神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 4月号 神人あいよかけよの生活運動


神様が応えてくださる

 高知県教会連合会西部地区会の「運動」研修会で、西川善子師(高知・越知)が話された内容を抜粋して紹介いたします。


私の信心のルーツ
 私は、鳥取の用瀬教会で生まれ育ち、ご縁を頂いて現在の教会に嫁がせていただきました。私の曽祖父・福場徳蔵師は、京都の福知山で夫婦で散髪屋をしていた明治24年、当時不治の病とされていた肺壊疽(はいえそ)にかかりました。36歳の若さで、「今夜が最期でしょう」という医師の言葉を聞いた曽祖父は、悲嘆に暮れます。その時に、ある方が「金光様にお参りをすれば治るかもしれない」と教えてくれました。「自分は無神論者である」と言っていた曽祖父でしたが、苦しい時の神頼みで、動けない自分の代わりに奥さんをお参りさせました。奥さんは、福知山教会初代教会長・青木松之助師から頂いた「天の恩、地の恩、人間は天地のおかげで生まれ育てられ生かされている」というご理解を曽祖父に話したそうです。それを聞いて曽祖父は、今まで自分がどれだけご無礼な生き方をしていたかに気付かされ、まさに雷に打たれたような心境になったといいます。「今夜が最期というこの時、こんなにありがたい神様を知らせてくださった。そして、こんなご無礼者の自分に、それを拝ませてくださる。これは真に本物の親神様だ。これで自分はもう安心して死ねる」という喜びと、反省の気持ちとを繰り返し思っていると、そのまま眠りにつくことができました。そうして、医師でも薬でもどうにもならない命を、一夜にして助けていただきました。
 それからは一日一日と体が動くようになり、福知山教会にお参りをして信心生活を進めていきます。3年後には、お許しを頂いて、「生まれ故郷の人を一人でも救い助けたい」という願いで布教に出ました。そうして2年後に開かれたのが、用瀬教会の親教会の鳥取教会で、布教121年目になります。誰もが、自分のルーツをたどった時に、先祖の一人でも欠ければ自分の命はありませんが、私の先祖は、明治24年に天地の親神様に無い命をつないでいただいたということが、こうしてはっきりと残っています。それを思う時に、曽祖父の「自分が助けていただいた命の万分の一でもご恩に報いるために、子・孫・ひ孫の末端に至るまでご用にお使いいただいて、ご恩返しをさせていただく」という強い願いを実感します。

「見抜き見通しぞね」
 越知教会に嫁いで来た時に、時子さんという80歳を超えた、とても熱心なご信者さんがおられました。時子さんはいつも、「神様いうもんは、まっこと恐れ入るぞね。まっこと見抜き見通しぞね」と言っておられました。時子さんが嫁がれた頃の話です。当時は炊飯器をはじめ電化製品など無い時代だったので、誰よりも早く起きて、かまどに火をおこし、炊事の用意にかかります。家のことは洗濯や農業など、ほかにもたくさんあり、とてもお参りさせてもらう時間はありません。そこで、時子さんはさらに早く起きて、真っ暗な山道をずっと歩いて日参をされたそうです。そうして、何事にも神様を杖についた生活をされていました。
 ある時、息子さんが仕事で大きな借金を作ったことがあったそうです。「このままだと息子は首をくくるかもしれない」と思い、一生懸命にご祈念もお届けもされますが、やはり母親ですから心配で仕方ありません。その時に、越知教会初代教会長・西川邦治師から、「そんなに心配しているけれども、風呂に行くと言うて、その間に水に顔をうずめるかもしらん。トイレに行くと言うた隙に首をくくるかもしらん。かと言うて、寝ておる息子に24時間付いて回って、見張るわけにはいかんやろ。それやったら、神様に一切をお任せして神様に見守ってもろたらどうや」というご理解を頂かれて、時子さんはなおいっそう信心を進められました。
 息子さんのことで悩む時子さんが、神様がおまつりしてある部屋で、日も暮れて電気もつけずにいた時のことです。真っ暗い部屋の空中に、書道の先生が直すような赤い筆文字で、「人生というものは、暗い道の向こうには、必ず明るい道がある。気を静めて時期を待て」という言葉がハッキリ浮かんで見えたそうです。その時のことを、「神様を見せてもらいました」と、時子さんはいつも話していました。
 私は正直、「すごいなあ」と思いました。私はそこまで神様におすがりできているだろうかと、そのように神様を見せてもらった体験もないので、「神様は恐れ入るぞね。まっこと見抜き見通しぞね」とハッキリ人にも言えないと思いました。それでも、結婚して十四年、教会でご用させていただくなかで、段々と、「ああ、神様だなあ。神様が応えてくださるなあ」という体験をさせていただけるようになりました。
 今年の4月のことです。午後1時の定時のご祈念時に、ご信者さんの顔を思い浮かべて、「あの方は病気があるから、なるべく早くおかげ頂いてもらいたいな」「この方は、こんな問題を抱えているな」「この方は、お孫さんが受験と就職」などと、いろいろ思っていると、一生懸命お願いさせてもらわなければならないことだらけで、これは一日あっても時間が足りないと思いました。
 その時にふと、あるご夫婦が思い浮かびました。60歳前後のすごく仲のいいご夫婦で、2人とも元気で、仕事も家もあり、「特別にご祈念をさせてもらう問題がない方はこのご夫婦ぐらいかなあ」と思いました。その20分後です。玄関に出ると、そのご夫婦が立っておられました。いつもは穏やかな顔のご主人が、その時は困り切った顔で、うな垂れて「ちょっとご相談したいことがありまして」と言ってこられました。奥様も、横でガックリとされていました。その2人の顔を見た途端に、神様恐れ入りましたという気持ちにならされました。「今、特別にお願いをせんでもいい方は、このご夫婦かな」と思った直後に来られましたので、「そうじゃないだろう」ということを教えていただいたような気がしました。「まっこと恐れ入るぞね。見抜き見通しぞね」とは、このことかと思いました。

