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<平成26(2014)年の活動報告>

【輔教任命】 ご神願成就の担い手として

 平成26年12月14日におこなわれた布教功労者報徳祭並びに金光キクヨ姫五十年祭のご祭事のなかで、新任・再任を合わせて423人が輔教に任命された。
 ご祭事のなかで行われた輔教任命では、堤由貴氏(福岡・不知火)が代表として、辞令と記念品を受け、所願表明を行った。
 祭典終了後、祭場庭上で辞令交付式が行われた。

所願表明
 ただ今、教主金光様より、私たち423名の者が輔教任命の辞令を頂きました。教祖様ご生誕二百年のお年に、輔教としてお取り立ていただきましたことは、大変意義深く、ありがたく、心より御礼申し上げます。
 このお道の信心は、喜びと感動にあふれています。これからも神様に心を向け、神様の生きたお働き、神様の願いを実感し、お礼と喜びの心、和賀心をもって、感動のある信心生活を進めてまいりたいと思います。そして、輔教として、人を祈り、願い、助け導くことで、少しでも神様へのお礼ができますよう、迷わず精進してまいりたいと思います。
 どうぞ、教主金光様のお取次のもと、ご神願成就のお役に立たせていただきますよう、心よりお願い申し上げます。
任命輔教代表 堤 由貴

教会部長挨拶
 本日の祭典でまつられたご霊神様方は、それぞれの時代社会にあって、神様の願いと教祖様のおぼしめしを受け、「神と人とあいよかけよで立ち行く」道のご用にその生涯を捧げられた方々です。その式典のなかで、皆さんは教主金光様から輔教のご任命を頂かれました。それは、この道による助かりの実現に力を尽くされたご霊神様方の布教精神を、共に頂いていくということを意味するのではないかと思います。
 所願表明に、「輔教として、人を祈り、願い、助け導くことで、少しでも神様へのお礼ができますよう、迷わず精進してまいりたいと思います」とありました。そのためには、「神人あいよかけよの生活運動」の「願い」の実践が大切だと思います。
 「人を祈り、願い」ということには取り組みやすく、「人を助け、導くという実践行動は難しい。私はそうしたことが苦手だ」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、御取次を願い頂き、人を祈り願うことに取り組むなかで、神様がそのことにお力添えくださり、「助け、導く」ということも、「しなければならない」でなく、「せずにはおれなくなる」のだと思います。また、神様のおかげにお礼を申して、喜びの生活を進めるなかで、その喜びの輪が周囲に広がり、神様がおのずと人が助かるご用にお使いくださると思うのです。
 教祖様は唐樋常造師に、「理屈があっても、みなまで言うな。理屈とくさびとは八合詰め。詰める紙袋は裂ける。あいよかけよで世は治まるのである」と教えをされています。このみ教えを頂かれた唐樋師は、それが心底まで染み込まれたようです。
 唐樋師の奥様は、師の言によれば、「ヤンチャな女性」であられたようで、そのうえに酒好き、「私が連れ添うてやらねば、ほかに連れ添うてくれる者がない」といった方であったようです。そうした奥様に、自分は正しいといった理屈をもって接すれば、腹が立つことも起きてくる。ついそのようなことになってしまいがちですが、唐樋師は教祖様のみ教えを実践され、「あいよかけよ」のあり方を求め続けられました。そうするうちに、「連れ添うておればこそ妻であるが、別れてみれば、人の大切な娘であり、神のかわいい氏子である。その氏子に、手をあてることはできぬと思えば、腹を立てるどころではない。少しずつでも、手伝ってくれるのが、ありがたいように思うておりました」というような信心へと展開されていったのです。
 そうしたなかで、後に世間の人が、唐樋師夫妻の乗る船をその仲のよさから「夫婦丸(ととかかまる)」と呼んだといわれます。さらに、その夫婦の間柄に触れて感化を受け、助かる人たちが生まれていったということです。
 教祖様のみ教えを頂き、神様のみ思いに気づかれ、奥様を「神のかわいい氏子」と見られるなかで、お礼が生まれ、喜びが生まれてきた。そうしたなかで、おのずと周囲の人に伝わっていくようなあり方が生まれ、そこにまた助かりが生まれてきた。まさに「神人の道」が生まれていったのです。 このように、この道でみ教えを実践させていただくということに本気で取り組めば、神様がお働きくださり、「おのずと伝わっていく」ということがあるのです。この道を伝えたいとの熱い思いもまた、そうした日々の信心の稽古、み教えの実践をとおして、深く、強くなるのだと思います。その意味からも、ここから輔教としてみ教えの実践にいっそう取り組んでいただきたいものです。
 輔教のご用は、それぞれ持ち場立場の違いから一様ではないでしょうが、輔教としての使命と誇りをもって教会活動を担い、道を人に伝え、一人でも多くの人が助かるお役に立っていただきたい。そして、神様の願いが成就していくために、われわれ教師と共に、ここから喜び勇んでご用に立っていただきたいと存じます。

