神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 11月号 神人あいよかけよの生活運動


生かされている命に向き合って

桑原隆治郎師(宮崎・都城)が執筆した内容を紹介いたします。


「神様が見えたか」
 人が生きるということは、さまざまな事柄に出遭うということです。それらは、喜びであれ難儀であれ、神様からご覧になれば大切な出来事なのだと思います。ただ、私たちがそこに気付くことができるかどうかは、その時の心の向きによるのでしょう。
 私自身、絶対に忘れてはならないと思っている出来事があります。それは、平成12年7月23日、進学先の鳥取市で遭った車同士の正面衝突事故です。国道の交通量が多い日曜日の夕方、私は飲食店のアルバイトで、出前の容器の受け取りに向かっていました。隣町との境にある峠に差しかかった時のことです。登坂車線を走行していた私の車に、反対車線を下ってきた車が突然飛び込んできて、「あっ!」と思った瞬間には、既にぶつかっていたのです。
 ゆっくりと目を開けると、フロントガラスの全面にひびが入り、ハンドルが運転席と助手席の間までずれていました。顔をけがしたのか、ポタポタと血が落ちてきます。「あぁ、事故に遭ったんだ…」と、ぼーっとして動けずにいると、そこに居合わせた方々が助けてくださいました。私の車や相手の車の後ろを走っていた人たちが集まってくださったのです。私に声を掛け続けてくださる方、交通整理をしてくださる方、全身を触診して救急隊に体の固定の指示を出してくださった医師もいました。そうして救急車に乗せられ、市内の病院に搬送されました。その道すがら、私の心に「神様が見えたか」という言葉が響いてきました。
 「神様が見えたか」。これは、私の曽祖父である都城教会初代教会長・髙松栄師の言葉です。初代は、旧制中学に在学していた息子(私の祖父、都城教会二代教会長・髙松靖治師)が進級試験に失敗した時に、この言葉を掛けられました。この言葉について、祖父は後に「私は落第という事実の中で、自分には自分以上のものが働いていて、そのものを取り除いたら、自分の評価は評価以下のなにものでもないということが、子供心に分かったような気がし、このことは私の一生のものとなってしまった」と振り返っています。私も、この事故をとおして、祖父が感じた「自分には自分以上のものが働いて」いるということを実感しました。
 車は、ボンネットがぐちゃぐちゃに潰れ、前輪は車軸から曲がり、見るも無残な姿になっていました。そのような大事故に遭ったにも関わらず、私は数か所の切り傷と右腕の筋肉が緊張で固まってしまった以外は、骨一本折れることなく、むち打ちの症状も出ませんでした。わずか10日で退院することができ、その後20日余りのリハビリで右腕も元通りに動くようになりました。まさに九死一生、命をつないでいただくという大変なおかげを頂きました。
 しかしながら、当時の私は必ずしも熱心に信心をしていたわけではありません。高校生の頃までは、自分からお結界に行ってお取次を頂くことはほとんどありませんでした。大学生になってからは、両親に言われるままに月に一度ぐらい教会に行ってはいましたが、お参りというよりも教会の先生に顔を見せに行くという感じでした。
 では、何が神様を動かしたのでしょう。それは、私以外の方々の祈りだと思います。両親をはじめ、家族、親戚、ご縁ある信者さん方や先生方、友人、事故現場に居合わせた方々、病院の方々など、数えればきりがないほどです。また、生きている人だけにとどまらず、既に霊みたまとなられていた初代夫妻、祖父たちの祈りもあったと思います。そういった多くの方々の祈りによって、私は助けられ、「神様を見せられた」のだと思います。
 「神様に命を救っていただいた」という実感から、事故以降は、心からの命のお礼に教会にお参りさせていただくようになりました。また、7月23日を第2の誕生日として、毎年必ずお結界で命のお礼をさせていただくようになりました。

命に刻まれた信心
 大学院を終えて、いよいよ鳥取を離れる時のことです。教会に参拝し、事故後の日々を振り返って、「自分の信心の始めは鳥取です」とお届けしました。すると教会長から、「それは違う。あんたの信心は、ここに来た時にはすでに始まっておったんだ」と諭されました。この言葉の意味が、私はよく分かりませんでした。「どういうことですか」と聞き返せばよかったと悔やんでいましたが、事故のことを何度も振り返るなかで、なんとなくこういうことだろうかと思うことも生まれてきました。
 さかのぼれば、父方は祖父母が、母方は曽祖父母の親たちが、それぞれご神縁を頂いて以来の信心です。教会としても、布教以来103年の時を経ています。それだけ多くの人、時間の祈りが、私の命のなかにたっぷりと込められているのです。さらに言えば、その人たちに信心を伝えた方がいます。道を開いた教祖様、そのみ跡を受けられた歴代金光様がおられます。その連綿と続くお道のつながりのなかに、私の命はあるのです。今は、「自分がしている信心ではなくて、自分の命のなかに刻まれている信心がある」と思っています。先生の言葉は、そのことを教えてくださっているように思います。
 しかし、人間は時がたつと忘れてしまうものです。それがいいこともありますが、そうも言いきれないこともあります。神様から頂いたおかげも、油断をすれば、だんだんと忘れていきます。私も事故から月日が流れ、生かされているということ、神様に助けられたということ、多くの方に祈られているということを、少しずつ忘れていました。その間にお道の教師にならせていただきましたが、それでもやはり時間がたつと少しずつ薄れていきます。

