神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 9月号 神人あいよかけよの生活運動


元気と勇気と笑顔の信心を

四国教区主催の愛媛県東予教会連合会「運動」研修会で、木村幸雄師(広島・呉)が話された内容を抜粋して紹介いたします。


小さいころの夢かなう
 教会で取り組まれていた少年少女育成のなかでお育ていただいた私は、自分の人生を思う通りに生きたいと思い、小さいころから学校の先生になりたい、バスの運転手になりたい、という願いを持っていました。
 ところが、幼いころに事故で両手片足を失くされながらも、喜びをもって生きている中山亀太郎先生とお会いしたことが私の転機となり、金光教学院に入学することになりました。
 卒業してお道の教師となり、八十人ほどの同期がみんな本部広前のお結界で金光様からお書き下げを頂いたという話を聞くなかで、私だけなかなか下がりませんでした。そしてそのことよりも、当時の四代金光様に「跡取りと跡継ぎは違うからなあ」と言われたことが、私にとっては重大な問題でした。
 しかし教師になって三年後、初めて四代金光様から「ご神米 木村氏」と書かれたものが下がりました。それは、「木村幸雄」ではなく「呉少年少女会」でお届けをしたときでした。それで私は、この育成の道に一生を懸けるべきだと、心に期することになりました。
 ちょうどそのころに転機が訪れました。呉市内のある幼稚園で、「園児が二十人しかおらず、園長先生ががんを患って後が続けられない。誰かいい人はいないのか」と、私の父に相談があり、私が行くことになったのです。二十人の園児を四人の職員でみるということで、こんなに良い修行場所はないと思いました。すぐに園長となり、人手がないのでバスの運転もしました。この時、先生とバスの運転手になりたい、という私の小さいころの二つの夢がかないました。
 それ以来、二十七歳から三十八歳までの十一年間、園長をさせていただきましたが、その間に、二十人だった園児が二百二十人に増え、周りの幼稚園も驚くほどでした。ところがそんな時に、教会長から鼻っ柱を折られるわけです。「お前が園長か?お前は奉公人だ。神様が園長先生でお前は奉公人でいい。そこを忘れたらいけない」と言われました。

園児の母の死
 十一年間園長をさせていただいたなかで、忘れもしない出来事がありました。子どもを二人預けておられたお母さんが亡くなる、ということに遭遇したのです。それは、運動会の予行演習の時でした。親子リレーという名物行事の練習後に、一人のお母さんが運動場の真ん中で横たわったままでした。私はボーイスカウトをやっていますので、救急救命処置としてマウスツーマウスや心臓マッサージなどの心得はあったのですが、その場に行ったときにはもう、すごい形相になっておられ、だんだん息が絶え絶えになっていきました。
 残念ながら手厚い治療をしても、そのお母さんの命が帰ることはありませんでした。幼稚園の行事中であったことから、亡くなったお母さんのご両親からひどく責められ、私自身も、もう辞めるしかないと思いました。
 葬儀が終わり、運動会が三日後に迫るなか、毎日そのお母さんのお仏壇にお参りに行きました。すると、ご主人方のおばあさんから「何か、信心をされていますか?」と聞かれたのです。「はい、実は私は家が金光教の教会で、そこの息子として生まれ育ちました」と答えると、「まあ、だから拝み方が(一般の人と)違うのね」と言われました。そのおばあさんは、他宗教の信心をされており、「予行演習でこんなことになってしまったので運動会は中止にします」と私が言ったところ、怒るように、「園長先生いい加減にしなさい。自信を持ってやりなさい」とおっしゃいました。この一言に、私は救われ、奮い立たせていただいたのです。そして、「園長先生、大丈夫です。孫二人は私が母親代わりになって、幼稚園に最後まで行かせます。園長先生は絶対辞めたらいけない」とおっしゃってくださり、私は涙が止まらず、「分かりました」と言って、結局、その子どもたちが卒園したのを見届けてから退職させてもらいました。
 教会長はいつも「お道の信心は教会にお参りしている時や、お結界でお届けをしている時だけではない。日常の生活のなかで、いろんな場面、一番厳しい場面で試されるから、そこだけは腹入れてやれ」と言っています。

