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令和元年度輔教志願者講習会―心の中におられる神様と共に

 本年度の輔教志願者講習会を8月24、25日、金光北ウイングやつなみホールで開催した。
 輔教制度は平成4年に発足し、478教会、1千437人(8月末日現在)が輔教として御用に当たっている。
 今年は、33教会53人が受講し、各講義、先輩輔教の実践発表をとおして輔教に求められる事柄を学んだ。班別懇談では参加者同士、これまでの取り組みやここからの願いについて語り合った。
 なお、このたびの修了者は所定の手続きを経て、来る12月の布教功労者報徳祭時に、教主金光様からご任命を受ける。

教主金光様おことば(開会お届け時)
皆様、それぞれに願いを立てて、輔教志願者講習会によくお集まりになりました。
お互いにここまで信心を進めさせていただき、ご用にお使いいただいておりますことをありがたく思いますとともに、そのお礼の心を土台に、ここからいっそうに、「人が人を助けるのが人間である」との教祖様のおぼしめしを頂いて、わが道の信心を現し、伝えて、世界の平和と人類の助かりのお役に立たせていただきたいと存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。

教務総長挨拶

 「神人の道」というお言葉は、立教150 年のお年柄に、教主金光様がお示しになったお言葉であり、以来、私たちはこのおぼしめしを大切な指針として頂き、信心生活の上に、お言葉に込められた中身を現していきたいと願っている。
 平成5年6月にオーストラリアの高校生が本部広前に参拝した時、金光様は次のようにお話しくださった。
 「皆さんに三つの言葉をお教えしましょう。それは、『神』『取次』『氏子』です。これらは金光教にとって、とても大切な言葉です。神は、人間の働きがないと働くことはありません。人間は神の恵みを受けています。私はここで、神と人間の橋渡しをする御用、『取次』をしています。
 神と人間は、お互いに支え合う関係の上に成り立っています。神は人のなかにあり、人は神のなかにあるのです。教祖様は、天地書附で『一心に願いなさい。おかげは和賀心にある』と教えられました。このお互いの関係を『あいよかけよ』と呼んでいます。
 神と人間の関係は、親子の関係のようなものです。人は誕生と共に神性(神心)を与えられております。人間は、自分の心のなかにいる神の存在に気がつかないといけないのです。この神は生きている神で、私たちが死んで肉体と精神が別々になっても、その魂は永遠に消えることはありません」
 このお言葉の中にある「人は神のなかにあるのです」とは、この天地そのものが神様であり、神様という存在は大いなる天地の働きとしてあり、その中で人間は生かされて生きているということ。しかし、神様は皆さんの体の中にもおられ、お働きくださっている。そのことを金光様は、「神は人のなかにあり」とおっしゃったのだと思う。 長年信心をしていても、ご神前に向かって祈念し、必死にお願いはするが、私たちの体の中におられる神様には、手を合わせてお祈りしたり、お礼を言ったりする人は少ないのではないかと思う。自分の中でお働きくださっている神様の存在に気付き、その働きを実感していく。そうした信心の在り方は、「神人の道」の信心を求めていく上で、非常に大切な内容だと思っている。
 母親の胎内で、約10カ月の間に、この複雑な体が調えられていくこともすごいが、生まれて以来、65年もの間、私の体は片時の休みもなく働き続けてくださっている。目が見えること、ものが言えること、話が聞けること、あるいは手足が動くことにとどまらず、この体の中には、神様のお働き、おかげとしか言いようのないものが凝縮されている。食物を頂けば、それが胃で消化され、小腸、大腸で栄養を吸収し、それをエネルギーに変えてくださる。毎日毎日こうした働きがあるから、生きていられる。このような体の仕組みを、いったい誰がつくってくださり、誰が維持してくださっているのか、真剣に考えたことがあるだろうか。この働きを両方の神様の働きとして実感していくことが、信心の内容として大事だと思う。
 また、金光様は「私はここで、神と人間の橋渡しをする御用、『取次』をしています」とおっしゃっている。金光様はお結界で、参拝者の願いを神様に届けてくださり、神様のみ心を参拝者に伝えてくださる働きとともに、参拝者の願い事が成就するようにご祈念くださっている。このことが「神と人間の橋渡し」という御取次である。この働きがないと、私たちは神様とつながること、おかげを頂くことができない。
 この「神と人間の橋渡し」という御取次は、ご本部のお広前や各教会のお広前、さらにはそれぞれの家庭においても頂くことができる。どこにいようとも、その時その場で、「金光様」とみ名を唱えさせていただけば、御取次の働きにより、物事がスムーズに進むだけでなく、御用をとおして神様のおかげを頂くことができ、心の中にありがたい気持ち、すなわち神様の心が生まれてくる。 常に「金光様」とみ名を唱えて御用に当たれば、御用に使ってもらってありがたいという心が生まれ、心の中の神様がお喜びくださる。このことは体験することが一番である。特に、輔教を志す皆さまは、それぞれの教会やご家庭で、さまざまな御用に当たられると思うが、輔教になられてからは、御取次を願い、頂いて御用に当たる体験をしていただきたい。
 そして、金光様に御取次を願っていく信心が生活の中に定着していくと、だんだんと神様によって生かされていることが分かり、感謝の気持ちや感動が生まれてくる。そうした気持ちや感動をもって、お世話になる家族に朝のあいさつをし、ありがとうと心からお礼の気持ちを表す。そういう生き方を家庭、職場の中で現していく。金光様は、そういう信心が生まれてくることを願ってくださっているのだと思う。
 「神人の道」を開いていく信心は、「神も助かり、人間も立ち行く」という信心であり、特に心の中の神様がお助かりになることが大切である。教祖様のご理解に、「一心を立てればわが心に神がござるから、おかげになるのじゃ。生きた神を信心せよ」(Ⅲ金理5)とあるように、おかげは心の中の神様から頂くのである。ぜひ皆さんも内なる神様の働きに目覚め、神様がお助かりになり、同時に自身も立ち行くおかげを頂いてもらいたい。


