神人あいよかけよの生活運動

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金光教報『天地』 2月号 神人あいよかけよの生活運動


「信心のルーツを求めるなかで」  荒谷 光一(秋田・能代)


記念祭に問われた心構え
 昨年、親教会である大館教会の布教100年という大きな節目の年をお迎えし、生神金光大神大祭に併せて記念祭が仕えられたことは、大変ありがたいことでした。
 記念祭を迎えるに当たり、親教会と共に、出社(でやしろ)の3教会で打ち合わせを重ねる中、最初に確認したのは、「布教100年は親教会だけのことではなく、出社である花輪教会、二ツ井教会、能代教会としても、わが事として共に喜び、御礼の心をもって、心一つに御用にお使いいただこう」ということでした。当然と言えば当然のことですが、まずは、その思いを共有した上で御用をさせていただいたことから、結果として麗しく記念祭のおかげを蒙ることができたのだと思います。
 そうした準備の中で、ふと、「親教会の布教100年ということを、お前自身はどのような思いで迎えるのか」と問われた思いになりました。能代教会としては先述した願いをもって取り組んでいましたが、私自身、一教師としての心構えがはっきりしていないことに気付かせられたのです。
 そのことを求めていくと、親教会の初代がどのようなご信心をされたのか、あらためて勉強させていただきたいという思いになりました。幸い、能代教会の初代に対するみ教えやエピソードも残っていましたので、そこから大館教会の初代を頂き直すことにしました。

あえて難儀を抱えたまま
 大館教会初代教会長・髙橋カネ先生は、函館教会初代教会長・矢代幸次郎先生のご教導を受けていました。ご両親が秋田県で鉱山を経営していたため、函館から遊びに来ていた時に、腎臓とリウマチを患って苦しんでいた人を信心に導き、その方がおかげを受けたことから、口伝えにカネ先生の元へ人が集まって来るようになったそうです。
 その旨を矢代先生に御取次願ったところ、「それならば教師になって、そこに教会を開くことが人の助かることになる」とのお言葉を頂いたので、そこから願いを立て、教会設立の動きが生まれました。そして、大正6年3月20日、後の大館教会となる三吉沢小教会所が設立されたのです。深い山の中であったにも関わらず、参拝者は増え続けていったようです。
 そんな中、後の能代教会初代教会長・荒谷仁吉は、教会所設立の前年に入信しています。その後、三吉沢鉱山勤務中に、ダイナマイトの不発弾を処理していたところ、突然暴発して吹き飛ばされる大事故に遭い、九死一生の大けがをしましたが、カネ先生のご祈念によって命を助けていただきました。
 しかし、その事故で左目を失明、さらに左手にけがをし、親指と人差し指以外動かなくなってしまいました。激しい痛みを耐えようと御神米を握ったままの状態が続いたため、中指、薬指、小指は握ったままの形で固まってしまったのです。
 その時、カネ先生は仁吉に対して、
 「荒谷さん、あなたの指を治すことはたやすいことだけれども、あなたは我(が)が強いから、よくなるとすぐ慢心するのでそのままにしておく。その左手を見て、命を助けていただいたことにお礼を申すことを忘れないようにして、しっかりと真の信心に取り組みなさいよ」とみ教えくださったと記されています。
 片目が見えず、左手も不自由であれば、先々苦労することは目に見えています。実際、仁吉は布教当初、参拝者も無く、体が不自由なため、働いてお金を稼ぐこともできず、「いっそ死んだ方が楽になれるだろう」と、近くの米代川の橋の上から身を投げようとしたことが一度や二度ではなかったそうです。
 それでも、あえてけがを治されなかったのは、カネ先生が仁吉に対して、「この先、生きていく上で不自由を強いられ、苦労すること以上に、神様のおかげを頂いたことを忘れてはならない。そして、信心で助かってほしい」との強い願いがあったからに他なりません。
 我が強い人間だから、この先、我情我欲によって道を間違わないように、それでも我が出てきたときには、けがをした左手を見て助けていただいたことを思い出し、御礼の心をもって神様の心を取り戻すように、カネ先生は、仁吉がどんなときも「神のおかげにめざめる」ことになっていくよう願っておられたのだと、後になって気付かせていただきました。