ある少年とのかかわり
 ボーイスカウトに小学一年生から来ているS君という子がいました。彼が中学三年生のときに、教育委員会にいる私の恩師から、「あなたのところのボーイスカウトに来るS君が学校に来ないんだ。ただ普通の登校拒否と違うのは、ボーイスカウトにだけは行っているらしい」と言われました。月曜日から土曜日まで学校を休んで、日曜日の集会だけボーイスカウトの制服を着て教会に来ていたのです。
 私はまず、彼を家から出すことに取り組みました。負けず嫌いな性格は知っていたので、誘い出して、ボーリングやビリヤードに連れて行きました。そうすると、私に絶対勝ちたい、その思いだけで出てくるようになりました。しかし、中学校には結局そのまま一回も行かずに卒業し、高校には進みませんでした。
 そのころ私はちょうど市内の幼稚園の園長になった時で、園庭の遊具のサビを落としてペンキを塗ろうと思い、「一緒にやってくれんか?助けてくれんか?」ということから、彼に手伝ってもらうようになりました。登校拒否の間に昼夜逆転している彼を、辛抱強く、家の前まで迎えに行って幼稚園に連れてくる、そんな日々が一年ほど続きました。そのなかで、ある女の子が「お兄ちゃん、なんで毎日幼稚園に来ないの?楽しいのに」と言ってくれたのです。その言葉で彼はよみがえり、それから一日も休まなくなりました。
 それから少したったころ、彼が私に「高校に行ってみようと思う」と言い出し、「勉強しないといけないよ」と言うと、「やります」ということになり、私は毎日漢字テストを出したり、ボーイスカウトのリーダーの大学生に頼んで勉強を教えてもらって、無事合格しました。三年間高校に通い、さらに四年間大学にも通い、就職するのかなと思っていると、私のところに来て、「恩返しがしたい。給料は無くていいから一緒に子どもたちのために働きたい」と言ってきました。「じゃあ一緒にやろうか」ということになったのです。園長の私は経営者ではないので、給料に関しての権限がありません。私の給料のなかから、わずかばかりのものを彼に渡すところからスタートしました。教会長から「神様が園長」ということをずっと言われて生きてきたからこそ、そのことができたのです。
 私は、教会でみ教えを聞いて、いい教えだと思ったときに、それが実践できないとおかげにならないと思っています。できるできないと自分で決めるのではなく、できないところからどうするかが、信心の大切なところだと思っています。

信心のある幼稚園
 三十八歳で市内の幼稚園を辞めた時に、もう幼稚園の先生はせずに、教会のご用に専念しようと思いました。しかし、近所の人から「先生、経験があるのだから、託児所くらい始めたらどうですか」と言われ、三人の園児から始まりました。そのうち一人は私の娘でしたが、月に二万円ずつ保育料を集めて、月収六万円です。先生は、一人は私、二人目がS君、もう一人は女性の先生が必要ということで、信徒総代の姪でした。二人に、「月収六万円なんだ。給料どうしたらいいかな」と相談したところ、「いいですよ給料なんか」と言ってくれ、初任給は二人に三万円ずつ渡しました。
 教会の一室を借りて幼稚園を始めたところ、不思議に園児が増えてきました。無認可幼稚園という形で七年間続けましたが、その間に園児が九十人に増えました。その時に県が、以前の私の園長としての実績を見てくれて、「ちゃんと施設を整えるなら」ということで学校法人にさせてもらいました。学校法人ひまわり金光学園スカウトランドひまわり幼稚園の発足です。それから十八年がたって、今、園児が百二十人います。先生たちにも給料、ボーナスも渡せるようになりました。S君は、幼稚園教諭と大型バスの免許を取り、今では本当に有能な私のパートナーとなっています。
 今、ひまわり幼稚園では「感謝の日」を設けています。月に一回、教会のお広前で、園児全員で理事長である教会長の教話を聞くのです。何より子どもたちの育ちを大切にしていますが、そこには、神様のおかげを受けるということが必要で、「私が園長だから増えている」ともし思うなら、「すかーんとやられるぞ」との教会長の教えです。
 「神様が園長先生」ということは、生神金光大神御取次を頂くということです。職員も全員が金光教の信奉者ではありませんが、例えば、どの先生がプリントを作っても、必ず「お届け、お願いします」と言ってお結界に進むようになっています。
 そんななかで、息子が事故をしたとか、おばあさんが病気になったとか、家族で何か起きた時に私が勧めるのは、「理事長である教会長のところに行って、『どうぞお繰り合わせいただけますように』ってお願いしてきなさい。絶対道がつくから」と言って、私はお結界まで進ませる係です。それは私の役目だと思って、実践させていただいています。
 私は三十年近く幼児教育の世界に携わらせていただいて、三歳からの三年間で、心は十年分成長すると感じています。「三つ子の魂百まで」ということわざもありますが、やはり三歳が起点で、幼稚園で過ごす一日一日が大切なのです。この前も年長さんの最後の参観日で、あるお母さんが、「先生、六年間子ども二人がお世話になって、この幼稚園には愛がある」と言ってくれ、とても嬉しく思いました。
 今、私にできることは、親から受け継いだ信心を、子や孫に伝えていくことです。また、地域では幼稚園やボーイスカウト、ガールスカウトの活動を通して、一人でも多くの人が、「元気と勇気と笑顔の信心」ができるようにお役に立たせていただきたいと思います。

(2015/9)

   



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