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<平成30(2018)年の活動報告>

神様から差し向けられた人になる


 布教功労者報徳祭の中で、新任・再任合わせて344人が輔教に任命された。
 ご祭事の中で行われた輔教任命では、吉村公博氏(愛知・平針)が代表として教主金光様から辞令を受け、所願表明を行った。
 また、祭典終了後は、祭場庭上で辞令交付式が行われ、田淵美賀雄教会部長があいさつした。

所願表明
 ただ今、教主金光様より、私たち344名の者が輔教にお取り立ていただきましたことを心より御礼申し上げます。
 人間は自分の力で生きているのではありません。神様のおかげの中に生まれ、おかげの中でお育ていただき、振り返れば、「あれもおかげであった、これもおかげであった」ということばかりです。
 そのおかげの中で私たちは、少しでも神様のお役に立たせていただくために輔教を志し、その御用にお使いいただくという大みかげを蒙らせていただきました。
 これからは、より一層信心の稽古に励み、神様、金光様、先生方のお導きを頂きながら、一人でも多くの方にこのお道の信心を伝え現していきたいと思います。
 このお道にご縁を頂いた喜びと感謝を忘れず、神心となって人を祈り、助け、導くことができますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

任命輔教代表 佐藤 雅一

教会部長挨拶
 ただ今は、布教功労者報徳祭が麗しくお仕えになり、真にありがたいことに存じます。
 布教功労者として祀られているご霊神様方は、それぞれの時代社会にあって、道を守り、道を貫くためにご苦労くださいました方々であります。教典に収められている数々のみ教えをお伝えくだされた直信の方々や、各地に道を開き、道の神髄を求め伝えてくださった先人の先生方、そしてそれを陰で支えてくださった方々、そのように、お道のためにご尽力くだされたご霊神様方への御礼のお祭りであるとともに、その道を思う心を我々も受け継ぎ、お役に立つ生き方をさせていただくべく、願いを新たにさせて頂く祭典でもあると存じます。
 皆様方は、そのような祭典の中で、教主金光様から輔教のご任命を頂かれたわけであります。ご霊神様方のお道を思う精神を、共々に頂いてまいりたいと存じます。
 新しく任命を願い出られた方45人、再任を願い出られた方299人、合わせて344人の方が、ご任命になられました。
 私がこれまで接してきた輔教の方々は、在籍教会のことはもちろんですが、教団のこと、このお道のことを考えてくださっている方が大半であります。ここから先、お道のために、共々に御用にお使いいただきたいと存じますので、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
 2年前、リオ・オリンピックでの話です。陸上女子5千メートルに出場したアメリカの選手は、交錯して一緒に転んだ他国の選手を助けて、連れ立って走り出しました。完走後のインタビューに、「私が助けたというより、私の中の神様が助けた感じ」と答えていました。
 信心していても、していなくても、人は皆、神心を頂いているわけです。つまり、私たちの中に神様がいてくださるということだと思います。難儀な人を助けるというのも、実は、難儀な人の中にいる神様をお助けするということではないかと思います。
 教祖様は、「病苦災難のために人に助けられるようではなりません。人を助けるばかりの心になろうと思うて信心するが一番よろしい」と教えられています。
 輔教の皆様には、「どうぞ御用にお使いください」との祈りをもって、人を祈り、助け、導くことに取り組んでほしいと思います。祈りを持って取り組めば、必ずチャンスが訪れます。その時が神様の御用に立つ時であり、その時その場に神様から差し向けられた人になる、そういうことではないかと思います。教祖様がおっしゃる、「ここに神が生まれる」時とは、神心が生まれた時であり、人が助かる事実が生まれた時であり、神様がお働きくださった時であろうと思います。
 教祖様のところで、そういう助かりの世界が開かれて、こんにちまで159年、明年には立教160年をお迎えさせていただくわけであります。教祖様がご信心をお進めくださったように、私たち信奉者一人ひとりが、わが心の神様との対話を深めて、神様を世に現すおかげを蒙らせていただきたいものであります。 
 どうぞ、ここから新たな願いを持って、そしてお道の仲間同士として、共々に取り組みを進めてまいりたいと願っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。


平成30年度輔教志願者講習会―み教えの実践あればこそ

 輔教志願者講習会を8月25、26日、金光北ウイングやつなみホールで開催した。
 現行の輔教制度は平成4年に発足し、501教会、1517人(7月末日現在)が輔教として御用に当たっている。
 今年は、33教会45人が受講し、各講義、先輩輔教の実践発表をとおして、輔教に求められる事柄を学んだ。班別懇談では参加者同士、これまでの取り組みやここからの願いについて語り合った。
 なお、このたびの修了者は所定の手続きを経て、来る12月の布教功労者報徳祭時に、教主金光様からご任命を受ける。

