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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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13  天地のことをあれやこれやと言う人があるが、人間では天地のことはわからない。天地のことが人間でわかれば、潮の満ち干もとめられよう。
49  人が人を助けるのが人間である。人間は、子供がころんでいるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちているのを見て、すぐに引き上げてやることができる。人間は万物の霊長(れいちょう)であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。牛馬その他の動物は、わが子が水に落ちていても引き上げることはできない。人間が見ると、助けてやれる。牛馬や犬猫の痛い時に人間が介抱(かいほう)して助けてやることは、だれでもあろう。人間は病苦災難の時、神や人に助けてもらうのであるから、人の難儀(なんぎ)を助けるのが人間であると心得て信心をせよ。
65  死ぬというのは、みな神のもとへ帰るのである。魂(たましい)は生き通しであるが、体は死ぬ。体は地から生じて、もとの地に帰るが、魂は天から授けられて、また天へ帰るのである。死ぬというのは、魂と体とが分かれることである。
55  生きている間も死んだ後も天と地はわが住みかである。生きても死んでも天地のお世話になることを悟(さと)れ。
175  願い事があると、遠方からわざわざ参って来て頼む人が多い。人を頼むにはおよばない。真(まこと)の信心をして、自分で願っておかげをいただけ。人を頼まなければ、おかげがいただけないとすれば、取次をする者のそばにつききりでいなければなるまい。神はそういうものではない。自分で願って、自分でおかげをいただけ。
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