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本部・天地金乃神大祭 参拝者の声


 今年も全国から、本部・天地金乃神大祭に大勢の方々が参拝のおかげをこうむられました。
 お礼参拝の方や、不景気の中で今年こそと願いを立てての参拝の方、進学進級のお願いや、健康成就など、神様への思いは人それぞれ。そんな参拝者の方の中から、いくつか声を寄せていただきました。



「神様を放したらいかん」

 「おかげ」を言葉にしようとすると、「特にこれ」と言うのは難しいですね。振り返れば、今までのすべてがおかげですね。
 私は、小さいころから、おじいちゃんの信心に触れて育ちました。そして、両親に神様や信心のことを教えてもらいました。だから、親がいなければ今の私はない、と思っています。
 父は私が小さいころから、「神様を放したらいかん。ご本部にお参りしたら、お参りしただけのおかげをいただくから、できるだけご本部参拝をさせていただきなさい」と教えてくれました。
 私は素直でしたから(笑)、その言葉を疑わずに、成長してからも、結婚してからも、春秋のご大祭をはじめ、何かあれば朝一番の電車でご本部に参拝させていただいています。
 ご本部にお参りすると、心が改まるような気持ちになります。神様がいらっしゃることを感じますし、金光様にお願いして帰れば、必ずおかげをいただけると信じることができます。
 決して、自分の思い通りになることばかりではありませんでしたが、願いとは違う結果になっても、「神様が私にとって最善の道を与えてくださった」と思います。
 父から言われたとおりに、信心を続けさせていただいたからこそ、言えることかもしれませんね。
 いくら物が豊かな時代になり、交通が発達したといっても、関東に住んでいる私には、ご本部への参拝は楽でも、簡単でもありません。しかも、親や夫の介護をずっと続けていましたから・・・。
 でも、父に導かれるように、欠かさずご本部参拝ができてきたことは本当に幸せでした。
 娘や孫たちはそんな私が不思議に見えるようで、「おばあちゃんは、どうしてそんなにご本部参拝するの?」とよく聞かれます。
 私は、信心が好きで、ご本部が好きなおばあちゃんなんですね。
 信心を続けさせていただいて分かることですが、小さいころからの父の教えを本当にありがたく思っています。父が教えてくれたことですか? 「すべては祈り!祈りを忘れたらいかん」ということ、そして、「神様を放したらいかん」ということです。
 代々神様を頂いて、健康のおかげをいただいてきたことは何よりのおかげだと思います。そのことを少しでも伝えられるように、と祈らせていただいています。【71歳 女性】



「必ず神様はいる」
 
 愛媛県の西条に住んでいた20歳の夏、私は肝臓の病気で入院しました。体がだるく、病院で手当てを受けても、ぜんぜんよくなりませんでした。
 実は、入院したとき、信心熱心なおば(母の妹)が、すぐに教会のご神米を持って見舞いに来てくれ、金光様の信心を勧めてくれていました。おばは、「一日も早く信心して、おかげを受けなさい」と言いましたが、私は「信心しても助かるわけない」と思っていました。
 でも、病状はまったく回復しないのです。若かった私は、「早く元気になりたい」という思いが募り、おばの言葉を信じてみようという気持ちになっていきました。
 幸せなことに、金光教の教会は病院から100mぐらいのところにありました。
 初めて教会で病気のことをお話しすると、先生から、「信心を放したらいけない。必ず神様のおかげをいただけるから、日参しなさい」と言われました。
 それからは、毎日、病院をぬけ出して教会へお参りしました。神様に自分のことをお願いして、先生から信心のお話を聞かせてもらうんです。うまくは言えませんが、教会に行くと、なんだか気持ちが良くなるんです。病状はそのままでしたが、心が元気になるような感じでした。
 入院して4か月たったその年の暮れに、私は無理やり退院しました。お医者さんからは、「死んでもいいなら退院しなさい」と言われましたが、「どうせ回復しないなら、一生懸命に信心してみよう」と思ったんです(笑)。
 それからは、自宅から1キロ余り離れた教会へ自転車で日参を続けました。すると、2、3か月ですっかり元気になったんです。神様はいると感じて、うれしかったです。
 結婚してからも、転居するたびに近くにある教会へ参拝し、今も日参と春秋のご本部参拝を続けています。そして、これまでに神様のおかげをたくさんいただきました。そのおかげで今日があると思うと、ありがたいですね。
 しばらくの間、私はおかげをいただくために参拝していましたが、先生の教えを聞いて、信心をさせてもらっているうちに、「これまでのようなおかげ信心ではいけない。何かお役に立てるような自分にならねば」という気持ちになってきました。
 そんな気持ちから、私は何人かの人を金光教におみちびきさせていただいていますが、信心が続く方はほとんどいません。自分の力不足ですね。でも、これからも「神様はいる」っていうことを伝え、人助けのお役に立たせていただきたいと願っています。【64歳 女性】



