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教務総長 岩﨑 道與(静岡県・静岡教会)

「神様とも人とも仲よく」 令和5年ラジオ年頭放送


皆様、あけましておめでとうございます。
 新型コロナウイルス感染症の終息が見えない状況が続いている中でも、このように新しい年を迎えられたことを、まずはお慶び申し上げます。
 さて、これは金光教のある先生から聞いた話です。
 家族の間でいつも争い事が絶えない家がありました。その隣には、家族が仲良く暮らして笑顔が絶えない家がありました。争いが絶えない家の奥さんが、仲良し家族の奥さんに聞きました。
 「お宅はいつも仲良しでいいわね。それに比べて、うちは争い事が多くって、やんなっちゃうわ。どうしたらお宅のように仲のよい家族になれるのかしら。何か秘訣があったら教えて欲しいわ」
 すると隣の奥さんはこう答えました。「秘訣なんてないわよ。でも、しいて言えば、うちはみんな悪い人だから、うまくいくのかもしれないわね」
 「えっ、みんなが悪い人だからうまくいくって、どういうこと」
 みなさんも、どういうことか分かりますか?「みんなが悪い人」だから家族が仲良くいく。どういうことなんでしょうね。
 隣の奥さんが続けて次のような話をしてくれました。
 「そうねえ。この間もこんなことがあったの。夫が茶の間で新聞を読んでいたの。そこに私が『はい、お茶をどうぞ』って、テーブルのすみに湯飲みを置いたの。主人は新聞に目をやったまま『んっ』と生返事をしただけ。そこへ3歳になる孫が走ってきて、勢い余ってテーブルにぶつかったら、湯飲みが倒れて、熱いお茶がこぼれたの。もう少しで孫がお茶をかぶるところだったけど、幸い無事だったの」
 「へえ、よかったわね。それで、どうしたの。悪い人はどこへいっちゃったの」
 「そこなのよ。夫は『お茶がかからなかったか』と孫の様子を心配した後、こう言ったの。『ごめんな。ここにお茶を置きっぱなしにしていたおじいちゃんが悪かった』って。それで私も、『いえいえ、おばあちゃんがこんなすみに置いたからいけなかったのね。悪かったわ』と謝ったの。そしたら嫁が『ごめんなさい。食事の支度をしていてちょっと目を離してしまって』と言ってくれたの。それから嫁が孫に『おじいちゃん、おばあちゃんに走ってごめんなさいって謝りましょ』って言うと、孫が『ゴメンナサイ』ってペコンと頭を下げたの。こうしてみんなが謝り合って、孫が何でもなかったことを喜び合ったの」
 この話を聞きながらその奥さん、次のように想像しました。
 「うちで同じようなことが起きたらどうだろう。夫は、『孫が走り回るの分かっていて、こんな所にお茶をおきやがって』と怒鳴るだろうし、私は私で『あなたがちゃんと湯飲みを受け取らないからでしょ』と言い返すだろうし、『ここでは走っちゃいけないって、いつもいってるでしょ』と孫を叱って、嫁に孫から目を離さないようにと注意するだろうし」と。
 こう想像しながら、その奥さん「そうか、うちではみんなが『私は悪くない。あなたが悪い』と言い張っていることが多い。だから争いが絶えないんだ」と気づかされたのでした。
 このお話を聞いた時、私も同じだと思いました。自分のところで起こる争いの多くは、「私は悪くない」「相手が悪い」というとらえ方から起こることが殆どです。素直に「すみません」と言えればいいのに、何かが邪魔をして言えないことがよくあります。
 ところで、金光教祖様は、信心をするというのは、神様と仲よくなっていくことだと教えてくださっています。そして、神様と仲よくなるためには、神様とよくお話をすることが大切であるとして、そのために三つのことを意識するようにと、教えておられます。
 その三つとは、お礼とお詫びとお願いです。この三つを意識しながら神様とお話をしていくと、神様と心が通い合うようになるとおっしゃっています。
 この三つのことは、神様と仲よくなるためだけではなく、人と人との間でも大切なことだと思います。この三つ、「ありがとう」というお礼と、「すみません」というお詫び、そして「お願いします」というお願いが交わされている時には、その間柄は良いものになっているはずです。とりわけ「すみません」と言えている時には、問題が起こったとしても、大きくならずに収まっていく場合が多いと思います。
 でも、なかなか「すみません」と素直に言えない私たちです。だからこそ、私はまず神様に向かって「すみません」と言う「稽古」に取り組んでいます。教会にお参りをして神様とお話ししていると、不思議と素直に自分のことをそのままに見つめられるようになります。そこから、これまた不思議と素直に「ありがとうございます」、「よろしくお願いします」、そして「すみませんでした」と、神様に向かって言えるようになってきます。このように、神様とのお話を通して心を整える稽古を続けることで、いつの間にか、人に向かっても「ありがとう」「すみません」「お願いします」と言えるようになってきました。
 先行きが見えにくい世の中だと、何かとギスギスした関わり方になりがちです。だからこそ、もしよろしかったら、金光教の教会に足を運んで、神様に向かってお話をする「稽古」をしてみませんか。その稽古を通じて、誰に対しても素直に「ありがとう」「すみません」「お願いします」と言えるようにならせてもらいましょう。
 そうやって今年一年、あなたの周りにうれしく、ありがたいことが生まれてくるように、とお願いさせていただきます。

令和5年新春



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