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<令和2(2020)年の活動報告>

輔教集会報告(中近畿教区)

 2月8日、玉水記念館(大阪市)を会場に、「教会活動および教団布教の担い手である輔教としての自覚を高める」との願いのもと、輔教集会を開催し、113人が参加した。
 はじめに、講師の藤川愛子氏(兵庫・東谷)から、「神量らいは 奇しくて」と題して講話があった。
 講師は、娘が通う幼稚園の保護者会の副会長をした時、周りと自分を比べて、「私はできない」と自分を追い詰めるようになり、軽いうつ病を発症。不安や心配事をお結界にお届けすると、「ここは愛子さんの通らなあかんところで、決して神様は無駄事はなされない」と教えられ、お取次を頂きながらおかげを蒙ったことで、「神様は無駄事はなされない」という信心の土台が培われた体験を話した。
 また、その経験をもとに、夫の両親や実母の介護をとおして、未信奉者だった夫に神様の働きや信心することの意味を感じ取ってもらったこと、自分自身の体験をもって神様に向かうことの大切さを述べ、最後に「『神人あいよかけよの生活運動』の『願い』に取り組み、家族や周りの人たちのことを祈り、明るく楽しく元気な心で、『神人の道』『安心の道』を伝えるお役に立たせていただきたいと願っている」と締めくくった。
 その後、「輔教は何ができるのか―私にできること、私にしかできないこと―」をテーマに班別懇談を行い、参加者からは、「あらためて神様に心を向けて、祈りながら取り組むことの大切さを実感した」「講師が生きた信心を実践される姿に心を打たれた」などの感想があった。

輔教集会報告(西中国教区)

 2月23日、安芸区民文化センター(広島市)を会場に、「『神人の道』を現そう」というテーマで輔教集会を開催し、38人が参加した。
 はじめに、早羽信幸教務センター所長が、「輔教の皆さまは、教主金光様がご任命くだされた、お道にとって大切な一人ひとりです。金光様が『神人の道』をお示しくださって10年、『神人あいよかけよの生活運動』で願われている、一人ひとりの生活に『神人の道』を現すという信心を、ここからの10年、求め合いたいと願っています」とあいさつした。
 続いて、横山勇喜雄師(愛媛・宮窪)から、「神様に使われることを楽しみに信心しましょう」との講題で、昨年の本部布教功労者報徳祭で任命された輔教代表の所願表明に感銘を受けたとして紹介し、さらに、み教えに取り組むことで生き方が変わることや、当たり前こそありがたく、その喜びを伝えていくことが神様のお喜びになるなど、自身のお礼と喜びの生活について講話があった。最後に、「祈られている自覚をもって人を祈り、人が助かる懸け橋となるよう、楽しみに信心させていただきましょう」と力強く語った。
 その後、「輔教として、神様からかけられた願いとは」をテーマに班別懇談を行い、輔教として具体的にどのようなことができるのか、教会内外での取り組みについて話し合った。
 その後の班別懇談では、「信心の喜び、楽しみを語ろう」をテーマに、日々の信心生活で大切にしていることや、好きなみ教えとその取り組み、人が助かるために実践していることなどを語り合った。
 参加者からは、「家族や知らない人にも信心の楽しみ、ありがたさを伝えたい」「日々、仕事に追われ忘れてしまいがちな気持ちが、信心に引き戻された」「不足を語らず、希望を語り、喜びを語る御用に取り組ませていただきたい」などの感想があった。

輔教へのメッセージ

「人の助かりを祈る─輔教としての祈りを現代(いま)に─」髙村 志郎(北海道・亀田)


