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金光教報『天地』 2月号 神人あいよかけよの生活運動


「信心の根があればこそ」  髙島 保(大阪・稗島)

事業の苦境を救ったのは
 私が金光教教師にお取り立てを頂く前の話です。
 華やかな仕事がしたい。そんな不純な動機で、私はある広告代理店に入社しました。待っていたのは、毎晩夜中まで働いて朝一番に出社する営業の仕事でした。その苦痛に耐えることができたのは、独立して自分の会社を持ちたいという強い目標があったからです。
 数年後、開業資金1千5百万円を借り入れ、周囲の支援で念願の会社設立を実現することができました。順調なスタートを切り、猪突猛進で営業に回る日々を送る中で、快調に売上げを伸ばし、借入金は開業から1年半で返済することができました。
 この頃の私がどれだけ神様に心が向いていたのかと問われれば、自力で借入金を完済したという傲慢なおごりがあったと言わざるを得ません。父が教会長でしたので、大祭などの手伝いはするものの、果たして神様の御用なのかといえば、単に親の手伝いをしていたに過ぎません。父の後を継いで金光教教師になることは、当時の私には夢にも思わないことでした。
 その後、事業がうまく軌道に乗り、成長過程に入ったと思いきや、資金繰りが苦しくなる状況に陥りました。売上代金が回収できなくなり、大口の取引先の支払遅延が発生したのです。支払先への信用喪失は避けたいのですが、この苦しい状況を招いたのは資金繰りの問題ではなく、まさに経営課題への対策が遅れたことによる失敗です。いよいよ行き詰まった私は、実家である教会に行きました。
 教会のお広前でご祈念をしていると、奥から父が出て来てお結界に座りました。普段ならこの時間に座ることがないはずなのにと思うと、父が「どうしたんや?」と聞いてきます。私がよほど焦燥感にかられた顔をしていたのでしょう。この時初めて、父親というよりも親先生という感覚を持ちました。
 お結界の前まで進み、事業がうまくいっていないことをお届けすると、父が「あんたは自分の売上げを上げることしか考えてないやろ」と言います。まさにそのとおりです。「これから毎日、しっかりご祈念させていただくから、あんたもしっかり信心しなさい」。そして「取引先のリスト、担当者と進捗状況をすべて紙に書いて持って来なさい」と言うのです。
 それまでの私は、何事も自分の力、自分のやり方でするという考えで、自分の会社のことばかりを願っていました。けれども、取引先から支払先まで、すべて人と人とのつながりがあって成り立っているのです。自分の会社のことだけを願うのではなく、まず取引先の会社の発展をお願いし、立ち行くことを先にお願いすることが大事だったのです。
 父から、「天地書附を会社の見えるところに掲げて、朝夕ご祈念しなさい」と言われた翌日のことです。会社で父に言われたとおりにすると、そのご祈念が終わると同時に電話の音が鳴りました。電話の相手は、前に勤めていた会社の取引先の方で、「髙島くん、独立したんだって?よかったらうちの会社に顔出しや」という内容でした。
 早速お伺いすると、「新しい店舗をオープンするので、広告宣伝のコンサルティングに携わってほしい」とのこと。交渉の結果、毎月数百万円の仕事の契約を獲得できました。この企業は、私が前の会社に勤めていた時の顧客でしたが、なぜ辞めた会社の得意先から仕事の依頼がきたのか不思議に思って前の会社に電話をしてみると、電話に出た担当者が私の連絡先を伝えてくれたことが分かりました。
 後日談ですが、電話に出た担当者が私の後輩で、「高島さんにはお世話になりましたから、ご恩返しです」ということでした。後輩がその電話に出なければこの仕事はなかったわけで、あらためて自分の力では何もできないと、すっかり打ちのめされました。こうして、私は商売の行き詰まりから、人間の力だけでは当てにならないことを痛感したのです。 父である教会長に、このお礼をさせていただくと、「親教会である玉水教会の初代は、『神様がご主人、自分は奉公人』との生き方を悟られた。あんたも社長ではなく奉公人として、神様の仕事を神様と共にさせてもらいなさい」と諭されました。
 その後も父のお取次を頂いて、取引先でも相手の会社の発展を拝み、仕事を進めてくると、先ほどの新しい店舗がオープンしてから、2店舗、3店舗と次々に仕事の契約を頂き、瞬く間に年商1億5千万を超える売上げになりました。