講義・発表内容

◆講義1「金光教の信心について」
 講師 岩本威知朗(大阪・金岡)
   ここから輔教として御用を担うに当たり、天地金乃神様の神性、教祖様の生きられ方を学び、自分が頂いている信心を押さえ直して確かなものとし、人の助かりにつながる在り方を求めた。
◆講義2「教団の仕組みと働きについて」
 講師 菊川信生(熊本・江田)
   現在、形をなしている教団や教会の成り立ち、仕組み、働きを確認し、御取次を頂きながら信心を求め現していく担い手、教団の構成員としての自覚を深めた。
◆講義3「輔教の役割について」
 講師 吉川真司(徳島・三好)
   輔教に願われていること、人に道を伝える中身を確認し、一層培っていくために、今後輔教として取り組むべき内容について学んだ。
◆実践発表
 発表者 守屋琢智(岡山・総社・野方集会所担当者)
   先輩輔教から、輔教としての御用やお道を伝えていく在り方、人の助かりを願う信心について聞き、共有した。

班別懇談

 参加者それぞれが、これまでの信心の歩みや志願理由を語り、講義を手掛かりに、今後、輔教としての御用の在り方等について話し合い、決意を新たにした。

本年度の輔教研修会(各会場の報告)

 4年の任期を終えた輔教が再任を願い出る際に受講が義務付けられている輔教研修会を、本年度は、札幌、東京、大阪、金光(4会場)、熊本の計8会場で開催した。
 各会場とも、冒頭に教会部長(地方会場はセンター所長が代理)が教団動向を説明し、「神人あいよかけよの生活運動」を基に、再任を願い出るに当たっての構えを作るべく、輔教に願われていることを実例を交えながら語り、あいさつとした。
 続いて輔教講師から、「なぜ信心をするのか」「お道の信心が伝わっていく自分になるには」「輔教として願われること」など、本教の大切なところを押さえつつ、講師自身の信心のルーツや取り組みの実際、在籍輔教の取り組みなどについての講義がなされた。
 続いての班別懇談①では、「『御取次を願い、頂く』内容を深め、『神人の道』を豊かにする」をテーマに、具体的な願いや取り組みを切り口として、生神金光大神取次を頂いて受けた「おかげ」の内容を深め、神も助かり氏子も立ち行く「神人の道」と言われる、このお道の信心について求め合った。
 班別懇談②では、「伝えた人、伝えたい人と具体的な取り組み」をテーマとして、班別懇談①の内容を基に、具体的に伝えたい相手を思い浮かべながら、伝えたい中身やそのために実践していることを出し合った。成功例だけでなく、失敗したことも共有し、互いにここからの輔教活動の原動力となるよう、情報交換を行った。
 引き続いての全体懇談では、講義に対する質疑応答の後、班の代表者が研修会の感想や、これからの意気込みを発表した。
 受講者からは、「輔教の役割を再確認でき、神様に使っていただけるよう、しっかり改まり、おかげを蒙っていきたい」「さまざまな教会、境遇の方と懇談をして、それぞれに信心の仕方、考え方が違うものの、皆に同じ『お道の信心』が根底に感じられ、ここからの意欲を頂いた」「しっかりとお取次を頂いて、輔教としてお役に立たせていただきたい」などの感想が聞かれた。
