神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 9月号 神人あいよかけよの生活運動


私なりの「運動」 白神ナナ(大阪・堺)

「運動」に答えはない
 「結局のところ、『運動』って具体的に何をすればいいんでしょうか?」
 「神人あいよかけよの生活運動」について、このように感じておられる方も多いのではないでしょうか。私もずっと「運動って?」と思っていました。でもきっと、正解というのはなくて、いろんな形があって、それぞれが求めていくものなのでしょう。
 2年前、私が大阪センターで御用をさせていただくようになったばかりの頃、ある会議で、所長の若林正信先生が、「お互いが縁あって目の前にいる氏子」と何度もおっしゃっていたのが印象的でした。それまでも漠然とした思いはありましたが、その言葉を聞いた日から、そのことをより意識するようになり、何が起こるにも、どんな人と出会うにも、その言葉が頭に浮かび、私が人と関わる上で大切にしている言葉です。


縁があっての出会い
 今から6年前のこと、中学校の卒業式を間近に控えたある日、お好み焼き屋さんでクラスの打ち上げをしました。その時に、集合写真を撮ってくれた店員のお姉さんの雰囲気に惹かれて話し掛けると、そのお姉さんは私の一つ年上で、通っている高校は、春から私が入学する高校でした。その時は軽い会話で終わり、やがて春を迎え、私は晴れて高校生となりました。
 その高校の体育の授業は、1、2年生合同の縦割りの授業でした。最初の授業の時、見覚えのある後ろ姿があり、「あ、あの時のお姉さんや」と、私はすぐに思いましたが、相手は私のことを覚えていないようでした。それからも、なかなか話し掛ける勇気が出ずに、お姉さんとは話せないまま学校生活を送って、再び春を迎えました。
 学年が上がるとクラス替えがあり、教室の廊下側の窓に貼られた席表を見て、周りの子たちが騒いでいます。私も自分のクラスを見つけて教室へ入ると、なんと見覚えのある後ろ姿があるではないですか。「あ、あの時のお姉さんや」。私はすぐに分かりました。実はお姉さんは留年していたのです。
 最初に会った時から、なぜかとても気になるお姉さんと同じクラスになったことは、きっと何かの縁に違いないと思いました。休憩時間になり、私はすぐにお姉さんの側に行って話し掛け、その日から一緒に学校生活を過ごすようになりました。
 お姉さんは「めえちゃん」といって、ショートカットでスタイルがよく、明るい女の子です。大人になると一つや二つの年齢の違いはあまり気にならなくなりますが、学生の頃は学年が一つ違うだけで大きなことです。留年して私たちの同期になった彼女も、「学校に行かないといけないことは分かっているけど、勉強も好きじゃないし、今まで仲良かった子たちがいないので、やっぱりなかなか来づらい」と話していました。
 話を聞かせてもらう中で、彼女自身に「頑張りたい」という意思があるのが分かり、後悔してほしくないので、私にできることはさせてもらおうと思い、朝、電話を掛けたり、家に迎えに行ったり、勉強も一緒にすることで、何とか一緒に3年生に進級することができました。両親にも「学校にこんな子がおるねんけど」と話していたので、私たちのことを祈ってくれていました。
 3年生に上がる時には、一緒に席表を見に行きました。すると、またも同じクラスです。「一緒に頑張ろう」と息込んで学校生活を送っていくうちに、何とか春、夏、秋を越えて冬を迎えました。3年生の冬は進学や就職に向けて追い込みの季節でもあります。あともう1学期というところまできていましたが、その時期になると、なかなか追いつけない勉強に、はじめは頑張っていた彼女も、少しずつ休む日が増えてきました。
 そんな冬のある日、めえちゃんから泣きながら電話が掛かってきました。それまでは必ずと言ってよいほど笑い話だったので、そんな彼女は初めてでした。電話の内容は、「ナナ、ごめん。卒業できへんくなった。ほんまに、あんなにしてもらったのに、こんな結果になって申し訳ない。自分が悪いけど悔しい。今やっと分かった」ということでした。それを聞いて私も涙がでました。
 学力不足で卒業できないという事実に、悲しさはありましたが、それ以上に、彼女から「悔しい」という言葉が出たことがありがたくて、その後、彼女はその気持ちを通信制の学校に向け、頑張って卒業しました。今も何かあれば連絡をしてくれます。 そのことがあって以来、私はさまざまな出会いに対して、「ご縁」と思って過ごしてきました。けれども、そうそういいことばかりが起こるはずもありません。ここ数年は何かとうまくいかず、人間関係によって、まるで自分の生き方や、今までの人生を否定されるような感覚に陥り、自分が信じてきたものが正しいのか間違いなのか分からなくなって、教会のお広前で毎晩、「苦しい、しんどい、神様助けてください」と涙を流したこともありました。お礼が先に立たないことを申し訳ないと思いながらも、今はこの気持ちを神様に預かっていただきたいという思いでした。


