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神様のご縁の中のこと【金光新聞】

気がかりなこと

 ある日、冨子さんは外出先で偶然、金光教の教会を目にし、ふと参拝してみようという気になりました。金光教を信仰する家庭で育った彼女でしたが、結婚してからは信心から遠のいていたのです。
 冨子さんは、教会で先生と語らいながら、その気さくな人柄に親しみを覚えると同時に、しんの通ったものを強く感じました。
 先生は冨子さんに、「ありがたい神様だから、しっかり信心していきましょう」と言いました。
 この参拝を機に、冨子さんは早朝と午前10時のご祈念に参拝するようになったのですが、なぜそういう気になったのかは、自分でもよく分かりませんでした。
 「神縁まことに不思議にして 今この道に出で会うを得たり」と神前拝詞にありますが、まさにそれを地で行くようなものでした。

 当時、冨子さんには一つ気がかりなことがありました。それは統合失調症の弟、哲夫さんのことです。でも、そのころは両親が健在だったことから、深刻に考えることはありませんでした。
 そんなある日、父親が不慮の事故で他界したのです。その後、母親も体調を崩し、まるでその後を追うかのように亡くなってしまいました。
 「この先、哲夫はどうなるんだろう」。心の奥で気にかかっていたことが、現実のものとなりました。その心配を先生にお届けすると、「これも神様のご縁の中のことだから、弟さんの力にならせてもらいなさい」と言われ、冨子さんはきょうだいたちと話し合い、彼女の家の近所にアパートを借りて、そこに哲夫さんを引き取る決心をしたのです。

生きても死にても

 哲夫さんには、働きたいという意思はあるものの、長続きしませんでした。
 冨子さんは、哲夫さんを連れて教会に参拝するようになりました。先生は哲夫さんに、毎日の参拝と金光教教典抄『天地は語る』に収められている教えをノートに書き写すことを勧めました。
 哲夫さんはその勧めに従って、教会参拝を続け、書写にも取り組みました。しかし、一年が過ぎても状況は変わらず、哲夫さんの参拝はいつしか途絶えました。
 その後、哲夫さんはハウスクリーニングの会社に勤めることができたものの、ここも長続きしませんでした。冨子さんは、弟の立ち行きをひたすら祈り続けました。
 そんなある朝、教会の早朝祈念が始まった直後、巨大な震れに襲われたのです。阪神淡路大震災でした。
 冨子さんは急ぎ家に戻ると、自宅は半壊状態でしたが、幸いにも家族は皆無傷でした。家族の無事を確認すると、その足で哲夫さんの住むアパートに向かいました。
 そこで目にしたのは、無惨に崩れ落ちた建物のがれきの山でした。この震災で、哲夫さんは48年の人生を閉じたのです。

 それから15年、当初、冨子さんは哲夫さんの人生の終わり方が悔やまれましたが、今ではあれもおかげであったと思えるようになりました。1年ほどでしたが、弟がこの道に縁を得たことを、冨子さんはありがたく思っています。
 「み教えに、『生きても死にても天と地とはわが住みかと思えよ』とありますが、弟は今、神様のもとで私たちを守ってくれていることでしょう」。冨子さんはそう言い、哲夫さんのみたまの立ち行きと働きに日々祈りをささげています。
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投稿日時:2010/03/24 15:09:59.385 GMT+9



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