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施設あんない

受付案内所


 境内にある総合案内所です。開所時間は、9:00~16:45です。
 大祭期間中は開所時間が変更になります。拾得物の一時お預かりもしています。


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会堂 (かいどう)


 金光教の神をまつり、取次を行う中心的な建物です。

 正面に天地書附を奉掲して「天地金乃神 生神金光大神」をおまつりした神前があります。向かって左側は信奉者の霊を霊神としておまつりした霊前です。右側には結界があります。

 結界では教主が取次を行っており、どなたでも取次を頂くことができます。

取次の時間帯はここをクリック

 本部広前会堂は24時間開いており、いつでも自由に参拝し、お祈りすることができます。

 地階には休憩所があり、3:00~20:30まで利用できます。

 また、この本部広前会堂では毎月10日、22日に月例祭が行われています。そのほか、元日祭、越年祭、また、春分の日と秋分の日には霊祭が行われます。

参拝は、24時間可能です。 地階休憩所は、3:00~20:30まで利用可能です。

竣工1973年(昭和48年)7月20日
収容人数約1,500人
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祭場 (さいじょう)


 恒例となっている儀式・行事のうち、全国からたくさんの参拝者が集うときは、祭場で祭典・行事を行います。

 天地金乃神大祭(4月)、教団独立記念祭(6月)、少年少女全国大会(8月)、 生神金光大神大祭(10月)、布教功労者報徳祭(12月)が行われます。

本年度の祭典はこちらをクリック


竣工1959年(昭和34年)7月20日
収容人数約15,000人
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修徳殿 (しゅうとくでん)


 信奉者の研修のための施設です。研修では、祈り、講話、班別懇談のほかに、掃除、食事など、日常生活の一切を修行として取り組みます。

 また、この修徳殿では、子どもたちの成長を感謝し、学業成就を祈念する勧学祭を毎年4月に行っています。

竣工1925年(大正15年)
収容人数約1,000人
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立教聖場 (りっきょうせいじょう)


 この建物は、金光教の教祖である金光大神の自宅(1850年建築)を1933年(昭和8)に復元したものです。

 金光大神は、1859年(安政6)から、逝去するまでの24年間、この家をほとんど離れず、取次に専念しました。現在の本部広前会堂の原点となる建物です。

 1863年(文久3)「表口の戸をとり、戸閉てずにいたせ」との神命に従い、入口の戸がありません。これにより、神をまつり、金光大神が取次を行う広前が世間に常時開放されることとなりました。この伝統に従い、現在も本部広前会堂の表口は、常時開放されています。

 この敷地にある井戸は金光大神が使用していたものです。

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教祖奥城 (きょうそおくつき)


 金光教の教祖である金光大神、その妻の一子大神(いっしだいじん)【金光とせ】、4男の金光山神(さんじん)【金光萩雄(はぎお)】、5男の金光四神(しじん)【金光宅吉(いえよし)】他、計11柱のお墓があります。

 金光大神の墓石は、1893年(明治26)、金光四神が逝去した年(教祖没後10年目)に建立されたものです。

 奥城への参拝には、エレベーターがご利用いただけます。稼働時間帯は4:30~18:30です。

金光大神

 金光大神は1814年(文化11)旧暦8月16日に生まれ、1883年(明治16)10月10日に数え年70歳で逝去しました。

 墓標には石の八角柱で「教祖 金光大神人力威之命之 奥城(きょうそ こんこうだいじん じんりきおどしのみことの おくつき)」と刻まれており、側面には教え(慎誡)が12箇条刻まれています。

一子大神(いっしだいじん) 金光とせ

 一子大神は金光大神の妻で、1819年(文政2)2月6日に生まれ、1885年(明治18)2月8日に数え年67歳で逝去しました。

 金光大神(当時の氏名・赤沢国太郎)が23歳の時、一子大神(当時の氏名・古川とせ)は18歳で金光大神のもとに嫁ぎました。墓標には、「金光登勢一子大明媛之 奥城(こんこうとせ いっしおおあかるひめの おくつき」と刻まれています。

金光山神(さんじん) 金光萩雄(はぎお)

 金光山神(さんじん)は金光大神の4男で、金光教が1900年(明治33)に神道本局から独立した当時の管長でした。1849年(嘉永2)旧暦4月25日に生まれ、1919年(大正8)12月17日に数え年71歳で逝去しました。

 墓標には「金光山神大道立別乃命之 奥城(こんこうさんじんおおじたてわけのみことの おくつき)」と刻まれています。

金光四神(しじん) 金光宅吉(いえよし)

 金光四神(しじん)は金光大神の5男で、金光大神の取次の業を継ぎました。

 1854年(安政元)12月25日に生まれ、1893年(明治26)12月20日に数え年40歳で逝去しました。墓標には「故教監 金光四神貫行君之 奥城(もとのきょうかん こんこうしじんつらゆきのきみの おくつき」と刻まれています。

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歴代教主奥城 (れきだいきょうしゅおくつき)


 歴代教主であった金光攝胤(せつたね)、金光鑑太郎(かがみたろう)、および家族の墓所です。

 三代金光様・金光攝胤は1880年(明治13)8月5日に生まれ、1963年(昭和38)4月13日に84歳で逝去しました。

 四代金光様・金光鑑太郎は1909年(明治42)4月26日に生まれ、1991年(平成3)1月10日に81歳で逝去しました。

 奥城周辺では春には多くの桜が咲き、花見の場所として地元の人々にも親しまれています。

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金光教学院 (こんこうきょうがくいん)


 1894年(明治27年)11月29日に創設した金光教の教師養成機関です。
  入学者は一年間、金光教教師として必要な知識の修得をはじめ生活一切を修行として取り組みます。

学院のHPへクリック

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教学研究所 (きょうがくけんきゅうしょ)


 1954年(昭和29年)11月1日の開設以来、金光教の教義、布教、歴史、教制等に関する調査研究をすすめています。

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本部総合庁舎 (ほんぶそうごうちょうしゃ)


 金光教本部の事務所と金光図書館などが入っています。

竣工1983年(昭和58年)7月31日
建築面積延べ 約 7,000平方メートル (2,000坪)
高さ約 34メートル
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金光図書館 (こんこうとしょかん)


 本部総合庁舎の2階から3階に開設されている金光図書館は、金光教の公益事業として創立されました。
 特色ある宗教図書館として金光教関係の書籍・資料を中心に収蔵しています。もちろん一般図書も多数あり、蔵書数は22万冊を越えています。どなたでもご利用いただけます。

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金光教徒社 (こんこうきょうとしゃ)


 金光教の書籍や教団の新聞である『金光新聞』を販売しています。

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店内の様子 待ち合わせ場所にどうぞ
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境内休憩所


 

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 やつなみホール 光風館

やつなみホール

 参拝者の休憩施設として無料で利用できます。その他、多目的ホールとして、各種講演会や儀式の会場としての利用もできます。

やつなみホールのHPへクリック

光風館

 宿泊を伴う研修施設として、利用できます。

光風館のHPへクリック

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