title_02.jpg

HOME › 「あいよかけよの生活運動」の推進を願って

「あいよかけよの生活運動」の推進を願って

金光教講演会での講話を聴いて

「あいよかけよの生活運動」については、現在、教祖様の「神と人あいよかけよ」の進まれように立ち返って、「この道のおかげの自覚」から生まれてくるお礼の心に催されて、「神が助かることになり」と神様が仰せられる信心を求めていくこと。あるいは、「神も助かり、氏子も立ち行き」という神様の願いが、私たち一人ひとりの生活のなかに現されていくこととして、その取り組みを進めている。
 一方、立教150年の取り組みとして、昨年9月から「立教150年記念 金光教講演会」が各地で開催されてきている。その願いとするところは、講話とのかかわりで、めいめいが頂いているおかげの事実と道筋を自覚し、日々の信心生活のなかで、少しでも神様の喜ばれるあり方へと展開させていただくことであり、そのことが「運動」の推進にも連動していることは言うまでもない。
 そこで、ここまでの講演記録を拝聴していくと、各講話とも、講師自身の歩みや「おかげの事実」が振り返られ、神様、お取次のありがたさとともに、この道の信心の大切なところが生き生きと語られている。それぞれに目を見張らされるところが多々あり、全体として、お礼を土台とした信心の大切さに言及される場合が多いことに気づかせられる。たとえば、ある講師は、「ありがたい」の反対語は「当たり前」と押さえ、二十数年前の母親のお国替えについて、次のように振り返られた。

 ある日、母が急性心不全で倒れ、意識不明の重体となり緊急入院した。突然のことであり、心労が募って、自身も体調を崩していった。
 ある信者さんが、ご本部参拝を申し出て、四代金光様にお届けしてくださった。すると、「心配ができるということにお礼を申しなさい」との金光様のお言葉があった。これを聞かされて、「そうだなあ、母が生きているから心配できる。あの時、死んでいても仕方がなかった。これほど心配できるのは、母が生きてくれているからこそだ」と思い直すことができ、元気を頂いて、翌日から病院通いに励んだ。けれども、母の意識不明は回復せず、十日、二十日と過ぎていくうちに、自分の心がもやもやするようになってきた。
 そこで、今度は、自分でご本部参拝をさせていただいた。金光様にお取次を頂くと、「意識不明じゃ、意識不明じゃと言うて、おかげを頂いているなかでの意識不明じゃろう」との厳しいお言葉。その時、ふと、「母は幸せな人だなあ。多くの人に祈ってもらい、多くの人のお世話になっての今日である。決して孤独ではない」と思えてきた。その心持ちで金光様にお礼を申し上げ、以後は、お礼を申しながらの病院通いに励んだ。
 その母は、倒れて約一か月あまり後、教会の大祭の翌日に息を引き取らせてもらった。大祭で、神様に母のお礼をしっかりとさせてもらい、続く葬儀も精いっぱいにお仕えさせていただいた。
 一段落して、兄弟みんなでご本部に、母のお国替えのお礼参拝をすることになった。本部広前でご祈念をし、金光様にお礼のお届けをすると、「そうじゃそうじゃ。親が死んで悲しくない者はない。みんな悲しい。じゃがのう、後に残った者が、そうやってお礼が言えることで、みたまが安心して立ち行くんじゃからなあ」とのお言葉を頂いた。

 また、別の講師は、「お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」との教祖様のみ教えを引用し、ここで教祖様が仰せられているのは「命の理(ことわり)」であると押さえ、かつての父親によるお取次の一場面を、次のように回顧された。

 ある農家の人が、教会に駆け込み、「先生、牛が病にかかりました。神様にお願いして、おかげを授けてください。また、稲にも虫がついています。どうぞ、こちらもお願いします」とお届けして、一升瓶のお酒をお供えした。父は、それをご神前に進め、しばらくご祈念の後、お結界に下がり、「なあ、牛酒、虫酒では、お神酒になりませんね」と。「先生、私は神様にと思って、お酒の一升をお供えしたのですが」「いや、あれは、牛酒、虫酒じゃ」と。つまり、牛を何とかしてほしい、虫を何とかしてほしいという自分の都合のためのお酒であって、神様に真(まこと)をお供えするお神酒ではない、ということなのである。
 今、この人の心は、牛の病と稲の害虫のことで占められている。けれども、日ごろ、牛や稲にお礼を申したことがあるのか。もう一歩進めて、牛が育ち、稲が実っていく大もとは、天地のお働き以外の何ものでもない。病の時だけ、虫がついた時だけ神様に願って、その時だけに神様のお働きがあるのではない。神様のお働きは、毎日、毎月、毎年、ありどおしにある。そのことにまずお礼を申し上げ、お礼の心を土台としてお願いしていくことが大切である。
 父が、そのことを諭していくと、この人が、「なるほど、それが本当であった」と気づいてくれた。父は、お供えの一升瓶を下げて、「さあ、あなたの心が変わられて、これがお神酒になりました。このお神酒を持って帰って、牛に頂かせなさい。稲に与えなさい」と。その人は、言われるとおりにしておかげを受けた。

神様のおかげの世界への道標として

 この二つの話に、ほかの講話内容も加味して思ってみると、この道の信心の一つの道筋が見えてくる。すなわち、私たち人間は、難儀や問題に出遭うと、そのことに心を奪われるあまり、天地のお働き、神様のおかげのなかに生かされてきての今日という、「命の理」を忘れてしまう。それでなくても、天地のこと、神様のおかげのことを知らず、自分の都合ばかりを言い立てて願っている。そこでは、今こうして生きていることが「当たり前」になっており、足りないところだけを問題にしている。だから、お礼を申すことができないことになる。そうではなくて、今ある命も生活も、神様のおかげに支えられた「ありがたい」こと、ありえないことの積み重ねなのであり、お取次をとおして、そのことに気づかされ、心底得心された時、そこに自ずと神様に通うお礼の心が生まれ、「この道のおかげ」も開かれてくる。そのような道筋である。
 そして、このように頂いてみて思い起こされるのは、教祖様42歳のご大患事蹟、なかでも、後半の「戌年(いぬのとし)男は熱病の番てい。熱病では助からんで、のどけに神がまつりかえてやり」という神様のお知らせである。ここでは、九死一生とされた「のどけ」自体が、実は助かりに向けての最大限の神様のお働きであったことが告げられている。
 つまり、目の前の難儀や問題を受けとめる人間の思いがどうであれ、神様の世界からすれば、すでにおかげの事実が現されてのことであり、そのことへの気づきと承服が、ここで教祖様に求められていたと受け取れる。この点、先の四代金光様の「おかげのなかでの意識不明じゃろう」とのお言葉は、そのような神様の世界からのご理解でもあったと思われる。
 もとより、教祖様42歳のご大患は、教祖様の「神と人あいよかけよ」の出発点でもある。共々に、神様のおかげの世界への道標として、この道のお礼を土台とした信心を頂き直し、さらなる「神と人あいよかけよ」の信心生活の展開に努めてまいりたい。

メディア 文字 

投稿日時:2009/05/30 08:46:07.824 GMT+9



このページの先頭へ