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輔教集会(関東教区)

 関東教区では平成26年11月29日、東京センターで輔教集会を開催し、34人が参加した。
 講師の大木光雄センター所長は、「輔教の役割―道を伝える」と題して、次のように語った。
 「輔教は教師と同じく、教団を支え、人が助かるご用を担う方である。大切なのは、この道の信心で助かった、おかげを受けたという実際であり、それを自分だけに留めず、多くの人たちに同じ喜びを受けてほしいと思う情熱である。世俗に埋没した物の考え方ではなく、金光教の信心の総合力、祈りや言葉、行動が問われている。かわいいと思う神心を持って、神様のお使いとして、『世を救い、人を助け、道を伝える』お役に立たせていただきたいとの思いを持つことが求められている。
 伝えるということは、話をする行為だけではない。自分はこのようにおかげを頂いたということを、ありのまま人に伝えていくのだが、そのためにはまず、聴くという姿勢が必要だ。現在、少年院に出仕させていただいているが、収容されている子どもたちの話を聴き、一緒に物事を考えていくことを心がけている。そのなかで、自分で気づくということが、子どもたちのなかに生まれてくる。それは、教会のお取次のご用にも大切だと思う」
 班別懇談では、輔教の役割や実際の取り組みについて話し合われ、「輔教としての覚悟が求められる」「信心の感性を磨くことが必要」などの感想や、「自分用に整理したみ教え冊子を作成し、携帯している」「教内の雑誌を配布して、信心のかけ橋にしている」などの取り組み例が出された。また、「何をすべきかという具体例が欲しい」という質問に、講師が「具体も大切だが、信心への情熱と喜びを持つこと。信心してうれしいという思いが、大きな役割につながる」と答えた。
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輔教集会(南九州教区)


熊本会場 8月31日
 熊本会場では、南九州教務センターを会場に25人が参加した。
 はじめに、比企いく子氏(熊本・木山)が、「木山教会の初代教会長が、天地の大恩をみ教えくださり、両親の信心があって、私がいることを知った。難儀なこともあったが、お差し向けとお繰り合わせを頂き、お礼を申しきれないほどのおかげを頂いてきた。子どもへの信心継承とともに、他者の助かりと立ち行きを願ってお道を伝えるのが、私の務めである」と語った。
 続いて、大坪鎭夫氏(宮崎・真幸)が、「思いもよらない難儀に出遭った時、義母の勧めで教会に参拝した。先生のお取次を頂きながら、天地のなかで生かされている自分を知り、神様のおかげを実感した。ある時、妻と娘が教会に参拝し、私が変わったとお礼を申したことを聞き、ありがたく思った。朝参りをし、お取次を頂きながら、一人でも多くの人にお道を伝えていきたい」と語った。
 全体会では、「お取次で気づかされたこと」「信心の取り組みで工夫していること」などを出し合った。

大分会場 9月7日
 大分会場では、大分教会を会場に40人が参加した。
 はじめに、長野邦昭氏(大分・別府)が、「曽祖父からの信心で、私自身も子どもが生まれてから参拝するようになった。仕事による過労で病気になった時、さまざまな神様のご都合とお繰り合わせを頂き、神様を実感した。また、父が病気になった時、神様に一心に任せきる姿を見て、神様に心を向けることの大切さを教えられた」と語った。
 続いて、諌山留美氏(大分・日田)が、「両親の信心を頂いて、今の私がいる。結婚して半年後、夫に病気が見つかり、長期の入院療養となった。その時から私は、すべてを神様にお任せする稽古に取り組ませていただき、まだ完治はしないが、生活には支障なくおかげを頂いている。振り返れば、病気という難儀があったからこそ、本気でお取次を頂く稽古ができた。そのお礼の心で、ご用させていただきたい」と語った。
 全体会では、「お取次」について語り合い、参加者全員が「1分間スピーチ」に取り組んだ。
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輔教集会(東海教区)


8月24日
 東海教区では、名古屋港湾会館で輔教集会を開催し、71人が参加した。同教区では毎年、教区内の輔教が企画員となって、集会の内容を作っている。今年は、「家族や知人に信心が伝えにくい」「もっとお広前(お結界)へいざなう意識を持ちたい」「お手引きした方に、どう寄り添っていくか」などの参加者の声や、企画員自身の実際の取り組みをもとに、テーマを「お広前でおもてなし─輔教の役割─」と定めて、輔教の役割を求め合った。
 講師の大林誠師(兵庫・出石)は、「信心のジ~ン─心のツボを刺激する─」と題して、次のように語った。
 「公共性が求められるラジオ放送では、金光教の独自性を表現する難しさがある反面、だからこそ本教の魅力を明らかにできることがある。教祖様のご理解にある『神信心のことは、わかっただけでは役に立たない。わが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこなければ、神の徳はいただけない』の『わが心に食いこんで』とは、ジーンと感動することであり、心のツボを刺激するには、心の奥まで響く理屈を超えた感動が不可欠である。また、お道を伝えるための『おもてなし』には、言葉を必要としない場合もある。相手の神心をいつでも引き出せられるよう、人の助かりを祈ることや温かい人間関係を築くことが求められる」
 その後の班別懇談では、「人の助かりを祈る」を切り口に、それぞれが頂いてきたおかげを人に伝えて、お広前にいざなえる内容を深め合った。
 全体会では、吉村尚子氏(愛知・平針)が「輔教である前に、信奉者としてどうあるべきかを学んだ。自分が抱えている問題は、ほかの人も同じであり、若い世代に伝えなければならないことや、久しぶりに参拝された人にどう声をかけていくかが課題となった」と感想を発表した。
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輔教集会(東北教区)