親しい相手が行方不明に
 それから3年が経った頃、ある方から金融業を営むAさんを紹介されました。金融業といっても自動車担保ローン専門店で、特に高金利や法外な手数料を要求してくることもなく、この会社の親会社も、法人の登記簿謄本、定款にも問題がないと判断し、契約を結ぶことにしました。 社長のAさんはパンチパーマで、外見はガラが悪そうに見えますが、話をしていると人柄のよさが表情や雰囲気からにじみ出ていました。そのAさんと何度も打ち合わせを行いながら、ニーズや課題に合わせて緻密かつ多角的なソリューション(解決策)提案をし、継続的な取引が行われていきました。また、Aさんとはプライベートな話もするようになり、休日にはご自宅にお招きいただくようにもなりました。
 Aさんの奥さんも、見た目は金髪でヤンキー風ですが、非常に気さくな方で、実家が私の在籍教会と同じ地域であることが分かり、話題は尽きることがなく、Aさんご夫婦と睦まやかに語り合う間柄になりました。
 ところがある日、Aさんにお会いすると、沈んだ顔を浮かべて「この仕事以外にも他の仕事があって、自分にはつらい。辞めたい」と言います。「家内から『子どもが欲しいから辞めて』と言われているが、どうしたらいいと思うか」という内容で、胸襟を開いて私に相談をされました。私はためらうことなく「辞めた方がいいですよ」と答えました。この頃の私は奉公人として毎朝教会に参拝し、取引先、支払先、自社の立ち行きを願い、お届けをさせていただいていました。Aさんのことも折々にお届けをさせていただいていたからこそ、相談に即答できたのです。
 しばらく経って、Aさんの親会社から電話がありました。何とも威圧的な口調で、「『○○商事』は閉めるから、取引はすぐに中止してくれ」。そして「支払いは現金で払うから取りに来てくれ」とせかします。
 指示どおりに行くと、金文字で「○○総業」とありました。玄関には四角いカメラが左右に設置され、ドアは鉄製です。薄氷を踏む思いでインターホンを鳴らすと、「どちらはんでっか」の声。白い戦闘服姿の人が出てきました。まさに想像していたとおりの人です。案内された事務所の中は、まるでやくざ映画のワンシーンのような光景で、なぜか神棚と三宝が目を引きました。木札には、若頭、舎弟といった役職と当番表があり、そこにAさんの名前もありました。「Aさんは…」と聞くと「飛んでもうた」と。つまり行方不明ということです。私はAさんが立ち行くようにと、お願いすることしかできませんでした。

人はみな神の氏子
 それから1年ほど経った元日のことです。在籍教会では午後1時から元日祭が仕えられます。お広前はご信者さんの家族も参拝されるので、この日ばかりは玄関までいっぱいになります。私は教会家族ですので、祭典中は前の方に座っていましたが、満席になっていないかと、後ろを振り向いた時、どこかで見たような若い女性に気付きました。けれども、誰だったか失念したまま祭典が終わりました。
 その直後、「よう似てるなと思ったら、やっぱりあんたか!」と頓狂な声が耳に飛び込んできました。先ほどの女性は、Aさんの奥さんだったのです。私は驚きのあまり言葉を失いました。「なぜ彼女がここにいるのか?」。困惑と疑問が頭を巡る中、奥さんは「あんた、こんな趣味あったんか!」と屈託がありません。私が教会の家族とはまったく気付いていないのです。しかも、おめでたなのか、彼女の下腹部が膨らんでいるように見えます。「ところでご主人は?」と聞くと、「外で待ってる」。玄関を見るとAさんがおられるのです。まさかこんな形でまた会えるとは思ってもいませんでした。
 Aさんに話を聞くと、「子どもができたから、今は堅気の仕事に就いている」とのことで、「今日は妻の実家の家族と一緒にここに来た」と言います。実はAさんの奥さんのおばあちゃんは、以前からこの教会に頻繁に参拝されるご信者さんだったのです。おなかにいる子どもさんの成長と初詣を兼ねて参拝されていたのです。
 この小さな教会で再開できたことは、私にとって「経験したことのない大きなおかげ」としか言いようがありません。世の中には、いろいろな方がおられますが、どんな人も「みな神様の氏子」であると言われます。人は皆、この世に神様の分身として命を授かると同時に、神心を授かっているのです。
 Aさんは、一時の感情や欲望に負けて、たまたま道に迷い、間違えてしまっただけではないでしょうか。「つらい。辞めたい。助けてくれ」と心の奥で叫び、助かる道を求めておられたのです。そんなAさんに、生まれてくる子どものことを願い、慈しむという、生まれ持った神心が現われてきたのです。そこにはAさんの神心を引き出してくださる、神様の働きがあったのではないかと思います。

