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<令和3(2021)年の活動報告>


令和3年度輔教任命式

 布教功労者報徳祭並びに金光鑑太郎君三十年祭では、新任・再任合わせて354人が輔教に任命され、ご祭事の中で、代表の岡田美晴氏(大阪・梅田)が教主金光様から辞令を受け、所願を表明した。

所願表明

 ただ今、教主金光様より、私たち354名の者が、輔教任命の辞令を頂きました。
 前教主金光様のご退任、教主金光様ご就任、また、四代金光様がお隠れになられて30年のお年柄に、輔教としてお取り立りていただきましたことは、大変ありがたく、心より御礼申し上げます。
 私たちは、どんな時でも、教主金光様のお祈り、お取次の中、神様から幸せ、立ち行きを願われています。だからこそ、何があってもその御み思いに心を向けて、「お役に立ちたい」の一念を貫いてまいりたいと存じます。
 輔教として「私にできることは何か」「私たちだからこそできることは何か」に思いをいたし、私たちの信心実践によって、信心のご縁が生まれ広がり、神様と出会って助かりの物語が紡がれることのお役に立たせていただけますよう、どうぞよしくお願い申し上げます。


輔教志願者講習会

 令和3年度の標記講習会は、各地の緊急事態宣言延長に加え、浅口市がまん延防止等重点措置実施地域であったことを受け、ご霊地に参集せず、講義を記録したDVDの視聴をもっての受講とした。
 今年は、20教会25人が受講し、各講義、先輩輔教の実践発表をとおして輔教に求められる意義や働きについて学んだ。


教区輔教集会報告

四国教区

 本年度は新型コロナウイルス感染症対策のため、DVDと資料をもとに、それぞれが都合のよい日に自宅や教会で自主研修を行い、延べ37人が参加した。
 当初開催予定だった6月20日に、講師と教務センター職員が四国教務センターに参集し、DVD作成のため、録画を行った。
 はじめに、四国教務センターの塚本道晴所長が「今年の集会では、調饌についての心構えや実践をとおして、見識を深めていただきたいと諸準備を進めてきたが、新型コロナ対策として、それぞれが自主研修する形で開催する運びとなった。講義や輔教の発表から刺激を得て、信心の深まり、新たな気付き、視座、輔教として御用を進める上での心構えなど、再確認していただきたい」とあいさつした。
 続いて、講師の谷口浩志師(高知・窪川)が、ホワイトボードに絵を描きながら、調饌時の心構えとして、「神様への真心を大切に、一に真心、二に安全(お供え物が落ちないように)、三、四がなくて、五に美しさ。お供え物の美しさは真心を込めることにつながる。調饌に限らず、神様に向かえばいろいろな形で神様から答えが返ってくる。それをありがたく受け入れられたら、先で必ずおかげを頂ける」と語った。
 参加者からは、「教会で御用をさせていただく時の参考にしたい」「輔教の皆さんに会えないのは残念だが、臨場感ある講話が、自分の時間に試聴できてよかった」「実習を楽しみにしていたので残念。次回以降、条件が整えばぜひ実習をしたい」といった感想があった。


信越教区

 7月3日、「神様と私」とのテーマで開催され、オンライン会議サービスを利用して、20人(教区外から10人)が参加した。
 集会前半は、講師の今西寿彦師(岐阜・南大垣)から「神先我後)(かみさきわれあと」との講題で、次のような内容の講話があった。
 「『神人あいよかけよの生活運動』の『願い』の1行目にある『御取次を願い 頂き』の空白部分を、私は、神様と出会い、神様のおかげを感じることだと頂いている。また、3行目の『お礼と喜びの生活をすすめ』の『喜び』とは、自分の喜びにとどまらず、神様のお喜びと受け取ることが大切である。そう受け止めるのは、南大垣教会で大切にしてきた『神先我後』という信心による。
 初代(祖父)が布教当初、さまざまな問題に直面し、思い悩んでいた時に、『何事も神様が見守っておられ、先の先まで分かっておられることだ』と、神様のみ思いに気付かせられる出来事があった。そこから、神様の側から物事を捉え、自分は神様から見捨てられたのではないと思い直すことができた。
 その神様のお心を知るということが『神先』である。このことを教会として大切にし、信条を打ち立てることによって、今も次々とおかげを蒙ることができている。
 輔教の方々は、それぞれが願いを立てられたその時から、金光様が皆さん一人ひとりにかけてくださっている願いがある。それを今一度、頂き直していくことが大切だ。お結界で『神様、金光様の願いにかなう御用をさせていただけますように』と御取次を願っていくこと。そして、お結界でのお言葉を、神様のお言葉として素直に頂いて、精いっぱい取り組めば、人が助かる御用に神様が使ってくださると思う」
 講話後は班別に分かれ、講話をとおして感銘を受けたところなどを話し合い、内容の理解を深めた。また、ここまでそれぞれが、輔教としての御用をとおして感じた神様のお働きなどの体験談を語り合い、あらためてお互いに、どれほどの神様の願いがかけられているかを再確認した。
 このたびの集会は、オンラインを利用したことで、普段あまり話す機会のない、他教区の輔教と懇談ができ、参加者は大きな刺激を受けていた。その一方で、「膝を突き合わせて話す時には、すぐに打ち解けて信心の話ができるが、なかなか踏み込んだ話になりにくかった」という声も聞かれ、オンライン開催の課題も感じた集会となった。