10月4日
 東北教区では、輔教として教会活動に参画し、何ができるかを求めるため、「輔教の役割と教団の動向」をテーマに、仙台市民会館で輔教集会を開催し、8人が参加した。
 講師の藤原務正師(東京・赤羽)は、「神さまと二人三脚の心で」と題して、輔教制度ができる過程や、輔教に関わる規定などを説明しながら、次のように語った。
 「できるからするのではなく、できなくても何事も神様に祈ってさせていただく。それが信心であり、ご用である。生神金光大神取次は、お結界だけではなく、いつでも、どこでも、どんなことでも、『頂かせてください』と願えば、頂くことができる。これは、『神人あいよかけよの生活運動』の『願い』にある『御取次を願い 頂き』につながる。
 このたびの『運動』は、神前拝詞をそのまま表したような運動であり、『神人の道』とは『氏子ありての神、神ありての氏子、あいよかけよ立ち行く道』である。『いつも神さまと二人三脚の心で、日常生活を進めさせていただく』という表現であれば、未信奉者にも分かりやすい。み教えに『この方の道は神人と書く』とあるが、教祖様の信心を『神人(しんじん)』と書けば、教祖様の信心がはっきりする。いつも神様と人がくっついての日常生活であるから、『二人三脚』なのである。
 信心は、その人の顔付きや振る舞いの基になる心があって伝わっていく。教祖様から頂いた信心を絶えず現しているから、人に伝わっていく。信心していることを誇りに思い、自然な振る舞いとして話していくことが大切だ。
 『天地の間におかげを知った者がいない。しだいに世界中、日の照らす下、万国まで残りなく金光大神でき、おかげを知らせてやる』というみ教えは、神様のご悲願であり、人間に対して神様が心を込めて頼んでおられる。二人三脚は、自分の思いだけでは転ぶ。神様の心を思いながら、一緒に進んでいくことが必要だ。輔教として、神様にご用に使っていただくとの祈りが前提であり、祈りを外したら、『神人の道』ではない。『願い』にある『神心となって 人を祈り 助け 導き』が、『運動』の中心であり、どのような信心をさせていただくか、神様に使っていただくご用とは何かを常に心に置いて、輔教の任に当たってほしい」 その後、懇談を行い、それぞれが参加しての感想文を作成した。
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輔教集会(東中国教区)

9月6日
 東中国教区では、金光北ウイングで輔教集会を開催し、45人が参加した。
 当教区では、「輔教による輔教のための輔教集会」を願いとし、輔教が中心となって集会を進めてきている。本年も、輔教から企画委員を選んで会議を開き、輔教としてのあり方を再確認するとともに、「神人あいよかけよの生活運動」への取り組みについて学び、テーマを「輔教制度の原点と『神人あいよかけよの生活運動』への取り組み」とした。
 集会では、豊田照子師(広島・呉東)から「神人の道を生きる」と題して、夫の病気や自身のけがからお取次を頂き、お育ていただいた体験談を交えながら講話があった。
 そのなかで、「教主金光様からご任命を頂いた輔教としての自覚を持って、お道を伝えていくという願いを持つこと。一日一日命を頂いて、今があるありがたさをかみしめ、神様から使っていただける生き方を求めていくこと。生活のなかで、神様からのサインを見過ごさない稽古をすること。輔教の『輔』には、寄り添い助けるという意味がある。教会の実情に応じて、先生と共に道のためのご用に当たることが、輔教に願われている。私自身、親教会の先生から『信心の棚卸し』という教えを頂いたが、信心を伝えるためには、常に自分の信心を確認し、整理しておくことが大切」と語った。
 午後からの班別懇談では、講話への感想、輔教の役割や課題、若い人への信心の伝え方などを話し合った後、各班の代表者から感想発表があった。集会後、本部広前に参拝し、金光様のお退けをお見送りした。
 参加者からは、「何事もお取次を頂いて、させていただくことが大事」「人に伝える信心を意識していきたい」「ご用から逃げることは、神様からのサインを逃すこと」という感想があった。
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「神人の道」実現の担い手に―平成26年度輔教志願者講習会

