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『天地は語る』から

天地は語る

『金光教教典』から400のみ教えを抽出し、現代語訳を施し、「神と人間」「人間の難儀」「信心とおかげ」など、事項別に編集しました。持ち運びできる新書版サイズです。
教祖金光大神様の信心を理解する書として、また、信心生活を勧める糧として広く活用され、さらには、『金光教教典』に接する機会になればと願っています。

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178  商売上のことを願ったところ、金光様は、「あなたの家には病人があるのに、それをほっておいて願いもしないで、不孝な者である」と言われ、「よく考えてみると中風で動けない老人がいます」と申したら、「それをそのままにしておいてもよいか」と仰せられた。「治るでありましょうか」と申したら、「老人だからといって治らないことはない」と仰せられ、信心して全快した。
60  死ぬ用意をするな。生きる用意をせよ。死んだら土になるのみ。
385  寒い日であったが、お参りの途中(とちゅう)で気の毒なおじいさんに遭(あ)い、かわいそうに思って、着ていた物を脱(ぬ)いであげた。それからお参りすると、金光様が、「今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真(しん)にかわいいという心からわが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心である。その神心におかげがいただける。それが信心である」と仰せられた。
328  鉄でも使えばすり減る。人間は生身(なまみ)であるから痛いかゆいがあるのは当たり前である。鍬(くわ)でも刃先の焼き直しをしたら、はじめよりよく切れるようなもので、人間も時々痛いかゆいがあるのは刃先の焼き直しである。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでいく。人間は勝手なものであるから、痛いかゆいがあると信心ができるが、何事もなかったら信心が寝入(ねい)る。
185  九死(きゅうし)に一生のお願いでどうでもおかげをいただこうと、一心になっている時のように、お礼が本気で言えたらよい。願うことはすぐにできても、お礼はなかなか言えない。お願い一度にお礼十度というように、お礼を言う心が厚いほど信心が厚い。信心が厚いほどおかげが厚い。
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