 本年度の全受講者は117教会277人で、各会場の開催日・会場・講師・受講者数は次のとおりである。


  来年度以降は、各教区において開催される輔教集会に併せて開催する予定であり、輔教在籍教会長および来年度対象者には、研修会の変更と来年度受講手続きの通知および受講願を送付する。


<平成31(2019)年の活動報告>

輔教集会報告(北海道教区)

 2月23日、札幌教会を会場に輔教集会を開催し、8人が参加した。
 はじめに、田中敬一教務センター所長から、立教160年のお年柄の意義と取り組みについての説明があり、本年、北海道教区が取り組む「KONKO あれこれ塾」の一環として「金光教の終活」と題した研修を行った。
 近年、自らの死後に備え、葬儀やお墓の準備、生前整理などといった「終活」が注目されている中、講師の西村正人師(北海道・札幌)から、現代の葬儀事情と終活についての講義の後、エンディング・ノート(教区オリジナル)の記入体験を行った。
 参加者からは「『死ぬ用意をするな。生きる用意をせよ』という教祖様のご理解があるように、信心をする者にとっての終活とは、死を迎えるための準備ではなく、自分の人生を振り返り、残りの人生をよりよく生きていくことだ」「エンディング・ノートを活用し、自分の人生の中のさまざまな出来事、家族やいろんな人との関わりを振り返ることができた」などの感想があった。

輔教集会報告(中近畿教区)

 2月2日、玉水記念館(大阪市)を会場に、「教会活動および教団布教の担い手である輔教としての自覚を高める」との願いのもと、輔教集会を開催し、53人が参加した。
 はじめに、「参加者一人ひとりが、輔教として神様からかけられた願いに気付く」との願いで、入江優子氏(大阪・道広)から、「御礼の信心を土台に~つきっきりの親神様を頂いて~」と題して講話があった。
 講師は、教会長から頂いた「この神様は用意周到の神様。つきっきりの神様である」とのお言葉をはじめ、お取次を素直に頂きながら実践し、神様に向き合う中で多くのおかげを頂いてきたこと。また、キャリアカウンセラーとして、「目の前で泣いている相手がドアを出る時には、明日への一歩を踏み出せるような話をせよ」「目の前の人を治そうとするな。分かろうとせよ」という精神をもとに、相談者に寄り添いながら取り組んでいることを語った。最後に、「班別懇談では、皆さんが輔教として神様にかけられた願いに気付き、どんなお役に立たせていただきたいか、宣言をしてほしい」と締めくくった。
 その後、「輔教として、神様からかけられた願いとは」をテーマに班別懇談を行い、輔教として具体的にどのようなことができるのか、教会内外での取り組みについて話し合った。
 最後の全体会では、班別懇談で話し合った各自の取り組みを、神様と参加者の前で一人ひとりが宣言し、輔教としての自覚を高め合った。
 参加者からは、「講師から『今までに頂いた一生忘れられないおかげ』について問われ、あらためて自分が頂いてきたおかげに気付くことができた」「輔教としてどんなことをすればよいのか分からなかったが、今回参加したことで活動の具体が見えた」などの感想があった。