 本年度の輔教志願者講習会を、8月23、24日、本部総合庁舎会議室で開催した。
 輔教制度は平成四年に発足し、現在、540教会1811人が、輔教としてご用に当たっている。今年は、43教会75人が受講し、各講義をとおして輔教に求められる事柄を学び、班別懇談では参加者同士、これまでの取り組みやここからの願いについて語り合った。
 このたびの修了者は、所定の手続きを経て、来る12月の布教功労者報徳祭並びに金光キクヨ姫五十年祭時に、教主金光様からご任命を受ける。

 教主金光様おことば(開会お届け時)
 皆様、それぞれに願いを立てて、輔教志願者講習会によくお集まりになりました。
 お互いにここまで信心を進めさせていただき、ご用にお使いいただいておりますことをありがたく思いますとともに、そのお礼の心を土台に、ここからいっそうに「人が人を助けるのが人間である」との教祖様のおぼしめしを頂いて、わが道の信心を現し、伝えて、世界の平和と人類の助かりのお役に立たせていただきたいと存じます。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 教務総長挨拶
 「輔教は、本教の信心を伝えるため、進んで教会活動を担うとともに、教団活動に参画する」と規定されているが、「本教の信心を伝えるため」というのが第一義である。それは教師も同じであるが、教祖様が「信心をすればおかげになります」とおっしゃっている信心とは一体どういうことなのか。そのことについて、先輩の先生方がいろいろな言葉でお示しくださっている。
 ある先師は、「和賀心というのは、和らぎ喜ぶ心であります。金光大神様のお道は、お礼と喜びによって開けた道であります。金光教は、喜ぶことによっておかげを頂ける道であります。これを金光教の信者は、しっかり頂いておかねばなりません」とおっしゃっている。「和賀心」と「お礼と喜びの心」をもって生活を進めさせていただくことが大切だということである。
 人は、不平不足の生活は重ねても、お礼と喜びをもって生活するという稽古はできていない。思いどおりの勝手な生活をして、それで難儀に出遭えば、なぜこんな目に遭うのかと言うが、それはお礼と喜びの稽古が足りないからである。神様はそういう氏子の姿を見て、教祖様をお差し向けになり、生神金光大神取次をもってお礼と喜びの生活へ導かれ、そこからおかげの事実が生まれ、立ち行くようになることをお喜びになるのである。
 なぜこのお道が生まれたのか。神様はなぜ教祖様に、「難儀な氏子を取次ぎ助けてやってくれ」とお頼みになられたのか。そこには深いおぼしめしがあり、私どもが容易に分からない大切なことがたくさん含まれている。お礼と喜びの生活ということについても、不平不足のない生活を進めるというのは容易なことではない。そこをしっかりと稽古させていただき、お取次を願い頂いて、おかげを受けていくことが、このお道なのである。
 先ほどの先師は、お礼と喜びの生活ということで、とくに「腹を立てないことが大切」と言われている。例えば「忠臣蔵」の話で、浅野内匠頭が腹を立てて刃傷(にんじょう)を起こし、赤穂藩はお取りつぶしになって、家臣全員が俸禄(ほうろく)を失ってしまう。家全体を台無しにしてしまったのであり、この時、浅野内匠頭がお礼を土台にしていれば、そうはならなかったとのことである。
 ところが自分自身を省みても、思いどおりにならない時には不平不足が出る。教団の基本方針の副題に「この道のおかげの自覚をもとに、お礼と喜びの生活をすすめ、『神人の道』を開く」とあるが、これはまさに、私ども一人ひとりがお礼と喜びの生活を進めるところから、共々に「神人の道」の実現を求めていこうと願ってのものである。
 この後、講義と懇談をとおして、金光教の信心、教団、輔教の使命と役割について学んでいただき、ここからのご用に大切なところを頂いてほしい。(大要)

 講義内容 
講義1「金光教の信心について」
 ここから輔教としてご用を担うに当たり、あらためて本教の信心とは、神様に願われていることとはどのようなものかを確認した。
 講師・河合真弓師(東京・中野)
講義2「教団の仕組みと働きについて」
 教団の目的や諸活動、神願成就の拠点である教会の働き、そのなかで輔教として担う 役割について学んだ。
 講師・菊川信生師(熊本・江田)
講義3「輔教の役割について」
 講義1、講義2を踏まえて、輔教の意義や役割を確認するとともに、輔教が担うご用内容について学んだ。
 講師・瀧山美明師(大阪・豊中)
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本年度輔教研修会(各会場)の概要


