今から3年前、教区内の信奉者が勢をそろえてご霊地(金光教本部)に参拝した時の出来事です。
私が奉仕する教会からも何人もの信徒が参拝しましたが、その中に信徒総代のまことさん(80)と奥さんの光子さん(77)もいました。
勢参拝を終え、皆を乗せたマイクロバスが教会に帰着して程なく、二人がお結界に来ました。
「先生、実は補聴器を落としてしまいました…」。まことさんは困惑の面持ちでそう言いました。
ご霊地では、他の大勢の参拝者と一緒に、教祖様をはじめ歴代金光様の奥城(おくつき=墓所)にお参りし、また本部の先生の講話を拝聴して、ありがたい気持ちで、心が満たされました。
そうして参拝を終え、帰りのマイクロバスが発車してしばらくしたころ、左耳に不具合を覚えたのです。
まことさんは会話や音が聞き取りにくく、補聴器を常に装着していたのですが、その大事な補聴器の片方がなくなっていることに、この時初めて気が付きました。
それは、持ち主に合わせて一つ一つオーダーメイドされた高価な物で、まことさんにとっては体の一部ともなっている、「愛器」ともいえる必需品でした。
でも、この時まことさんは、光子さんに無くしたことを切り出すことができませんでした。バスの中で、気付かれないようにポケットやバッグの中を懸命に探しましたが、見当たりません。
「ご本部にお礼参拝をさせてもらった後なのに、どうしてこんなことになるのか」
つい先ほどまでのありがたい気持ちはすっかり消えうせ、まことさんの気持ちは曇り、帰りの道のりを憂うつなものにしました。