輔教集会報告(西中国教区)

 2月24日、広島市安芸区民文化センターにおいて、「『神人の道』を現そう」とのテーマのもと、輔教集会を開催し、31人が参加した。
 はじめに、早羽信幸教務センター所長が、「立教160年の節年、お道の原点にかえって、神様の願いと教祖様のご信心を頂き直し、『神人の道』をいきいきと現す信心生活と、輔教としてのこれからの取り組みについて求め合いたい」とあいさつした。
 続いて、浅井由実氏(広島・松永)、井町道子氏(山口・田布施)が、今日までの歩みを振り返りつつ、お礼と喜びの信心生活について発表した。
 浅井氏は、教区行事や学生会の活動に参加したり、教会参拝を実践することで、人や教会とのつながりができ、神様にお礼を申していく生活が、ひいては自分のためになっていくこととなり、生活が豊かになってきた喜びを語った。
 また、井町氏は、祖母の代からご神縁を頂き、教会長先生の代替わりを機に、本当の信心と助かりを求めて教会の御用を進めていること、神様に合わせて動くとさまざまなお繰り合わせを頂き、家庭でも信心の話ができるようになった喜びの生活について語った。
 発表後、山本正三師(広島・横川)が「『神人の道』を歩む始動者に─輔教の役割を求め考える─」として、「神人あいよかけよの生活運動」で願われる内容や、「伝えるから、伝わる信心生活」「誰でもできること、でも誰もができていないこと」について、実例を交えながら話した。
 班別懇談では、日々の信心生活や神様に喜ばれる生き方について、また、信心が伝わるために工夫していることや取り組んでみたいことを話し合った。
 参加者からは、「日常の中で気が付かなかったことに気付かせてもらった」「伝える自分から伝わる信心にならせていただきたい」「漠然としてつかみ切れていなかった輔教の御用だが、今ある御用を率先して取り組ませていただきたい」などの感想があった。

輔教集会報告(東近畿教区)

 3月9日、ホテルビナリオ嵯峨嵐山(京都市)を会場に、「教区輔教集会2019」を開催し、53人が参加した。
 本年は、「人を祈り、助け、導き」というテーマで、藤坂金生師(大阪・鶴町教会長)による「あこがれ輔教プロジェクト&祈り方のコツ」と題した講話と、班別懇談による半日型の集会を行った。
 講話では、講師がこういう人になりたいと思った、憧れの先輩たちとの出会いをとおして、自身の信心を深めてきた話が紹介されたほか、初めてのお取次の御用での出来事や、自分が未熟児で誕生したこと、その後、妊娠中の母が大病を患い、おなかの子が亡くなったことなど、難儀の中で神様の大きなお働きを実感した体験を語った。また、祈り方のコツとして、おかげを頂いた姿を思い描きながらご祈念する取り組みなどが紹介された。
 班別懇談では、2人1組になって、聞き手、話し手と役割を決め、時間が来ればその役割を交代して対話を進めるペア懇談を行った。15分間でペアを交代しながら、計3セットの懇談を行い、互いに本教の信心や教会の好きなところ、素晴らしいところを話し合い、懇談後には10分間、話を振り返る時間を設けた。
 最後は全体懇談として、参加者からの質問用紙をもとに、講師からさらに講話内容を深める回答がなされ、その後、閉会行事を行った。
 参加者からは、「感動的な話題が盛りだくさんだった」「信心が楽しくなるようなお話だった」などの感想があった。

輔教集会報告(四国教区)