 4年の任期を終えた輔教が、再任を願い出る際に受講が義務付けられている輔教研修会を、本年度は、東京、大阪(2会場)、金光(3会場)、熊本の計7会場で開催した。
 各会場とも、冒頭に教会部長(東京、熊本、大阪②会場は、センター所長が代理)が、教団動向、とくに「神人あいよかけよの生活運動」の概要と、「神人の道」を「お礼と喜びの生活」と「伝え、導く」に焦点を当てて、事例をもとに説明した。
 続いて、輔教講師から、「神人の道を開く」と題して、「運動」をもとに、「本教の信心とは何か」「日々の生活のなかで『神人の道を現す』とは、何をどうすることなのか」「この道のおかげの自覚をもとに信心生活をするとは」「輔教の役割とは」ということを中心に、講師自身の取り組みや、輔教に願われるご用についての講義がなされた。
 続いての班別懇談①では、「頂いた『おかげ』の意味を深め、『神人の道』を豊かにする」をテーマとして、具体的な改まりや取り組みをとおして、各自が頂いたおかげの中身を深め合った。
 班別懇談②では、「人に伝える信心生活の情報交換」をテーマとして、伝えたい人を思い浮かべながら、伝えたい中身や伝えるために行っていることなどを求め合った。
 全体懇談では、講義に対する質疑応答と、班の代表者が研修会をとおして思ったことや、これからの意気込みを語った。
 受講者からは、「これまで頂いてきたご用の意味を自覚させていただき、これからも輔教として、教会や教団のご用に使っていただきたい」「相互研さんの場を頂き、金光教の信心や輔教の働きについて再確認することができた」「あらためて輔教にならせていただいた意味を押さえ直し、人を願うということの大切さを確認できた」などの感想が聞かれた。
 本年度の全受講者は、186教会376人で、各会場の開催日・会場・講師名・受講者数は次のとおりである。来年度は、東京、大阪、金光、熊本で開催する予定であり、対象者には本年末に事前調査を実施する。

 5月24、25日 金光①会場  本部総合庁舎・吉川真司師・46人
 6月14、15日 熊本会場  火の国ハイツ・豊田照子師・76人
 7月5日   大阪①会場  金光教玉水教会・河井真弓師・106人
 7月5日   大阪②会場  金光教大阪センター・菊川信生師・28人
 7月12、13日 東京会場  金光教東京センター・安武満子師・44 人
 7月26、27日 金光②会場  本部総合庁舎・安武満子師・46人
 9月4、5日 金光③会場  本部総合庁舎・吉川真司師・29人
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輔教集会(西近畿教区)

8月30日
 西近畿教区では、「神様が喜ばれる信心を求めて─私だからできること─」をテーマに、西近畿教務センターで輔教集会を開催し、49人が参加した。
 本年も、「輔教が互いに研さんし合うことによって、それぞれの信心はもとより、布教活動の中心的担い手としての自覚を高める」ことを願いに、輔教一人ひとりの働きが教会活動の活性化につながることを目的に、講話と班別懇談を行った。 講話では、松岡光一師(京都・墨染)が「いのち輝く信心を」と題して、「神人あいよかけよの生活運動」の「願い」にある「御取次を願い 頂き」「神のおかげにめざめ」ることの大切さを中心に、次のように語った。
 「教会の駐車場にあった猫のフンの処理に困っていた時、フンから生まれたウジを見て、『ここにも命を生み、生かす働きがあるのだ。同時に、この土地は自分だけのものではない。私も猫も神様のお土地を使わせてもらっている者同士なのだ』と気づかされ、腹が立たなくなった。
 物事は心の持ち方で、美しくも汚くも見える。亡くなる直前に、生かされて生きる喜びを実感する人が多いが、それではもったいない。信心を頂いているわれわれは、もっと早く気づかせていただき、命輝く生き方をさせていただきたい。
 ご用は、自分にはできないという視点に立つと何もできなくなる。そうではなく、『自分だからできることがある』という視点に立つことがいる。そこを意識しながら取り組んでいただきたい」
 班別懇談は講話の前後に行い、前半は自己紹介に続いて、「ご用の際、大切にしている願いや心構えなど」をテーマに、後半は「講話の感想や気づかされたこと」「これから取り組みたいご用」をテーマに、それぞれ語り合った。
 参加者からは、「ご用を通じて成長すれば、神様もお喜びくださる。これからも神様の願いにかなうご用に取り組みたい」などの感想があった。
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輔教集会(信越教区)

