信心運動

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教報天地 7月号 神人あいよかけよの生活運動

 本年1月1日に「神人あいよかけよの生活運動」が発足し、その周知期間として、ここまでさまざまな取り組みを行ってきました。その一つとして、このたびの教団独立記念祭時には、「運動」パンフレットを全教に配布しました。
 ここからの運動への理解に向けて、考えられる取り組み例を紹介します。

① 「願い」の理解

 このたびの「運動」の「願い」は、このお道の助かりへの筋道を端的に表現したものです。したがって、その1句1句を「理解する」ということが、大切な取り組みの1つとなります。また、その文言は、教祖様が歩まれた信心の軌跡であり、直信・先覚・先師が求め続け、深められてきたものです。ともすると、「知っていて当たり前」という意識になりやすいのですが、先師が自らの体験をもって語られている内容に触れた時、その言葉がこれほどまでに豊かな内容を持っていたのかと、襟を正さしめられることもあります。
 「願い」の1行1行、1句1句の内容を求め、全体的に捉えていくことが、理解に向けての取り組みとなります。

・ 唱和する= 祭典後やご祈念後、共励会の開始時などに唱和する。

・ 学ぶ= 「運動」パンフレット、信心パンフレット『神人』、金光教報『天地』、金光新聞などを利用して理解を深める。また、金光教教典や先師のご事跡に立ち返ることから理解を深める。

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 ② 「おかげ」の事実を押さえ直す

 「お取次を頂いて、おかげを頂いた」ことは大切な信仰体験であり、神様のお働きの実際ですが、そのおかげをくださった神様が、私たちに何を願われているのかに心を向けていくことも大切です。「願い」に添って、頂いたおかげを整理し、どういうおかげを、どのようにして頂き、その結果、どのような信心生活に取り組んだかを確認することで、「自分が頂いたおかげの話」を「聞いた人がおかげを頂く話」にしていくことになります。

・教会の初代に立ち返る
   初代がおかげを頂かれた筋道を、「願い」に添って頂き直すことで、初代の信心や教導の中身が明らかになる。

・わが家の信心のルーツを押さえ直す
   「願い」に添って、信心のルーツを押さえ直し、不明な点などを整理して求める。

・自分が頂いたおかげを捉え直す
   自分が頂いた「おかげ」の本当の意味を求め、聞いた人がおかげを頂く話にする。

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 ③ 信心の稽古

 おかげに目覚めても、時間の経過とともに忘れてしまうこともあります。生活のなかで「金光様」とお唱えし、神様のおかげのなかにいることを確認し、お礼を申していく稽古が重要な取り組みになります。四代金光様の「くりかへす稽古のなかにおのづから生れ来るなり新しきもの」とのお歌にあるように、「新しきもの」が生まれてくることを楽しみに稽古に取り組むことも、具体的な実践です。

・お広前への参拝、ご祈念、お取次
   参拝の回数や仕方、ご祈念の仕方や内容、お取次の願い方、頂き方、教話の聞き方を、いま一度求め合い、稽古する。「願い礼場所、信心の稽古場所」としてのお広前の内実を培う。

・生活のなかでの実践や工夫を紹介し、求め合う
   家庭でのご祈念のあり方、食事の作り方や頂き方、お風呂やトイレでのお礼の仕方などを紹介し、求め合う。

・稽古から生まれてきた内容を紹介し、深め合う
   信心の稽古からしか生まれてこない「新しきもの」を紹介し、信奉者同士でその内容を求め、信心の興隆を促す。

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 ④ 教会活動や信心生活の新展開

 これまでに取り組んできた教会活動や、個人の信心実践を、「願い」に照らし合わせて、その願いや意味合いを再確認することも大切です。そのことで、これまでの取り組みが新たに意味づけられ、さらに充実していく側面もあります。「運動」の目的は、あくまでもそれぞれの信心生活が充実・展開することです。


 終わりに、故佐藤光俊教務総長が、「信心生活と教義」として述べられた内容を紹介します。

 「信心生活と教義、それは長い年月の信心生活を通じて、相互に作用し、信心生活の実際は教義(教学)によって確認されつつ、新たな展開と充実を果たし、確認された教義は信心生活の実践を通じて確かめられ、より確かになっていくのである。その点で、歴史を通じて、今日にもたらされてきている教義は、われわれの信心生活をどのように展開せしめ、充実させているのかという吟味に、怠りがあってはならない。… 語り継がれ、教義が生活のなかに再現され、確認され、それによってますます生かされ、感動をもたらし、信心生活が新たに信心生活を生み出し続けてきたのである。
 このような求道と実践の側面によって、組織も制度も、実は信心に生きる喜びがあって、はじめて成立し、支えられ、そのことをさらによく実現する組織、制度に更新していかれねばならないとして、このような『場』としての『教団』の実現に向けて取り組まれてきたのが、金光教の歴史とその営みであった、と言ってみたいのである」(『金光教の歴史に学ぶ』から)

(2012/07)

   



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