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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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100  信心は日々の改まりが第一である。毎日、元日の心で暮(く)らし、日が暮れたら大晦日(おおみそか)と思い、夜が明けたら元日と思って、日々うれしく暮らせば家庭に不和はない。
259  信心する人は、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家の中に不和を起こすし、人とも仲違(たが)いをする。世間を見よ。後にはわが身を滅ぼす者がある。これは堪忍(かんにん)が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ。
284  我を放せば神になるというが、人間は、生きている間は健康繁盛(はんじょう)を願い、農家が五穀成就を願い、商売人が商売繁盛を願うのは当たり前の欲である。我を放さなければならないといって、商売人が損をしたり農家が穀物を取らなかったり、人間が早死にをしたりしたら国はもたない。
308  人は一代、名は末(まつ)代というが、人間は一代の内に、死んだ後へ名の残るようなことをしておくがよい。そのように思って働けば、年寄りが集まった時、若い者が礼を言わない、喜んでくれない、と不足話をしないですむ。若い者から、おじいさんおばあさん、話が聞きたい、と言われるような信心をせよ。
234  天地金乃神は天地を一目(ひとめ)に見ている。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏(も)れる。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さなければおかげは受けられない。ままよとは、死んでもままよのことである。
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