教主金光様おことば(開会お届け時)
皆様、それぞれに願いを立てて、輔教志願者講習会によくお集まりになりました。
お互いにここまで信心を進めさせていただき、ご用にお使いいただいておりますことをありがたく思いますとともに、そのお礼の心を土台に、ここからいっそうに、「人が人を助けるのが人間である」との教祖様のおぼしめしを頂いて、わが道の信心を現し、伝えて、世界の平和と人類の助かりのお役に立たせていただきたいと存じます。
どうぞよろしくお願いします。

教務総長挨拶


 輔教志願者講習会にご参加の皆さまには、長年ご信心を進め、数々の大きなおかげを頂き、このたび神様へのお礼の気持ちで輔教を志された方、あるいは神様のお役に立ちたいという願いを持って輔教を志された方もあると思う。また、教会の子弟として育ち、教会の御用をされ、少しでも教会長先生のお役に立ちたいと思い、輔教を志願した方、そのほかにもいろいろな思いや願いを持って、この講習会に参加されたと思う。
 そのような思いは大変素晴らしいことだが、輔教にお取り立て頂く者として、今の信心のレベルをさらにアップしていくことも大事であると思う。「おかげを頂いてありがたかった」というところにとどまっているのではなく、自らがみ教えを実行し、神様に出会い、その神様からお知恵とお力を頂いて、「こういう発想ができました」「こういうおかげを頂きました」と言える信心になっていくことが、私たちの目指すべき方向だと思う。  
 私が御用を頂いている教会にお参りのご信者さんの中には、「おかげを頂いてありがたい」とおっしゃる方は多いが、子や孫にお道の信心を伝えておられる方は非常に少ない。金光大神様は、「信心する者は、神の話を聞いて納得したら、第一に、自分がしてみせて、それから言い聞かせなければならない。口ばかりの先生ではうちの者も聞かないし、神にも相すまないことになる」とおっしゃっている。頂いたおかげや信心を家族の者に伝えるには、まず自分自身が頂いたみ教えを実行し、生まれ変わらせていただく、そういうおかげを受けなければならない。
 道理は極めて簡単である。み教えを実行し、神様のご恩に報いる生活をしていけば、それは神様が願われていることを実践していることになるから、神様がご都合お繰り合わせをつけてくださり、家族の方から「おばあちゃん、信心の話を聞かせて」「次に教会にお参りする時は声を掛けて」と相手の方から信心を求めてくることになる。
 あるご夫人は、信心の実践としてトイレの掃除をなさるようになり、心の作り替えのおかげを頂かれた。私たちが生きていくにはトイレに1日も行かないわけにはいかない。毎日大小便を受けてくださるトイレに対して、「お礼を言わずにはおれない」「お掃除をさせてもらわずにはおれない」というのが信心ではないか。そのような気持ちになった時に、神様は汚い心まできれいに洗い流してくださる。心を作り替えてくださる。信心とは決して遠くにあるのではなく、生活の中にある。み教えを実践するというのは、天地に種まきをすることと同じであり、天地は生きて働いてくださっているから、天地に種をまけば必ず芽が出るのである。
 とかく信心していても、自分の思いどおりになることがおかげである、自分の願いがかなうことがおかげである、と思っている方がおられる。そういう方は、人間は神様によってどのように生かされているのかということがお分かりになっているのだろうか。
 金光大神様は、「信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ」と教えてくださっている。無事達者というのは、事故やけががなく、安心安全な家庭であり、家族が健康なことである。さらには、子孫が続いて家が繁栄し、経済的にもおかげを受けることができる。信心すればそのようなおかげが末の末まで続くとおっしゃっている。
 来年は立教160年をお迎えするに当たり、信心に勢いをつけていきたい。今、私たちの信心はどうなっているか、どこに課題があるか、確認する意味で講習会に臨んでいただき、それぞれが神の大恩に目覚め、代まさりのおかげを受けられることを願っている。