原因不明の病から
 昨年の春、原因不明の高熱に襲われました。泊まりがけの教務センターのご用の日でしたが、どうも体が重く、初日の夕方には熱っぽさを自覚していました。翌日早めに帰らせていただいて病院に行くと、熱が39度近くあり、首の左側が大きく腫れていました。医師がエコーで診てくださったところ、リンパ節に袋がいくつもできていて、リンパ節炎であることが分かりました。しかし、その原因となるような異常が見当たらないと言うのです。
 そこで、近くの病院を紹介されました。あらためて診ていただきましたが、やはり原因が分かりません。そのため薬の処方も、「これを試してみよう」「今度はこれを」といった具合です。相変わらず高熱が続き、首の腫れも引きません。今度は、総合病院の血液内科を受診するよう勧められました。
 最初の病院にかかってから1週間後、3件目となる総合病院で診ていただきました。検査前の問診で症状を伝えると、医師は前の病院から提供された資料も見ながら、「恐らく組織球性壊死(えし)性リンパ節炎だと思います。その確認の検査をしてみましょう」と言いました。いきなり病名を告げられて驚きましたが、その後の検査で、やはりそれで間違いないということになりました。別名菊池病という、免疫性の病気ということでした。
 この病気は、病気の元になるものが何もないのに、体の免疫機能が「病原体が体に入ってきた」と勘違いして、正常な体を攻撃することで発症するそうです。その原因は人によってさまざまで、ストレスや疲れなどで発症する場合もあるということでした。病気の元がないので特効薬は無く、治療の方法はとにかく絶対安静、あとは対症療法と言われました。
 やっと診断がついて、ほっとしました。するとどうでしょう、その2、3日後から熱が下がり始め、首の腫れも引いていったのです。体の働きはすごいなと、あらためて思いました。体に入った病気の元を攻撃しようとする働きが、何もしないのに体には備わっています。そのことに、あらためてお礼を申し上げました。この病気をとおして、私は、「体にお礼が足りていない」ということを強く自覚させられました。
 その年、私は教師任命から満五年を迎えました。そしてこの年は、交通事故から15年でもありました。事故の日が近づいて、あらためて年数を数えた時に、交通事故から15年と教師任命から5年が重なっていることに気付きました。私は、事故からちょうど10年後に教師になっていたのです。それまで全く意識したことがなかったので、この事実に、神様のお計らいを見せられました。そういう大事な節目の年に、私は先述のような病気にかかっていたのです。自分が生かされているということについて、あらためて神様が気付きを与えてくださったと思いました。そして、再び、「神様が見えたか」と初代に尋ねられた気がしました。

神様への恩返しは
 私は今日も命をつないでいただいています。神様はなぜ、私を生かしてくださっているのでしょうか。その答えのヒントも、交通事故をとおして頂いていました。
 事故の四か月ほど後、当時住んでいた大学寮の同級生とドライブをしました。道中、事故現場を通過しました。事故の日のことを思い出すと、助けてくださった人たちのことがよみがえってきました。たくさんの人にお世話になったことを思い出し、「その人たちにはお礼ができなかったなあ」と言うと、同級生が「だったら、今度そういう場面に出くわした時に、その人たちがしてくれたようなことをすれば、それがお礼になるんじゃないの」と言ってくれました。
 今、この言葉が深く響いています。神様が、同級生をとおしておっしゃったのだと思えてなりません。そういう私にならせていただけるよう、これまで頂いた神様からのおかげへの恩返しとして、少しでも人のことを祈り、人のお役に立つ自分にならせていただきたいと願っています。
 学院在学中に、当時教務総長であった佐藤光俊師が、「信心は『自分』であるから、自分自身の信心をしていかんとな」と話してくださったことがあります。神様に心を向け、神様と自分とのつながりを強くし、神様・霊様・人様に喜んでいただけるよう努めていきたいと思います。

(2016/11)

   




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