9月6日
 信越教区では、「神人あいよかけよの生活運動と輔教の役割」をテーマに、新潟県上越市レインボーセンターで輔教集会を開催し、15人が参加した。 開会式では信越教務センター所長が、「『神人の道』を一人ひとりの生活に現すご用を共に頂いている。自らの生活からおかげの世界が周囲や後々に広がっていくよう、『運動』の願いとするところに取り組み、いっそうお役に立たせていただきたい」と挨拶した。
 その後、参加者全員が、①「日々の生活の中で自身が大切にしていること」、②「そのために輔教として取り組んでいることや取り組んでいきたいこと」について、設問用紙に記入して発表した。
 ①については、「神様に合わせることを大切にしている」「生活のなかで神様に気づかせていただくことを大切にしている」「日々のお礼を大切にしている」などが出され、②については、「教会でのご用や行事に積極的に参加し、信者さんへの声かけに取り組んでいる」「お導きや家庭での信心継承に取り組んでいる」などが出された。
 午後からの班別懇談では、それぞれの信心に基づいた取り組みや願いについて話し合い、全体懇談では、各班の報告と全体をとおしての質疑応答や感想発表を行い、参加者からは「お礼と喜びの生活に根差した活動内容に触れ、元気と願いを共有できた」などの声が聞かれた。
 今回の集会では、それぞれの生活をとおして神様を現し、ご神願をもとに連帯を深め、教会、教会連合会、教区にあって積極的に活動していくことを確認した。教区としては、輔教としてご用を進める喜びの輪が広がり、仲間がさらに増えていくことを願っている。
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輔教集会

6月15日
 四国教区では、教務センターと坂井町自治会館を会場に輔教集会を開催し、28人が参加した。
 はじめに、ご祈念と「神人あいよかけよの生活運動」の「願い」を唱和した後、センター次長から、「この5年間、『お手引き』を中心にした取り組みを行ってきたが、その総括と各自の取り組みを振り返り、あらためて基本に立ち返るため、『輔教の役割』を再確認することをテーマにした」と説明した。
 続いて、塚本道晴師(愛媛・来見)が講話を行い、ユーモアを交えた力強い話に参加者からは、「分かりやすいお話だった」「輔教の役割を再確認できた」などの感想が聞かれた。
 午後からは4班に別かれ、講話の内容を踏まえて懇談。全体懇談では、各班から講話の感想や班別懇談の内容が発表された。
 最後にセンター所長が、「これまで『お手引き』という表現を使ってきたが、受け止め方に幅があり、取り組みを難しくしていたようだ。もっと気軽にお道を伝える稽古が必要ではないか」と締めくくった。
 集会では、これまで何度も参加してきた輔教同士で横のつながりも生まれてきており、個人個人の働きだけではなく、情報交換や連帯して役割を担っていくことが期待される。
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輔教へのメッセージ

ご用はお育てを頂くチャンス
 私は両親から常々、「人から用事を頼まれたら、神様のご用と思ってさせていただきなさい。どうせさせていただくのなら、嫌々するのではなく、気持ちよくさせていただきなさい。そうでなければ、おかげにならない」と教えられてきました。これまでも事柄や問題が起こってくるたび、その言葉を思い出し、自分自身の姿勢を正してきました。
 私は幼少の頃から、吉備舞のご用をさせていただいてきました。高校受験を控えた年末のこと、「春の本部大祭で奉納舞をさせていただきなさい」とのお話を師匠から頂きました。それまでも何度か本部でご用させていただいてきましたが、受験という時期でしたので、教会長である父にお届けもせず、お断りしました。
 数日後、師匠から再度お話がありました。すぐにお断りするのも失礼かと思い、今度はお結界で父にお届けしました。「さすがに受験前なので、お断りしてもよいと言われるだろう」と思っていましたが、「ありがたいなあ。すぐにお受けしなさい」という言葉でした。「受験を控えて、お稽古も満足にできないと思いますが」と答えると、「それなら、なおのこと受けさせてもらいなさい」と言われました。そこまで言われて考え直し、お受けすることになりました。師匠も喜んでくださり、それからは受験勉強をしながら稽古に励みました。

第一志望校に不合格
 いよいよ受験発表の日がきました。まさかの第一志望校不合格でした。「神様が後ろ盾になってくださる」と変な自信を持っていた私は、「やはり受験前にご用は無理だったのだ」と、内心で父を責めました。
 その夜、落ち込んでいた私に、幼い時から一緒に吉備舞を習っていたKさんから電話がありました。電話に出ると、「照子、第一志望校落ちたんだって?よかったー」という、びっくりするような一言。「実は私もだめだったの。でも、照子と同じ高校だと聞いて、うれしかった」と言われました。
 釈然としないまま、父にお届けすると、「ありがたいねえ。あなたには、Kさんと一緒の高校に行くほうがよかったのかもしれない。神様の願いがそちらにあったのではないか。ありがたいと思って、吉備舞のご用をさせてもらいなさい」と言われました。母からも、「心を切り替えるのも自分次第。学校に通わせてもらえること、喜んでくれる友人がいることに、感謝の心を忘れてはいけません」と言われました。
 神様のご用として吉備舞をさせていただくことと、第一志望校を不合格になったという出来事が私に必要だったのか、その意味に気づかされるのは、まだ何年も後のことでしたが、現在でも吉備舞の指導のご用にも使っていただき、Kさんをはじめ高校の友人たちとも、三十年以上に渡って強いきずなでつながっています。