講義・発表内容

◆講義1「金光教の信心について」
 講師 岩﨑 弥生 師(静岡・静岡)
   これから輔教として御用を担うに当たり、天地金乃神様の神性、教祖様の生きられ方を学び、自分が頂いている信心を押さえ直し、確かなものとし、人の助かりにつながる在り方を求めた。
◆講義2「教団の仕組みと働きについて」
 講師 吉川真司(徳島・三好)
   今、形を成している教団や教会の成り立ち、仕組み、働きを確認し、御取次を頂きながら信心を求め現していく担い手、教団の構成員としての自覚を深めた。
◆講義3「輔教の役割について」
 講師 岩本威知朗(大阪・金岡)
   輔教に願われていること、人に道を伝える中身を確認し、一層培っていくために、今後、輔教として取り組むべき内容について学んだ。
◆実践発表
 発表者 行司利夫(岡山・西大寺・輔教)
   先輩輔教から、輔教としての御用内容や、信心を人に伝えていく在り方、社会に金光教を生かす活動の在り方を共有した。

班別懇談

 参加者それぞれが、これまでの信心の歩みや、志願理由を語り合い、受講した講義を手掛かりに、今後の輔教としての活動等について懇談し、決意を新たにした。

本年度の輔教研修会(各会場の報告)


 4年の任期を終えた輔教が再任を願い出る際に受講が義務付けられている輔教研修会を、本年度は、東京、大阪、金光(4会場)、柳川の計7会場で開催した。
 各会場とも、冒頭に教会部長(地方会場はセンター所長)が、教団動向を説明し、「神人あいよかけよの生活運動」を基に、再任を願い出るに当たっての構えを作るべく、輔教に願われていることなどを先人の事例を交えながら語り、あいさつとした。
 続いて輔教講師が、「なぜ信心をするのか」「お道の信心が伝わっていく自分になるには」「輔教として願われること」など、本教の大切なところを押さえつつ、講師自身の信心のルーツや取り組みの実際、在籍輔教の取り組みなどについての講義を行った。
 続いての班別懇談①では、「『御取次を願い、頂く』内容を深め、『神人の道』を豊かにする」をテーマに、具体的な願い、取り組みを切り口として、生神金光大神取次を頂いて受けた「おかげ」の内容を深め、神も助かり氏子も立ち行く「神人の道」と言われる、お道の信心について求め合った。班別懇談②では、「伝えた人、伝えたい人と具体的な取り組み」をテーマとして、班別懇談①の内容を基に、具体的に伝えたい相手を思い浮かべながら、伝えたい中身やそのために実践していることを出し合った。成功例だけでなく、失敗したことも共有し、互いにここからの輔教活動の原動力となるよう、情報交換を行った。
 全体懇談では、講義に対する質疑応答の後、班の代表者が研修会の感想や、これからの意気込みを発表した。
 受講者からは、「講義を受けていると、信心の整理をしなさいと言われているような気がして、もう一度自分の信心を見つめ直す機会になったように思う」「日々のおかげをあらためて感じられた。当たり前のことや、目に見えないおかげを忘れないように生活したいと思った」「輔教として人に信心を伝える、お礼と喜びを表す生活を進めていきたい」などの感想が聞かれた。
 本年度の全受講者は159教会299人で、各会場の開催日・場所・講師・受講者数は次のとおり。


 来年度は、札幌、東京、大阪、金光、熊本で開催する予定であり、対象者には本年末に事前調査を実施する。

輔教集会報告(北海道教区)

 2月17日、ホテル・ノースシティ(札幌市)を会場に輔教集会を開催し、11人が参加した。
 はじめに、教務センター次長から、輔教の役割の確認、教団の基本方針の説明があり、続いて、大代清雄師(札幌東教会長)を講師に、「祭典時のご用について」というテーマで研修を行った。
 輔教は、教会で行われる祭典や集会、社会奉仕活動などのさまざまな活動に対して積極的に関わり、支えていくことが願われており、輔教からも実際の教会活動、御用についての研修を求める声が多く上がっていたため、このたびのテーマが設定された。
 研修では、祭典の次第や作法、神饌物などについて、実技を交えながら、祭典に込められた願いについて学んだ。
 参加者からは「教会では、取次唱詞の先唱や補助賛者などのお役を頂くことが多いので、作法など大変勉強になった」「祭典時の動作やお供え物について、一つ一つに意味があることを知り、あらためて実意丁寧に仕えるということの大切さが分かった」などの感想があった。

輔教集会報告(東近畿教区)

