることはなく、「病気ならば医療に任せればよい。神仏に助けていただくなどは迷信である」と考えていた人でしたので、さすがに最初の数回はお見舞いをしただけで帰られていたようです。
 しかし、その女性の「何とか信心で助かってもらいたい」という願いは強く、ついにある日、意を決して、「信心すれば神様が助けてくださる」と初代に話をしたのです。すると初代は、誠心誠意に話してくれるその姿に、意外にも「あなたがそこまでして親切に勧めてくれるのであれば信心してみましょう」と答えたそうです。
 その日の晩、初代は、信心するといっても右も左も分かりませんので、とりあえず「渡辺丑五郎様」と女性から伝え聞いた先生の名前を唱え、病気平癒を願って休みました。すると翌朝、まず初代夫人の病状が劇的に改善し、それから一週間の間に、残る家族の病気も次々と快方に向かいました。
 女性の勧めに「信心しましょう」と言った初代でしたが、そこには同郷のよしみもあり、自分のことを思って熱心に勧めてくれたこともあって、むげに断るのも悪いという思いもあったと思います。しかし、実際に神様に願ったことで、本当におかげを頂く現実を体験し、感動のあまり自宅に備えてあった薬や医療器具を捨ててしまいました。
 そうなると、今まで信心など迷信として見向きもしなかったのが嘘のように、遠路、渡辺先生のもとへ参り、お取次を頂き、教導を受けては、この神様の信心で助けていただくというだけではなく、「この信心で人を助けたい」と思うようになっていきました。それは、自らの体験を通じ、「取次者をとおして神様に心を向ければ働いてくださる『生きた神様』がいらっしゃる」という確信が生まれたからにほかなりません。
 そして初代も、自ら受けたおかげの体験をもとに、難儀を抱えた人々の助かりを願われ、神様に信心して助けていただくようお手引きを始めます。それだけではなく、渡辺先生のお取次のもと、近隣の信奉者たちと共に十勝に講社を作り、布教活動にも力を入れるようになり、これが後の教会設立へとつながっていくのです。
 この初代をお手引きされた女性の「神様に信心して助かってもらいたい」と願われる姿、お取次を通じて神様のおかげを頂き、そのありがたさから人の助かりを願っていく姿は、現在の「神人あいよかけよの生活運動」の実践そのものです。そして、お手引きされてお取次を頂き、生きた神様の働きに気付いて、自らも人の助かりを願うようになった初代もまた、「神人の道」を歩まれた方でした。


昔も今も変わらないもの
 私は初めて「神人あいよかけよの生活運動」の「願い」の言葉を目にした時、「これは教祖様のご信心、ご内容じゃないか」と思ったことを覚えています。しかし、初代の入信の経緯をたどってみた時、これは初代のご内容でもあり、初代を導かれた女性の信心の姿でもあることに気付かされます。そして、それは十勝教会だけに限らず、多くの初代が歩んでこられた道でもあるのでしょう。
 布教年数の長い短いにかかわらず、そこに天地金乃神様のお広前が生まれたということは、信心で人を助けたいという初代の願いがあってのことであり、「お取次を頂いて、生きた神様に助けられた」というおかげの実感、感動に裏打ちされたものに違いありません。そういった意味では、「神人あいよかけよの生活運動」とは、それぞれのお広前の初代先生、先人たちの信心の源を頂き直すということになるのかもしれません。
 そして、この「助かってほしい」という願いは、元をたどれば天地金乃神様の願いであり、教祖様の御取次とその手続きを通じ、代を経て、十勝の広前にも受け継ぎ現されてきたものにほかありません。まさに私が信心を続けている意味もそこにあり、「神人の道」と言われるこのお道の中で、私に与えられた役割もそこにあると気付かされます。
 さて、北海道教区では、「神人あいよかけよの生活運動」の発足以来、その周知と「願い」の理解を深めてもらおうと、道内在住の運動推進員の方々が体験した、おかげの実例や「運動」の実践例を掲載したリーフレットを年2回発行しています。毎号、「運動」の「願い」に基づいた実例を取り上げ、今年の春で13号を数えます。
 例話の数だけおかげの体験があります。おかげの受け方も、人の助かりを願う姿も人それぞれです。しかし、全ての号に共通することは、「このおかげを、このありがたさを人に伝えたい」という強い願いが感じられることです。
 今の日本では、日常生活の中で、自らの信仰体験を口にすることはあまりありません。「信心すれば助けていただけます」となかなか言い出せない風潮もあります。その中で、信心を頂く者として、どうすれば神様のおかげを伝えていくことができるのか、信心して助かってほしいという願いを現していくのか、皆さん悩まれているようです。
 リーフレットの例話に、「大病を患い、病気の平癒と治療の立ち行きを願い、お取次を頂く中で、神様が人の助かりを願ってくれていること、それだけではなく、多くの人が自分の助かりを願ってくれていることに気付かされ、自分も人の立ち行きを願えるようになった」「人を助けたいと願われる神様のお働きを、自分一人の助かりにとどめていてはいけない」といった内容がありました。
 たとえ便利で複雑な世の中であっても、お取次を通じて頂くおかげ、生きた神様のお働きによるおかげは、決して一般常識に埋もれることはなく、その喜びや感動は今も昔も変わらず、人を助けるという願いを受け継ぎ現す原動力になっているのです。おかげの頂き方は人それぞれ違います。それならば、そのおかげの感動をもって人を助けるという働きも、人それぞれあってもいいのでしょう。
 天地金乃神様は、人間に「助かってもらいたい」との願いをもって、教祖生神金光大神様をお差し向けくださいました。まずは、私たち信心にご縁を頂いた一人ひとりが、お取次を頂き直し、神様の願いに沿う生き方になる稽古を進め、それぞれが神様の願いを受け現し、それぞれのやり方で人の助かりと立ち行きを願っていきたいと思っています。私自身、これからも、生きた神様の実感、感動、喜びを積み重ねてまいりたいと願いを新たにしています。
(2019/8)

   



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