九死一生の大けがに
 二年前、輔教講師のご用を頂きました。その時も、お受けするかどうか悩み、教会長である夫や親教会長先生にお取次を頂き、あらためて考えさせられることになりました。
 実はその二か月前、お広前がある二階の階段から転げ落ちるという事故に遭いました。幸い命に別状はありませんでしたが、左肘複雑骨折、靭帯断裂、左ほお骨陥没などのけがを負い、手術も八時間に及びました。教会長や子どもたちの祈り、親教会をはじめご縁のある方々のお祈りを頂き、手術後一週間で退院のおかげを頂きました。
 退院後もギプスを着け、一人では何一つ満足にできない状態でした。そうしたなかでの輔教講師のお話でしたので、「とても無理だ」と思い、お断りするつもりでお取次を頂きました。一番間近で私の状態を見、忙しいご用の傍ら介護してくれた夫なので、許してくれるものと思っていましたが、返ってきた言葉は、「こんなありがたい話はない。受けさせてもらいなさい」という言葉でした。「命のぎりぎりのところでおかげを頂いたことを、どれだけお礼申せていますか。お礼とおわびの心を込めて、ご用をとおしてお育ていただきなさい」。またもご用から逃げようとする私に、神様からのお試しでした。
 こうした出来事をとおして、ようやく、「おかげを頂きながら、何のご恩返しもできていない私に、神様が気づかせてくださろうとしている。こんな私でも命を助けてくださり、まだご用に使ってくださろうとしている」という思いにならされたのです。
 それでも経験がなく、上手に話すこともできない私が、講師というご用はと二の足を踏みました。最後は親教会に参拝し、親先生にお取次を頂くと、「誰でも最初から上手な人はいません。うまく話そうとか、よい話をしようとか背伸びをせず、あなた自身のありのままの姿をお話しされたらいい。ご用に大きい小さいはなく、すべて神様の願われているご用です」とご理解くださいました。そのお言葉で、「そうだった。私が体験したこと、私にしかできないお話をさせていただこう」と気づき、お受けする決心ができました。
 教主金光様の御取次を頂き、教会家族、親教会、ご縁ある方々のお祈りを頂き、体は順調に回復のおかげを頂きました。「痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもまめ(壮健)ながありがたいのぞ」とのみ教えを心がけ、日々の信心生活を歩ませていただき、真にもったいないことと御礼申し上げています。

縦横のつながりを頂く
 先日、テレビで大学教授の方が、「人は人と接し、触れ合うことで育っていく」という話をされていました。よいことも悪いことも、うれしいことも悲しいことも、苦しいことも感動することも、すべて人と人との横のつながりのなかで成り立っています。その関係が時にうまくいかず、心の病に陥ったり、トラブルになったり、傷つけ憎しみ合うこともあります。
 でも、私たちは、縦のつながり、つまり「神と人とのつながり」という関係性を頂いています。天地金乃神様と教祖生神金光大神様との「神人」の関係性のなかで、私どももそのご縁につながっていることに感謝し、その働きをもっと広げて、みんなが助かる世の中になるような働きかけをさせていただくことが、最大のご用です。これが「神も助かり」と仰せになる働きにもつながっていくのではないでしょうか。
 私は、これまで何度となく神様からお育てを頂くチャンスを自ら棒に振ってきました。起こってくる事柄をもっと早く真剣に捉え、取り組み、お育てを頂けばよかったと、心から反省しています。このたびの大けがから、またもお気づけを頂いたことに感謝し、さらにお取次を願い頂き、神様からのサインを見落とすことのないようにアンテナを張り巡らせ、積極的にご用にお使いいただき、神様の願いを体現することに取り組ませていただこうと願っています。

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輔教集会(東近畿教区)

3月9日

 東近畿教区では、京都市内のコミュニティ嵯峨野を会場に、教区輔教集会を開催し、71人が参加した。
 本年は、「教団の輔教としての自覚と働きを高めるとともに、情報交換により輔教間の連帯と交流を深める。また、『神人あいよかけよの生活運動』への理解を図る」との趣旨で開催した。
 講師の大倉真道師(大阪・四条畷)は、「道は人が開け。おかげは神が授ける」と題して、「『運動』とは、ご神願成就という目的達成のために働きかけることであり、輔教の役割とはご神願成就の担い手として、このお道を伝え広め働きかけていくことである。神様はおかげは授けてくださるが、道を開くのは人である」として、自身の体験をもとに次のように語った。
 「一般の家庭に生まれ、学生時代に歌手を目指し、デビューを間近にした時、病気になった。その手術の後、叔母から『お道の教師になりなさい。病気は、神様のご用をしなさいという願いの現れなのよ』と諭された。二度目の手術の時には、金光教教師になったいとこが、四代金光様にお取次を願い、その時に頂いたお言葉とともに、手術の無事を祈る励ましの言葉を手紙で寄こしてくれた。そうしたことをとおして、お道の教師になることを決心したが、今、このように神様のご用ができているのも、あらゆる人の言葉とご縁の導きによるものだと思っている。皆さん方も、周りに難儀な人がいたら声をかけ、手を差し伸べてほしい。それが『道は人が開け。おかげは神が授ける』ということであり、輔教としての大切なご用である」
 班別懇談では、講話の内容を中心に話し合い、「自分の信心に疑問を持っていたが、お話を聴いて自信につながった」「『道は人が開け』という言葉で、お道を伝えるご用の大切さを思い直した」などの感想があった。


