信心運動

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教報天地 9月号 神人あいよかけよの生活運動

教祖様に始まるお礼と喜びの生活

 本部広前月例祭後の教話で、山本正三師(広島・横川)が話された内容を紹介する。

教祖様と山本定次郎
 私の曽祖父である山本定次郎は、母親が大病を患い、その病気全快がきっかけで、教祖様のお広前にはじめてお礼の参拝をさせていただきました。明治九年二月九日のことでした。その時のことを、次のように書き残しています。
「はじめてお参りした時、私がまだ何も申し上げないのに、金光様のほうから、『人間は、どうして生まれ、どうして生きているかということを知らねばなりませんなあ』と話しかけられたので、私は、金光様は何を言おうとされるのだろうかと思った。その時の天地のお恵みについてのみ教えは、一言一言が胸に突きささるようにこたえて、大変に感激した」
 この時の感激、そして、この時くださった「人間は、どうして生まれ、どうして生きているかということを知らねばなりませんなあ」という問いかけは、定次郎にとって忘れられないものであり、終生、語り続けていたようです。その後も参拝のたびに、教祖様が教えてくださったことは、まさにその問いかけの答えでもありました。
 定次郎は、初参拝の後、教祖様が神上がられる明治十六年十月までの七年九か月の間、五里余り(二十キロ)の道のりを歩いて、月々お参りしていました。当時は汽車や車もなく、午前四時頃に生家がある稲木を出発して、いくつもの峠の山道を越えてお参りします。当時、里見川には橋もなく、小さな板が架けてあっただけでした。その板橋も雨が降るたびに流され、時には川の中を渡って、田んぼの間の細道を通り、お広前に参拝して教祖様を拝し、ご祈念、ご裁伝、ご理解を拝聴したと記しています。
 徒歩ですから、片道五、六時間、往復十時間余りになります。十時頃に到着し、帰路を考えると、お広前には長くて四時間程度の滞在時間しかありませんが、いつも教祖様はその間、優しくご理解くださったということです。
 教祖様は、「神様が金光大神に教えてくださり、話して聞かせよと言ってくださるから、話してあげる」と、どこまでも神様が教えてくださったことを「話して聞かせ」られたようで、それ以外はお話しにならなかったようです。事実、定次郎は度重なる参拝をとおして、一言でも多くみ教えを聞かせていただきたいと願って参っていましたが、七年九か月の間に三度ほど、「二、三時間、心慎みて広前に座してみ教えを待ち続けるも、み教えの言葉なく、むなしくおわびいたして下向す」と記しています。
 立教聖場にお参りするたびに思うのですが、あの十六畳ほどの広前の片隅に、遠方から青年が参ってくるわけです。情の世界から言えば、一言二言声を掛けてやりたいと思うのが人情でしょうが、その三度はまったくお言葉がなかったそうです。そのことはまさに、「神様が金光大神に教えてくださり、話して聞かせよと言ってくださるから、話してあげる」というお言葉のとおり、神様が教え聞かせるようにと言われた内容をみ教えくださり、その一言一言はまさに神様のお言葉であったと思わせられます。