 6月16日、四国教務センターで「輔教の自覚と働き」をテーマに開催し、24人が参加した。
 はじめに、輔教から教師となった筒井善子師(徳島・徳島西)から、「神様が歩ませて下さる道―御霊様の祈りの中で―」と題して講話があった。
 電子ピアノの演奏や、美しい歌声を披露しながらの講話の中で、講師は「金光教学院に在学中、学院長講義の中で、『依頼されたことは神様の御用として受けさせていただこう』という言葉に感銘を受け、このたびの御用も受けさせていただいた。すると、講話内容を整理する中で、いろいろな気付きを頂いたり、思いもよらない資料が見つかったりと、驚きとともに、神様、御霊様に支えられ、祈りの中にいると感じた」と話した。
 また、「いつも母から、『あなたの幸せは御霊様方が祈ってくださっているから。だからこれからは、皆様のことをしっかり祈らせていただけるようにならないといけない』と言われていた。その言葉どおり、これからは皆様の助かりをしっかり祈らせていただき、ご神願成就のお役に立たせていただきたい」と語った。
 その後、班別懇談と全体懇談を行い、参加者同士で講義の内容を深め合った。
 参加者からは、「自身の体験を分かりやすくお話しくださり、難儀の受け止め方を正すことができた」「ありがとうという言葉の意味の深さを理解でき、これからの自分の生き方に大きな示唆を頂いた」「各教会の輔教の取り組みがよく分かった」などの声が聞かれた。

輔教集会報告(関東教区)

 6月22日、東京センターで「輔教としての働き―道を伝える立場として―」をテーマに開催し、35人が参加した。
 まず、現役輔教の古賀さやか氏(神奈川・鎌倉)がテーマに基づいて発表した。
 「叔母の葬儀の際、親族で信心の話をしていた時に、いとこの後押しを受けて輔教を志した。教会の掃除をさせていただきながら、『御用ができるのも健康や時間を頂いてのこと』と思え、その喜びを感じた。また、一昨年、再就職の活動をしていた時に、先生をはじめ信徒の方々が就職成就を祈ってくださり、心強く感じた。一緒に御用をする中で、信心を語り合える『信友』ができたことをうれしく思う。仕事の上では、教祖様のような実意丁寧な対応を心掛けているものの、日常生活においては、お手引きや信心継承の難しさを感じている。両親が一生懸命信心の種を蒔いてくれたおかげで、私も定年を経て、やっと芽が出た。だからこそ、まずは身近な人に信心を伝えられるように努力していきたい」と話した。
 その後、6班に分かれて「道を伝える立場として」について班別懇談を行い、最後に大木光雄東京センター所長が、「立教160年のお年柄は、教祖様が神様から『世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ』というお頼みを受けられての160年である。現代社会には生きづらさや難儀、誰にも相談できない寂しさや苦しみを抱えている方々がいる。班別懇談で皆さんの真摯な姿勢やお道の信心の在り方を聞き、あらためて心強く感じた。現代は人と人との関係が薄れているからこそ、『相談に乗る』という姿勢が非常に大切であり、そのことをとおして、人と人、人と神とを結んでいける。皆さんの道伝えの努力を、神様、霊様が喜んで見ていてくださると信じて、今後とも輔教としての御用をお進めいただきたい」とあいさつした。
 参加者からは、「信心継承を難しく考え過ぎているのかも」「昔話ではなく現代に合った表現の再構築が必要だと思う」「補聴器利用の方のために、教話などを文章化する御用をしている」「教会の垣根を越えて輔教同士で話し合える場や、若い輔教が集まる機会があればよいのでは」といった感想や提言があった。

輔教集会報告(信越教区)

