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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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21  願う心は神に届くものである。天地金乃神は、くもが糸を世界中に張ったのと同じことである。糸にとんぼがかかればびりびりと動いて、くもが出て来る。神も同じことで、空気の中にずっと神の道がついているから、どれほど離れていても、拝めばそれが神に届く。
130  信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげが多い。後で考えてみてはじめて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者である。
193  神は供えたお金をただで取りはしない。昔から一粒万倍(いちりゅうまんばい)というであろう。大地に米を一粒(つぶ)まいてみよ、一合(ごう)になるであろう。また、年が明けてその一合をまいてみよ、一俵になろう。天地の神に供えた物は、そのようなもので、一粒万倍にして返してやる。
262  負けてこらえておれ。負ければ損をするからばからしいと思うかも知れないが、神がまた、くり合わせてやる。そして、人からもよい人と言われるようになり、身に徳がついてくる。
151  参って来なさいとは言わないが、たびたび参った人は、たびたび参っただけの神徳はいただけるであろう。たとえば、学校へ長く行った人は、何かと知っていることが多い。たびたび参って来る人は、金光大神の話を聞き覚えて、何かと知ることがあろう。また、たびたび参っても、自分の思うことを頼み、帰ることを急ぐ人は、勝手な信心で、金光大神の話すことは何もわからないであろう。
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