 3月11日、ホテルビナリオ嵯峨嵐山(京都市)を会場に、「人を祈り、助け、導き」とのテーマで、「教区輔教集会2018」を開催し、55人が参加した。
 はじめに、的場聡行師( 放送センター所長/ 大阪・上野芝・副教会長)から、「人を育てる神様と共に」と題して講話があった。
 講師はまず、自身が以前、金光新聞編集室で御用を頂くことになった経緯や、そこでお育てを頂いた内容について触れ、在籍教会に戻ってからの御用をとおして感じたこと、肉親を亡くした悲しみのなかで、お取次によって救われた体験など、わが身をお育てくださる神様のお働きについて話した。
 また、お道の信心を伝えることの重要性について、放送センターでの取り組みや、自身の体験を紹介しつつ、「信心は強引に伝えるのではなく、自然に伝わる在り方が大切だ」と語った。
 その後の班別懇談では、2人1組になり、聞き手、話し手を順番に務めて対話するペア懇談を行った。30分間でペアの相手を替え、互いの信心の歩みや、教会での御用の在り方などを話し合った。
 最後に全体懇談として、参加者からの質問をもとに、講師から講話の内容をさらに深める回答がなされ、その後、閉会行事を行い、集会を終えた。
 参加者からは、「講師のお話を聞いて、こちらが願う前に、神様が助けたいと願ってくださっていることを分からせていただいた」「子どもや孫たちにもお道の信心を伝えられるよう、これからもお取次を頂きながら信心の稽古につとめていきたい」などの感想があった。

輔教集会報告(中近畿教区)

 2月24日、「教会活動および教団布教の担い手である輔教としての自覚を高める」との願いのもと、玉水記念館(大阪市)を会場に輔教集会を開催し、78人が参加した。
 はじめに講師の花本芳明氏(奈良・御所・輔教)から、「信心はご用から」と題して講話があった。
 講師は、「これまで自分や家族が幾度も助けられながらも、信心不足で、なかなか神様のお働きに気付くことができなかった。それでも、御用にお使いいただくなかで、そのお働きに気付かされてきた」と語った。
 さらに、「長い間、教師不在であった御所教会に後継に入られた教会長から、『私や教会を支えようとするのではなく、自分がおかげを受ける信心をしてください。それを人が見ています』とのお取次を頂き、理論や理屈ではなく、御用や仕事、日常生活の中で信心を実践することの大切さを認識した。輔教の役割として願われる『人を助ける』お役に立つためには信心実践しかない。今こそ、輔教が一丸と なり、次世代につながる信心をしていきたい」と締めくくった。
 その後、「輔教は何ができるのか」をテーマに班別懇談を行い、輔教としての自分の役割について話し合った。
 参加者からは、「『信心はご用から』という言葉が心に残った。御用をとおして神様に向かっていきたい」「輔教として何をしていいのか分からないまま年月が経っていたが、今日のお話を聞いて、実践できることを自ら進んでしようと思った」などの声が聞かれた。

輔教集会報告(西中国教区)

 3月4日、広島市安芸区民文化センターにおいて、「道を伝え広げゆくために」というテーマのもと、教区輔教集会を開催し、26人が参加した。
 はじめに、早羽信幸教務センター所長が、「運動に願われる実践内容を学ぶ場として、今回は、神心となって本教の信心を伝えるための話し方、聞き方を研修させていただきたい」とあいさつした。
 続いて、「金光教話し方研究会」の宮野寿師(山口・下関北)、渡正喜師(山口・正明市)を講師に、「役に立つコミュニケーション講座」を行った。
 まず、宮野師が輔教として話し方を学ぶことの必要性を語り、その後、渡師と交代しながら、「暮らしの中によい話を」「まず、聞き手を考える」「三つの表現則」のテーマで講義があった。
 講義の合間には、グループ実習を行い、参加者は「自分の失敗談」「自分の好きな〇〇」という内容で一人ひとり発表し、講師から発表に対してアドバイスを頂いた。
 参加した輔教からは、「話し方、聞き方、心のありように寄り添っていけるように稽古していきたい」「人を大切にするということを大事にしていきたい」「神様にうそをつかない心で、これからも取り組んでいきたい」などの感想があった。

輔教集会報告(関東教区)

 6月16日、金光教センタービル(文京区)において、「御用を通して―輔教として―」をテーマに輔教集会を開催し、38人が参加した。
 まず、寺本公子氏(広島・安芸川尻)が、「神様とつながる信心のけいこ」と題して体験発表した。
 「国際センターの御用では、インターネットの普及から、世界中の方々から金光教についての問い合わせがあり、とても勉強になる。私は神様とつながる縦軸を太くすることを意識し、何事も『神様のお役に立つ氏子にならせてください』というご祈念を頭に付けてお願いしていく中で、生きた働きを体験してきた。金光様のご命を受けての輔教として、ご縁を頂いた人を祈り、神様のありがたさを伝えていきたい」続いて、辻井栄里氏(和歌山・勝浦)が、「幸せ過ぎて勿体ない! 神さまへの恩返しはじめ」と題して、「受動的であった自分が東京学生寮の御用や、東光合唱団での活動をとおして能動的になった。友人とのつながりの中でも、金光教の信仰を隠さずに伝えていきたいと思い、4月からブログを開設した。苦労もあったが今は幸せを感じ、神様への恩返しとして金光教を伝えていきたい」と述べた。
 発表後、6班に分かれて班別懇談を行い、「輔教としての可能性―教団の構成員として―」について話し合った。
 参加者からは、「『神様のお役に立つために』という祈りは神様に通じると思うし、そうあるべきだと思う」「おかげを頂いたことを、自分の経験や言葉でお話しさせていただくことが大切だ」という感想があった。
 最後に東京センターの大木光雄所長が、「東京教会初代の畑德三郎師は、『世の肥やしになれ』とおっしゃった。肥やしになるというのは自分で結果を求めないということである。自らの関わり方から新たな芽が出てくるような働きとならせていただきたい」とあいさつし、閉会した。