 7月20日、金光教富山教会において、「神様の御用」とのテーマのもと、輔教集会を開催し、12人が参加した。
 集会では、まず八木一久教務センター次長が、テーマに基づいて次のように発題した。
 「私たちは神様を頂いていると言いながら、常識や固定観念に縛られ、せっかくの神様のお働きを、小さなものにしてしまってはいないだろうか。教祖様が教えてくださったことを、そのまま素直に実践し、広く大きな心で信心をさせていただくことで、神と人とのあいよかけよの働きがより大きく現わされていくのだと思う。生きていく上では何事も神様の御用であるというところを、それぞれが常に心掛けていくことが大切ではないか」
 この発題を受け、輔教が相互に思うところを話し合い、「教会では『輔教としての御用とは何か?』と考えさせられることは多いが、意識し続けることが何より大切だと思う」「御用は自分で考えるのではなく、教会の先生にお伺いしてさせていただくようにしている」「神様の願いに自分の生活を合わせていくことも大切ではないか」「生きることが神様の御用になるという心で、日々の生活や教会での御用をさせてもらっている」といった声があった。
 本年は会場として教会をお借りしての集会ということもあり、開会閉会時のご祈念やお届けを参加者が行った。また、手作りの昼食や差し入れなどもあり、和やかな雰囲気の中、輔教としての御用について、それぞれが求めるところ、取り組んでいることをざっくばらんに語り合った。
 参加者は、「これからも元気な心で、輔教として神様の御用にお使いいただこう」と気持ちを新たにしていた。

輔教集会報告(東海教区)

 8月24日、名古屋港湾会館を会場に、輔教集会を開催し、68人が参加した。
 本年度は、輔教としてどうあるべきかを確認した上で、あらためて輔教としての願い、活動の喜び、信仰実践を、神様・御霊(みたま)様、教会の先生や輔教仲間と共有していけるよう、テーマを「私たちはやっぱり輔教なんです! ~シェアしよう 願い・喜び・実践~」と設定し、輔教の実践発表と、岩﨑弥生師(静岡・静岡/本部輔教講師)による講話、班別懇談をもって開催した。
 はじめに、岡田健嗣氏(愛知・幅下)が、「教会長と願いを共有する大切さを感じている。記念祭に向けた教会長の願いを、自分の願いとして受け止め、想い・願いを一つに取り組んでいることは、後々の力になる」と発表した。
 続いて野村圭氏(愛知・大曽根)が、昨年制作したみ教えシールの企画に至った経緯について、「会議でたまたま口にしたことが形になった。一人ではできないことでも、思っていることを誰かに話すことで、皆が協力して実現できた」と話し、輔教としての取り組みを参加者と共有した。
 講話では、「神様と仲よくする信心をして…」と題して、「教祖様の生きられ方を振り返ると、他人事ではないと感じる。信心しているつもりでも、知識や経験が先に立ってしまい、神様と仲よくする生き方になっているのだろうか。その意味で、まずは自分を知ることが一番大切であり、自分を知らないと神様の物差しは持てない。神様にお伺いを立て、仰せどおりに受けて、自分がおかげを頂くことで、周りも変わっていくことがある。神様のなさることは、すべてに温かさがあふれている。そのような温かい気持ちになって、人と触れ合い、膝を折って相手の話を聞かせてもらう。自分の物差しで計らず、神様からご覧になってどうなのかを求めていく。助けてくださる神様には、その人を助ける段取りがある。祈りを通じて神様とやり取りをすると、神様の物差しや段取りが見えてくる」と語った。
 その後、班別懇談を行い、それぞれが輔教として取り組んできたこと、今後取り組んでいきたいことを語り合って共有した。

輔教集会報告(東中国教区)

