神人あいよかけよの生活運動

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教報天地 7月号 神人あいよかけよの生活運動


父母が教えてくれたもの

本部広前月例祭前夜(5月9日)の教話で、白石浩美師(佐賀・西唐津)が話された内容を抜粋して紹介いたします。


突然の父の死
 父が亡くなって25年目を迎えます。今、ご本部で夫と共にご用にお使いいただいていますが、私は瀬戸内海に浮かぶ因島にある教会でお育てを頂きました。
 父は頭がよい人で、学校の勉強で分からない時はいつも父に尋ねていました。父は喘息(ぜんそく)があり、発作が出た時は夜も横になれず、苦しそうにしている姿が思い出されます。健康な体を作ろうと、乾布摩擦をしたり、体操をしたりしていました。
 母はよく働く人で、テレビを見てくつろぐといったような記憶はなく、常に人のために動き回っている姿が思い出されます。そのような両親、兄1人、弟3人と、大自然のなかで元気に成長させていただきました。
 私が高校二年生になった平成元年6月24日、父が48歳で亡くなりました。その日、いつもと変わらず登校した私は、校内放送で職員室に呼ばれ、「お父さんが倒れたという連絡があったので、すぐ帰るように」と言われました。私は不安のなか、急いで帰宅しました。
 教会には警察の人が来ていました。父は黒衣姿のまま調饌室で亡くなっていたそうで、心不全でした。母が見つけた時はすでに息はなく、誰も死に目に会うことができませんでした。突然の出来事でした。
 その日の朝、美空ひばりさんが亡くなり、父は母に、「今朝、ひばりさんが亡くなったって、テレビで特集しているよ」と世間話をしていたほどで、父はいつものようにお結界で信者さんに話をし、その数時間後に亡くなったのです。体が弱かったとはいえ、いつもと変わらない日常のなかでのことで、私自身、父の死をなかなか納得できずにいました。
 ただ、いつもは元気が取り柄だった母が、それまでにない悲しみに打ちひしがれている姿を見るのが、私はすごく嫌でした。すぐには受け入れることができなかった父の死という事実よりも、母が目の前で悲しんでいる現実のほうがつらかったのです。そんな母に、私は慰めの言葉をかけてあげることもできず、「いつまで落ち込んでいても仕方がないのに」と、冷たく当たってしまいました。

「あってある」という生き方
 そんな母が、ある時、次のような話をしてくれました。
 「何事も、『あってある』という生き方が大切なのよ。お父さんは亡くなってしまったけれど、あなたたち五人の子どもがいたから、ここまで頑張ってこれた。あなたたちのおかげで、今の私があるのよ」。そう言ってくれたことで、私は少し救われた気がしました。続けて母は、「話をするのでも、聞いてくれる人があって、話をさせてもらえる自分がある。何事も、『あってある』という生き方、考え方が大切なのよ」と教えてくれました。
 その後、高校を卒業して、「父の代わりとはいかないまでも、金光教のことを少しでも勉強して、母の話し相手になれれば」と、金光教学院に入学させていただきました。卒業後は、本部広前で3年半ほどご用させていただきました。
 今は結婚して、4人の娘がいます。上の子は高校2年生になり、ちょうど私が父を亡くした年齢です。次に中学生、小学生、幼稚園と1人ずつ、元気に成長させていただいています。私は、夫や子どもたちと生活するなかで、母が言った「あってある」という生き方を実感しています。夫があっての自分、子どもたちあっての自分、多くの人や物にお世話になっての自分である、と思わせていただいています。
 結婚してから、父が亡くなった時のことをよく思い出します。あの日、学校で突然呼び出されて家に帰った時のこと、警察の人がいて驚いたこと、母から頼まれて父の体を拭いた時のこと、などです。お広前で横になっている父のそばに行き、タオルで体を拭こうとして触れた時、その体がすごく冷たくて、心臓が止まるかと思うほどでした。
 その時の父の顔はとても穏やかで、ただそこに寝ていて、いい夢でも見ているような様子でした。今でもあの感触と驚きが頭をよぎり、また、火葬場で父の棺が焼かれるのを待っている時の胸が締め付けられるような気持ち、骨になった父と対面した時の言葉にならない光景が、昨日のことのようによみがえるのです。
 そして、今、夫と何気ない会話を楽しみ、子どもたちの手の温かさに触れ、「大切な人がそばにいてくれる。命を頂いて、元気に過ごさせていただいている。朝起きて、『おはよう』と言葉を交わし、夜休む時、『お休みなさい』と声をかけるすべてのことが、決して当たり前ではないんだ」と、心からありがたく思うのです。

命を頂いてのご用
 昨年の教祖百三十年というお年柄に、私自身、教師にお取り立てを頂いて20年、40歳の誕生日を迎えました。その時、「亡くなった父と同じ年代に入った」と思い、自分自身も生かされている身であることを強く感じるようになりました。そして、父が霊(みたま)として、「形がのうなったら、来てくれと言う所へ言ってやる」と仰せられた教祖様のように、いつでもどこでもそばにいて見守ってくれていると感じます。
 また、私は、これまでご用を頂いても、自分にできるだろうかと、不安や心配が先に立って、喜んでさせていただくことができないところがありました。しかし、父が亡くなった年齢に近づくにつれ、どんなご用も今しかできないことであり、命を頂かなければできないことだと思うようになりました。すると、不思議なくらいありがたく受けることができるようになりました。力がなくても、うまくできなくても、そんな自分を使ってくださるのであれば、一生懸命にさせていただこうという気持ちになっています。
 高齢化社会になり、どんなに平均寿命が延びても、どんなに医療が進んでも、死は必ず訪れます。病気だけでなく、事故や災害で、いつ命の終わりがやってくるのか、誰にも分かりません。人間は、明日の命どころか、次の瞬間の命でさえ分からないのだと、父の出来事をとおして思わせていただきました。そして、命を頂いていることが、誰にとっても当たり前でないこと、ありがたいことだと強く感じています。
 以前、夫と、「お葬式で、悲しみの涙を流す人をたくさん見てきたけれど、自分たちはどちらが先に逝ったとしても、もっとああしておけばよかった、もっとこうしてあげればよかったと、後悔の涙を流すことのない人生にしたいね」と話したことがあります。それは、生きている間でなければできないことであり、夫婦に限らず、誰に対しても後悔することのないよう、皆さんに喜んでいただけるような接し方をしたいと思っています。
 母が教えてくれた「あってある」という生き方を大切にし、父が教えてくれた「命のありがたさ」を忘れることなく、自分が今できることを精いっぱいさせていただき、神様、霊様、そして多くの方に喜んでいただける生き方をしたいと願っています。
(2014/7)




   



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