東海教区

 8月29日、「『神様の喜び=自分の喜び』にしよう!―ありがた~~く頂く心を忘れない―」とのテーマで、近藤正明師(三重・名張)を講師に迎え、名古屋センターを主会場にオンラインで開催した。(参加者/各教会および個人宅から71人)
 講師は、「『神ってる!』自分になれる道しるべ ~金光教って けっこういいかも~」との講題で、高校の「宗教」の授業を担当してきた経験をもとに、次のように講話した。
 「宗教を伝えることは本当に難しい。世の中には、まだまだ金光教は認知されておらず、得体の知れない新興宗教と思われているのが現状だ。だからこそ、社会的には厳しい眼もあることを自覚し、自分自身が金光教の顔として見られることを常に意識する必要がある。また、『信心』という言葉は一般には伝わらない。何かを伝える時には『金光教を、伝える』のではなく、『金光教で、伝える』ことが大切で、言葉より体で表すことが必要になる。それには、私たちの立ち居振る舞いや働き方、人への接し方など、普段の生活をとおして周囲に金光教を認知してもらわなければならない。時間はかかるが一人ひとりの努力がいつか実を結ぶ。これが教祖様がおっしゃる『家業の業』ではないか。今後の取り組みの上で、自分は金光教を体で表現する人間だという自覚と意識をもって、信仰心を深めていってほしい」
 講話後、参加者から「布教材を作ったり、子どもの友人たちに声を掛けたりする際に、何か若い世代に受け入れやすいみ教えがあれば教えていただきたい」と質問があり、講師は「私が好きな教祖様のみ教えに、長いものや短いものがあるから物をつかむことができるという『五本の指』のみ教えがある。生徒たちにもさまざまな個性があり、それぞれであっていいんだということを伝えられる。また、四代金光様のお歌は、『信心』や『おかげ』という言葉を使わず、金光教の信仰の中身をたくさん伝えておられるので、ぜひ勉強してほしい」と回答した。
 今回は初めてのオンラインでの集会となり、企画時に予定していた班別懇談などは行えず、講話中心の開催となった。一堂に会しての集会とは違った環境により、集会内容の構成や時間配分、輔教相互の交流の機会の確保などについては今後の課題となった。


中近畿教区

 令和3年4月3日(土)、玉水記念館(大阪市)を会場に、「教会活動及び教団布教の担い手である輔教として自覚を高める」との願いのもと、教区輔教集会を開催した。
 本年度は、山下政利氏(京都・石清水教会在籍輔教)を講師に招き、24教会から66人が受講した。
 山下氏は「教会の御用でお育て頂いて」と題し、自身にどのようにして信心が継承されてきたのかを振り返りながら、御用をとおして頂いてきたおかげや、信心の継承について、また輔教としての取り組みなどについて話した。
 山下氏は幼少の頃、熱心な信徒である曾祖母の家に遊びに行くのが楽しみで、神様中心の生き方に間近で触れながら育った。社会人の時、同僚から他宗教に誘われ、勧誘の場で金光教に対する誹謗中傷を浴びた。熱心に信心していた曾祖母の人生を否定された気がして、その悔しさから石清水教会へ初参拝する。先生のお取次を頂き、御用をとおして自身の信心の芽が出た。その経験から、自身の子どもや周りの若い人にも御用に立ってほしいとの願いを持ち、信心をどう伝えていけばよいか、またそれをどこまで覚悟を持って願っていけるかについて語った。
 そして、輔教の活動として、教会周辺地域の方に本教のことを知っていただく願いを立て、教会とのご縁につながるよう広報誌を作成し、一軒ずつポスティングするなど、自身の具体的な取り組みの内容も発表した。
 その後、「私に伝わった信心、私が伝えたい信心」をテーマに班別懇談を行った。参加者からは「布教活動の内容が素晴らしく、自分も輔教としての働きを進めていきたい」「覚悟を持って信心を実践なさる姿に心を打たれた」などの声があり、輔教としての取り組みを問い直す機会となった。
 なお、集会前には任期満了輔教を対象に輔教研修会が開かれ、講師の瀧山美明師(大阪・豊中)が「輔教の使命と役割」と題して、輔教制度に込められた願いや輔教の信仰的役割について、具体例を交えながら語った。その後任命願の提出等について説明を受けた。


輔教講師からのメッセージ

「祈りの後押しを頂いて」髙村 志郎(北海道・亀田)