輔教集会報告(四国畿教区)

 6月17日、四国教務センター(新居浜市)において、「輔教の自覚と働き」をテーマに輔教集会を開催し、31人が参加した。
 この集会では、教区育成室員である渡邊展雄師(愛媛・久家)の講話と、それを受けての班別懇談を中心に研修を進めた。
 講師は、「この集会には、輔教から教師となったものの、ほどなくしてお国替えされた方の身内が二人おられる。一見すると、教師として御用をされようとした中で亡くなられ、周囲の人間としては、『なぜ?』という思いが生まれてもおかしくないが、そのお二人は、故人の生前の御用姿勢を頂きながら、輔教として自分なりの御用を進めておられる」と話した後、講師自身が慕っていた先輩教師から学んだ、ご祈念の大切さ、神様一筋、神様一番の信心姿勢などを紹介した。
 班別懇談では、お手引きや、教会から足が遠のいている人への働きかけなど、具体的な取り組みと、それを進める中で感じる思いが紹介され、輔教としての自覚と役割を再確認した。
 参加者からは、「御用の頂き方や心構え、さらには、神様、霊様からの働きをしっかり受け、現すことの大切さが確認できた」「ここからの信心と、輔教としての御用を進める上に、新たな視点、元気と喜びを頂くことができた」といった感想があった。


輔教集会報告(東海畿教区)

 8月19日、名古屋港湾会館において、「私たちは輔教なんです!~何事も神様の仰せ通りに~」というテーマのもと、輔教集会を開催し、61人が参加した。
 東海教区では毎年、輔教の企画員が中心となって集会内容を企画しており、本年度は、それぞれが輔教の立場として、あらためて神様からかけられている願いを明らかにした上で、これから何をすべきかを考えていく集会にしていこうとテーマを設定した。
 はじめに、今西寿彦師(名古屋センター次長 /岐阜・南大垣)が「神様にお使いいただく―御取次を頂いて―」と題して講話した。
 講師は、「輔教は、教主金光様からご任命を頂いている。そして、輔教制度が始まった時からずっと今日まで、輔教志願者講習会において、金光様は皆さんにお言葉をくださっている。それほどに輔教へのご期待、願いというものが大きいということをしっかりと受け止め、自覚をもって御用に努めなければならない。また、今自分が頂く御用が、神様、金光様の願いに沿っているのか、常に意識を持つことが大切である。だからこそ、お結界に進んで、『神様、金光様の願いにかなう御用ができますように』と、お願いしていくことが第一である」と、集会テーマに込められている輔教の自覚と、御取次を頂きながら御用を進める大切さを話した。
 続いて、初代、二代、講師自身と、三代にわたって金光様の御取次を頂く中で現された信心の中身や、教会に導かれた青年が、お取次を頂きながら助かっていった事実を語ることで、他の人へも神様の働きが現れてくる事例を紹介し、「何事も御取次を頂いてすることは、人が助かる上でとても大切なことであり、受けたおかげを人に話すということは、神様の願われる御用になる。どんな些細なことでも、お結界で御取次を願っていくこと。そして、取次者の言葉を神様のお言葉として、仰せどおりに素直に受け現すということができたなら、神様の願いにかなう御用になっていく」と結んだ。
 講話の後、班別懇談を行い、日常の御用に取り組む上での課題や実践を紹介し合い、講師の感話をもって閉会した。
 また、若い輔教がメンバーとして参加する青年フォーラムが作成中の、布教材「み教えステッカー」について説明し、実際に道を伝える手立てとしてのさまざまな意見が寄せられた。

輔教集会報告(信越畿教区)


