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急難時の信心親切とは【金光新聞】

14年たって初めて知りました

 阪神淡路大震災の発生から14年になります。防災意識が高まる今日、私の地元でも、防災に対するさまざまな取り組みが行われています。1月には、地区町会連合会主催の震災フォーラムが開催され、私はそれに参加して地域の防災態勢構築に向けた取り組みにかかわる講演を聞きました。【金光新聞】

 その中で、私が最も興味を引かれたのは、あるFMラジオ局の元社長の「阪神大震災時、FM放送の果たした役割」という講演でした。

 震災が発生した時、「地域の被災者に必要な情報を提供するのが、放送局の使命」と考え、番組をすべて変更して、負傷者はどこに行けば治療してもらえるのかという医療機関に関する情報や、食物アレルギーの子どもへの対処方法、食料を配給している場所や被災外国人に向けた情報提供、入れ歯や眼鏡に関するものまで、被災者にとって必要な情報を事細かに流し続けたといいます。

 その講演の中で、避難所などのトイレ掃除をした、大手清掃用品販売会社の社員の話が紹介されました。

 地元の企業として何か役に立ちたいと考えたこの会社の社員たちは、「今、被災者が一番困っていることは何か。自分たちの企業資源、仕事のノウハウを最も役立てることのできる貢献とは何か」と思案し、トイレの掃除と避難所に集まった人たちの下着の洗濯を思い立ったというのです。

 西宮市内193カ所の避難所などのトイレ掃除を約1カ月間行い、約20万人分の下着の洗濯を、六つの自社クリーニング工場を3カ月間フル活動させて行ったそうです。それは宣伝利用もない、純粋なボランティア活動でした。

 あの大震災では、さまざまなボランティア活動が人知れず行われ、多くの人たちを陰で助け、支えました。このエピソードも、私は14年たって初めて知りました。ボランティアに当たった社員も、おそらく地元住民がほとんどだったはずです。家族や家屋が被災した方もたくさんいたでしょう。その中で、この奉仕活動をしていくことは、大変なことだったと思います。

自分に何ができるのか

 震災当時、金光教でも、連合会や教会、個人など、それぞれがお役に立とうと、被災者の救済に向けて、さまざまな奉仕活動が行われました。

 境内地内に簡易風呂を作り地域に開放した教会。ボランティア活動の基地として教会を開放し、援助物資の集積やボランティアに駆けつけた人の受け入れなどを続けた教会。水道が不通だった時、井戸水を提供した教会など。

 自ら被災しながらも、それぞれのできることで助け合い、被災者を支えた光景が、現地に入って、救援活動にかかわらせてもらった私の目に焼き付いています。

 教祖様が山本定次郎師に伝えた教えに、次のようなものがあります。

 「信心する人は神様に参るばかりではない。銭ももらわずお礼も言うてもらわず、至急な時に格別の親切を尽くし、急難にかかりておる人を助ける時に早く行きてやり、火事の場合にも早く行きて、火を消す働きを早く潔くすれば、真の信心親切となる。何事にも心がけておりなさい」

 災害は、いつ、どこで、どんな形で起きるか分かりません。不慮の大災害に見舞われた時、自分に何ができるのか。立教150年のお年柄を迎えた今日、あらためて考えさせられています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
メディア 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2009/04/02 11:29:50.074 GMT+9



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