『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。
294 | 人間は食べ物でできているのであるから、物を食べなければすぐにやせる。病気になると、欲しい物が食べられないので困る。その時に、不自由を行(ぎょう)と思い、物を不足に思わないで、万事、神を一心に頼み、万物をありがたくいただく心を磨(みが)いていると、早くおかげが受けられる。 |
58 | 神のおかげで生まれてきた人間であるから、死ぬのも神のおかげでなくて死ねるものか。そうであるから、生まれたのがめでたいなら、死んで神になるのは、なおのことめでたいではないか。死ぬのがつらいと言うのは、まだ、死ぬのをいとわないだけの安心ができていないからである。信心して、早く安心のおかげを受けておかなければならない。神のお計らいでは、いついくかも知れないのに、その際のうろたえ信心では間に合わない。平生から、まさかの折にうろたえないだけの信心をしておかなければならない。 |
83 | 信心していても、おかげが遅(おそ)い、まだかまだかと思ってうろたえて、真(まこと)の心が大事であるということを知らない。神にお頼みして、一週間たっても治らなければ、まだ治らない、おかげはないと言って神を恨(うら)む。三年、五年、医者にかかり薬をのんで、まだ治らなくても、医者には不足を言わないで、また頼みすがっていく。神はお気の毒なものである。 |
215 | ふだんはふだんでおかげを受けなければならないが、いざという時にはなおのことおかげを受けなければならない。どのような時にでも置き場を忘れて探し回ることのないように、信心の心は肌身離(はだみはな)さず持っていないと、用心が悪い。いざという時には裸(はだか)でも、田んぼの中でもよい、「金光様、お願いします」と頼めば、すぐおかげをくださる。 |
93 | 信心をせよ。信心とは、しんはわが心、じんは神である。わが心が神に向かうのを信心という。御徳の中にいても、人間に信がなければ、おかげはない。 |