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金光教報『天地』 9月号 神人あいよかけよの生活運動


命のもとを大切に ─神霊人が共に立ち行く道─

 塚本一眞師(愛媛・今治)が金光教報「天地」9月号に執筆した内容を紹介いたします。


お祭りしてください
 ある日、Yさん(50代女性)が暗い表情で教会に参拝してきました。
 話を聞くと、Yさん本人は原因不明の体調不良で、長男は上司からのパワハラが原因で体調を崩して会社を退職し、家で引きこもっている。長女は看護学校でイジメに遭ったことが原因で不登校となり、自主退学をしてしまい、子ども返りをして母親にべったり甘えてくる。そのような状態でした。
 さらに、家族でご本部参拝した際には、高速道路で交通事故に遭うなど、度重なる難儀を憂い、知人に家を見てもらうと、「霊が取りついている」と言われたとのことでした。Yさんは不安で顔もやつれ、以前の元気がありません。そこで日程を決めて、お祭りをさせていただくことにしました。
 お祭りは「謝恩祭」とし、お宅へ行くと、半畳ほどの床の間に祀られたご神前の空気がよどんでいるのが分かりました。お社、三方、八足をはじめ、亡くなった祖母の写真はほこりまみれで、床は物置状態です。三方をフッと吹くと、ほこりがフワーッと舞う。それもそのはず、その部屋は引きこもりの長男が使っている部屋で、普段から掃除もしていないとのことでした。
 「早速、お祭りをしてください」と言われましたが、霊が取りつくという以前に、神様、霊様へ向かう姿勢自体が問題であり、こんな状態ではお祭りどころではないと思い、ご神前から祭具をすべて取り出し、掃除機をかけ、床もきれいに拭かせてもらいました。祭具も一つ一つ磨かせていただき、敷き紙も交換し、小一時間ほどかかりましたが、きれいになったご神前で祭典を仕えさせていただきました。
 ご神前をはじめ、各部屋、トイレ、風呂、台所など、家の内外隅々まで御礼申しながらお清めさせていただき、祭典後、その信徒家族へ次のようにお話をさせてもらいました。
 「人間も命を粗末にすると死に至ります。食後に歯を磨かないと虫歯になったり、排泄後に拭かなかったりすると病気になるように、とにかく命のもと(ご神前)と入るところ(台所)、出るところ(便所)をきれいに保つとおかげが頂けますよ」
 後日、その信徒が参拝し、お祭りをした日から清掃に取り組む中で、家族が少しずつ落ち着きを取り戻したと御礼のお届けがありました。

私のことも忘れずに
 それからしばらく経ったころ、再びYさんが浮かない表情で参拝されました。
 理由を聞くと、20歳を超えた娘の子ども返りがなかなか治らないとのことでした。症状が出始めた時期を聞くと、成人式を迎えた頃からのようで、急に情緒不安定になり、大泣きしては母親に甘えてくる。その甘え方がべったりくっついてきて、「家のことが何もできないので困る」と言います。しばらく話を聞かせてもらうと、少しずつ心情を吐露される中で、実はYさん自身も成人式を迎えた頃、急に情緒不安定になり、涙が止まらなくなった経験があると話されました。
 そのような状況を叔父さんに相談したところ、次のような思いもよらない話を聞かされたそうです。
 「この話は誰にもしてないんじゃが…」と前置きをされ、「実は、うちら夫婦はワシが18歳、家内が16歳の時に一度、妊娠したんじゃが、あまりにも若すぎると周りに反対され、妊娠5カ月で堕胎したんじゃ。その時、教会で先生に拝んでもらって、それから毎日、お水とご飯はお供えして、ご祈念はさしてもろうてきた。その後、あらためて家内と結婚して3人の子宝に恵まれたが、ずっと気になっててな。堕胎して20年が経った頃、おかっぱ頭で着物を着た子が夢に出てきて、『私の成人式はお祝いしてくれんの?』と言われてな。それがずっと心に引っかかっとるけど、何もせずに今まで来たんじゃ」と涙を流しながら話されたとのことでした。
 Yさんはその話を聞いて、「教会で拝んでもらったとはいえ、自宅のご霊前(霊璽(れいじ))にきちんとお祀りしていないのであれば、家が無くてさまよっているのかもしれない。もしかしたら、その子が『私のことも忘れずにお祀りして』と、霊感の強い私たち母子の20歳の節年ごとにメッセージを伝えようとしてるのかもしれない」と、あらためて水子のお祀りをしてほしいと、教会へお届けがありました。
 私は、一瞬、鳥肌が立ちましたが、それらの話を一部始終聞かせてもらい、とにかくその叔父さん夫婦の心が立ち行くように、また水子の霊様が安心されるように、そして、Yさん母子の症状が落ち着いて日常生活を送れるように、祈りを込めて霊祭をお仕えさせていただきますとお伝えしました。
 叔父さん宅での祭典当日、祭詞を奏上していると、後ろで叔父さん夫婦がむせび泣きながら平伏されていました。ご夫婦ともに、今まで忘れていたわけではなく、粗末にしたつもりもありませんが、あらためて霊を祀るという儀式をとおして、水子と向き合われました。その姿に霊様も安心されたのではないかと思います。祭典後はご夫婦ともに晴れやかな表情となり、結婚後の歩みや現在の心境などを話してくれました。
 その後、Yさん母子の症状も落ち着きを取り戻し、霊を祀るということと直接関係があったのかは正直分かりませんが、現在、日常生活の上におかげを頂かれています。

