神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 5月号 神人あいよかけよの生活運動


「すみれの花の咲くように」島谷 一久(兵庫・曽根)

忘れられない祖母の取次
 お結界という所は、神様が人を連れて来てくださり、その方をとおして、私にいろんなことを教えてくださる場所でもあると思います。
 神様は、参拝者と取次者の両者へ信心を教えてくださいますが、とくに取次者の願う心を鍛え、信心力を授けてくださることを忘れてはいけないと思うのです。
 この15年間、私がお結界奉仕をさせていただいてきた中で、そういった忘れられないお取次がいくつかあります。その中の一つが、私の祖母・マサの話です。
 私が信奉者家庭からお道の教師になったのを一番喜んでくれたのが、この祖母でした。信心仲間たちに私の初々しい装束姿の写真を見せ回っていたそうです。
 そんな祖母がある時、後継者不在教会の後継者として、一人御用するようになって間もない私の様子を、家族と共に見に来てくれました。私が、「まあ、お茶でも飲もう」と、みんなを奥の部屋へ案内しますと、祖母がお結界の前に座って、私を手招きして呼ぶのです。
 私がお結界へ座りますと、姿勢を正して、「おばあちゃんの話すことをよく覚えておいてほしいんや」と言います。
 祖母は、普段はとても物静かな人で、それまで長々とした話を聞いたことがなかった私は、ただ事ではないものを感じました。そして祖母は、自分自身の入信に至った経緯を、次のように語ってくれました。

信心のバトンタッチ
 「大阪船場の商人の末娘として生まれたものの、私は幼い頃から体が弱く、病気がちでしてなあ。それで、おじいちゃんと見合い結婚して、上の娘を出産した後に胃潰瘍になりましたんや。『胃を切ることになる』という医師の説明に不安でならず、ますます体調を崩してしまいましてな。その時に親戚のおっさんから誘われて、近くにできた金光さまの教会にお参りをしましたんや。教会の先生もよう拝んでくれはってな。
 それから手術の当日や。たまたま通りがかった病院の院長があらためて診てくれはって、『これは手術せんでも治ります』言いますさかい、みんなが驚きましてなあ。手術が急きょ取りやめになりましてん。当時の手術はな、現代なんかと比べもんにならんぐらい大ごとなんや。そらもう神さんに縋りながら、その実、私は不安でいっぱいやったん。それが、手術前ギリギリになってからのこの急展開でしてんで、ほんまに。『神さんにお願いしたら、これほどに願い事を聞いてくれはるんか』思てなあ。この急展開に驚きもするし、ありがたかったんや。それで神さんにお願いしながら治療を進めて完治しましたんや。
 教会へお礼参りした時に、教会のトラジ先生が丁寧に神さん拝んでくれて、話してくれはってな。
 『マサさん、おかげを頂かれましたなあ。よく神様に御礼を申しております。このたびのことだけではありません。今までもあなたをどれほど神様が守ってくださってきたかを知ってください。マサさん、あなたは体が弱いかもしれませんが、この神様とご一緒に生きたら、元気で長生きさせてくださいますよ。それなのに自分で一人勝手に、自分は寿命が短いというようなことを思ったら、それこそ、この親の神様にご無礼ですよ。マサさん、今まで生かされてきたことに感謝したことってありますか?』
 いうて言われましたんや。そんな事聞いたん初めてで、この言葉が胸に刺さりましたんや。わてはほんまに病弱で、幼い頃から『この子は早死にする』とずっと言われて育ってきたさかいな。でも考えてみたら、ここまで生きてきて、子どもまで授かっとったんや。これは神さんがどれほど守ってくれてはったことか思てな。ほんまにありがとうに思わなならんなあ。信心いうたら、そういう事を習うんかと、そういうことで、わて信心が始まったんでっせ。
 お参りするたびに、今まで聞いたことない話を、教会の先生が聞かせてくれはって、それがまた楽しみで足しげくお参りするようになりましたんや。その後、2人目のあんたのお母さん、3人目と子どもを授かって、無事成長して大きくなってくれて。それぞれ家庭を持って、今や私は8人の孫にも恵まれてるんでっせ。教会の先生に名前を付けてもらった孫もおるしな。
 考えたらあれが始まりで、あんたが今こうして教会の先生になってくれたことが私は信じられん気持ちやけど、ありがたいなあって思ってますねん。神様のおかげを人様に受けてもらうというのは大変なことやからな。神さんにお願いして、おばあちゃんが死んだらここへ手伝いに来るさかいな。あんたの方からもその事を神さんにお願いしてや」
 それから二人で神様を拝みました。けれども、私は思うように声が出ません。胸から込み上げてくる熱いものがあり、涙と鼻水が止まらなかったのです。
 正直なところを申しますと、その頃の私は、一人ぽつんと教会御用をすることになって、先を思うと不安な気持ちになるし、大学時代の友人たちの姿を見ると、生き生きとやっていて、それを自分と比べてしまい、「自分の選んだ道はこれでよかったのか?」「お道の教師でよかったのか?」という迷いが自分の中に生まれてきていたのです。「今だったら、辞めてどこかに就職してもまだ間に合うんじゃないか」と。
 けれども、この時の祖母の話を聞いて、祖母の喜びに触れて、「自分一人で信心しているんじゃないんだな。お道の教師になってよかった。祖母や母からこの信心をもらってよかった」と心から思ったのです。
 拝み終えて、「ばあちゃん、大事なことを聞かせてくれてありがとう。俺は怖がりやから、夜中には化けて出てこんとってや」と言った私に、祖母は「あほ!」。泣き笑いでした。このお道の信心でなければ出てこない生き方や考え、お取次でしか生まれない感動、助かりがあるように思いますが、私はこの時それを実感しました。
 足並みをそろえて息を合わせ、「落とすな、受け取れ」と、リレーで前の走者から次の走者へバトンを渡すための区間がありますが、今考えてみると、祖母から私へのバトンタッチの併走があの時始まっていたと思います。
 私どもには、神様へ知らず知らずのご無礼お粗末というものがあり、「ご無礼」とは、私を助けようと一生懸命な神様の思いと自分の思いがずれていること。「お粗末」とは、神様の思いと合ってはいるが、それに応える自分の働きが足らない状態。だと私は頂いています。
 一人勝手に「自分の命は短いものだ」と思い込んでいた祖母が、おかげを頂いて、「どうか元気で生きていってほしい」という一生懸命な神様の親心に触れ、神様にご無礼お粗末であった自分に気が付き、以来、その知らず知らずのご無礼お粗末をなくしていく努力をしてきた信心のバトンがありました。
 あの時のおかげ、この信心がなければ、娘である母や、その子どもである私がこの世に生を受けていたかどうかも分かりません。「そういう信心の流れの上に、今ここに私が立っているんだ。これを今度は私がやっていく。何代かけても」という方向が、この時のことをとおして私なりに定まりました。一段一段そういう信心を進めて、神様から「お前さんは、まことの信者じゃ」と信用を受け、何もかもがよい方へよい方へとなって繁盛していく。そこまでのものを頂かせてもらいたいと思っています。