 9月8日、金光北ウイングやつなみホールを会場に「輔教のご用を再確認する―わが心の神様にお働きいただく―」とのテーマのもと、輔教集会を開催し、42人が参加した。
 集会に先立ち、5月25日に東中国教務センターで、教区内の輔教4人が出席しての企画会議を行い、集会のテーマを定め、和やかな雰囲気で会合が進められることを願って、テーマに沿った寸劇を上演することを決めた。
 集会では、はじめに高橋美津子師(岡山・岡東)が次のように講話した。
 「教会に出入りする人は、神様から引き寄せられた人。その方の目的は気にせず、気持ちよいあいさつと、相手の言葉に耳を傾けるように心掛けてる。人は居心地のいい場所に心惹かれるから、私たちが教会をありがたい場所と感じて笑顔でいれば、自ずと伝わっていく。そう考えると、『どうお声掛けをしようか』『何を話そうか』という前に、日頃の自分自身の信心が大切になる。
 私自身、さまざまな方との関わりの中で、何一つ自分のものはなく、自分であって自分でないという不思議な思いに至ってきた。容姿や環境など、それらすべては自分で選んだことではなく、受験や結婚も選んだことのようで、実は巡り合わせの中でのことであり、神様から頂いたもので自分が成り立っている。だから、神様に『私を使ってください』という思いがあれば、あまり難しく考えなくてもお役に立たせていただける。
 そのうえで大切なのは、難儀な氏子としての自覚。他人事ではなく、自分も含めて難儀な氏子であり、神様から大切に思われていることを分からせていただく必要がある。神様にとって、すべての人が氏子であり、どんな人も神様のおかげの中で生きていて、みんなで助かりたいという思いを持てたなら、それは素晴らしいこと。そこが基本になれば、苦しんでいる人、ずるい人、癖のある人、合わない人、そんな方々もすべて助かってほしい人として、神様の目線に近付いていけると思う」
 また、講師は講話の中で、通りすがりに教会に寄られた人や、お金の無心に来た人、お昼を食べに来るようになった人などに対して、どのように接してきたかといった実例を挙げながら話した。講話の後は、30分間の質疑応答が行われた。
 昼食後、企画委員らによる寸劇「チコちゃんに叱られる」を上演した。劇中には日頃の御用の中で抱えているそれぞれの悩みや体験談などが盛り込まれ、参加者らは終始、和やかな雰囲気での観劇となった。
 その後、班に分かれての懇談が行われた。講話・寸劇の感想をもとに、それぞれの立場からこれまでの御用を見つめ直し、ここからの願いについて、活発な意見交換がなされた。
 参加者からは、「セールスの方さえも、神様に引き寄せられた人として捉え、丁寧に接するというお話が身に染みた」「自分が人に助かっていただきたいと思ってしていることも、自分の位置が高かったと感じた」「とても楽しく鑑賞できた。ご本部境内案内所での御用を知り、もっとお話の続きを聞きたいと思った」といった感想があった。

輔教へのメッセージ

「いのちの設定─役柄に奉仕する─」岩﨑 弥生(静岡・静岡)

