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「立教150年信行期間」を迎えて

8月8日から11月15日までの100日間

 いよいよ今月8日から、「立教150年信行期間」を迎えることになる。「この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進める」を願いとして、「立教150年立教記念祭」が仕えられる11月15日までの100日間、それぞれに願いを込めた信行に取り組ませていただきたい。【金光教報-天地】

 本教における信行期間の始まりは、昭和9年にさかのぼる。当時、三代金光様のご神勤40年を迎え、「御礼之会」が計画されたが、それを聞かれた三代金光様が、「『御礼之会』のことは断ってもらいましょう。年限が長いというだけで、功がないのですから。みんなが神様へ御礼申してくだされば、それで結構です」と仰せられ、そこからあらためて「御礼信行会」が申し合わされ、全教あげての御礼信行に取り組まれたのである。

 40年もの長きにわたって、教祖様のご神勤そのままにご奉仕くださり、全教のことをご祈念御取次くださった三代金光様が、「年限が長いというだけで、功がないのですから」、つまり、すべて神様のおかげのなかでのことであり、「功」は神様のお働きとご苦労によるものであるから、「みんなが神様に御礼申してくだされば、それで結構です」とおっしゃったのである。

できるからするんじゃない できないご用のけいこを

 ある先師によると、三代金光様のご生活は、日常生活がそのまま信行であらせられ、教祖様のみ教えを守りとおそうとされるものであられた。そのなかにあって、たとえば、戦後の冬の寒い日、金光様の後ろの戸が開いていたので、ある方が気を利かせて閉めておくと、また開いている。それを繰り返すうち、これは金光様がご修行なさっているのだと思い、「金光様は、どのようなご修行をしておられるのですか」と尋ねると、「修行しとりません」とお答えになった。そういうこともあられたということである。

 三代金光様は、「日々がさら」とのお言葉のままに、絶えず神様に心を向けられ、神様のみ心に添うあり方を求め続けられたのであり、そのようなご生活から自ずと生まれてきたお言葉が、「みんなが神様に御礼を」であられたと頂けよう。

 ところで、四代金光様のみ跡をお受けくださった現教主金光様は、「できるからするんじゃない、できないご用のけいこをさせていただく」、また、「神様にお休みはありませんから」ともおっしゃって、歴代金光様ご同様、親様の求道の心をたどられ、自らに厳しく道を求められて、今日まで本部広前にご神勤くださっている。現教主金光様は、早朝、本部広前にお出ましになり、ご神前に進まれた時、正中で一礼をされて小さな声で、「ただいまでございます」と仰せられ、それからご神飯をお供えになるという。これは四代金光様が日々、そのようになされていたので、ご自身もそうなされているとのことである。

 普通、「ただいま」は、外から家に帰った時の、家族に対する言葉である。ところが、金光様は、ご自宅から本部広前にご出仕された時、しかも神様に対して、「ただいまでございます」と仰せられる。そこには、「今月、今日」のただ今を含めて、神様の時間にあらためて参入し、神様と共にご用に仕えるという、親神様に対する金光様の深いみ心が込められていると仰がせていただく。

 「神様にお休みはありませんから」とのお言葉からは、お広前でご用にお当たりくださっている時はもちろん、ご自宅でお休みになっている時も、絶えず天地のこと、神様のことが思えてならないとも拝される、金光様のみ思いが響いてくる。そのことをもって拝察するに、金光様の「ただいまでございます」には、〈神様、ただいま出仕させていただきました。神様にはお休みもなく、働きづめにお働きくださり、ありがとうございます。ただ今から私も、共にご用に当たらせていただきます〉というようなみ心が込められているのではなかろうか。そうであれば、そのようなみ心をもっての今月今日が重ねられてのご神勤18年であられる、と頂くこともできよう。

 三代金光様に体現された神様中心のご生活は、そのまま、神様のことが思えてならないとも拝される現教主金光様のご生活として、今日に現されている。共々に、歴代金光様のみ心やご生活を頂きなおし、願いを新たにして、神様にお喜びいただける信心のけいこをと望み、このたびの信行期間のおかげをこうむってまいりたい。
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投稿日時:2009/08/02 13:17:06.238 GMT+9



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