自分たちだけが修行じゃない
 祖母は4年前に亡くなりました。病弱で長生きできないと言われてきたのが、96歳までのいのちを頂いたのです。晩年、祖母は認知症になり、熱が出て入退院を繰り返して、「あれだけ信心しておかげを頂いてきたのに、なぜこういうことになるのか?」と私は思ってしまうのでした。その気持ちを、普段から懇意にしていただいているお道の先輩の先生に話した時のことです。
 その先輩は、「島谷くんな、おばあさんの世話をする家族にとっては、大変なご修行じゃと思う。けどな、あなたたちだけが修行をしておるわけじゃねえんぞ。おばあさんもそうやって修行をしておるんじゃ。その意味が分かるか? 神様があなたたちの信心を育てようと思われて、おばあさんをこのままで生かされてご修行をさせておられるんじゃ。自分たちだけが修行じゃと思っておってはいけんぞ」と、物分かりの悪い私に分かるように、いろんな事例を挙げて教えてくださいました。
 それを聞いた時に、私は以前の祖母が「私が死んだらあんたの所へ行くからな」と言ったことを思い出し、「そうか、ばあちゃんはこの姿のまま信心してくれているんだ。お霊様になって後々しっかり働くために、この世に生きている間に最後の最後まで、自分の身の上に出てくるものを精いっぱい受けて修行してくれているに違いない。そして後の家族もその働きを受けていくためのバトンタッチの修行があるんだ」と腑に落ち、元気が出ました。以来、顔を見ても家族のことが分からないという祖母の姿を寂しく思うどころか、私は本当にありがたくなりました。

「わて、ここに居てま」
 祖母が亡くなってからしばらくして、祖母の姪にあたる千葉の親戚から私に手紙が届きました。そこには、 『あなたのお父さんが早くに亡くなってから、大変だった時のことは、私も何度か聞いて覚えています。その当時のあなたのおばあさんの心配は大変でしたよ。おとなしい方でしたから、大声を出すわけでもなく、私の母に「うちの娘がなあ…」と、いろいろと打ち明けて話をしていて、その頃の私の母もまた、いろいろあって慰め合っていたようです。
 当時、私はあなたのおばあさんから、「教会のお広前で亡くなった先生の霊に向かって、『先生、娘を助けとくんなはれぇ、出てきて助けとくんなはれぇ』と大泣きした夢を見たら、すっきりしたんやで」と聞き、普段は本当に広前で泣くこともできず、あなたのおばあさんが夢の中で大泣きする、子どもを思う親心に胸がいっぱいになって、私も泣けてきたのを覚えています。親は夢の中でも子を思い、大泣きします。本当です。私もありましたから…。あなたのお母さんも、よくぞ耐えて辛棒したと思います。こういう話をしっかり覚えておいてくださいね』とありました。
 夢の中でも心配をして神様にお縋りする。つまり、寝ても覚めても一日中、これほどの祖母の思いが、母や私たち孫を支えてくれていた。いや、今も支えてくれているのです。 この手紙は「ばあちゃん、ホンマに手伝いに来てくれてるんか?」という私の思いに、祖母がこういう形で「わて、ここに居てま」と応えてくれた、生き死にの境を超えた祖母からのメッセージだと私は思いました。
 幼い頃、たびたび喘息をこじらせて寝込んでいた私の背中をさすってくれ、汗を拭いてくれた、祖母の冷たい手のあの感触が私の背中によみがえってきました。いつの間にか喘息は出なくなっていましたが、この「いつの間にか」という期間の中に、どれだけ祖母が願いを込め、思いを重ねてくれていたか。神様がお働きくださっていたことか。今もこの祖母の思いが私の中に入り込んで働き、信心を足してくれています。私は一人で生きているんじゃありません。
 祖母の死後、春になると、どこからか種が飛んできたのでしょう、教会の庭一面にスミレの花が咲き広がるようになり、教会の前を行く人が足を止めています。物静かで、か弱いようで、その実、都会のコンクリートのひび割れからも顔を出す強さを持ったそんなスミレのたたずまいに、私は祖母が重なって見えるのです。
 この信心のバトンを確かに受け取りました。落としません。生涯かけてこの道を通っていきます。
 ばあちゃん、ありがとう。
(2018/5)




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