 9月8日、「輔教の御用を通して─神人あいよかけよの生活─」というテーマのもと、新潟県上越市直江津学びの交流館を会場に輔教集会を開催し、11人が参加した。
 今年度は、「輔教としての主体的な活動を考え、その自覚と働きを相互に求め合う」ことを願いとし、普段の活動はもとより、日々の生活で大切にしていること、課題に思っていることを話し合い、あらためて輔教の御用を見つめ直す集会とした。
 午前の部では、大代恵師(信越教務センター職員/富山・神通)より、かつて輔教であった経験をもとに、輔教の御用について、また、何のために輔教をしていたのかといった、当時抱えていた悩みや不安を率直に語ってもらい、それを受けて、日頃の御用や参拝時などに、それぞれが輔教として心掛けていることや感じていることを、センター職員も交えて懇談した。
 午後からは参加者が司会となり、参加者同士で輔教の御用についてさらに内容を深めた。特に、家庭における信心の継承が話題となり、ある参加者は、「毎年の宅祭では、祭典準備や先生の送迎などを、家を離れた息子や娘にも手伝ってもらっている。そのことをとおして、教会やこのお道とのつながりを深め、信心が継承されていくよう、願いを持っている」ことを紹介。また、別の参加者は、「当初は自分一人が日参させてもらっていた。夫は信心にあまり関心がなく、せめて一緒に教会参拝をしてくれれば、と願っていたところ、ふとしたきっかけで参拝するようになった。それからは自分が参拝できない時でも欠かさず参拝してくれるようになったことが大変ありがたい」と話した。
 その後は、日々の信心生活の中で、願いをしっかりと持たせてもらうことの大切さが話題となり、「立場や環境は違っても、自分ができることを、輔教だからと肩肘を張らずに自然体で、しかしながら、しっかりと願いを持って、日々の信心を明るく、先を楽しみながらさせていただくことが大事だと思う」といった声が聞かれた。
 今回の集会では、少人数で一つ一つの内容について、じっくりと語り合い、それぞれが願いを持って主体的に輔教としての役割を担っていくこと、ここからの御用がより生き生きと展開されるような中身になっていくことを、あらためて確認し合った。

輔教集会報告(南九州教区)

 輔教の使命と役割を求めることで、「この道の信心を伝える」働きが生まれてくることを願い、8月26日に大分会場、9月2日には熊本会場で輔教集会を開催した。両会場とも「わが信心の歩み」をテーマに2人の輔教が発表した後、全体会を行った。
 全体会では、質疑応答の後、「信心の継承」「信奉者の高齢化や減少」などについて意見交換を行い、「自分の参拝や御用の姿を子や孫に見せていきたい」「願いを立てたら、その手立てをお取次頂くことが大切である」といった感想があり、さらに、自分の思いを的確にまとめる取り組みとして、各人が1分間スピーチを行い、それぞれの信心上の課題や取り組み、集会に参加しての感想を述べ合った。
◆熊本会場
 熊本市民会館シアーズホーム夢ホールを会場に19人が参加した。
 原口菜穂子氏(熊本・山鹿)は、「山鹿教会初代教会長の息子である父は、とても簡潔な言葉と行動で、『俺たちの目はごまかせても、神様は見抜き見とおしだからな』『どこかに行って帰ってきたら、教会にお届けに行くように』など、神様の話をたびたびしてくれた。
 輔教になった母を見て、私も輔教になったが、神様に心が向くきっかけとなったのは、認知症になった父の介護や父との関係、それと、私が仕事で行き詰まった時にお取次を頂いたことだった。父は認知症で私たちのことは忘れても、神様だけは決して忘れない姿を教えてくれた。また、仕事で行き詰まって泣きながらお結界でお届けした際、教会の先生は泣きながら聞いてくださり、『仕事が終わったらお参りをして、神様にすべてを預かってもらいなさい。そして、朝お参りして神様に預かってもらったことを引き取って仕事に行ってごらん』とご理解くださった。迷った時にお届けをすると『そうか』と気付かせられ、ご理解を頂くことでお取次の大切さを実感した」と語った。
 谷口孝雄氏(熊本・伊倉)は、両親のおかげの実際や父親が教会の後継者となったことを述べた後、「子どもの頃は教会に生まれたことが嫌で嫌で仕方なかった。しかし、少年少女会や高校生の集い、熊本学生会などの活動をとおして、同世代の人たちと語り合い、教会では祭典前の洒掃や調饌などのお手伝いをするようになった。
 3歳の時、教会の近くの川へ転落したが、土手の草にしがみつき、たまたま鍬を洗いに来た近所のおばさんに助けられ、九死一生のおかげを頂いたことがあった。考えてみると、教会に生を受けたことがおかげの受け始めであり、神様のお守りの中での自分であったと気付いた。今後は、全ての出来事を受けきり受けとおす生き方、神様は何も無駄事はなさらないとの思いで、全てよいように受けていく稽古をさせていただきたい」と語った。