山本定次郎の伝えから
 後年、教祖様のみ教えを編纂(へんさん)された佐藤範雄師が、ある方に「稲木の山本のが一番真に近い」とおっしゃったと伝え聞いていますが、そうした伝承ができましたのは、「教祖様の、神様の一言を確かに伝えなければ」との思いがあったからでしょう。家に帰り着くと、すぐに机に向かってみ教えを書き記していたようです。
 教祖様が定次郎に教えてくださった内容は、結婚、妻の出産、子どもの養育といった生活上の願い事や問題関心に応じるようにして、天地の道理を事細かくお話しくださっていますが、その根底には、いつも神様が私たち氏子をお守りくださるお働きの事実、満ちあふれる広大無辺な神様のおかげに目覚めるように、教えてくださっていることに気づかされます。
 結婚した定次郎に、夫婦のありようについて、教祖様は次のようにご理解くださっています。
「夫婦は他人の寄り合いである。仲よくすれば一代安心に暮らされる。夫婦げんかをしても、後から心が折り合う時よく考えてみると、わけがわかる。この事柄を自分でわかるということは、天地の神様よりお与えくだされた御霊が、体の司だからである」
 夫婦といっても生まれも育ちも違う人間同士ですから、時に思いが擦れ違って、けんかをすることもあるけれども、後で冷静になって、「かっとなって、少し言い過ぎてしまったなあ」「もっとよく話を聞いてやればよかった」などと思うことは、誰にでもあります。そうした思いにならされるのは、天地の神様が人間にお与えくださっている神様と同じような心が、私たちの心にあり、その心があるからこそである、と教えてくださっています。
 また、嫁いできた妻と姑のありようについては、次のように語られたといいます。
 <嫁と姑の仲がよければ天下が騒ぐということを人がよう話すが、天下はさておき、一家を騒がせんようにするには、嫁と姑が仲よくせねばならぬ。
 そうするうちに懐妊になりたら、嫁に、「お前は懐妊である。定めて気苦しいであろう。金光様のみ教えに、『懐妊中の改まりが末の楽しみである。信心する人は常に守りを心にかけておれよ』とある。性根が確かで、体もまめな心もまめな子供が生まれ、その子が成長して家業を働きくれねば、お前も安心ができん。私が死しても、後の仕え事(祭祀)をしてもらえねば楽しみもなし。孫がなみ合い以上でなければ、養育した両親や祖父母の功力(くりき)もない。
 『懐妊中、子供の心にあざのできぬよう、心がけ守り。心汚れぬよう注意するのは姑のこと。行うは嫁である』とみ教えくださるのであるから、潔く働いてくれよ」と仲よくしておる嫁に話して聞かせなさい。>
 そして、こうしたありがたい話を聞いた定次郎が、家に帰って大上段に妻に話して聞かせようとすることを制するように、教祖様は、
「この話は、腹の立つ時には話すことはできませんぞ。腹の立つ時に話せば、嫁が叱られるように思うから無効である」
と、そこまで行き届いた教えをくださるのです。
 こうした教えは、時代を超えて、現代を生きる私たちにも通じるものでしょう。

生活に密着したお取次
 さらには、生活の一場面をとらえて、人間が気づかないなかにも神様のおかげが満ちあふれていることを、
「人間が食い飲みする時に、このくらいでよろしいと思う時が、天地の親神のご分霊(ぶんれい)が分限を定められる時である。体に相当するのである。それを、もう一杯、また一杯と、我食(がぐ)い、我飲みして病気になる人もあるが、これは神様へ対しご無礼ではないか。また、食い過ぎ飲み過ぎして、嘔吐(おうと)をする者もあるが、これも悪い考えである」
 また、寒い時には、
「人間の息はありがたいものじゃなあ。寒い時には冷たい手にハアーと息をかければ手がぬくもる。熱い湯飲みのお湯は、フッーと息を吹けばお湯が冷める。神様はありがたいものじゃなあ。同じ息でも使い分けをさしてくださる」という教えをしてくださいましたが、定次郎は教祖様に教えられて以来、亡くなるまで周囲の者に語り続け、自らも御礼を申す実践をしていたようです。
 教祖様は、ご理解のなかで、神様のおかげで生まれてきた人間が、神様のおかげのなかに生活している、そうした神様と人間の間柄を、丁寧に事細かく教えてくださっています。さらには、日常生活に密着した内容であるからこそ、ふと、
「金光様がこうして話しておられたなあ」と思い出され、神様を忘れない、神様を身近に感じさせられるものだったのでしょう。そこからお参りされた方がお礼と喜びの生活につながるように、教えてくださっています。
 教祖様のみ教えを拝読させていただくと、まず教祖様ご自身が、常に神様のおかげを自覚しておられます。み教えの端々に、「ありがたいことではないか」というお言葉があるのは、教祖様が神様のおかげをありがたく受けられ、そのお心のままにお礼と喜びを語ってくださっていたからでしょう。そして、それを聞いた者がありがたくなるような、優しい語り口であられたようです。
 み教えに感動し、承服した先人たちのおかげで、今日、私たちの手元にたくさんの教えが届けられています。しかし、教えを聞いて知っているということだけで留めてはならないと思います。三代金光様は、「教祖様のみ教えを一つでもよろしいから守らせていただいたら結構であります」というお言葉を残されましたが、わが身、わが一家を練習帳にして、まず私自身が教えを日常生活のなかで実践させていただき、神様のおかげにめざめ、お礼と喜びの生活を求めていく稽古に励ませていただきたいと思うのです。

(2013/09)

   



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