 誰でも生まれながらにして、決まっていること、背負っているものがあるように思います。それをいのちの初期設定とするならば、私の初期設定は、静岡の紙屋の長女、そして祖父の代から信心している家庭に生まれるということでした。今にして思えば、神様から「信心しておかげを受けてくれよ」と願われ、生まれてきたのだと思えます。けれども、20代までの私は、そんな神様の願いを知らずに、私の人生なんだから私の思いどおり、私が決めたように自由に生きて当然と思っていました。
 しかし、その生き方では、いのちの初期設定に込められた「信心しておかげを受けてくれよ」との神様の願いから外れてしまい、当然難儀なことに出遭っていきます。受験の失敗だったり、いろいろな難儀をとおして、神様から「信心して…」のメッセージが度々ありました。25歳を過ぎた頃、仕事の上、また自分の将来を見据えての大きな問題に突き当たりました。前にも進めない、後ろにも戻れない。どうしてよいか分からない状態に陥りました。もうお手上げです。
 やっと私は「神様、助けて」と、素直に神様の前に額ずき、お結界から言われる先生の言葉を神様の言葉だと思って、おっしゃるとおりにしようと思いました。ようやく自分の物差しを放し、神様の物差しを持つようになれたのでした。つまり「神様、私の思いどおりにしてください」ではなく、「神様、私はどうしたらいいですか」と、神様にお伺いすることができたのです。お結界で教えていただいたことを、暮らしの中で神様に問いながら、「ああか、こうか」と取り組むうちに、道が開けていきました。そして、私が想像していた以上の思いがけないおかげを頂きました。
 私のいのちの設定は、そこから大きく変わっていきました。金光教の教師にならせていただき、教会に嫁ぐことになりました。私にとってそれは、想像もしなかったことでしたが、神様がお養いくださるということは、もったいなくうれしいことでもありました。
 それから年月を経て、私の「設定」が次々変化していきました。二人の子をもつ親にならせていただき、放送センターの御用、そして輔教講師の御用をさせていただくようになりました。自分の中身からすれば、そのような御用をとても勤められるとは思いません。教会長にお取次頂きますと、「四代金光様の『役柄に仕え奉仕する』というお言葉どおり、神様の願いを受け、役柄に仕えていけばいい。そうすることで、その御用をとおして自分が変わらせていただき、いつの間にか役柄にふさわしい人になっていくことが、御用をくださった神様の思いに応えることになるのでは」と言われました。お役を頂き、人にお話ししていくということは、これまでの自分の信心を振り返ることになりますし、あらためて「金光教」を勉強し直すことでもありました。
 昨年の8月、2回目の輔教志願者講習会の講師の御用を終えました。自分なりに準備をし、やり遂げたという思いがしていました。昨年4月、教会の母が亡くなったのですが、その3年前から介護、御用、家事と、ずっと駆け足というか、全力疾走で毎日を送っている状態でしたので、その講師の御用が終わった時、一段落したような気持ちになっていました。それでも御用は次々ありますので、毎日忙しくお使いいただいていました。
 すると半月ほどして、背中が痛くなり、どうにも治らず、手にしびれまで出てきたので病院で診察を受けると、頸椎の変形で神経にさわり、痛みが出ているとのことでした。そしてある朝、突然起き上がれなくなってしまいました。目は開いているのに身動きできない。頭を上げると激痛で起き上がれない。初めての経験でした。ただただ痛くて、どんな体勢をとっても痛く、涙がぽろぽろこぼれてきました。何もできず、すべての家事や私のしている御用を教会長にお願いすることになりました。やっとの思いでお広前に行き、自分の体が思いどおりにならない痛みと悔しさで泣きました。
 これほど一生懸命やっているのにどうしてこのようなことになるのか。つらくてつらくて泣いてご神前で額ずいていました。「私が至らないから、こんなことになるのか。いやいや、こうやってすぐに原因と結果を結びつけようとするのは私の悪い癖。これまで起きてきた困ったことは、神様からの信心の改まりの催促と思えることだった。だからこのことも、きっと神様からのメッセージに違いない」。頭であれこれ考えるのをやめて、「神様、どうぞ私に神様の思いを分からせてください」と願いました。
 そんな私に差し向けられたのは、痛い私をいろいろな形で支えてくださる教会長や家族、信者さんでした。その温かさに触れた時、「私は、これまで信者さんの痛みを本当に理解できていたのか。涙がぽろぽろ出てしまうほどの痛みを心から分かっていたのか。痛くて何もできないという信者さんに、『あれしかできない。これしかできない。と思うのではなく、あれもできた、これもできたでしょう』と分かったふうにみ教えを突き付けてきただけではなかったか」。そんな自分の姿を思い出しました。
 私はただ申し訳なく、神様にお詫びしました。そういう心になることで「昨日はできなかったけど、今日はこれもできる、あれもできる」と、「しか」ではなく「も」と心から思えるようになっていきました。そしてこの「痛み」を、神様の温かいメッセージなんだと受け止めることができました。 輔教の皆さんも、それぞれに輔教になるまでの導きがあり、喜びや悲しみ、痛かったことや、苦しかったことなど、さまざまにあったことでしょう。ただ共通しているのは、輔教の皆さんは金光様からご任命を頂いているということです。これまでのそれぞれのいのちの設定から、輔教というお役の設定を頂いたということは、そのお役に仕え奉仕することであり、そして、その御用をとおして自分が変わらせていただき、いつの間にか役柄にふさわしい人になっていくということだと思うのです。
 もしかしたら、「どうしてこんなことが」と思うことが起きてくるかもしれません。でもそれも、すべて神様からのメッセージ。「難はみかげ」です。元気な心で共に御用にお使いいただきたいですね。

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