◆大分会場
 富士見教会を会場に33人が参加した。
 羽野貴久子氏(大分・日田)は、「教外から嫁ぎ、義父母の顔色をうかがいながらの生活だった。自分中心の考え方である義父をとおして金光教を見て、つまらない宗教だと思っていた。しかし、義父の入院・手術をきっかけに教会参拝を始め、教会長より『どんな時でも、どんな事でも、神様対自分だよ』という言葉を頂いた時、それまで頭の中を占めていた義父の顔がスーッと消え、そこから私の信心がスタートした。
 教会参拝を始めてから、婦人会などの教会活動、勉強会などに参加している。『お礼の御用になりますよ』との先生の言葉を受けて輔教になり、月例祭などの祭員として御用をさせていただいている。お取次の大切さ、神様のありがたさ、神様の懐の中で生かされている事を日々感じる中で、『おかげを頂きどおしではいけない。おかげ泥棒ではいけない』という先生の話を聞き、家族で神様へのお礼の御用に取り組んでいる。金光教に出会えたことが私の宝である」と語った。
 河野正輝氏(大分・上野ケ丘)は、「平成18年、那覇教会の40年記念大祭に参拝した際、大分教会の総代の方々とお話をする中、輔教について真剣に考えるようになった。
 高校2年の頃、うつ病やノイローゼで苦しむ中、上野ケ丘教会の総代の方が教会にお導きしてくれ、参拝するようになった。その後、数々のおかげを頂いたが、神様が私を取り巻く人々をとおして働いてくださり、先々の立ち行きをくださったように思う。
 信心は『恩』を忘れないことであり、教会の先生は『ご本部にはお礼参拝をして帳面を消しに行くのだ』と教えてくださった。輔教にならせていただき、これまで頂いてきたおかげの数々を見直した時、より深くおかげを実感したので、輔教の素晴らしさを多くの方に話していきたい」と語った。

輔教集会報告(西近畿教区)


  8月25日、西近畿教務センターを会場に、「神様が喜ばれる信心を求めて」とのテーマで輔教集会を開催し、39人が参加した。
 午前中は、それぞれが、「私が思う神様が喜ばれること」をメモ用紙に書き、司会が読み上げて班別懇談を行った。
 午後からは、高橋浩一郎師(岡山・岡山・東中国教務センター所長)から「生きた神様におすがりして」と題して講話があった。
 講師はまず、父親が岡山教会に後継に入ってから、こんにちまで印象に残っている出来事について、「教会では毎日共励会があり、子どもの頃はその輪に入って話を聞いていた。お結界で涙ながらにお届けをされていたご信者さんが、共励会では笑いながら話をされていたのが印象的で、夕食の時に、『信者さんがおかげを頂く様子を見るのが本当にありがたい。こんなありがたい仕事はない』と両親が言っていたのを今でも覚えている。私の中にある、教会の先生のイメージの根底には、そういう親の姿がある」と語った。
 続けて、「父は教会家庭で育ってきたが、若い頃は神様を信じ切れず、疑いの心があったようだ。その理由は、祖父と兄が病にかかり、医師からも見放されるような状態になったからだ。日ごろお引き寄せを頂いていた教会でお取次を頂き、祖父は神様のおかげを受けて病気が全快した。しかし、その一方で兄は亡くなった。それをどう受け止めたらよいか分からず、本当に神様のお働きがあったのだろうか、という疑問がぬぐえなかったのだ。
 また、当時の父は、胃腸が弱いことを悩んでいた。そのような中である時、玉水教会の湯川安太郎師の『おかげがあるかないか、というのはうろたえ心で、そういう思いではおかげは頂けない。絶対おかげが頂けるというふうに信じて心に閂(かんぬき)を閉めないといかん』という言葉に出合った。父は、『今まで自分は、おかげが頂けるかどうかというところで、ずっと迷っていたが、自分の心のありようがいかんのだ。絶対おかげが頂けると信じてそこから動かない、と自分の心を定めよう』と思った。それから、胃腸が軽くなり、調子が良くなって、ついに胃腸回復のおかげを頂いた。
 父は、『絶対におかげが頂ける』と完全に心が定まってからおかげを頂いたのではなく、『そのように心を定めよう』と思った時点で、神様のおかげを受け始めている。大切なのは決心ができたかどうかではなく、『そうさせてもらおう』という心にならせてもらうことだと思う。また、そこから頂いたおかげを何度も味わい直すということが大切だと思う」と、父親の信心を頂きつつ、生きた神様におすがりする生き方を分かりやすく語った。
 さらに、東中国教区で取り組んでいる「信心の整理シート」について、サンプルをもとに説明があった。
 その後、講話を受けての班別懇談を行い、全体会で質疑応答を行って閉会した。


