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「信心と理屈の間で」の記事

第12回 まだまだ俺は薄っぺらい!【信心と理屈の間で】
第12回 まだまだ俺は薄っぺらい!【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  この連載今回が最終回である。また今年はラジオ放送「金光教の時間」でお話もさせてもらった。どちらに対してもメールなどで感想を頂いたが中には( Update:2021/01/06)
第11回 「良くない」信者なりの矜持【信心と理屈の間で】
第11回 「良くない」信者なりの矜持【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  金光教の信心で目指す方向到達すべき理想像について書かせて頂く。ただし無論筆者がそれらを本当に分かって実行できているわけではない。「このように教えられております」という紹介と( Update:2020/11/30)
第10回 神様がお上の支配を受け…【信心と理屈の間で】
第10回 神様がお上の支配を受け…【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  昔から洋の東西を問わず宗教が時の政治権力によって弾圧された例は多い。日本では江戸時代のキリシタン弾圧や「島原の乱」が有名で宣教師や信者多数が( Update:2020/11/09)
第9回 伝えたい、やさしい世界観【信心と理屈の間で】
第9回 伝えたい、やさしい世界観【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  人と生き物とのコミュニケーションについて、「おもしろいなあ!」と思ったことを書かせて頂く。 ( Update:2020/10/19)
第8回 核心はいまだ分からぬまま【信心と理屈の間で】
第8回 核心はいまだ分からぬまま【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  本物の宗教とはどんなものなのか。それを逆から考えてみるため、偽物の代表例として、オウム真理教を題材にさせて頂く。 ( Update:2020/09/17)
第7回 洗脳と育成の違いを考える【信心と理屈の間で】
第7回 洗脳と育成の違いを考える【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  筆者は金光教に中年になってのち「横から入った」人間である。だから子どもの頃から親に連れられて教会に通っていたという人たちをうらやましく思う気持ちがある。 ( Update:2020/08/20)
第6回 探していた宗教と出合えた【信心と理屈の間で】
第6回 探していた宗教と出合えた【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  今回は「願い」や「願望達成」について書かせて頂く。これまでの人生で筆者は強烈な願いを持ちそれを実現させた経験をまずは3回持っている。「まずは」と書いたのは( Update:2020/07/20)
第5回 拝詞の文言に思いを巡らせ【信心と理屈の間で】
第5回 拝詞の文言に思いを巡らせ【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  40代後半に金光教を知り観察と検討の2年間を経て大阪の玉水教会に通わせてもらうようになった。その間最初から得心できた事項もあり違和感を覚えたこともあったので( Update:2020/06/29)
第4回 非科学的だから全部うそ?【信心と理屈の間で】
第4回 非科学的だから全部うそ?【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  今回は、人のだまされやすさや誤解ぶり、それと宗教あるいは科学との関係について、書かせて頂く。 ( Update:2020/06/09)
第3回 新しい視点で面白さ再発見【信心と理屈の間で】
第3回 新しい視点で面白さ再発見【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  筆者の趣味は読書と上方落語の鑑賞である。そして40代後半で金光教を知り大阪市にある玉水教会に通わせて頂くことになったのだがその決心にも趣味が大きく関係したので( Update:2020/05/27)
第2回 我々は怪しい〝極少数派〟?【信心と理屈の間で】
第2回 我々は怪しい〝極少数派〟?【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  今回「日本人はなぜ宗教を警戒するのか」について書かせて頂く。この場合の日本人とは特定宗教の信奉者ではなく日常ではせいぜい法事のとき僧侶に来てもらう程度の( Update:2020/05/14)
第1回 信じられるまで「なぜ」を【信心と理屈の間で】
第1回 信じられるまで「なぜ」を【信心と理屈の間で】
かんべむさし(SF作家)  今号から月1回の連載で12回エッセーを書かせて頂くことになった。金光教やその信心についてレベルの高いことを書ける人間ではないので気軽に読んで頂けるものを( Update:2020/04/28)
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