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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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170  はじめは、お祓(はらい)を一週間に一万回も唱えていたが、後、そのことを金光様にお話し申しあげたところ、「拝み信心をするな。真(まこと)でなければいけない」と言われた。また、「神を拝むのに手や口を洗っても、心を洗わなければ何にもならない。心は火や水では洗えない。真一心で心を洗って信心をせよ」とも教えてくださった。
148  たびたび参って来なくてもよい。参って来ても、金をこれだけ使った、これだけあればあのことができたのにと思うようでは、神に心配をかけるようなものである。神は親であるから、子がお金の心配をするのは、かわいそうに思われる。無理にたくさんのお金を使って参らなくても、わが家で信心しても守ってくださる。
161  ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはない。神の言うことは道に落としてしまい、自分勝手にして、神を恨(うら)む者もある。神の一言(ひとこと)は千両(りょう)の金にもかえられない。ありがたく受けて帰れば、船にも車にも積めないほどの神徳がいただける。心の内を改めることが第一である。
101  生きている間は修行中である。
215  ふだんはふだんでおかげを受けなければならないが、いざという時にはなおのことおかげを受けなければならない。どのような時にでも置き場を忘れて探し回ることのないように、信心の心は肌身離(はだみはな)さず持っていないと、用心が悪い。いざという時には裸(はだか)でも、田んぼの中でもよい、「金光様、お願いします」と頼めば、すぐおかげをくださる。
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