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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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27  神は、体の毒を日に日に大便小便で取ってくださる。
235  わが子の病気でも、かわいい、かわいいと思ってうろたえてはいけない。言うことを聞かない時にも、ままよと思ってほうっておくような気になって信心をしてやれ。おかげが受けられる。
264  信心の浅い時には、人から悪(あ)しざまにそしられるとすぐ腹が立って、こらえきれないで、しっぺ返しのようなことをする。しかし、信心が少し進んでくれば、人からそしられると、腹は立つけれども、信心しているからと思ってこらえられるようになってくる。信心がずっと進んでくると、人からそしられても腹が立たない。腹が立つどころか、かえってその人が気の毒になる。
186  「金光様、なにぶん、突然(とつぜん)にお参りをしましたので、何もお礼を持って来ておりませんが、何をお供えすれば神様がお喜びくださるでしょうか」とお伺いすると、「何もお礼を出すことはいらない。自分が受けたおかげを手本にして世の中の人を救ってあげれば、お礼になる」と仰せになった。そこで、「私のような学問も何もない者には、それはむずかしいことです」とお答えすると、「学問のある者しか神は使わないというわけではない。学問はなくても真(まこと)の徳をいただけば、さしつかえはない。自分が受けたおかげを手本にしていくのであるから、むずかしいことはない。ご用をさせていただけ」と仰せられた。
381  たびたび参られても、何も手から手に渡すものはない。私のは話がおかげであるから、帰られたら話をして、おかげを受けさせよ。世の中に他人ということはない。
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