受けたご恩を返すには
 私の父は現在、在籍教会の教会長として御用を頂いていますが、元は親教会である玉水教会の一信者でした。父が親教会の書生になる契機となったのは、私の姉が大病を患い、医師が「命の保証はない」とまで口にする中で、お取次を頂いて奇跡的なおかげを受けたことからです。父の信心の根幹は、「大きなおかげを頂いて、このご恩をどう返せるのか」「どうしたら本当のお礼ができるのか」というものでした。
 振り返ってみると、私も人生の半分以上を親教会でお育ていただきました。私の命は、生まれる前から親先生の御取次を頂き、祈られて育ってきたのです。次第に「今、こうしてサラリーマン時代の数倍の年収をもらっているが、その恩を返すということが私にできているのか」と思うようになりました。
 「恩を返す」ということはどういうことなのかと考えていた時、「氏子が助からなければ、神も助からない」との教えを思い出しました。人が助かることが神様の助かりにつながり、人を助けることが恩を返すということにつながる。そう思うようになったのです。
 世の中には、先ほどのAさんのように「助けてくれ」と叫んでおられる氏子が大勢おられます。父の代だけではとても返すことができないご恩を、父と一緒に返していこうと思うようになり、金光教学院に行くことを決めました。今の事業は、取引先に迷惑を掛けないよう、すべて同業者に引き継ぎました。
 ところが、私の妻は、私が学院に行くことについてまったく理解を示しませんでした。結婚するまでは、金光教の存在すら知らなかったのですから無理もありません。私が学院に行っている間、生活費があまりに少ないことを危惧した妻は、食品メーカーに就職しました。すると、ここでもまた意外な人と出会うことになります。

不思議なつながり
 金光大阪高校が甲子園に出場した時のことです。妻が職場の休憩時間にその試合を見ながら応援していると、一人の女性が親しげに事務所に入ってきました。女性はテレビを見ながら、「金光教頑張れ」と応援するのです。不思議に思った妻が「金光教を知っているんですか?」と尋ねると、おばあちゃんが信者で、その女性も私が在籍する教会に行ったことがあるとのことでした。「旦那が『お札が欲しい』と言ってるから、今度行くわ」という言葉を残して女性は去りましたが、後日、驚きの事実が判明しました。妻と話した女性は、何とAさんの奥さんだったのです。妻が就職する前にそこに勤めており、今は保険の外交をしているとのことでした。
 Aさんご夫妻とは、私の父と妻も、それぞれ別々のところでつながっていたのです。なぜ、ここまでつながっているのかと思う時、「何とかして助かってほしい」と願ってくださっている神様のお働きを感じずにはいられません。
 数日後、Aさんの奥さんとお母さんが一緒に参拝され、その後、お母さんは日参を続けられるようになりました。
 学院を卒業して教会のご祈念帳をめくると、Aさん家族の信心の元になるおばあちゃんは、すでに亡くなっておられ、昔からのおばあちゃんのお届けの内容が書かれてありました。そこには、家族親族一人ひとりのこと、特に孫であるAさんの奥さんのことがお届けされてありました。おばあちゃんの信心の根が、お取次をとおして、どこまでも深く伸びていた事実を物語る出来事であり、私にとっても神様のお働きの尊さを強く感じた出来事となりました。
(2019/2)

   



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