神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 5月号 神人あいよかけよの生活運動


自らの心と体を使う  荻野 理喜之助(東京・馬込)

つながっている心と体
 平成23年3月、東日本大震災発生直後のことです。私は一時期、精神的に不安定な状態に陥りました。震災が起きた時、私は本部教庁での会議に出席していたため、地震の揺れを直接体験することはありませんでした。
 会議終了後、その日のうちに飛行機で帰京する予定にしていましたが、震災当日のことで岡山空港に飛行機が来ず、いつまで待っても飛ぶ気配がありません。らちが明かないので飛行機は諦め、岡山にホテルを取って、翌朝、新幹線で帰ることにしました。
 大変な状況に、どんどんホテルが満室になっていく中で、かろうじて部屋を押さえることができました。部屋に入り、いったいどうなっているのか、情報を集めるためにテレビを付けると、想像を絶する光景がテレビに映し出されていました。大きな被害を受けた地域については、現地の映像すら届いていない状態で、東京でも、私が知る東京とはまったく違う光景が映し出されていました。
 渋谷の駅前はバス待ちの人で溢れかえり、馬込教会の近くを走る片側3車線の国道は、普段は歩行者があまりありませんが、歩道から溢れた人が車道を埋め尽くし、同じ方向に行列して歩いている様子が流れていました。そのような映像を見ていると、次第に心拍数が上がり、教会はどうなっているのだろうかなどと、どんどん滅入っていったのを記憶しています。
 次の日、新幹線は運行しており、東京に向かうことができましたが、車中では東京に近付くにつれ、いったい何が待ち受けているのかと、不安が増していきます。「帰りたくない」という思いに駆られたのも正直なところでした。
 それでも教会に帰り着き、家族から話を聞くと、大変な揺れではあったものの、棚から食器が飛び出し、破損したこと以外は大きな被害はなかったということです。それも既に片付けられており、その他には、教会の3階にある私の部屋の本棚が前方に傾き、部屋中に本が散乱しているという程度のことでした。
 それにも関わらず、私は日に日に滅入っていきました。毎日起こる余震に緊張し、次第に食欲が失われていきました。そして毎日のように下痢が続きました。体重はみるみる減っていき、顔つきも不健康そのものに変わっていたようです。
 その頃は、東京センターの御用に出るのも本当に苦痛でした。まず、電車に乗ることがつらいのです。「余震で車内に閉じ込められたらどうしよう」と不安がよぎります。実際、車内で突然、緊急地震速報の警告音が一斉に乗客の携帯電話から鳴り、「緊急地震速報です」と車内アナウンスが響き、電車が急停車するという経験を何度かしました。その時車内は殺気立ち、私の心拍数も急上昇していくのが分かります。
 東京センターでも、明らかに経年劣化しているセンタービルが「余震でいつか倒壊するのではないか」との不安に苛まれながら、御用に当たっていました。会議中も落ち着かず、今すぐにでもビルの外に出て行きたいという衝動に駆られることもありました。当然、会議は上の空といった状態でした。
 そして、その不安がとうとう体に現れました。私は所用で3階の部屋に行こうと、2階から3階に向かう階段に差しかかった時です。突然体が動かなくなり、足が一歩も前に出なくなってしまったのです。「行きたくないな」という気分的なことから躊躇しているのではなく、本当に体が動かないのです。一端戻って試してみても、同じところで体が動かなくなり、とうとう3階に上がることは諦めなければなりませんでした。

映し出されたご夫人の姿
 そんな状態が続いていた中で、あるテレビ番組を観る機会がありました。津波の被害に遭った被災地で、家の片付けに来ている方にインタビューをしていました。中年のご夫人がインタビューに応じていたのですが、1階が津波で被災したものの、2階が無事だったので2階に残っている物を取りに来たところでした。
 そのご夫人はインタビューに対し、「2階が無事だったので、残っている物を取りに来たんだけど、なかなか2階に上がるのが怖くてね」というようなことを、穏やかな顔つきで言っていました。そして、階下から2階を映した映像が流れ、さらにインタビューを続けようと、そのご夫人にカメラがパンした瞬間でした。余震が起きたのです。するとそのご夫人は、「ひゃー」と弱々しい悲鳴をあげ、先ほどの穏やかな顔が緊張で引きつり、両手で頭を抱え、その両手の指は小さく震えています。
 テレビ越しではあるものの、その姿を見た瞬間、「ああ、この方は怖くて2階に上がれなかったんじゃない。上がろうと思っても体が動かなかったんだ」との確信が、私の中に湧き上がってきました。この方はここに至るまで、どれだけのつらい思いをしてきたのだろう、どれほどのものを背負ってきたのだろうと、とめどない感情が込み上げてきました。それは私にとって、経験したことのない感覚でした。そして、「どうぞ、あの方が安心して2階に上がることができるようになりますように。心の平穏が訪れますように」と祈らずにはいられなかったのです。

人の痛みがわが痛みに
 み教えに「人間はみな同じように神様の氏子であるから、神様のお取次をする者は、氏子に対して不同の取り扱いはするな。人のことと思わずに、わがことと思って、不同のないように力を入れて願え」とあります。また、ある先輩教師が、先師の言葉として「お取次するのは、痛かろうではいけない、痛いのでなければいけない」と教えてくださいました。この話は以前からよく耳にしていました。けれども、心のどこかで、「しょせん人の痛みは想像することが関の山で、同じように『痛い』と感じることなんてできないのではないか」と思っていました。しかし、このたび私の心身に起こった出来事によって、人の痛みが私の中に流れ込んでくる経験をさせていただいたように思います。
 これからもお道の教師として、さまざまな方の難儀と向き合うことになろうかと思います。その難儀に触れた時、その方の「痛み」を感じられ、わが事として助かりを願えるような私にならせていただきたいと思っています。
 それを「神人あいよかけよの生活運動」で表現すれば、「願い」の5行は、直信先覚先師のご信心から導かれた、本教信心のプロット(物語の要約)のようなもので、地図上に示された1本の道だと思います。けれどもそれは、先人たちが道のないところを、それぞれが難儀を抱え、痛みに向き合い、おかげを頂いてきた体験から記された道だということです。
 震災後の経験を経た今、私が思う「運動」とは、先人が示してくださった地図を、上空から俯瞰的に見るのではなく、しっかりと自分も地図の上に立ち、「願い」の文言をよりどころにして、その場所からの視界をとおして先覚先師の歩まれた道を、自らの心と体を使って模索していくことだと思っています。
(2019/5)

   



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