つらさとありがたさ忘れず
 仁吉はカネ先生ご帰幽の後、お道の教師となり、能代の地に布教しました。そこで御取次の御用を進められます。その後2代、3代、私は4代目になりますが、その間、多くの方々が神様のおかげを蒙られています。このことは、カネ先生が先々のことを見据え、仁吉が教師となって人を助ける身となることをご存じであったかのようです。
 カネ先生が仁吉のけがを治さずに、「どうかその苦しみを信心で乗り越えてほしい、神様のおかげを忘れずに助かってほしい」と願いを込められ、カネ先生ご自身も苦しみを共にしながらご祈念を続けてくださったことに対して、私自身、御礼を申し上げるとともに、能代の初代が恩師の願いに応えて、今日のおかげを蒙っていることに、あらためて御礼を申し上げていかねばならないと思わされています。
 このカネ先生の教えは、荻原須喜さんが残された教祖様の教えと重なってきます。
 「今まで長う痛うてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その二つを忘れなよう。その二つを忘れさえせにゃ、その方の病気は二度と起こらぬぞよう。
 これからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ。
 今の心でのう、おかげを受けていけば、病気が起こらぬばかりじゃない。子孫の末までおかげを受けられるぞ」

自ら御取次を願い、頂く
 能代教会布教87年を迎えた現在、子孫の末までおかげを頂かねばなりませんが、私の代で途切れぬように心してまいらねばならないと思わされます。私自身はこれまで、初代のような大変な体験はありません。かといって、「どうぞ神様、九死一生のような体験をさせてください」とお願いする勇気もありません。
 そんな時、以前経験したギックリ腰のような症状が出ました。
 3年前のその時は、寝たきりとまではいきませんでしたが、全く動くことができず、不意に体を動かした時に激痛が走り、一瞬、時間が止まったかのように固まって、寝返りを打つことでさえ非常に苦労しました。いつも何気なくできていたことができずに、「ギックリ腰とはこれほどにつらいものか」と思い知らされたのです。
 同時に、立つ、座る、歩く、しゃがむ、寝るなど、今まで何気なくしていたことが、「どれほどのおかげを頂いてできていたことだったのか」との思いが生まれ、お礼を申すべきことはいくらでもあることに気付かされました。
 このたびは、その時ほどの痛みもなく済んだのですが、あの時の痛みと苦しみが鮮明に蘇りました。そして、痛みが取れて思いどおりに動くことができたときの喜びや、ありがたさをも思い出させていただいたのです。しかし同時に、あれだけの痛み苦しみや治った時の喜びでさえ忘れてしまっていた自分の不甲斐なさを痛感することとなりました。
 それからは、「小さなことであっても毎日の積み重ねが大切」との思いから、神様のおかげを忘れないようにと、いつでもどこでも「金光様、生神金光大神様」と心の中で唱えることを心掛けています。どこかへ行くときや、何かをするときは実践しやすいのですが、何もしていないときは(実際は息をしたり、歩いたりしていますが)意識がどこかへ行っていることが多く、「常に取り組んでいます」とは、今はまだ言えません。
 それでも、わが心が神様へ向かうように、おかげを頂いていることを忘れないように、人の助かりを祈れるようになど、さまざまな思いを込めて「金光様、生神金光大神様」とお唱えしています。
 私も我の強い人間なので、ついつい危うい方向に進みがちになりますが、意識が神様に向いているときには、腹の立つようなことをされても心が穏やかなままであったり、起きてきたことを素直にありがたいと思えたり、ということがよくあります。
 さらに、そういうときには物事が意外に都合よく進んだりするということも実感します。「金光様、生神金光大神様」とお唱えすること、それはそのまま、自ら御取次を願い、頂くということになるのだと感じています。

願い続け、働き続ける
 大館親教会の布教100年というお年柄をお迎えし、今日までの信心のルーツをたどっていくことから、初代のカネ先生が能代の初代のけがを治されなかったという一つのエピソードに出合い、いろいろと考えさせられ、私自身のささやかな取り組みが始まりましたが、もしかするとカネ先生は、そのことまでも見通しておられたのかもしれません。
 カネ先生をはじめ、歴代の先生方の霊様のお働きに御礼を申し上げるとともに、私自身、さらに神様のおかげに敏感にならせていただき、神心を磨いて人の助かりを願う生き方を、ここからさらに進めさせていただきたいと願っています。
(2018/2)




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