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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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308  人は一代、名は末(まつ)代というが、人間は一代の内に、死んだ後へ名の残るようなことをしておくがよい。そのように思って働けば、年寄りが集まった時、若い者が礼を言わない、喜んでくれない、と不足話をしないですむ。若い者から、おじいさんおばあさん、話が聞きたい、と言われるような信心をせよ。
367  神から金光大神に、いつまでも尽(つ)きないおかげを話にしておく。金光大神が教えたことを違(ちが)わないように人に伝えて真(まこと)の信心をさせるのが、神へのお礼である。これが神になるのである。神になっても、神より上になるとは思うな。
185  九死(きゅうし)に一生のお願いでどうでもおかげをいただこうと、一心になっている時のように、お礼が本気で言えたらよい。願うことはすぐにできても、お礼はなかなか言えない。お願い一度にお礼十度というように、お礼を言う心が厚いほど信心が厚い。信心が厚いほどおかげが厚い。
198  農作業で忙(いそが)しい時など、ご飯を神に供えるのに、足が汚(よご)れているからと、めんどうに思って供えるのでは、神は喜ばない。それよりも、釜(かま)の中で少々かき寄せて、神様と言って拝んで、それをよく混ぜていただけ。神はそれを喜ぶ。
313  話を熱心に聞くのはよいが、わが家へ帰り、大変な信心家になって、うちの者を叱(しか)るばかりして困らせてはならない。世間には、あの人は講釈(こうしゃく)はよいが、という講釈だおれがある。信心する者は、神の話を聞いて納得したら、第一に、自分がしてみせて、それから言い聞かさなければならない。口ばかりの先生ではうちの者も聞かないし、神にも相すまないことになる。
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