輔教へのメッセージ

「わけ( 理由)」 田中 有希恵(愛知・高蔵)


 「わけ( 理由)」田中 有希恵(愛知・高蔵)
 私が常々思っていることに「わけ(理由)」というものがあります。
 日々の生活の中で起こってくることのわけ。そこに自分が関わることのわけ。さかのぼって言えば、こうして命を頂いたわけ。ここまで生かされてきた間にさまざまなことがあり、今に至っています。
 私は、一信奉者の家に生まれ育ち、こんにち、本教の教師としてお取り立ていただいております。幼少の頃から親に連れられて教会へお参りし、少年少女会をはじめ、吉備舞やピアノなどのお稽古を教会でさせていただき、たくさんの御用にお使いいただきました。そこには、「お役に立つ人にお育ていただきますように」「信心が根付いていきますように」と親から願われている自分がおり、自らも常にお取次を頂いておりました。
 子どもの頃、私たち家族には、毎年のように難儀なことが続きました。父の発病、愛犬の死、父の病死、私を含めた家族の病気、入院、事故……。「信心しているのにどうしてこんなに難儀なことが起こってくるのだろう。何がいけないのだろう。今度は何が起こってくるのだろう」という思いがどんどん出てきました。
 私自身、高校2年生の時に急性気管支炎(肺炎)で2カ月ほど入院しました。それによって、一生懸命練習してきた吹奏楽のコンクールに出場できず、夏休みに計画していた楽しみも奪われました。「どうしてこんな目に遭わなきゃならないの?」と神様を恨んだこともありました。
 そんな時、病院のベッドの上で横になりながら、1日4回、教会のご祈念の時間に合わせてご祈念をすることにしました。また、教会の先生はじめ信奉者の方々、家族のお祈り添えを頂き、み教え、おかげを頂かれたお話を聞かせていただくことで、私のかたくなな心が次第に和らいでいきました。
 ところが、ある晩、寝ようとすると、自分が呼吸をするのをやめて、そのまま死んでしまうのではないか、という不安に襲われました。私は、ひたすら「金光様、金光様」とご祈念しました。その時にふっと私の中に、「生かされて生きる」という言葉が浮かんできたのです。
 「自分で心臓はじめ、いろんな臓器を動かしているわけではない! 自然に動いていること、眠らせていただけることも神様のお働きなのだ! 自分で生きているのではない! 生かされているんだ!自分でできることなど一つもない!」と気付かせていただきました。それからは、病気平癒だけでなく、「神様のお役に立たせてください」と願うようになりました。
 「自分が、自分が」と力んだところで、自分の力だけで何ができるのか。どんな小さなことも神様のお働きの中で、神様に守っていただかかなければ何もできない身であることを思い知ったのです。
 当時の私の周りには、毎年のように難儀なことが起こってきましたが、それらのことをとおして神様のお働きのありがたいことに気付かせていただき、その中で、人の思いの及ばない、ご都合お繰り合わせを頂き、立ち行きのおかげを蒙ってきました。
 神様は、いつも寄り添ってくださり、私たち人間の幸せ、立ち行きを願ってくださっている。こんな難儀な者でも、こうして生かしてくださっている。さまざまな事柄をとおして教えてくださっているのです。
 そんな私が今、教師となり、このように輔教講師として御用を頂いているのです。はじめは、「私のような者がなぜだろう?」と思いました。「いやいやそうじゃない。私に、神様がわざわざ」なのでしょう。「『難儀な中を一つ一つ立ち行くおかげを蒙ってきた、その内容をあらためて頂き直し、現していきなさい。そのようなお役に立たせていただきなさい』と願われているに違いない」と思ったのです。
 これが今、私が御用をさせていただく「わけ」です。神様から私に与えてくださっている、願われている内容だと思っております。
 私は、神様のご機感にかなうよう、至らないなりにもしっかりと取り組ませていただかなければならないと思っております。その神様の願い、思いにきちんと応えられるようお使いいただきたいと願っております。
 輔教の皆さまも、お一人お一人、神様の願いがかけられて「輔教」という御用にお取り立ていただいています。元気な心で御用にお当たりくださいますよう、共々に神様にお使いいただいてまいりましょう。
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