 日々、教会参拝に励み、御取次を願い、頂く信心生活を進めることは、神様の御み心に気付かせていただき、信心が豊かになることだと思います。さらに、天地金乃神様のすごさを知ることで、あらためて信心することの大切さ、ありがたさを実感できると思います。また、輔教は「進んで教会活動を担い、教団活動に参画する」とありますが、そういった積極的な取り組みの中で、神信心に広く触れ合うことも、信心が豊かになり、「神心となって人を祈 り、助け、導く」というお役に立つことができると思います。
 さて、皆様の信心が豊かになるきっかけ、一助、参考になればと、教会建築をとおして気付かせていただいた、私自身の体験を紹介させていただきます。
 私の在籍教会は、大正4年に竣工した、築100年を越える自慢の建物であり、市が作成した町散策のパンフレットに載ったりもしました。しかし、昨今懸念されている地震などの災害を考えると、建て替えは実現必須の大きな願いとなっていきました。ところが、教会の現状から人間心が先に立ち、「新築建て替えは無理だろう」と決め付けているところが大きくあり、具体的な取り組みは何もできないまま、時間だけが過ぎていくのが現状でした。
 それでも祈り続けていると、ご時節は突然やってきました。平成28年5月の大雨により、これまでにない激しい雨漏りが起き、葺ふき土や土壁が流れ落ち、屋根や壁に穴が開くなど、致命的な損傷を受けたのです。それでも、いざ建て替えとなると重い腰が上がらず、屋根の葺き替えをすれば大丈夫だろうと考えていましたが、業者から経年劣化やシロアリ 被害による駆体状態の悪さを知り、新築は避けて通ることができないものになりました。
 最初は、「実現は難しいと思っていた教会新築が現実のものになるのだ」と、喜びの心一色でした。何もかも初めてのことでしたが、信徒への周知、建築全般の工事計画、さらには経費の準備など、意気揚々と取り組んでいたのですが、思い描いていた動きと現実の取り運びとが、徐々にかみ合わなくなり、その結果、喜びの心より、本当にできるのだろうかという心配、不安の心が日増しに大きくなり、私一人で取り組んでいるような気持ちにもなっていきました。すると、周囲は現状を知らずに勝手な言動ばかりだと、イライラしたり落ち込んだり、「いっそのこと、新築をやめて屋根の葺き替えだけなら楽なのに」と思うようにもなっていました。
 そんな日々が続いていた時です。不思議なことに、関係教会などでの祭典後の教話が1度ならず2度、3度と、建築に関わる内容が続き、また、建築を経験した先生方からも、喜びや苦労話を聞かせていただく機会が増えていきました。私自身、建築を進める中でご神意が分からず、迷いが生じた時期に集中して、そのようなお働きがあったのは、神様が人を介して、建築を進める後押しをしてくださったのだと思います。すると、「建築は私一人がしているのではない」と思え、気持ちが楽になり、心にゆとりが生まれてきました。
 さらに、「建築は神様がなさるもの、人間心で不安、心配、取り越し苦労をして、建築の邪魔をしてはいけない」とも思え、今、私ができることは、「お役目を日々積極的に受けて、御用をすることである」と承服できました。その後も不安、心配で心が揺れ動くこともありましたが、神様が必ず良いように導いてくださると、前を向いて明るく進むことができました。実際、建築工事中の仮広前、仮住居も決まり、銀行からの借り入れもでき、次々にお繰り合わせを蒙らせていただきました。
 平成30年6月、解体から1年半、ご時節を頂き、教会布教110年の前年に、竣工を迎えることができました。実はここにも神かん慮らいがありました。
 それは平成21年、教会布教100年を迎えた際、10年後の布教110年祭は、ぜひ新築のお広前で迎えたいと思い、願いを書いたメモをご神前にお供えして祈り続け、それが実現したことです。すべてがこういう喜びにもつながっていたのかと思うと、本当にもったいなくありがたいことです。
 このたびの建築を振り返ると、神様のすごさ、奇跡的なお繰り合わせを実感するとともに、竣工後、いくつかある課題は、信心に慢心、油断が出ないために、わざわざ神様が残してくださったおぼしめしであると感じています。
 まだまだ人間心が出て、すべてを神様にお任せする信心にはなっていませんが、「祈りながら取り組めば、何事も神様が必ず良いように導いてくださる」ということを実感として積み上げ、そのことが周りにも伝わるような生き方を進めたいと思っています。
 日々、信心生活を進める中で、昨日に至る過去を信心で振り返ることで、さらなる深まりを持った気付きや改まりが生まれ、今日の祈り(お礼、お詫び、お願い)を生み出すと思います。そして、神のおぼしめしに沿って生きるということは、「神人の道」を求め、現すことになり、その生活に終わりはなく、代を超えてつながっていくものであると思い ます。
 教主金光様から「ご任命」という祈りの後押しを受ける、教師・輔教は、いつでも、どこでも、誰にでも寄り添い、祈り続けることができると思います。どうぞ家族や周りの人に喜んでもらえる信心生活を進め、天地金乃神様、金光様へのお礼として道を伝えさせていただきましょう。

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