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輔教集会(中近畿教区)

3月8日

 中近畿教区では、玉水教会記念館を会場に、「教会活動および教団布教の担い手である輔教としての自覚を高める」との願いのもと、輔教集会を開催し、118人が参加した。
 講師の橋長孝三郎師(福島・岩代郡山教会)は、「神様の願いを自覚的に受け止め、この道に生きる喜びを語り伝えよう」と題して、次のように語った。
 「信者から教師を志し、後継に入った教会でご用に励むなか、お道の教師にと願っていた一人息子を劇症肝炎で亡くした。自分の肝臓を提供し、14パーセントの成功率に賭けた末での死だった。痛みと悲しみのなか、神様から『それでもおまえは神にお礼が言えるか』と問われ、必死に自分の心と向き合った。そして、いつでも、どこでも、どんなことでも神様と一緒に生きさせていただこうと取り組んでいた時、東日本大震災に遭遇した。
 教会は原発から百キロ圏内にあり、放射線量測定器で数値を測定する日々が続いた。やがて除染をしなくても少しずつ数値が下がっていることを知り、神様のおかげを頂いていることに気づかせていただいた。現在は、不思議なご縁から始めた仮設住宅への支援や、被災地である小渕浜からワカメを購入して販売する取り組みを続けている」
 班別懇談では、講話の内容や自分のご用姿勢、抱えている課題や今後の取り組みなどを話し合い、「講話を聴いて、神様にお礼を申すとはどういうことかを考えさせられた」「輔教として何ができるのか、あらためて考えていきたい」などの感想が出された。


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輔教集会(北海道教区)

2月15日

 北海道教区では、札幌市ホテルノースシティーで、「『運動』推進を担い、輔教としての自覚に立ち、教会、教会連合会、教区における活動と輔教としての役割を求める」という願いのもと、教区輔教集会を開催。今年度は、「神人あいよかけよの生活運動」の発足から3年を迎え、教区での「運動」推進を担う輔教として、その理解を深めた。
 はじめに教務センター所長が、「運動」の変遷とこのたびの「運動」の願いについて説明し、続いて池亀德和氏(北海道・釧路)と小林司氏(北海道・岩見沢)が「御取次を頂く」と「お礼と喜び」について、概略次のような発表を行った。
 「日参をして必ずお取次を頂き、物事へのお礼を心がけ、朝目覚めた時には、命を与えてくださっている神様と天地、自分を支えてくれているすべてのことにお礼を申す。その実践を進めていくことで、知らず知らずに神様に心を向け、『神様、天地があっての自分』『いろいろなものに支えられての自分』であることを思わされる。教会で、『信心の順番はお礼、おわび、お願いであり、お礼を土台にしなければならない』と教えられているが、本当にお礼が先になっているか。その反省をしていくことが信心の稽古になる」
 懇談では、お取次を願い頂くことの大切さを確認し、「お取次を頂くことで、これまでとは違う自分に生まれ変わることができる。その喜びを伝えていくことが何よりのお礼である」という声が聞かれた。

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輔教集会(西中国教区)

2月23日

 西中国教区では、広島市安芸区民文化センターで、「お礼と喜びの生活を進めよう」とのテーマのもと教区輔教集会を開催し、28人が参加した。  
 はじめに教務センター所長が、「教祖様ご生誕二百年の年に当たり、ありがたいというお礼と喜びの心を深め、神様と教祖様が喜んでくださるよう、『運動』への取り組みを進めていきたい」と挨拶した。  
 講話では、道願正美師(高知・高知)が「青眼の稽古」と題して、学校で教員を勤めた経験や宗教教誨師のご用をとおして、青眼(人を喜んで迎える眼)で見ることの大切さと、その稽古に取り組んできた体験を語った。そして、「光る 光る すべては光る 光らないものはない 自ら光らないものは他から光を受けて光る」という詩を紹介し、「おかげを頂いてきた私たちが、天地金乃神様の光を示し、共生・共助の心をもって、人を助ける身とならせていただかなければならない。六十歳、八十歳になっても、自分が理想を持っている限り青春である。若々しい意欲を高めて、ご用に励んでいただきたい」と述べた。  
 班別懇談では、自分を振り返るなかで、神様のおかげや信心の喜びを再確認し、家庭や地域にお道を伝えていきたいとの思いを発表し合い、信心を磨き合った。  
 参加者からは、「おかげの光を周囲に現したい」「人の助かりを祈り、輔教として神様に喜ばれる稽古に取り組んでいきたい」などの感想が寄せられた。





              
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