お前が来てくれたから
 このような霊様に関わる話を耳にする時、私には、いつも心に浮かぶ教祖様のご事蹟があります。
 それは、「立教神伝」を受けられる前年の安政5年7月13日。盆で先祖の精霊(しょうりょう)を迎えて供養する日の夕方に、次のようなお知らせを頂かれました。
 「金乃神様お知らせあり。家内中へ、うしろ(大橋家)本家より八兵衛と申す人、この屋敷へ分かれ、先祖を教え。戌(いぬ)の年さん、お前が来てくれられたで、この家も立ち行くようになり、ありがたし。精霊御礼申しあげ」
 このように教祖様が親先祖の霊様を大切にされ、ご信心を深められたことで、先祖も家も立ち行くようになり、道がつくようになったのです。
 その後、教祖様は、そのご体験をとおして、
 「ご信心しておくがよい。ご信心してあなたがおかげを受けると、あなただけではない、後々の孫、ひ孫の末の末までがおかげを受けるし、また、ご祖先ご祖先の精霊御霊までが、あなたがご信心して、おかげを受けてくれるからと、安心してお浮かびなさる。あなたの受けたおかげは、いつまでも離れずについてゆくものじゃから、できるだけこの世でご信心して、おかげのもとを作っておくがよい」とご理解くださいました。
 教祖様ご自身が、目に見えない霊様のお働きに心を向けて、何事も粗末にせず、大切にされたことで、先祖も喜び、神様と霊様と人間とが一体となって、共に助かる道が開かれたことを、このご理解は教えてくださっていると頂きます。

初代の信心を求め現す
 再来年の平成31年には、ご本部で立教160年祭が仕えられますが、当教会では同年8月11日に、初代教会長・塚本十一朗(といちろう)大人の100年祭を仕えさせていただきます。
 初代は、鉱山技術界の重鎮として東奔西走される中、大病を患い、ご縁のままに宮城教会所(現仙台教会)の加藤熊次郎師の御取次を頂いて全快されました。その後、道の尊さに感銘を受け、「かかる尊き霊験と教えを己一人のものにすべきではない。道に身命を捧げるべき」と決心し、真砂親教会へ入所され、教祖直信である福嶋儀兵衛師の元で修行されました。
 その後、三代金光様より「伊予の今治へ」とのご神命を頂かれ、布教困難な未知の土地に、全くの赤手空拳(せきしゅくうけん)で単身、御神璽(ごしんじ)を捧持(ほうじ)しての布教が始まり、今治の地に道が開かれたのです。
 初代は、「金光大神と神号を称(とな)えて拝む者は是(これ)を忘れなよ」と12ヶ条の教えを弟子に伝えました。そのうちの一部を紹介します。
一 、初めご神縁をこうむりし当時のありがたき心が、日すぐるとともに漸次薄らぎ行く事。

一 、月日を経過し、教理も多少解しうるとともに、自然と純信と至誠は消え去りて薄信となり、果ては理論のみ巧みにして、その実を失うに至ること。

一 、信心は霊験のみを頂くが目的なりとの考えにて、大切なる神様の大恩も信心の大本も打ち忘れて、何事か不幸にあえば、はては、自分の信心なきことも、過ちも気付かずして、神を疑い教えを誹(そし)り道を傷つくるに至ること。

一 、信心の教えをこうむりし師の恩も忘れて、霊験を頂けば用なきものとなし、物質的願望に満足するを以て信心の目的となすに至ること。

一 、道に進むにつれて務むべき自己の務めは打ち忘れやすく、ついに不足のみ起して苦にすること。

 これらの教えの根底を成すものは、いずれも「何事も元を忘れなよ」との戒めであろうかと思います。
 あらためて初代が道の働きに助けられ、身命を賭して求め現されたご信心の一端を頂き直すことが、教縁につながり、今を生きる私たちの務めであろうかと思います。これからも一人でも多くの方々に天地の大恩、お道の信心の素晴らしさを伝えられるよう、手元足下を大切にしながら、神人生活を進めたいと願っています。

(2017/9)

   



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