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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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106  玉磨(みが)かざれば光なし、光なければ石かわらのごとし、と言われているが、信心する者は本心の玉を磨かなければならない。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かなければ光らない。人間は万物の霊長(れいちょう)であるから、本心の玉を磨いて、何事にも心がけをよくしなければ、自分は信心していると思っていても、人はそう見て敬ってはくれない。それは、身勝手な信心というほかない。
143  信心して徳を積み、神から徳を受けた人は、慎(つつし)みが第一である。常に慎みをしても、死に際(ぎわ)に不足の心が出ては、せっかく受けた徳を失うことになる。信心して徳を受けた者は、平素の慎みも大切であるが、死に際の慎みも、また格別大切である。必ずその時に徳を落とさないようにせよ。
201  世間には、水の行(ぎょう)、火の行などがあり、いろいろの物断ちをする人もあるが、そのような行はしなくてもよい。巡礼(じゅんれい)のように白い着物を着てあちらこちらを巡(めぐ)り歩く暇(ひま)に、毎日の家業を信心の行と心得て勤め、おかげを受けるがよい。
354  金光大神の話は、学者の話や講義と違(ちが)って、ここが続き、ここが切れ目ということがない。天地のある間は、天地の話が尽(つ)きることはない。金光大神は天地の道理を説くのである。
190  神の教えどおりに願って、願いどおりのおかげを受け、ありがたいと言ってお礼に供える物は、神も喜ぶ。末の繁盛(はんじょう)を守ってやる。お札(ふだ)やお守(まも)りの代金、初穂(はつほ)、益を取るなどという神とは、神がちがう。
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