「教祖さまの奥城に屋根がないのはかわいそう」
 
 3月29日に参拝したので、ご大祭は今日(4月10日)で2回目です。
今日は、お父さん、お母さん、妹たちと参拝しました。
 3月にお参りしたとき、「なんで三代金光様の奥城(歴代教主奥城)には屋根があって、教祖様のところには屋根がないのだろう」と思いました。
 大人の人に聞いたら、教祖さまの奥城の前にある屋根は、参拝した人たちのためだそうです。お参りをした人が雨にぬれないようにするためだと言われましたが、僕は、お参りの人は傘をさせばいいのに、と思いました。
 教祖さまたちは雨に濡れるから、かわいそうだと思いました。
 僕は、早く教祖さまのところにも屋根ができるように、お金をためようと思いました。【9歳 男の子】



「足信心でたくさんのおかげ」

 私が大切にしているのは、「足信心」です。
 これは、私がお参りする教会の先生が教えてくださっている信心です。先生は師匠と仰いでいらっしゃる、関係教会に当たる初代教会長先生の教えであるとおっしゃってくださっています。
 私は小さいころから母に連れられて教会にお参りし、成長するなかで、この「足信心」を少しずつさせていただくようになりました。
 私がお参りする教会は自宅から歩いて10分のところにありますから、今は、毎朝の参拝ができます。けれども、若いころは旅客機の乗務員(パーサー)で、教会への日参はできなったのです。
 そこで、私は、海外でも、国内にいても教会に電話をかけて日々の報告とお願いをさせてもらいました。そして出張先では、国内外を問わず最も近い教会を探して参拝し、お取次をいただくことを心がけていました。
 おかげで定年を迎えるころまで老眼鏡をかけることもなく、髪も黒々とし、健康のおかげをいただきました。そして、足信心のお徳で、合計2万時間という乗務ができ、事故なく神様に使っていただきました。
  ところが、定年して2年後、私は心臓の手術を受けるという大病に見舞われました。病院は教会から30分の距離にありましたが、病気が病気ですから、病院を抜け出すこともできません。日参ができないことを先生にお話しすると、「イメージで参拝しなさい」と教えてもらいました。
 それからの私は、病院のベッドにいながらイメージで日参をさせていただきました。
 目を閉じると、病室を開け、病院の玄関を歩いて外に出て行く自分の姿がイメージできます。教会に着くと、お広前でご祈念をし、先生にお届けをすることができます。
 そして4か月後、無事に退院しました。
 徐々に体力が回復した2年前からは、自分の足を動かして午前7時に教会へ参拝し、関係教会へも1時間かけて参拝ができるようになりました。
 私が教会に参拝したら、ご祈念と先生の教話をいただきます。そして、お取次を通して私の質問やお願いを聞いてもらい、先生の教えをいただいています。
 年はとっても教えられることは多いものです。お取次をいただくと、自分の心が改まることにつながるので、教会の先生は私の家庭教師のような存在です。言い換えれば、お取次をいただくことは何よりも大切であり、お取次は私の財産だと思っています。
 私は今、小さな人材派遣会社を経営しています。
 私の会社には、仕事がない人や仕事が合わずに離職した人が来られますから、そうした方々に一日も早く良い仕事が見つかること、会社の従業員が心身ともに元気に仕事ができることは、経営者である私の大きな願いです。第二の人生を迎え、変わりなく「足信心」と「お取次」をいただいて、お役に立つ御用をさせていただきたいと、祈りを強くしています。【69歳 男性】

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投稿日時:2009/04/14 13:27:29.534 GMT+9



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