伝えたいけれど
 独身の頃に、友人に「金光教ってどんなの」と聞かれたことがありました。その時、「小便を掛けられても温かい雨が降ってきたと思え」というみ教えが浮かび、「難儀なこと、苦しいことがあっても、そのように良いように取らせてもらって生きていくような感じ」と答えました。すると、「ものは考えようってことね。気の持ちようね」と言われ、何か違うと思ったのですが、考えている間にその話が終わってしまいました。
 後々考えてみると、その人の解釈は間違いではありません。私の説明が悪かったのです。「神様のおかげのなかで生かされている私」という土台のところが、その時は抜けていました。「神様のおかげという土台の上に生かさせてもらっている自分たちであり、その上で起こってきた出来事は、みんな神様のお差し向けであり、これを良いように取らせていただけば、神様がおかげを足してくださる」というのが、お道の信心のありがたいところだと思います。生活のなかで、物事を良いように取るということは大事なことですし、それで心が軽くなって助かっていくこともあります。しかしそれは、道徳的、倫理的にということであって、私たちがご縁を頂いているこのお道は、「お礼を土台として起きてきたこと」に、さらに「おかげを足してくださる」という、ありがたい働きがあると思うのです。それを思う時に、「みんなに知ってもらいたい」という気持ちにもなるのですが、これがなかなか人には伝え難いという現実があります。
 友人には、いろんな問題がありながらも、頑張って仕事をしている方がたくさんいます。話を聞いたり、悩み相談をさせてもらう時がありますが、その先に、「じゃあ神様に、それ全部お預けしてお願いしてみんかね。お参りしてみんかね」ということは、なかなか言えません。私自身は「信心はこんなにありがたい」と思うのですが、それを信心のない、金光教を知らない人に伝えると、「いや、それはいいです」と言われることがあります。私たちはありがたいということを伝えたいと思いますが、「印鑑買ったら幸せになるよ。この壺を買えば幸せになるよ」というのと同じようにしか受け取られないんだな、という感覚があります。そこは、私が伝えるという人の力ではなくて、どうにか神様のご用にお使いいただきたい、お道伝えのご用にお使いいただきたいと、一生懸命お願いさせてもらうところだと思っています。

ありがたいことが分かれば
 小学6年生の長女が今、一生懸命ご祈念をしています。きっかけは、昨年、学校の行事で北海道に行ったことでした。飛行機に乗って、2泊3日で親元を離れるのに、不安もあったのかもしれません。それからずっといろんなことをお願いしているようです。心中祈念をして、時に「お父さん、お結界座って」と言いながら、黙っていたり、ブツブツ言ったりしています。娘はご祈念をさせてもらうようになって、実際におかげも頂いています。自分の同じ年の頃を考えたら、すごいなあと思います。
 娘が、「神様本当はおらんと思いよったけども、あんまり親が言うから、だまされたと思って拝みよったら、神様おるって分かった」と言いました。娘に対して、「神様を拝みなさい」と言ったわけではありません。ただ、私たちが、「こんなことがあって、こうしてお願いしたら、こんなおかげがあったよ」とか、「すごいね」ということは、いつも言うようにしていました。その時点では神様の働きと思っていなかったようですが、自分でお願いさせてもらったら、「おかげがある、神様がいるって分かった」と言うので、ありがたいなと思います。
 小学3年生の息子が幼稚園の年少の時に、家に帰って来るなり、「おかあしゃんは、大金持ちになりたいですか」と言いました。私がつられて「はい、大金持ちになりたいです」と言ったのですが、すぐに「いや、違うなあ」と思いました。そして、「大金持ちになったら、教会の建物もあっちこっち直せる。けど、それよりもお母さんは、何かいろいろ問題があってお参りに来られた方が、お広前にパッと足を入れられた瞬間に、その問題がパッとクリアになったり、悪いところが治るような、そういうおかげを頂く方がよっぽど嬉しいなあ」と言ったんです。すると息子は、自分が思っていた答えと違ったからか、「ヘエー」と言っただけで、すぐその話は終わりました。でもその時に、そう思わせてもらったことが、私自身はすごく嬉しかったのです。それと同時に、きっと両親もそう思って願いをかけてくれていただろうし、祖父母も、曽祖父も、金光様も、教祖様も、天地の親神様も、きっとそう思ってくださっていると強く思いました。
 皆さんがお参りされている教会の先生方も、「何としてもおかげを頂いてほしい」と日々願ってくださっています。神様がありがたいということを分からせていただいた今、自分のことだけではなく、人のことも祈らせていただくという信心をさせていただき、このありがたいお道のご用にお使いいただきたいと思っています。

(2016/4)

   



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