私自身も助けられて
 そういう日々を過ごしていたある朝、これも高校3年の時に同じクラスだった男の子から電話がありました。その子とは、今まで一度も連絡を取ったことがない、普通のクラスメートという関係だったので、急な電話に驚きました。
 電話を取ると、「朝早くにごめんな」から始まり、彼の家の事情、今の会社の事、自分が個人経営をしたいと思っていることなど、たくさん話してくれました。私は「うん、うん」と聞いていましたが、話の終わりに、なんで急に私に連絡してきたのか聞くと、「実は高校の時とか、熱血で、やたらと人が寒くなるような良いこと言ってて、白神のこと苦手やってんけど、こうやって社会人になってめっちゃ悩んだ時に、笑わんと話聞いてくれる人って誰かなって思ったら、白神しか浮かばへんかってん」と言ったのです。その言葉を聞いた時、「ああ、私が助けられた」と思いました。
 それは、落ち込んでいた私に、「そのままでいいよ」と、クラスメートをとおして神様が言ってくださったように感じたからです。そのことを機に、私はもう一度、これまで自分が何を大切にしてきたのか、また、これから大切にすべきことは何なのか、そして、そのことが自分本位になっていないかを考え直すことにしました。
 最近は、教会やセンターでの御用にとどまらず、友達や知り合い、関わりある人たちが頼ってくださいます。私は自分の置かれた立場や環境、性格を生かして、「話を聞いてほしい」と言われれば、夜中でも時間を作ることにしています。相談の内容はさまざまですが、それぞれに抱えきれない問題があり、誰かに話を聞いてもらうことで、あらためて自分を見つめ直すきっかけになるのでしょう。私自身も話を聞かせてもらうことで、現代社会で生きる喜びと悲しみを再確認させていただいています。それが信心につながるかどうかは分かりませんが、今は、その人が助かりさえすればの一心で動かせていただいています。お互いが縁あって目の前にいる氏子、それは教内だけに限らず、外に目を向けることで、教会で過ごしていたら会えなかった方ともご縁をつないでくださっています。
 そういったつながりから、京都のあるお寺の夏祭りの手伝いをさせていただいたことがありました。その時に、お寺の友達が「信念貫くって疲れるけど、やっぱり、こう生きてきてよかったんやとか、これを信じてよかったと思える瞬間を、仏様(神様)は与えてくださるんやな」と言ってくれました。まさに私がここ数年感じてきたことを言葉にしてくれたように思いました。
 私は、このように自分自身が神様ってありがたいなと感じたことを人に話したり、自分がしてもらってうれしかったことを、人にもさせていただくこと、そういった優しさ、相手への思いやりがめぐりめぐって、「神人あいよかけよの生活運動」につながるのではないかなと思っています。そして、私も今日までのことを頂き直して、ここからまた、自分なりの「運動」を求めていきたいと思います。

(2019/9)

   



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