 平成28年から輔教講師にお取り立てを頂き、至らぬ私がここまで御用にお使いいただいておりますことは、本当にもったいないことと思っております。
 当初は、北海道・札幌会場の輔教研修会のみに出講する予定でしたが、昨年は思いもかけず、東京会場で御用をさせていただきました。たくさんの受講者の中には、四半世紀ほども前に、金光教学生会でお世話になった懐かしい先輩の姿があったり、教会手続きの関係や親戚筋でつながりのある方々もおられ、長い歴史を刻むお道のご比礼にあらためてお礼を申し上げるとともに、教縁に結ばれている喜びと心強さを感じました。
 まだ40代半ばの私よりも、年齢も信心経歴も先輩である受講者が多い中で、若輩者の私は「できない御用の稽古をさせていただく」という心持ちで御用に当たらせていただくのですが、輔教の皆さまの「この研修会で、一つでも多くのことを学んで帰るんだ」という真摯で熱意にあふれたご姿勢に、いつも敬服させられています。在籍されるお教会での「御取次を願い 頂き」というご信心そのままに、講義後の質疑応答もたいへん意義のある充実した内容となり、振り返れば私自身がたくさんのおかげを頂いてまいりました。この場をお借りして、皆さまに心より御礼申し上げます。
 さて、初代、二代教会長のみ跡を受けて、「教会における生神金光大神取次の責任者」という身にあまる役柄の御用を頂き、ようやく3年目を迎えている私ですが、神前奉仕に取り組む中であらためて感じさせられているのは、信仰における「祈り」の大切さです。
 ご本部広前では教祖様以来、歴代金光様が一日も欠かされることなく、御取次、ご祈念をくださっていますので、新米教会長の私にできるせめてものこととして、「常時お広前にある」という形の真似から取り組ませていただいています。参拝者のない時は一人静かにお結界に座らせていただき、歴代教会長が幾度もご祈念を込めてこられた過去のご祈念帳を繰りながら、一つ一つのお届けの内容に思いを寄せていると、ご祈念が自ずと広がりをもっていくことに気が付きます。
 一つのお届けをご祈念するには、その願い主だけでなく、家族・親族はじめ、あらゆる方々のことが関わってきますし、ご先祖の霊神様の働きにもお礼を申し上げなければなりません。また、諸々のお届けを神様に取次がせていただけるお道の働きのありがたさを考えると、教団の益々のご比礼と発展、全国各教会の御用成就など、真似事のような私のご祈念でも、どんどん祈りの範囲が広がっていきます。
 そのような日々の繰り返しの中で祈りが深まってくると、今度は、自分のご祈念というものが大きな祈りに支えられ、導かれてのものであることを痛切に感じさせられるのです。これまでも学院修行中や教会転籍の時など、信心の節目節目に「多くの祈りを頂いての私」という実感を得てきましたが、年を追うごとにその思いがいっそう深く心に染み入ってくるとともに、あまたの先人の「祈り」を今に受けさせていただくありがたさと、ここから後の世につないでいく使命を自覚させられています。
 3年ほど前のこと、夜の定時のご祈念を教会家族で仕えている時に、見知らぬ女性が玄関に入ってこられ、「私もお祈りできますか?」と尋ねられました。お広前にお通しして拝詞集をお貸しし、一緒にご祈念させていただいて参拝者席に下がると、女性はこのように話し出しました。
 「私は先日から、近所の生活困窮者自立支援施設で働き出しました。施設では犯罪経歴があったり、家庭内暴力などで安全に生活できる場所のない人を受け入れ、生活全般の相談に応じつつ、自立に向けた援助や調整のお手伝いをしています。しかし、そういう方々の抱える問題は複雑で、各種依存症などもあって、心理的衝動が制御できがたく、入居者同士や職員とのトラブルも少なくありません。そんな毎日に私の心も不安定になってきて、本当にここで働いていけるのか、お役に立てるのかと思い悩んでいました。たまたま、ここの前を通りかかると、看板に明かりが灯って中からお祈りのような声が聞こえたので、引き寄せられるように入ってきました」
 そのお話をお聞きして、「この神様は全ての人間の親神様であり、人の助かることを一番に喜ばれます。また『人が人を助けるのが人間である』とおっしゃる神様ですから、人を助けたいという願いには必ず道をつけてくだいます。私どもも、あなたが人助けのお役に立たれることを毎日祈らせていただきますから、どうぞいつでもお参りください」とお伝えすると、目の輝きを取り戻して、「お参りしてよかった」と申され、帰路につかれたのでした。
 「此方の道は祈念祈祷で助かるのではない。話で助かるのである」というみ教えがありますが、教祖様は「人を助けるのに祈念は必要ない」とおっしゃっているわけではありません。話をさせていただく側も、話を聞かせていただく側も、自分の信心の元に「助かりたい、助けたい」という一心の祈りがあってこそ、「神人の道」が開かれ、おかげに導かれていくのだと思います。
 輔教にご任命頂かれた皆さまの祈りには、神様、金光様、教会長先生はじめ、多くの直信先覚先師、さらには全教信奉者の「人を助ける御用に立ってほしい」という願いとお徳が込められています。自信と誇りを胸に、輔教としての祈りを日に日に求め、深められ、ここからいっそうのおかげを頂かれますよう願っています。

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